魔力ゼロで婚約者からボロクソに言われてきたので鍛えました。腕力を。
「あら、あの方……」
「まあ、よく来れましたわね」
クスクスと笑いながら囁かれる陰口を聞きながら、カリーナは表情を変えずに前を見据えたまま、席に座っていた。
それが気に入らないのか、陰口を言っていた女性たちは「ふんっ!」と怒った様子でそばを離れていった。
いつものことだ。いつものこと過ぎて、反応すら返せなくなっただけだ。
その時、チッ! という舌打ちが隣から聞こえた。
カリーナは隣に座っている男を見た。
ブライアン・ヘルクザード。
この国の第二王子であり、カリーナの婚約者だった。
「何が悲しくてこいつとこんなところにいなきゃいけないんだ」
イライラした様子を隠すこともなく、ブライアンはカリーナに悪態をつけてきた。
「……こいつ、というのは私のことでしょうか」
「他にいるのか?」
念の為に確認をしただけなのに、鋭い視線で睨まれてしまう。
ずっとこうだ。ずっとずっと、あの日から。
「どうして魔力無しなんかと一緒にいなきゃいけないのかと言ってるんだ!」
――カリーナが魔力なしと判定された、あの日から、ずっと。
◆❖◇◇❖◆
この世界では10歳になったら魔力を測る。
「カリーナなら大丈夫だって!」
そう言って励ますのは幼馴染でこの国の第一王子であるヒューイだ。
カリーナと、彼女の婚約者である弟のブライアンより二つほど年上で、側室の子でありながら卑屈さを感じない、溌剌としたところが好きだった。
「僕の方がないかも……」
同い年であるブライアンが落ち込んだようすで俯いた。
「おいおい、今からしょげてどうするんだよ! これからなんだからしょげるならこの後だろ!」
ヒューイにバンバン力強く背中を叩かれ、ブライアンは「い、痛い……」と小さく主張した。
側室の子であるヒューイと、正室の子であるブライアン。二人は母親は違えど仲が良く、見ていて微笑ましい兄弟だった。
「それよりさ! 今日は木登りしてみようぜ!」
「え……無理だよ。やめようよ兄上」
「大丈夫だって! な、やるよなカリーナ!」
「カリーナはドレスだよ兄上……」
性格も正反対。ただ瞳の色だけは二人とも同じ色をしていた。
「やるよな? カリーナ」
「やらないよね? カリーナ」
二人に同時に問われ、カリーナは微笑んだ。
「やります」
「やるの!?」
ブライアンの驚く声を聞きながら、この関係がずっと続くと思っていた。
――あの時までは。
◆❖◇◇❖◆
「魔力が測定できない……?」
思わず出てきた声は震えていた。その場の空気が一気に凍りついたのを肌で感じた。
「それは……魔力がありすぎるからでは!?」
カリーナの母が慌てた様子で測定してくれた神官に訊ねたが、彼は首を横に振った。
「いえ……一欠片の魔力の気配も感知できません」
神官は言い難そうにしながらも、口を開いた。
「お嬢様は魔力無しです」
母から表情が消えた。
母だけではない。
この場にいる全員から表情が消えた。
「俺の子が魔力無し」
「なんということか……」
公爵である父の声と、婚約者の父親であるベルクザード国王の声が聞こえた。
――魔力無し。
それは文字通り、魔力が無いことを言う。
この国の人間のほとんどは魔力がある。しかし、ごく稀に魔力のない人間が生まれる。それが魔力無し。
魔力無しは女神の加護を得られなかった存在として、この国では差別の対象だ。
それは公爵家の娘であっても変わることがない事実だった。
さっきまで親愛に満ちていた両親の表情は冷たいものに変わり、優しい笑顔しか見てこなかった義父となる国王の表情も、初めて見る無表情となっていた。
「この婚約はなかったものに」
「お待ちください。女神様の前で誓った婚約を破棄するなどできるはずがないでしょう。バチが当たります」
国王と父親が言い争っている。
女神の加護を得られなかった自分を、どちらも受け入れたくないのだ。
女神に誓った婚約を破ると罰が下る。本当かどうかは子供のカリーナにはわからないが、大人たちはそう信じている。
自分という邪魔者の押し付け合いを始めた大人たちを、カリーナはただ静かに見つめていた。
そのとき、カリーナの手を何かが握った。
カリーナが感触のあった手を見ると、そこにはヒューイの手があった。
カリーナが慌ててその手を離そうとする。
「ダメですヒューイ! あなたからも魔力が無くなります!」
魔力無しに近づく者も魔力を奪われる。この国では長年そう信じられていた。
だから、魔力無しに自ら触る人間などいない。
