スタッカート製本店
和綴じ。
【本】の背を、紐で、ガッチリ、綴じる方法。
糊綴じやホッチキス綴じとは、強度が、違う。
背に、紐を通す回数を増やしたり、紐の下から、あるいは上から紙を貼れば、
更に強度は、増す。
薫は、製本を、している。
用紙をまとめ、和綴じに、している。
用紙の表紙ページには、【西河孝則】と、タイトルが打ってある。
用紙は、和紙っぽいが、和紙ではない。
フィルムっぽいと云うか、プラスチック製の用紙っぽくもある。
文字も、写真も、映えそうな用紙ではある。
用紙は、四十二枚重ねで、和綴じされている。
ページ数にして、80+前後ろ当て紙4ページ。
それらを、厚紙の様な、表紙・裏表紙で挟んで、綴じている。
よく見れば、表紙のタイトルの下にも、何か、書いてある。
【西河孝則】の下に、サブタイトルの様に、書いてある。
【0~四十歳】と、書かれている。
まとめた用紙の背と、表紙・背表紙の綴じ部分に、厚手の紙を、貼る。
紺地の紙を、しっかりと、糊付けする。
上・中・下に穴を三つ開け、各自その穴に紐を通し、紐をギュウギュウ絞る。
絞って絞って、紐を止める。
用紙が遊ばない様に、隙間が浮かばない様に、ガッチリ止める。
表紙と裏表紙を、万力で、挟み込む。
背には、細長い文鎮の様な、重しを乗せる。
後は、紐が馴染み、しっかり糊が乗るまで、一日、寝かせる。
寝かせた。
薫は、文鎮を降ろし、万力から、【本】を外す。
綴じ具合を、確かめる。
しっかり、和綴じ製本されている。
適度な遊びしかなく、余分な遊びは無い。
充分、長持ちしそうだ。
パラパラ ‥
【本】を、開く。
スムーズに、【本】は、開く。
淀み無く、開く、
文字や画のある部分まで、ちゃんと、開いている。
すぐに閉じようとすることも無く、しばらくは、開いている。
うん、読みやすいな。
一ページ一ページに、【~歳 一~六ヵ月】とか、【~歳 七~十二ヵ月】とか、タイトルが、入っている。
【~歳】は、二ページ(一枚)毎に、数を、増やしている。
ページ内には二本の横線が引かれ、上・中・下の三段に、分けられている。
その内、上段・中段に、項目らしきものが、箇条書きにされている。
下段は、余白としてか、空けられている。
何かを書き込む為か、空けられている。
薫は、ページを、ひとしきり、最初から最後まで捲る。
速やかに、滑らかに、サクサク捲ってゆく。
うん、乱丁とかも無いな。
薫は、和綴じ製本の具合を確認し、出来具合に、満足する。
そして、それを、紙袋に入れる。
【西河孝則さん 0~四十歳】と書かれた紙袋に、入れる。
「 ‥ さて ‥ 」
薫は、ひと声出すと、次の作業に、取り掛かる。
【松丘満さん 二十~三十歳】と書かれた紙袋を、取り出す。
紙袋の中から、【本】を、取り出す。
これも、同じ様に和綴じ製本されており、薫の仕事であることが、一目で分かる。
が、その【本】は、くたびれている。
使い込んである。
よく使い込んであるページなのか、幾つかのページが、浮いている。
他のページと、段差が違う、色合いが違う。
薫は、矯めつ眇めつ、【本】を見廻す。
表裏見て、パラパラとページを捲り、確認する。
「うん」
声を一言、漏らす。
漏らすと、大きな握り鋏を、手に取る。
手に取った鋏を、【本】の背に向ける。
パチン ‥ パチン ‥ パチン ‥
和綴じの紐を、切る。
背表紙の穴から、紐を、外す。
紐を外し、ページを整える。
ページの用紙と、背に張り付けた用紙を、整え直す。
ページの段差を、合わせる。
ページの用紙を変えるわけにはいかないので、ページに付いた色合いは、変えられない、元に戻せない。
ページを整え終えると、新たに、紐を通す。
新品の紐を、背表紙の穴に、通す。
上・中・下の穴毎に、表裏行ったり来たりを、繰り返す。
表表紙と裏表紙を行き来し、紐を通す。
穴毎に、紐を、引き絞る。
『これでもか』と云うぐらい、紐を引き絞る。
その引き絞ったポジションのまま、紐を、結ぶ。
緩まない様に、紐を、結ぶ。
紐を新たに取り換え、【本】の見栄えが良くなる。
ページの段差も解消し、読み易そうにもなっている。
‥ パラ ‥ パラ ‥
薫は、ページを、捲る。
開き易くも、なっている。
色合いの違う、段差が違っていたページを、開く。
よく使われていたのか、よく読まれていたのか、他のページと比べ、くたびれている。
悪く言えば、傷んでいる。
良く言えば、相棒感(バディ感)が、ある。
ページの下段の余白が、余白で無くなっている。
しっかりと、書き込まれている。
カオスとか猥雑とか云った感じは無いが、ビッシリ、整然と、書き込まれている。
比較的、上・中二段の項目も多いのに、それでも足りないかの様に、ビッシリ書き込まれている。
この年齢の一年は、出来事が頻発した一年、だったらしい。
【一~六ヵ月】のページも、【七~一二ヵ月】のページも、余白に、しっかりと、書き込まれている。
見れば、このページを中心として、前後二~三年(歳)分くらいのページは、全て、段差が違っていたようだ。
色合いも、ずず黒っぽい。
薫は、今メンテナンスした【本】を、新たな紙袋に、入れる。
表紙に、【松丘満さん 二十~三十歳】とタイトルされた【本】を、紙袋に入れる。
‥ リーンリーン
‥ リーンリーン
電話が、鳴る。
懐かしい音を奏で、電話が、鳴る。
薫は、電話に、近付く。
ダイヤル式の黒電話に、近付く。
コール五回目くらいで、受話器を、取る。
「はい」
《そちら、スタッカート製本店さん、ですよね?》
「はい、スタッカート製本店、です」
《いつも、お世話になってます。
末元商店です》
「ああ、こちらこそ、お世話になっています」
《この度、『ちょっと、お仕事をお願いしよう』と、思っていまして》
「はい。
ありがとう御座います」
《どうしたら、いいんでしょうか?》
「はい。
まずは、一度、店に来ていただいて、お話しを伺わせていただきます」
《あの、それは、必須ですか?》
「何が、ですか?」
《あの、直接、伺うの》
「はい、一度は対面して、お話を伺いたいので、
必ず、それは、してもらっています」
《送付物のやり取りとか、メールのやり取りだけで、
仕事してもらうわけには、いきませんか?》
「基本、お断りしてまして ‥ 」
《多分、その ‥ 基本以外になると思うんですが ‥ 》
「どう云うことですか?」
薫は、一筋縄では行かなそうな仕事の依頼に、ちょっと興味を、覚える。
《私は実は、代理でして ‥ 》
「はい」
《依頼者本人は、寝たきりの ‥ 》
「ああ、茂さん」
《はい。
だから、直接お伺いしての、『お仕事のお願いは、できない』、
と思いまして ‥ 》
「ああ、それなら、大丈夫です」
薫は、軽く言って、続ける。
「こちらから、伺いますから」
《はい?》
「いや、僕が、伺います」
《こっちに、来てくれはるんですか?》
「はい。
不都合が無ければ」
《不都合も何も、こちらからお願いします》
「では、僕が、伺います」
《よろしくお願いします》
薫は、引き続き、スタッカート製本店の仕事内容、納品スケジュール、仕事の代金等を、詳細に伝える。
薫は、家の前に、立つ。
家屋の前に、佇む。
何の見栄えもしない、木造平屋建て。
通りに面した、入り口の戸に、大きな硝子が、嵌め込んである。
入り口入ってすぐが、作業場になっているらしい。
が、その作業場に、人けは、無い。
ガラガラ ‥
薫は、入り口の戸を開け、作業場に入ると、声を掛ける。
「こんにちはー」
一拍か二拍置いて、ガサガサ、物音がし出す。
それから、慌てたように、声がする。
「 ‥ ふぁい!」
ガラガラ ‥
作業場の奥の戸が開かれ、家の人が、顔を出す.
