魔地 第伍話
剣の一撃からかろうじて逃れることのできた「黒い靄」は、剣の影響する空間から離れていた、ちぎれたような靄をかき集め、できうる限り凌空と剣から離れようとしていた。
だが、もしこのままでは古より自分たちを封じ込めていた者たち、「式神」に駆られるだけで、完全に消滅することが分かっていた。
剣の一撃の瞬間に交錯した「式神」と少年、凌空の感情と情報を整理統合する。
既に湧き出てからこの街に漂っている「黒い靄」の中で、ヒトの黒い感情に寄生することに成功したものも出てきている。
逃げ切れさえすれば、ヒトの黒い感情の中で増殖することも可能のはずであった。
まず、時間を稼がなければならない。
やつら、「式神」と剣の力は、今の「黒い靄」たちにとって、非常に強大な力だ。
彼らはもともと非常に小さい粒子状のモノである。
小さいが故力は弱い。
それが結束、集合することにより情報を伝達、共有化され、思考へと至る。
人の心の必ず存在する負の感情。
ネガティブな思考はその負の感情をより強く加速させる。
その思いがある程度大きくなると、それはエネルギーだ。
ポジティブな想いが人の原動力となる強大なエネルギーになるように、負の感情の増殖は人を呪うエネルギーへと変換される。
「黒い靄」の主食であり、彼らを動かすことのできるエネルギーでもある。
「黒い靄」たちは考える。
どの人も持つ負の感情を人為的に増長させ、恨み、憎しみ、妬みを際限なく膨れさせ、そのエネルギーを食んでいく。
その負の感情は「黒い靄」の本体である細かい粒子状のモノと同義であり、「黒い靄」そのものであるのだから、強大になっていき、その宿主たるヒトも「黒い靄」、すなわち「魔」に堕ちる。
今、「黒い靄」が生き残るための方法。
それは、彼らを収集、濃縮させ消滅させうる器、田野倉の血脈の者を完全に消去するしかなかった。
でなければ、先ほどの二の舞になってしまう。
すでに収集した情報の整理・共有化は終わり、解析も終了した。
標的は、田野倉修。
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「何度言われても、私の答えは同じですよ、田野倉さん。私のクラス6年3組にはいじめはありません。」
鈴木剛は田野倉凌空の両親、田野倉修・真奈美夫妻に対してきっぱり言い切った。
田野倉修は、今まで見せた証拠・証言はこの男には全く意味がなかった。
出来れば、教室内の関係者だけで解決できればと思ったが、ここまでひどい教師だとは思わなかった。
本心がどこにあるか、正確にはわからないが、この鈴木という教師の中では「いじめはない」のだ。
「この破れた教科書や落書きされたノートの写真。シャープペンシルの芯はすべて折られ、消しゴムも切り刻まれています。先程の録音での凌空に対する暴言は、間違いなくこのクラスの大泉玲央君ですよね。」
「もう一度言わせてもらいます。この写真がまず本当かどうか、仮に本当でも誰がやったかが不明。録音に至っては、これは盗聴であり、全く証拠としての能力はありません。」
完全に同じ言葉。
これは実際の裁判をしているのではない。
いじめは、それが疑われた時点で迅速な組織での対応を求められるはずだ。
鈴木教諭は今年30歳になる、まあ中堅という立場だろう。
いじめが現場での対応が重要なのはすでに教育を受けている筈の年齢だ。
証拠がどうのこうのではなく、このクラスでいじめが存在することをまず認めることだ。
そのうえで、子供たちに与える影響を最小限にして、いじめに対する考えをしっかり教え込んでいかなければならない。その最前線にいる教師がこの態度。
「特に大泉君は、保護者も立派な方です。大泉君自身もしっかりとしたリーダーシップでこの6年3組をまとめ上げている優秀な生徒です。ご両親には暴言に聞こえたとしても、愛のある教育です。その点を誤解しないでほしいと思います。」
修は、鈴木教諭の既に演説になっている話の内容を意識下でブロックした。
もう、次の相手と話さねばならないか。
学校長、教育委員会。弁護士が必要か。凌空の転校も視野に入れるべきだろう。
その時、この新居が揺れた。
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凌空は自分の心臓と肺が潰れそうだった。
「黒い靄」となった奴らを追いかけ、ただ走っている。
自分の右手に同化してしまっている「式神」が言った。
「お前の父親、田野倉修が狙われている。」
今、奴らがどこに向かっているかはわからない。
逃げられたと思った瞬間には身体が勝手に動いた。
これは「式神」に動かされたと言った方があっている。
だが、今は奴らを見失った状態だ。
「式神」は、「黒い靄」の状態の奴らが何を考え、どう行動するかの推測を凌空に伝えた。
奴らは、ヒトの弱い心に侵食し、増やしていくことだろう。
その上での奴らの弱点。
奴らはもう一度集められ封じ込められたうえ、消滅させられることを恐れてる。
集める器。すなわち田野倉の血・DNA。
今、田野倉の血を受け継ぐ凌空は「式神」と「剣」という力を持ち、「黒い靄」を狩る立場にある。
とてもではないが、奴らに倒せる相手ではない。そして、現時点でもう一人、田野倉の者がいる。
心臓も肺も悲鳴を上げ続けている。凌空一人の力ではとうに倒れていただろう。
既に「魔」を浄化した際のエネルギーをまともに受けて、身体の中のスタミナはとっくになくなっている。
凌空を動かしている力は「式神」のパワー、そして父を失いたくない心。
今、思うのはただそれだけ。
足が、膝が異常な震えを起こしている。
もうすぐだ。ここを抜ければ。
そこに、大好きな父さんと母さんが建てた、田野倉家家族3人の家。
あった。何の変哲のない建売住宅。
「よかった。」
思った瞬間。
田野倉家が爆発した。
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