大人たちは言い争っていて、こちらには気付いていない。
ヒューイはカリーナをまっすぐ見ながら言った。
「大丈夫」
ヒューイがゆっくり、カリーナに言い聞かせるように、話しかける。
「大丈夫だよ、カリーナ」
ついに両手でヒューイはカリーナの両手を包み込んだ。
「カリーナはカリーナだよ」
大人たちがカリーナのことを名前ではなく「魔力無し」と呼ぶのに、ヒューイはカリーナを名前で呼ぶ。
それがとても温かく、カリーナには救いだった。
カリーナは片方の瞳から涙を流し、ヒューイに「ありがとう」と告げた。
◆❖◇◇❖◆
「おい、何を考えている」
カリーナは飛んでいた意識を取り戻した。
隣には相変わらず機嫌の悪いブライアンがいる。
そうだ。今はブライアンの婚約者として参加している狩猟大会の最中だった。
「何も考えていません」
カリーナは嘘を吐いたが、嘘だろうが本当のことだろうが、ブライアンの反応は変わらないのだ。
「あのとき婚約破棄できていたら……」
ブライアンが思わずという様子で言葉を零した。
あのとき、とはきっとカリーナが「魔力無し」と判定されたときのことだ。
結局女神の前で誓った約束を反故にできないと、婚約は継続された。その際、父は王に領地の一部を返納したりしたようだ。そこまでしてでもカリーナを家から追い出したかったのだろう。魔力無しは家の恥だから。
「ほら、俺達も行くぞ」
ブライアンが立ち上がった。
今日は狩猟大会。お互いの婚約者がペアになって魔物を狩るのだ。男性だけでなく、女性も一緒になって戦う。しかし……
「お前は魔力無しだから、邪魔にならないところに隠れておけよ」
魔力無しは魔法が使えないので、邪魔者扱いだ。
「……はい」
カリーナは素直に返事をした。このような扱いは当たり前のことである。
カリーナはブライアンと距離を取りながら歩いた。
「『爆ぜろ』」
ブライアンが唱えると、近くの岩陰が爆発した。そこから魔物が出てきて、それを魔法で拘束した。
こうして集めた魔物の数や大きさなどで競っていくのだ。
「どうだ。見てたか?」
ブライアンがドヤ顔でカリーナを見た。カリーナは淡々と答えた。
「目の前でしたので、見ております」
カリーナの反応に、ブライアンは小さく舌打ちをする。
「可愛げのないやつだ」
カリーナの耳にはちゃんと届いていた。
「可愛げなどどこかに消えましたよ」
小さい声で言い返すが、ブライアンは気付かなかった。
「あの10歳のときに、可愛いカリーナは死にました」
カリーナの呟きは、風が木の葉を揺らす音にかき消された。
◆❖◇◇❖◆
狩場から会場に戻ると、ブライアンは一瞬で人に囲まれた。
「すごい数ですね!」
「さすがブライアン様!」
人々からの賛辞に、ブライアンは満更でもない表情を浮かべた。
そしてブライアンを賞賛していた人々は、今度はカリーナに目を向けた。
「それに比べて婚約者様は……」
「魔力無しだからきっと足を引っ張ったのでしょうね」
「可哀想なブライアン様……」
こちらに聞こえるようにして向けられる悪意ある言葉にも、カリーナは慣れている。
素知らぬ顔でやり過ごそうとしたそのとき。
カリーナは何かの気配を感じて、動きを止めた。
そして、次の瞬間、「きゃあああああ!」と耳をつんざく悲鳴が聞こえた。
叫び声の主は腰が抜けたのか、座り込んだまま、スッと前を指さした。
いや、正確に言うと、自分たちに向かって来ているものに向けて指さしたのだ。
「魔物が……!」
そこには、大型の魔物が立っていた。
ブライアンが狩ってきたどの魔物よりも巨大で、狩ってきた全部の魔物を集めて比べたとしても、その魔物の方が大きかった。
巨大な熊のような出で立ちのその魔物は、すごい速さでこちらに向かってきた。
ブライアンがカリーナの前に立ち塞がり、手を掲げて魔法を放つ。
「『爆ぜろ!』」
ブライアンから放たれた魔法はまっすぐ魔物に向かっていき、そして魔物に当たった。
が、魔物はそのまま突進してきた。
「なにっ!?」
ブライアンの攻撃は一切効かなかったようで、魔物は傷一つなく向かってくる。
「駄目だ! みんな逃げろ!」
ブライアンの叫びとともに人々が散り散りになる。しかし人々の逃げる速度より魔物の足の方が圧倒的に早かった。
魔物は初めに倒す相手をブライアンに決めたようで、一直線にこちらに向かってくる。
ブライアンは魔物に向けて絶えず魔法を放っているが、効いている様子はなかった。
ブライアンが攻撃されるのも時間の問題だ。
そう判断したカリーナは、ブライアンの前に立ち塞がった。