長い髪の毛を、無造作に後ろで括り、スラッとした家の人が、顔を出す。
手脚もスラッとしていて、その為か、華奢な印象を与える。
どうも、作業場と戸で仕切られた奥が、プライベートな空間となっているようだ。
家の人は、お菓子を食べている最中だったらしく、しきりに、口をモゴモゴさせている。
口元を、手で覆い隠して、モゴモゴやっている。
「いつも、お世話になってます。
スタッカート製本店です」
「あ、ふぁい ‥ 」
家の人は、口の中で、歯を、高速機動させる。
口の中の食べ物を、速やかに、噛み砕く。
ゴクッと音がするかの様に、それを、飲み込み下す。
喉が、動く。
「お待ちしていました。
中へ、どうぞ」
家の人の名前は、潤、と言う。
潤は、スラっとした芯の通った佇まいで、薫を、奥へ、いざなう。
薫は、雑然と整然の混在する作業場に、足を踏み入れる。
物は多いが、それぞれが、あるべき所に、仕舞われている感じがする。
道具は道具のあるべき所へ、出来上がった品物は出来上がった品物があるべき所へ、作業中の物は作業中の物があるべき所へ。
それが、整然感を、生み出している。
落ち着いた雰囲気、安定した空気感が、整然とした空気の生成に、一役買っている。
薫は、作業場を通り過ぎ、奥に繋がる戸を、跨ぐ。
戸を跨ぎ、戸を閉める。
部屋の中を、見る。
奥の部屋は、当に、プライベート空間だ。
テレビが有り、ちゃぶ台が有る。
冷蔵庫が有り、本棚が有る。
電子レンジも電話機も、タンスも有る。
そこに、ベッドも、在る。
決して広くはない部屋の片隅を、ベッドが、占めている。
ベッドは、電動のもの。
電動でマットが起き上がり、身体が起こせる様になっているものだ。
つまり、そこで眠っている人は、自力では、身体が起こせなくなっているということ。
ベッドに眠る人は、眼を閉じている。
微かな寝息を立てているところを見ると、寝入っているのだろう。
寝入っている人は、男性で、皺が深い。
外見とか気にせず、仕事に励んで来た人の皺、だ。
「今は、ほとんど寝たきりで、トイレと食事の時に、起きるぐらいです」
潤は、言う。
潤は、男性の孫らしい。
「そうなんですか。
じゃあ、当分、起きはらへんのやないですか?」
「今日、スタッカートさんが来はるのは、言ってあります。
その時に、「お話して」とも、言ってあります」
「そうなんですか」
「はい。
だから、『起こしても、大丈夫』やと、思います」
潤は薫に、きびすを返すと、ベッドの方を、向く。
ベッドに近付き、男性の耳元に、口を寄せる。
「おはよう」
潤は、大きめの声で、言う。
いや、既に、昼間になっているけど。
薫は、ツッコミ思う。
でも、もしかして、昨日からずっと、『寝続けていはる』のかもしれん。
薫は、訂正気味に、思いを巡らす。
「おはよう!」
‥‥
「おはよう!!」
‥‥
「おはよう!!!」
‥‥
男性は、潤の、計四回目のコールで、眼を開ける。
眼を開けて、潤を見る。
しばらくは、現状認識できていないのか、眼に、力が無い。
が、徐々に、眼に、力が宿る。
力が宿って、眼に、光も宿り出す。
そうなってようやく、男性は、口を開く。
「おはよう」
ようやっと、潤に向かって、挨拶を返す。
潤は、ようやく返って来た挨拶に、笑みを漏らす。
「おはよう。
スタッカートさん、来てくれはったよ」
男性は、一瞬、キョトンとする。
が、眼に理解が灯ると、巡らす。
眼を、眼玉を巡らして、薫を捕えようとする。
眼の端に、薫の姿を認めたのか、眼のポジションが、固定される。
ウィーン ‥
ベッドが、動き出す。
マットが、起き上がる。
男性の身体も、起き上がる。
男性は、眼のポジションを固定したまま、身体を起こす。
眼の端から、視界全面へと、薫の姿を捕らえる。
薫は、男性の痛烈な視線を感じ、ちょっと、戸惑う。
『睨まれている』『ロックオンされた』、そんな感じ。
え、もしかして、強引に起こされて、機嫌悪い?
寝起きで、歓迎されていない?
でも、呼ばはったん、そっちやし。
とかなんとか思いながら、薫は、ちょっと、眼を伏せる。
「おはよう御座います」
「おはよう」
「それで ‥ あの ‥ 」
薫は、早速、切り出す。
「早速なんですが ‥ 」
……
「仕事の内容を ‥ 」
‥‥
「お聞かせ願いたいんですが ‥ 」
‥‥
薫が、話を振っても、薫を睨み続ける。
「 ‥ えーと ‥ 」
薫は、対応に困り、思わず、声を漏らす。
「ほら、おじいちゃんが黙ってるから、
スタッカートさん、困ったはるやん」
潤から、助け舟が、入る。
男性が、口を、開く。
「あんたが、今のスタッカート製本店の代表か?」
「はい」
「 ‥ そうか ‥ そうやわな ‥ 」
男性が、少し寂しそうな表情を、浮かべる。
男性は、潤に、言う。
「潤、あれ持って来てあげて」
「はい」
潤は、即座に返事をする。
そして、即座に、そのあれを、持って来る。
どうも、用意していたらしい。
薫の前に、置かれる。
そのあれ等が、置かれる。
置かれたのは、数冊の【本】と【ファイル】。
表紙に、【茂 0~六十歳】【茂 六十一~七十歳】や、【潤 0~十歳】とか書かれている。
通常、人は製本店に、人生の内で二回程しか、世話にならない。
数十年分の記憶や思い出を記憶用紙に印刷し、製本する。
一回目は、大体、六十年(0~六十歳)分くらいで製本する。
六十一歳~死ぬまでは、【ファイル】で、対応する。
二回目は、その0~六十歳分の【本】と、六十一歳~死ぬまでの年齢分の【ファイル】を、製本する。
その計二冊を、死後、合本する。
スタッカート製本店は、違う。
もっと、細かい。
刻む。
十年毎に製本し、死後、それをまとめて、合本する。
多くの人で、八冊くらいになる【本】プラス【ファイル】を、まとめて一冊にする。
よって、スタッカート製本店は、他の製本店と、納品物が異なる。
故に、スタッカート製本店から他の製本店、他の製本店からスタッカート製本店には、変更し難い。
自然、スタッカート製本店の顧客は、固定されることになる。
この家と云うか、ここ家の仕事は知っている、世話にもなっている。
が、薫の眼の前にいる、男性 ‥ 茂と、潤には、直接会ったことがない。
先代(父)から、ここの家の製本仕事について、申し送りされていない。
どうやら、先代が、ほぼ私的に、仕事をしていたものらしい。
薫が、【本】を一通り見終わると、茂が、声を発する。
「今回、依頼したい仕事は」
「はい」
「今、そこにある【本】を、合本して欲しい」
「はい」
「わしのと孫のがあるから、それぞれ別々に、合本して欲しい」
「どれぐらい、あるんですか?」
「わしのが、【0~六十歳】【六十一~七十歳】
【七十一~八十歳】の【本】があるから、三冊を一冊に」
「はい」
「孫のが、【0~十歳】【十一~二十歳】の【本】があるから、
二冊を一冊に」
「はい」
薫は、既に気付いていたが、一応、続けて尋ねる。
「記憶用紙を製本したのは、どこでやらはったんですか?」
「あんたんとこ」
「うちんとこ、ですか」
「そう、あんたんとこ。
先代に、やってもらった」
「全部、ですか」
「そう」
そらそうやわな。
薫は、予想通りの答えに、納得する。
が、先代の以前した仕事の中に、資料が無い。
薫は、別方面から、探ることにする。
「記憶用紙の打ち出しは、どこでやってもらわはったんですか?」
記憶用紙の打ち出し先から、茂と潤の情報を、得ようとする。
人の記憶(思い出)は、記憶プリンターを用いることで、記憶用紙に印刷される。
記憶プリンターの備えがある製本店であれば、勿論、印刷~製本~納入まで、1ステップで、対応できる。
が、記憶プリンターを備え付けている製本店は、まだまだ、少ない。
よって、印刷↓製本店納入、製本店↓顧客納入の、2ステップを経ることが、まだまだ主流。
茂は、キョトンとして、答える。
「あんたんとこ」
そうやった。
ウチにも、プリンター、あった。
薫は、盲点を突かれて、悔やむ。
この家のお爺さんとお孫さんの仕事、『一切合切、ウチでやった』、と云うことか。
あかん。
全然、資料が無い。
親父、残しとけよ。
薫は、今は無き先代(父)に、恨み言を漏らす。
「 ‥ あの~ ‥ 」
薫の様子を窺って、潤が声を掛ける。
おずおずと、声を掛ける。
「はい」
薫が向き直ると、潤がノートを差し出す。
表紙に、【茂と潤】と、書かれている。
それらの字の筆跡に、見覚えがある。
あれ?
薫には、すぐ分かる。
それは、先代(父)の筆跡だ。
ならば、このノートも、先代(父)の手になるものだろう。
「「ウチに置いとけへん」と言われたので、
こちらでお預かりしてました」
なんでまた、そんな面倒なことを。
薫は、ノートを受け取り、読み出す。
‥‥
読み進む。
‥‥
ある程度読み進む内、分かって来る。
先代(父)と茂は、古くからの友人。
昔は、親友の如く付き合っていたらしい。
その為、潤は、先代(父)にとっても、孫みたいなもの。
そんな友人と孫みたいな存在から、金をとるわけにはいかん。
先代(父)は、そう考えて、内緒でこっそり、茂と潤の仕事をしたらしい。
製本作業に、勤しんだらしい。
まあ、早い話、『親しい人に、私的に無料で、仕事した』、って感じか。
薫は、把握する。
把握して、他のことに、思い至る。
ちゅーことは、俺も、『金もらうわけにはいかん』、ってことか。
薫は、苦笑する。
タダ働き決定、やな。
決定する。
この仕事を請けることも、決定する。
「分かりました。
ほな、ここの【本】は、全部、持って帰ります。
持って帰って、合本して、納品します」
薫が、預かり証を切ろうとすると、茂が、口を開く。
「預かり証は、ええわ」
「ええんですか?」
「その代わり ‥ 」
茂は、続ける。
「毎日、進捗確認に行くから」
「はい?」
「出来上がるまで、どのくらいかかる?」
「他の仕事との兼ね合いもあるんで、大体、一週間、見てもらえれば」
「ほな、一週間後に出来上がるまで、毎日、進捗を確認させてもらう」
進捗確認て、茂さんは、どう見ても、寝たきり。
「と云うことは、『毎日、僕が、進捗報告に寄せてもらう』と云うこと、
ですか?」
いや、無理。
仕事、立て込んでるのに、それは無理。
「それは無理やろうし、行くゆうてるやん」
茂が、薫の心を読んだかの様に、問う。
「 ‥ あ、そうですね ‥ 」
薫は、ツッコまれて、肯定する。
「だから、潤をやるし」
「はい?」
「進捗確認しに、あんたんとこへ、潤をやる」
はい?
「潤さんが」
「おお」
「毎日」
「おお」
「進捗確認に」
「おお」
「ウチへ来ると」
「だから、そう言ってるやん」
おお、近年、稀にみる展開だ。
ウチの家に、毎日、潤さんが来る。
常時、一人黙々の作業に、外部からの風が、やって来はる。
『潤さんが、毎日、ウチに来る』と云う事実に、薫は、秘かに、テンションが上がる.