「なっ!」
ブライアンは驚き、魔法を撃つのをやめた。
「危ないだろう! 何をしてるんだ! 魔力無しは引っ込んでいろ!」
しかし、カリーナはどかなかった。
そうしている間にも魔物は近づいてくる。ブライアンの顔に焦りが浮かんだ。
「どけ! カリーナ!」
ブライアンがカリーナをどかせようと手を伸ばそうとしたが、魔物はさらに走る速度をあげ、一瞬の間にカリーナの眼前に迫っていた。
「カリーナァァ!!」
ブライアンの叫びが会場内に響いた。
カリーナの目の前にいる魔物の腕が振り上げられ、誰もがカリーナが死んだと思ったそのとき。
魔物が吹き飛んだ。
「は……?」
ブライアンが間の抜けた声を出した。
吹き飛んでひっくり返った魔物は、ピクピクと身体を動かしていたが、やがて静かになった。
「は……?」
ブライアンは再び間の抜けた声を出した。
少し間を置いてそれを見ていた周りも騒ぎ出した。混乱する会場内で、1人カリーナだけが涼しい顔をしていた。
「何が起こった!?」「魔力なしなんでしょう!?」とザワつく周りの声など聞こえていないかのようなカリーナに、ブライアンが訊ねた。
「カリーナ……今何をしたんだ?」
ブライアンの問いに、カリーナはケロッとした様子で答えた。
「殴りました。素手で」
「素手!?」
カリーナは拳を見せた。
「魔力無し魔力無しと言われ続けて腹が立ったので鍛えました。強くなりました。終わり」
「作文!?」
「壁に風穴空けられます」
「素手で!?」
「素手で」
カリーナがこくりと頷いた。とても嘘をついているようには見えない。
教会で魔力が無いことは確認されているし、魔物を倒すとき、魔法を放ったような痕跡はなかった。魔法で倒していないのは確かだろう。
しかし、魔物を素手で倒すなど、ありえない。
「仕方ありませんね」
信じないブライアンに対して、カリーナはため息を1つ吐くと、スタスタと歩き出した。
そして会場と狩場と隔てている壁に向けて――手を振りあげた。
「まっ――」
慌てて止めようとしたが遅かった。
カリーナは拳を振り上げ――
ドォォォン!!
大きな音を立てて壁が崩れ去った。
ブライアンは青白くなった顔で、口をパクパク開けていた。
「何だこの馬鹿力は!?」
「生まれつきです」
「生まれつき!?」
生まれつきで済ませていいもののレベルを超えている。
「生まれつき力が強かったのですが、女の子が力が強いのは好かれないと言われて隠していました。でも魔力無しなら存分に鍛えられるなと思って」
「どうしてそういう方向に思考が行った!?」
ブライアンにはカリーナの思考がわからなかった。
魔法を使えないから拳を鍛えるなどとんだ脳筋である。
カリーナは熊に似た魔物の息の根が止まっているのを確認してから、ブライアンに向き直った。
「私も聞きたいことがあるんですが」
「今!?」
そんなついでに思い出した、みたいな感じで切り出されても困る。それより今は目の前の大きな熊を何とかするべきだとブライアンは思った。
「どうして一々こちらがイラッとすることを言うんですか? 殴られたいんですか?」
「嫌だよ! 君の拳だと即死だろ!?」
スッと握った拳をこちらに向けるので、ブライアンは恐怖に駆られた。殺られる。あの魔物のようにサクッと殺られる。
「で、何でですか? 私たち割と仲が良いと思ってたし、私が魔力無しだと知っても何も変わらないと期待してたんですよ?」
カリーナは別に誰に魔力無しなどと言われても平気だった。
魔力無しと言われて恐れたのは、ブライアンやヒューイの態度が変わってしまうことだった。
ブライアンは俯き、静かに答えた。
「だって……君は兄上が好きだろう?」
カリーナは答えた。
「それはもちろん」
ブライアンが見るからに落ち込んだ。
「友達なので」
「え?」
ブライアンが顔を上げた。
「ヒューイは大事な友達なのでもちろん好きです」
「いや……友達?」
「はい」
ブライアンがそんなはずないと、さらに訊ねた。
「でもあのあとから、兄上によく会いに行ってただろう? あのとき、たった1人、君に手を差し伸べてくれた兄上に恋心を……」
「恋愛小説の読みすぎですか?」
図星を指されてブライアンは顔を赤くした。
「魔力無しになったので、本格的に鍛えるために会っていただけです」
「? 本格的に鍛えるため?」
鍛えるためになぜヒューイに会う必要があるのかわからず、ブライアンは首を傾げた。
「知らないんですか? ヒューイ様は昔からの武術オタクです」
知らない。そんな事実はまったくもって存じ上げない。