が、『仕事の進み具合を確認しに、数分、寄らはるだけやろ』とも思い、速やかに平常心に、戻る。
「よろしくお願いします」
薫に眼を合わせるようにして、潤が、言う。
「あ ‥ はい」
薫は、普通にすまして、答える。
紐を、切る。
紐を、解く。
【本】を、バラかす。
記憶用紙、一枚一枚に、戻す。
こうして見ると、記憶用紙毎に、明らかに違いがある。
あるページは、端はセピア色が侵食しているのに、中身は、新品同様真っ白。
あるページは、手垢に汚れ、開き癖も付いている。
あるページは、再三再四開かれたのか、記憶用紙自体の強度が、弱まっている。
あるページには、折り目を付けた跡がある。(元に戻してはあるが)
今、薫が作業しているのは、茂の【本】、茂の記憶用紙。
『ただ単に、分かれている【本】を合本する』のではない。
一度、全ての【本】の紐を解き、バラバラにする。
改めて、記憶用紙一枚一枚を、揃え直す。
それに、新しい紐を、通す。
通して、一冊の【本】に、する。
合本と云うより、新規製本と云うに、相応しい。
表紙に、【茂 0~八十歳】と書かれた【本】が、出来上がる。
こうして見ると、かなり厚い。
その厚さが、経て来た時間、年、経験を、感じさせる。
ページ数の連なりが、年輪の厚さを、感じさせる様だ。
薫は、茂の【本】が出来上がると、休憩する。
休憩を挟み、潤の【本】に、取り掛かる。
他の仕事もあるが、この二人の【本】については、『一遍にやる』つもりだ。
紐を、切る。
握り鋏で、紐を切る。
紐を、解く。
用紙を重ねる、揃える。
新しい紐を、通す。
紐を結んで、出来上がり。
表紙に、【潤 0~二十歳】と、ある。
こうして見ると、かなり薄い。
八十年分の茂の【本】と比べて、かなり薄いのは当たり前。
が、茂の二十年分と比べても、薄い様な気がする。
それだけ、時代的に、年代的に、違うのだろう。
社会全体の、国全体のイベントが、物理的な量で、違うのだろう。
そら、ジェネレーション・ギャップ、フツーにあるわな。
今や、茂と潤の年齢差だけでなく、三歳も違えば、強烈なジェネレーション・ギャップがある。
ギャップが珍しくない一方、共通点もある。
手垢が付き、開き癖が付き、擦れてヘタっているページが、共通している。
よく見る記憶用紙の年代が、共通している。
茂の【本】から見ると、二十数年前後頃。
潤の【本】から見ると、0~十三歳時頃。
薫は、そのことに、製本時に、気付いている。
二人の【本】が出来上がると、改めて、開いて見る。
茂の、二十年前後頃の記憶(用紙)。
潤の、0~十三歳頃の記憶(用紙)。
茂は、潤が産まれて来て、よほど嬉しかったらしい。
潤は、自覚の記憶が無いものの、深層心理には、可愛がられたことを、しっかと刻み付けている。
が、それ以降のページは、あまり開かれていないようだ。
一回しか読まれていなさそうな、真新しいページが、続く。
が、例外もある。
このページについては、今後も、開かれるだろう。
イベント発生直後は勿論、その後数年間は、開かれていないだろう。
もしかして、今でも、開かれていないかもしれない。
でも、それ以後は、折に触れて、開かれるだろう。
読まれるだろう、見返されるだろう。
そのページの内容は、
茂の立場から言えば、
孫に、恋人が出来た。
家に、連れて来た。
結婚を考えている、らしい。
潤の立場から言えば、
私に、恋人が出来た。
家に連れて来て、おじいちゃんに会ってもらった。
結婚を前提に、お付き合いしている。
記憶用紙に、薄っすらと、色も付いている。
記録用紙は、基本的に白下地。
それに色が付くのは、よっぽどの記憶(思い出)に限る。
それが、ここの年月部分の記憶用紙には、薄っすらと、色が付いている。
茂と潤で、その色合いは、異なるが。
茂の下地は、薄っすらと、黒。
潤の下地は、薄っすらと、ピンク。
しかして、数ヶ月後の記憶用紙は、下地の色が、入れ替わる。
茂の下地は、ごく薄っすらと、ピンク。
潤の下地は、割と、黒。
そして、今に至るまで、二人の記憶用紙に、色が付くことはない。
下地が、染まることはない。
その後も、記憶用紙に記載されている事項は、二人共、かなり、共通している。
茂と潤は、今現在も、一緒に、暮らしている。
白下地の、規則的に繰り返される記載事項が、穏やかな、規則正しい生活を、
思わせる。
薫は、思い出す。
仕事の依頼を受けた時、終わりの方に出た話を、思い出す。
「 ‥ あの ‥ 」
潤が、おずおず尋ねる。
「はい?」
薫が、答える。
潤は、薫に尋ねながら、茂の方を見る。
ベッドの茂の顔を、窺う。
茂は、『勝手にせい』と云った表情を浮かべ、そっぽを向く。
「 ‥ あの ‥ 」
「はい?」
「 ‥ これなんですが ‥ 」
「はあ」
潤は、薫の前に、出す。
【本】一冊と、【ファイル】一冊を、出す。
【本】の表紙には、【辰也 0~十歳】、
【ファイル】には、【辰也 十一歳~現在】、
と、タイトルが、書かれている。
「拝見していいですか?」
「はい、どうぞ」
パラッ ‥ パラッ ‥
‥‥
パラッ ‥ パラッ ‥
‥‥
薫は、【本】を捲り捲り、【ファイル】を捲り捲り、集中して読む。
この家には、『茂と潤の他に、もう一人いた』、らしい。
『三人で、暮らしていた』、らしい。
【本】と【ファイル】に記載されている年代から言って、薫と同世代だが年齢は一、二歳上っぽい。
と云うことは、潤とも同世代だが年齢は一、二歳上だろう。
おそらく、潤の兄か何か、茂の孫か何かだろう。
「 ‥ あの ‥ 」
「はい」
「この、辰也さんは、今どこに?」
時が、止まる。
天使が走り抜ける様に、時が、一瞬、停止する。
一瞬の間の後、潤が顔を伏せる。
茂も、顔を伏せる。
なんや?
薫は、戸惑う。
潤が、ようよう、口を開く。
「 ‥ その辰也、なんですが ‥ 」
「はい」
「行方不明なんです」
「はい?」
はい?
行方不明?
神隠し?
「私達も、残された【本】と【ファイル】を読み込んで、
長年、行方を探してるんですが ‥ 」
「はい」
「全然ダメで、手掛かりすら掴めなくて ‥ 」
「はい」
「で、これはお願いなんですが ‥ 」
「はい」
「薫さんに、【本】と【ファイル】を見ていただいて、
『何かアドバイスを、いただきたい』、と ‥ 」
「はい?」
いや、無理。
読んでも、アドバイスできるとは、到底思えない。
「はあ」
と、思いながらも、薫は、手に取る。
手に取って、辰也の【本】と【ファイル】を、再び、読み始める。
‥‥
‥‥
見当が、つかない。
何で失踪(逃亡?)したのか、想像も、つかない。
犯罪に、巻き込まれた?
薫の思いを見透かしたかのように、潤が、言う。
「警察にも、届けたんですが ‥ 」
「はい」
「「それに類する事件は、起こっていない」そうで ‥ 」
「はい」
「この辺りでは、過去にも、そんな事件は全く見受けられないから、
「犯罪に巻き込まれた可能性は、薄い」そうです」
「そうですか」
薫は、考え込む。
何遍か、【本】と【ファイル】をパラパラやるが、何も浮かばない。
何も、思い浮かばない。
「 ‥ すいません。
何も、思い思い付かないです」
「 ‥ そうですか。
また、後日でも、何か思い付いたら、教えて下さい」
「はい」
薫は、茂と潤の家を、おいとまする。
実は、思い付いたことがあるので、急いで、おいとまする。
薫は、帰宅すると、真っ先に、【本】棚へ向かう。
自分の記憶用紙を製本した【本】が並ぶ、【本】棚に向かう。
【薫 十一~二十歳】
【薫 二十一~三十歳」
【薫 三十一~現在】(【ファイル】)
薫は、【薫 十一~二十歳】と題された【本】を、手に取る。
開く。
読む。
じっくりと、読み始める。
‥ やっぱり ‥
茂と潤の家で見た、辰也の【ファイル】の記載と、重なるところがある。
勿論、こっちに有って、向こうに無いところもある。
向こうに有って、こっちに無いところもある。
‥ そして ‥
薫の【本】は、【0~十歳】が、欠品。
茂と先代(父)は、古くからの友人。
薫は、『いやいや』とばかりに、頭を振る。
薫は、思い出し終える。
誤解を恐れず言えば、製本作業自体は、わりと容易。
手間が掛かるのは、そこからの、調整。
抜けているページは、無いか?
乱丁になっているページは、無いか?
破れているページは、無いか?
文字が読めないページは、無いか?
すぐバラバラにならない、頑丈な製本が、出来ているか?
出来た【本】の、使い易さ、読み易さ、扱い易さ。
その他、諸々。
だから、薫の中のイメージでは、
製本作業自体は、四割。
その他調整で、六割。
の作業量となっている。
潤は、毎日、薫のところへ、来ている。
その日の仕事が終わるであろう時間に、顔を出す。
その日も来た潤は、来る。
来て、しばらくして、おずおずと、潤は訊く。
「何か、分かりました?」
潤は、興味津々の体で、問い掛ける。
潤の問い掛けに、薫は戸惑う。
「何か?」 ‥ か ‥
やっぱ、その問いは、辰也さんのこと、やろなー。
薫は、思いを、巡らす。
製本の作業中、茂の【本】をペラペラした時のことを、思い起こす。
やっぱ、これかなー。
薫は、潤の瞳を、ちょっと強めに、見つめる。
「 ‥ 潤さんって、一人っ子、ですか?」
「はい?」
「茂さんの【本】見てて、お孫さんのことが出て来るんですけど」
「はい」
「それが、『二人、いはる』みたいなんですよね」
「はい」
「 ‥ だから、潤さんに、『お兄さんか何か、いはるんちゃうかな?』
と思って」
「はい」
「それが、辰也さん、やないかと思って」
「 ‥ あ~ ‥ 」
探り探り言う薫に、潤は、素っ頓狂な声を上げて、答える。
「血が繋がっているかどうかは分からないんですが ‥ 」
「はい」
「そんな存在がいました」
「やっぱり」
薫は、心で、合点。
「死んだのか、行方不明になったのか、他の家にもらわれていったのか、
いつの間にか、いなくなってました」
「記憶無いんですか?」
「あることはあるんですが、いなくなった時の記憶が曖昧で ‥ 」
「そうなんですか」
「私も、その可能性はあるんで、おじいちゃんに問い質したんですけど、
『星になった』とかなんとか、上手く誤魔化されまして ‥ 」
「あ~ ‥ 」
辰也らしき、潤の兄らしき存在の消息については、デリケートなものが、あるのだろう。
そうおいそれと、歳幼い潤には、伝えるのは難しかったし、伝えたくなかったのだろう。
「それにしては、」
「はい」
「重なって無いんですね」
「何が、ですか?」
薫の物言いに、潤は、ツッコむ。
「普通、兄弟姉妹ならば、記憶とか思い出とか共有してたりするもんなんで、
小さい頃の【本】にある記載事項、かなり重なってたりするんです」
「はい」
「それが、潤さんと辰也さんの【本】では、あまり重なって無いんです」
「はい」
「勿論、重なっている部分はあるんですけど、
それが一般的な行事ばっかりで」
「はい」
「例えば、『正月や盆のことについては記載事項があるけれど、
二人で遊んだことについては記載事項が無い』、みたいな」
「ああ、なるほど」
「 ‥ 特に ‥ 」
薫は、潤の眼を見て、溜める。
そして、続ける。
「ちっちゃい頃の記載事項を比べると、
辰也さんの【本】より、潤さんの【本】の方が、
おざなり感とか素っ気無い感と云うか、やっつけ感がするんです」
「そうなんですか?」
「ま、これは、ハッキリしたものは無くて、
製本屋としての勘なんですけど」
勘だが、根拠も無いが、強固なものである。
その感じは、【潤 0~十歳】の【本】と、【潤 十~二十歳】の【本】の中途まで、感じ取ることができる。
それ以降については、しっくり感と云うか、パズルのピースが当て嵌まった感と云うか、そんな感じが、強くなる。
それに伴い、おざなり感と云うか、やっつけ感と云うか、そう云う感覚は、失せてゆく。
「で、どうしましょう?」
「はい?」
「辰也さんの【本】と【ファイル】なんですけど」
「はい」
「一冊にまとめて、製本しときましょうか?」
潤は、一瞬、顔が輝くも、すぐに顔を伏せる。
『あの ‥ その ‥ 』とばかり、口を籠らせる。
ああ。
薫は、合点する。
「料金は、いいです。
これは、サービスと云うことで」
潤の顔が、再び、輝く。
「じゃあ、おじいちゃんに、やってもらう方向で、相談してみます」
それは、説得ではないのか?
薫は、こう思って、苦笑する。
製本が、出来上がる。
辰也の【本】も、仕上がる。
製本作業を進めて行くに連れ、薫は、確信するようになる。
これは、ウチの先代と茂さんの企み、やな。
二人でグルして、謀りごと、巡らしよったな。
茂と潤の【本】について、製本作業諸々を、秘密にしていた。
『辰也は、実在人物なのかどうか』、の謎がある。
そして、茂の、非協力な態度。
先代(父)と茂が、『解けるもんやったら、解いてみい』と、どや顔している場面が、眼に浮かぶ。
先代(父)と茂の、高笑いが、耳に響く。
薫は、状況を、整理する。
茂さんと潤さんのことを、先代が秘密にしていたのも、
『辰也さんのことを、謎にしておく為』、やろう。
と云うことは、辰也さんの正体(実在人物かどうかも含め)を明らかにすることが、肝やろな。
そこで、辰也について、整理する。
薫が思い付く、現在の辰也の可能性は、次の三つ。
一.潤さんの兄(行方不明?)
二.辰也 = 薫
三.既に、死亡。(十三歳くらいまでに?)
よしんば、三の【既に、死亡。】パターンなら、潤さんが辰也さんのことを持ち出した時、茂さんは、あんな顔をしなかったはす。
『勝手にせい』の顔を、しなかったはす。
する必要も無かった、はす。
安心して、『しょうがないな』と云う顔で、潤の話を、見守っていたはす。
[若くして、死亡。]と云う答えが、万人に受け入れられることが、分かっているから。
が、あの顔をしたと云うことは ‥
そこらへんを突っ込まれると、『具合が悪い』、と云うこと。
よって、三の[既に、死亡。]は、除外してええやろう。
茂さんは、明らかに、突っ込まれるのを嫌がっているから、一か二である可能性が高い。
薫は、改めて、自分の【薫 十一~二十歳】の【本】と、辰也の【本】の十一歳以降の記載事項を、見比べる。
お互いの記載事項を、見比べる。
当然のことだが、重なっている記載事項もあるし、重なっていない記載事項もある。
が、薫が眼を付けたのは、他のこと。
辰也の【本】の十一歳以降と、【薫 十一~二十歳】の【本】の記載事項の充実度が、反比例している。
辰也の【本】の十一歳以降がカバーしている年齢分については、【薫 十一~二十歳】の記載事項は、薄い。
逆に言えば、それ以後の【薫 十一~二十歳】については、それまでに比べて、記載事項が濃い。
翻って、薫自身の記憶は、どうか?