「ひょんなことからヒューイ様には魔力測定より前に、私の馬鹿力がバレていたのですが、魔力無しと言われたときのあの言葉」
カリーナは当時のことを思い出す。
「『カリーナはカリーナだよ』……これは魔力が無くても私には筋肉があるだろうという言葉でした。なので私は次の日から彼に鍛えてもらってました」
「待って! あの感動的な言葉そういう意味だったの!?」
まさかそんな意味の言葉だとは思わないだろう。
「私も彼も、お互いをゴリラとしか認識しておりません。恋心などできようものがない」
「ゴリラ同士ならありなのでは?」
「ゴリラにも選ぶ権利があります」
好みのゴリラでないらしい。
「それで話を戻しますが、なぜ私に当たりが強かったのです? あなたは元々はそんな性格ではなかったでしょう? かなり無理してますよね、そのキャラ」
ギクッとブライアンの肩が動いた。
元々のブライアンはどちらかと言うと気弱な少年だった。
「な、なんのことだか」
「さっきからひょっこり昔の口調が出てますよ」
「嘘!?」
「本当です」
ブライアンはパクパク口を動かしながら、恥ずかしそうに呟いた。
「兄上の真似をしたんだよ……」
「なぜ?」
心底わからないと言いたそうなカリーナに、ブライアンは顔を真っ赤に染めながら大きな声で言った。
「だから! カリーナが兄上に惚れているんだろうと思って! 兄上の真似をしたんだよ! カリーナに好かれたくて!」
カリーナがキョトンとする。
「嫌われる言動してませんでした?」
「初めはそんな言動してなかっただろ!」
「でも途中からしてましたよね」
「そ、それは……!」
ブライアンが狼狽えた。言うかどうか迷っている様子だったが、やがて静かに語り出した。
「……カリーナから願ったら、相手を変えられるって聞いたんだよ」
「相手を変える?」
「結婚相手だよ」
ブライアンがようやくカリーナの長年の疑問に答えてくれた。
「カリーナが望んで相手を変えるのは、女神への契約違反にならないらしいんだ。女神は女性側の味方だから、初めに誓った婚約するという言葉は翻してくれないらしいけど、相手を変えることは、女性から申し出た場合受け入れてくれるらしいんだ」
城で飲んだくれていた国王が口を滑らせてくれた。王になったら教えてくれる情報だったようで、誰にも言うなと言われていた。確かに婚約者が簡単に変えられるとなれば、国が混乱しかねない。
「だから、カリーナが兄上と婚約できるように、嫌われようと……」
カリーナのことは好きだが、カリーナが兄を好きならそれを叶えさせてあげようと思ったのだ。
実際はカリーナは兄を好きではなかったので、完全なるブライアンの勘違いだったのだが。
「女性側が心の底から『この人の方がいい』と思ったら変えられるらしい。そうなったときは女神から神託があるからわかるそうだ。カリーナはしょっちゅう兄上に会いに行ってるから、すぐに兄上がいいと思うだろうと思って……」
はあ、とカリーナが大きなため息を吐いた。
「結局、私に好かれたいのか嫌われたいのか、どっちなんです?」
ブライアンはカリーナの問いに、すぐに答えた。
「好かれたいです!」
カリーナはブライアンに笑顔を向けた。
「嫌です」
「え」
ブライアンが固まった。
「私はちょっと冒険家をしに1年ぐらい国を出ます。もう馬鹿力バレちゃったし、やりたかったことやります」
「え」
カリーナのとんでも発言にブライアンはついていけない。
ちなみに二人のやり取りを見ている周りは首尾一貫、理解が追いついていない。
「私は今はブライアンが嫌いです」
ブライアンが見るからに落ち込んだ。
嫌われるのも仕方ない。むしろそうなるようにしていたのだから。
しかし口に出されると堪える。ブライアンはカリーナが幼い頃から好きなのだ。
「でもこれからはわかりません」
「え!?」
落ち込んで顔を伏せていたブライアンが、勢いよく顔を上げた。
「私はこれから国を出ますが」
カリーナがブライアンに手を差し伸べる。
「一緒に行きますか? 行きませんか?」
ブライアンはカリーナの手を取って即答した。
「行く!!」
カリーナが昔のように微笑んだ。
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加筆たっぶりですが、短編の世界観のままなのでギャップなくお読みいただけると思います。
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