‥ あかん。
分からん。
曖昧、である。
薫自身の、0歳~十二、三歳くらいまでの記憶は、曖昧である。
中学以降の記憶は、しっかと有る。
それらに付随する、前後関係や対人関係の記憶も、有る。
が、それ以前、乳幼児~小学生にかけての記憶は、曖昧だ。
確かに、その時期であっても、イベント自体の記憶は、しっかと有る。
盆とか正月とか、その他諸々の行事自体の記憶は、しっかと有る。
が、それらに付随する、前後関係や対人関係の記憶は、曖昧だ。
曖昧どころか、ほとんど無い。
先代(父)が、絡んでいる記憶は、有る。
生きていた当時の母が、絡んでいた記憶も、有る。
でも、それ以外の人に、世話になった記憶が、薄い。
もしかしたら、薫の記憶に無いだけで、小さい頃、茂に世話になっていたのかもしれない。
潤にも、世話になっていたのかもしれない。
そしたら、たいがい、失礼なことしてるなー、言ってるなー。
薫は、そっと、悔やむ。
「そうですか ‥ 」
潤は、言う。
茂と潤の【本】は、製本が終わり、無事、納品する。
【本】の出来具合に、潤は満足し、喜んでくれる。
そのついでみたいな感じで(こちらの方が、本命だろうが)、潤は、辰也の方についても、尋ねる。
芳しい進展は無いので、薫は、その通り伝える。
やはり、潤は喜ばず、肩を落とす。
「 ‥ え~と、僕から伺いたいのですが ‥ 」
薫の言葉に、潤は、伏せた眼を上げる。
「はい?」
「潤さん自身の、辰也さんの記憶については、どんなもんなんですか?」
「あ、はい ‥ 」
潤は、ちょっと困った顔をして、続ける。
「あの、正直 ‥ 」
「はい」
「辰也さんと云うか、「お兄ちゃん」と呼んでた人の記憶なんですけど」
「はい」
「二人で遊んだ記憶とか、あんまり無いんです」
「無いんですか?」
薫は、少しだけ驚き気味に、訊く。
「勿論、一緒に居た記憶はあるんですが、
大勢とか集団とか、二人の他に誰か居るような記憶ばっかりで、
二人っきりの記憶って、ほとんど無いんです」
「無いんですか」
薫は、驚くも、『ちっちゃい頃の記憶って、そんなもんかもしれん』、とも思う。
潤が、ちょっと、苦笑する。
何かを思い出したかのように、苦笑する。
「どうしたんですか?」
薫が訊くと、幾分ひらひら手を振って、潤は答える。
「たいしたことじゃないんですけど、思い出したことがあって ‥ 」
「なんですか」
潤は、ためらい気味に、答える。
「 ‥ 小さい頃、『歳上の男の子の恰好を、よくしていた』ことを、
思い出して」
「歳上の男の子の恰好、ですか?
今の容姿からは、考えられない。
「はい。
多分、『お兄ちゃんに憧れて、真似していたんだ』、と思います」
よくあること、だ。
兄弟姉妹で、歳の下の方が、上の方に憧れて、上の方を真似るのは、よくあることだ。
恰好、仕草、言動、行動等を真似るのは、よくあることだ。
が、それは、結びつきの強い、兄弟姉妹に、よく見受けられること。
辰也・潤は、兄弟姉妹関係はハッキリしないが、結びつきは強かったと、云うことか。
でも、それにしては、二人っきりの記憶が薄いのが、解せない。
「他に、辰也さんについて、思い出すことは、ありませんか?」
「 ‥ う~ん ‥ 」
潤は、顔を曇らせて、悩む。
悩んだ末、顔を少し晴らせて、眼を上げる。
「もう一つ、思い出しました」
「どんなこと、ですか?」
「お兄ちゃん ‥ と云うか辰也さん、光さんに可愛がられてました」
「ウチの先代、ですか?」
「はい。
そうです」
辰也は、先代(父)の光に、可愛がられていたらしい。
いや、そんなん、全然、知らんし。
知らされてないし。
「まるで、本当の親子のように、二人で、じゃれ合ってはりました」
おい、親父!
それ、全然、知らんぞ。
隠し子、か?
辰也と光の結び付きを示すものは、辰也の【本】と【ファイル】には、ほぼ記載が無かった。
おそらく、製本作業過程で、光が、作為的に削除したに違いない。
巧妙に、取り除いたに、違いない。
「ちなみに」
「はい」
「潤さんと辰也さんは、どれぐらい歳が、離れてるんですか?」
「 ‥ う~ん ‥ 」
ここで、潤は、答え淀む。
切に、考えを、巡らす。
そして、続けて、歯切れが悪いながらも、答える。
「 ‥ 詳しくは分からないんですが、一~二歳かと ‥ 」
「年齢差、意識して無かったんですか?」
潤は、慌てて、首を振る。
「いや、『歳上やな~』とは思っていたんですが、
実際に、『何歳上』とか意識無かったんで」
「ああ、なるほど」
「おじいちゃんも、ちゃんと教えてくれませんでしたし」
教えとけよ。
曲がりなりにも、『何年間か、一つ屋根の下』、やったんやろ。
ハイ、手詰まり。
ここで、薫の調査は、行き詰まる。
辰也の【本】と【ファイル】から、有力な手掛かり、得られず。
潤への聞き取りからも、有力な手掛かり、得られず。
茂の協力は、得られそうも無い。
後は ‥
う~ん ‥
薫自体も、やったことは無いが、試してみる価値は、あるだろう。
「潤さん」
「はい?」
「子供の頃と云うか、辰也さんと一緒だった頃と云うか、その頃の記憶を、
記憶用紙に、プリントアウトしませんか?」
潤は、ちょっと、眼を丸める。
「そんなこと、できるんですか?」
できる。
理論上は、できる。
本来、記憶用紙には、年が変わってすぐ、前年の記憶を、打ち出す。
その方が、記憶が新鮮で、記憶用紙の記載事項も、充実するからだ。
が、この場合、十何年も前の記憶を、呼び起こすことになる。
呼び起こして、記憶用紙に、印刷することになる。
よって、新鮮どころか、淡く儚くなるのは、必定。
記載事項が、抜け抜けで、薄くなるのも、必定。
それでも、やってみる価値は、ある。
非常にか細いもの、であっても、なんらかの手掛かりになる、かもしれない。
実際には、『記憶用紙には、真新しい記載事項は無い』、かもしれない。
が、潤が辰也のことを新たに思い出すキッカケにはなる、かもしれない
「はい、一応」
「ホンマですか?」
「当然、年変わってすぐにプリントアウトするより、
記載事項は薄くなりますが、なんらかの記載事項は、あります」
「それは、『新たな手掛かりが、得られるかもしれない』、
と云うことですか?」
「はい」
潤は、薫の思考と同じところに、辿り着いたらしい。
「じゃあ、やってみます」
潤は、にこやかに、やる気を漲らせる。
「では、こっちへ来て下さい」
薫は、いざなう。
記憶プリンタのある部屋まで、いざなう。
そこは、机の上に、記憶プリンタが置かれただけの、部屋。
が、記憶プリンタを使う人がリラックスできる為に、明らかにいい椅子を、置いてある。
見るからにリクライニングしていて、座り心地が良さそうで、『飛行機のファーストクラスのシートもかくや』、の感がする。
部屋の壁紙は、淡い緑色に、統一されている。
先程から、微かに、環境音楽らしきものも、流れている。
これらも、リラックス効果を、狙っているのだろう。
「じゃあ、座って、これ被って下さい」
薫は、キャップを、手に取る。
正確には、キャップでは、無い。
ツバが、無い。
ケーブルで、記憶プリンタ本体と、繋がっている。
おそらく、これで、脳波等を計測して、記憶プリンタ本体に、データを送るのだろう。
潤は、記憶プリンタ・キャップを、被る。
髪の毛にキャップ跡が残りそうなほど、記憶プリンタ・キャップはフィットする。
「あの ‥ 」
「はい」
「私、髪の毛が多い方なんですけど」
「はい」
「ちゃんと、データ、取れるんですか?」
「ああ、それは大丈夫です。
それ、最新式なんで」
薫は、ちょっとどや顔で、言う。
初期の記憶プリンタは、その性能の為、男女問わず丸坊主にして、記憶プリンタ・キャップを、被らなくてはならなかった。
そうしなくては、充分な(記憶)データが、取れなかった。
男はともかく、女の人にとっては、大層な苦行。
しかも、年一回。
当時、記憶プリンタの恩恵に与れるのは、裕福な家に限られていた。
必然、マダムやお嬢様と云った人々が、丸坊主化した。
当時において、裕福な家の女性に、帽子が、種類を問わずバカ売れしたのは、さもありなん。
潤は、キャップを被ると、椅子に、沈み込む。
抱かれる様に、沈み込む。
ああ。
もうそれだけで、睡魔が襲って来るようだ。
間髪入れず、睡魔が襲って来る。
「じゃあ、行きますよ」
薫の声を、潤は、半覚醒で、聞く。
自分が、ちゃんと返事したのかどうか、もはや分からない。
なんと恐ろしい、椅子の効果。
記憶プリンタ・キャップから、じんわりした波が、広がる。
頭の中に、広がる。
そこまでしか、潤の意識は、保たなかった。
そして、BlackOut。
ザー ‥ ザー ‥
シュゥゥゥー ‥
記憶プリンタから、記憶用紙が、吐き出される。
薫は、潤の記憶用紙に、眼を通す。
辰也と別れた年齢に当たりを付け、その前後の年を、印刷するよう設定している。
案の定、記載事項は、薄い。
ちょっとした画像も、あるにはあるが、ぼんやり極まっている。
辰也らしき人が、ワンショットの画像はあるが、ぼんやり極まっている。
かろうじて、かろうじて、顎と眉のラインが、分かるに過ぎない。
本来、前年の分を印刷するのが、記憶プリンタ。
今回は、『十何年か以前の年の中から、何年か分を印刷しろ』と、記憶プリンタに指示している。
記憶プリンタの能力ギリギリの指示なので、薄い記載事項になるのは、必然。
文字通り、文字も画像も薄い、そして歯抜けの、記載事項が並ぶ。
ふ ‥ ん?
薫は、何かに、気付く。
一つ一つの記載事項を眺めている時は、気付かなかったが、なんとなく全体を眺めて、気付く。
割り合い、年中行事等については、記載事項が、ハッキリしている。
正月しかり、盆しかり、クリスマスしかり、その他諸々しかり。
で、うすぼんやりしているものは、辰也が絡んでいるものが、多い。
全てと云うわけではないが、辰也が絡んでいるものが、ほとんど。。
記載事項のうすぼんやりは、記憶の濃淡による。
つまり、辰也の記憶は、消えつつあることになる。
が、潤は、辰也の存在があったことは、強固に覚えている。
わざわざ、探ってもらおうとするほど、強固に残っている。
なんや、アンバランスやな~。
薫は、思う。
辰也と共有する記憶は、曖昧、消えかけ。
対して、辰也の存在する記憶は、強固に残存。
同じ人の記憶なのに、その有り様が、二つに、分かれている。
明確に、分かれている。
共有する記憶は、時の風化に、任せている。
存在する記憶は、後付けで、強化されている。
そんな感じが、する。
ここで、薫は、結論付ける。
まあ、潤さんの記憶辿っても、『辰也さんに関する新情報は、得られん』、ってことやな。
もー、完全に、手詰まり。
ウチには、(先代(父)の残した)資料は、無い。
茂さんには、手助けを、期待できない。
潤さんからは、新しい情報を、得ることはできない。
ちゅーことは、『今あるデータで、推理しろ』、ってことか。
潤が、ようやっと、起きる。
「何か、新しいことが分かりましたか?」と問い掛ける潤を、なんとか誤魔化す。
「今、ちょっと、考え中です」とかなんとか言って、誤魔化す。
が、結論は、出ている。
今回の、潤の、記憶プリンタからの記憶用紙出力では、新しい情報は、得られていない。
分かったことと云えば、《辰也と共有する記憶は、時の風化に任せられているが、辰也が存在していた記憶は、後付けで強化されてるっぽい》ことぐらい。
薫は、改めて、整理する。
現在の辰也の可能性を、整理する。
可能性は、今までの思考をまっさらにして、最初に絞った三つから、考える。
一.潤さんの兄(行方不明?)
二.辰也 = 薫
三.既に、死亡。(十三歳くらいまでに?)
辰也が存在していた記憶を、後から人為的に強化したとするならば(そうとしか、考えられないが)、強化した人の目的は、薄々、透けて見える。
『辰也が存在していた』ことを、『かつて、そういう人がいた』記憶を、強化したいのだろう。
『今は、いない』ことを、強調したいのだろう。
ということは、『三、あるいは一』、か。
薫は、思考を巡らすが、ここで、思考を転じる。
でも、後から人為的な手が加わったとするならば、『三、あるいは一』に、思考を誘導してるってことか。
薫は、しばし、沈思黙考する。
‥ ならば、後から手を加えたやつは、『三、あるいは一』に誘導して、辰也を、『今は、存在していない(行方不明?死亡?)』にしたいってことか。
なら、導かれる答えは、本当の答えは、三と一以外の、二と云うことになる。
二.辰也 = 薫
へっ?!
俺が、辰也さん?!
薫は、論理の組み立てに、戸惑う。
出た答えに、戸惑う。
俺が、辰也さん、か~。
まあ、あり得んことではないわな。
ちっちゃい頃の記憶、むっちゃ曖昧やし。
【本】自体、無いし。
ほんで ‥
薫は、鼻から、息を抜く。
先代と茂さん、そんなん、なんか企んでそうやし。
薫は、ちょっと、疑問を持つ。
そうすると、潤さんのお兄さんになるわけやから、潤さんより歳上にならなあかんねんけど ‥
「潤さん」
「はい」
記憶プリンタ・キャップを取って、くつろいでいた潤が、返事する。
「潤さんって、何歳ですか?」
「はい?」
「いや、製本してるから、薄々分かるんですけど、
正確に知っておこうかな、と」
「ああ ‥ 」
潤は、自分の年齢を、答える。
‥ ですよね。
薫は、しっかり、認識する。
薫と潤は、同年齢、まごうことなく同年齢。
潤さんのお兄さんやから、同世代でも、潤さんより歳上にならなあかんはず。
潤さんの【本】読んでても、それは、なんとなく、分かる。
なら、潤さんと、『同年齢、まごうことなく同年齢』の俺は、あかんやろ。
辰也さんには、該当せんやろ。
薫は、結論付けるが、一方で、行き詰まる。
ほな、辰也さんて、誰?
行方不明も死亡も、可能性低い。
辰也さん=俺も、可能性低い。
なら、誰?
辰也さんて、誰?
薫は、ちょっと脱力して、思考を進める。
これから、怪しい第三者が出たり、新情報が出たり、しいひんやろな。
シケた推理小説、やあるまいし。
先代と茂さん、頼むで。
薫は、ちょっと上を向いて、思いを飛ばす。
ここで、事態を、もう一度、整理しよう。
客観的に、見よう。
辰也さんの【本】と【ファイル】の記載事項には、状況打破の期待ができない。
それらの記載事項には、人為的操作の手が入っている可能性が高いので、期待できない。
改竄の可能性から、他の文書や記録物の類も、期待できない。
望みが持てるのは、曖昧模糊とは云え、潤さんの記憶のみ。
ただ、潤さんの記憶も、二人の記憶はあるが、二人でイベントに参加した等の記憶は無い。
二人の記憶があるであろうことは、潤さんが、「お兄ちゃんに憧れて」歳上の男の子の恰好をしていたことでも、分かる。
でも、云わば、有る様で無い様な、無い様で有る様な、そんな記憶。
‥ ああ、俺に、0歳~十歳までの【本】があれば。
薫は、表情に、明かりを灯す。
‥ てか、俺の、0歳~十歳までの記憶、探ってみたらええやん。
今まで、試してへんやん。
それは、ある種、タブー。
小さい頃、先代(父)に問うた時、「無いもんは無い!」と、断言された。
『子供に対して、酷な態度やろ』と思える程、一刀両断に、バサッと断言された。
それ以後、薫の家では、その話題は、タブー化している。
薫は、記憶プリンタ・キャップを、被る。
記憶用紙は、充分に、セットしてある。
椅子に沈み込み、眼を閉じる。
ザー ‥ ザー ‥
シュゥゥゥー ‥
記憶プリンタから、記憶用紙が、吐き出される。
薫は、眼を、開く。
すぐに、アクションを、起こす。
吐き出された記憶用紙を、手に取る。
やっぱ、あかんやん。
記憶プリンタに印刷された記載事項は、うっすいうっすい内容。
しかも、抜け抜けのカスカス、である。
薫の、0~十歳時の記憶は、無きが如し。
全く、期待できない。
かろうじて印刷された記載事項も、年中行事っぽいものが、ほとんどである。
でも、これは、分かったな。
薫は、ちょっと、ホッとする。
収穫全くゼロ、では無かったらしい。
薫の0~十歳時の、記憶用紙の記載事項を読んで、分かったことがある。
個々の記載事項の内容は、まごうことなく、薄い。
が、全体を見廻して、分かったことがある。
記憶用紙には、兄弟姉妹の影が、無い。
よって、薫には、兄弟姉妹がいない可能性が、高い。
つまり、薫が潤の兄である確率は、低い。
記憶の改竄や人為的操作が行われている可能性も、あるにはあるが、『なんか、手入っとんな~』くらいは分かる。
薫だったら、分かる。
だてに製本店をして、様々な本に、接していない。
その薫が、『兄弟姉妹の影、皆無』と思うからには、そうだと思われる。
本人の体感を元にした、意見でもある。
ならば、[辰也=薫]説は、消えたことになる。
限り無く、可能性が低くなったことになる。
やっぱり、普通に、『生き別れたお兄さん』、ってことか。
いや、死んではる可能性もあるな。
潤に、なんの面白みも無い、通り一遍の報告をしなくてはならない羽目に、なりそうだ。
一葉の、葉書が、来る。
薫の元に、来る。
跡目相続と云うか、仕事を受け継いだ報告と云うか、『~代目になりました』報告と云うか、そんなものが来る。
差出人は、末元潤。
潤さん、だ。
茂さんの仕事を、正式に継いだらしい。
末元家の仕事は、箱師。
色んな箱を作る仕事。
得意の一つは、本用の箱を作ること。
背表紙側だけが開いた、縦細長の箱、だ。
その伝手で、先代(父)とも縁があった、らしい。
薫が製本した【本】を、お客さんが箱に入れて保管したい場合、茂さんところから、箱を仕入れている。
もっぱら、手紙とFAXとメールのやり取りだけなので、つい最近まで、この仕事があるまで、顔を合わせたことが無かった。
茂さんと潤さんの【本】の、製本仕事に携わるまで、顔を合わせたことが無かった。
『ウチとは、付き合いが古いな』とは思っていたが、直には、会ったことが無かった。
茂さんと潤さんの【本】と、潤さんの【本】は、滞りなく、納品完了している。
辰也さんについての話も、それ以降は、無い。
直接の付き合いも再度縁遠くなり、また、手紙とFAXとメールのやり取りだけに戻っている。
しかも、お客さんから箱の要望があった時だけに。
そういや、なんか、箱の感じが、変わったよなー。
角々していた角が丸みを帯びた様な、エッジの利いたフォルムが流線形になった様な。
八十年代の自動車と、ゼロ年代の自動車の、モデルの違いと云うか。
茂から潤に、仕事の重きが移るに連れ、角々フォームから丸々フォームの箱へと、移行したらしい。
薫はどっちも嫌いではないが、お客さんの好みは、丸々フォーム。
曰く、「刺々しくない」「癒される」「優しい」等々。
時代は、「優しさ」を求めているらしい。
まあ、また、時代は巡るんやろうけどな。
色合いが、廃れたり、流行したりするように。
デニムが、廃れたり、流行したりするように。
お婆さんが若かった頃のファッションが、孫の世代に流行するように。
♪ 廻る 廻るよ 時代は廻る
別れと 出会い 繰り返し
薫の脳内で、歌が、廻り出す。
今日の、脳内ヘビーローテーションは、決まりやな。
脳内で、頭の中で、その歌は、ぐるぐる廻る。
薫は、その歌を鼻歌しながら、口ずさみながら、動く。
仕事をする、休む、歩く。
【本】の箱を納品しがてら、潤が、来る。
珍しい。
いつも、送付されて来るのに。
「こんにちは」
「あ、はい」
薫は、手を止めて、潤に、応対する。
「箱、持って来ました」
「ありがとう御座います」
潤が箱を置いている間、薫は、クッと笑う。
「はい?」
『何か、箱に、不都合がありました?』とばかり、潤は、薫を見つめる。
問い掛ける様に、見つめる。
「いや、この間、思い付いたことがあって」
「はい」
「潤さんって、頭文字は、MJ、ですよね」
「はい」
「いや、『マイケルも松潤も同じやから、カッコえええな』、と思て」
「ああ、そう云うことですか。
カッコええですか?」
潤は、『思い付いたことも、無かった』様に、言う。
「MJですよ!
カッコええですやん」
薫は、喰い付き気味に、答える。
「そうですか。
カッコええ、ですか」
潤は、ちょっぴり、ほくそ笑んで、続ける。
「ちょっと、トイレ、お借りしていいですか?」
「ああ、僕も行きたいんで、一緒に行きましょう」
薫と潤は、並んで、トイレに向かう。
男子トイレに、入る。
便器に並んで、向かう。
用を足している間も、話す。
「辰也さんの件、すいませんでした」
薫は、ちょっと頭を下げ、続ける。
「結果的に、何もお役に立てなくて」
潤は、微笑して、受ける。
「仕方ないですよ。
かなり昔のこと、ですから。
僕も、『分からへんやろな』って、覚悟してましたし」
「ホンマ、すいません」
「そんな謝られたら、こっちが恐縮です。
まあ、ウチの父とそちらのお父さんに、何か考えがあって、
こう云う風に、処理したんでしょうから」
「ですかね~」
答えながら、薫は、顔を上げる。
上げて、潤の横顔を見る。
重なる。
潤の横顔に、寸分の狂いも無く、重なる。
記憶用紙に薄っすらと印刷された、顎と眉のラインに、ピッタリと重なる。
薫は、一瞬にして、悟る。
茂さんと先代、どんな手、使こたんだか。
薫は、心の中で、苦笑する。
「まあ、なんか、訳があったんでしょうね」
薫は、潤に、続けて答える。
{了}