魔地 第肆話
「お主の考えている通り、通常では見えないように我々はこの「剣」を守っている。」
こちらの思考が読まれているのか!
「先ほどのお主との接触で表層意識程度は我々でも見ることができる。」
「あんたらが凌空を必要としていることは承知した。人質をとられているようなものだしな。凌空に危害を加えないというのなら、話を聞こう。」
修太朗は大きく深呼吸をして、乱れている思考能力を整えることに努める。
凌空の右手は肘から下が見えない。
近くで自動車のブレーキ音が聞こえた。
古谷助教が到着したようだ。
人が増えたことで少しはこちらが有利になったのだろうか?
「人が増えたところで、あまり状況は変わらんよ。今、この時も、彼らが、「魔」が、封じ込められた土地から染み出るように増えている。早く手を打ったほうが損害は少ない。」
「だが、一番封印能力の高い「剣」とやらをそこから抜けば、いままで以上の「魔」がそこから噴き出してくるのではないか?」
凌空の瞳が恐怖に震えているように見える。
無理もない。
自分ではない何者かが自分の口を使って喋っているのだから。
まだ11歳の子供なのに。
その子のこれからのために、今、修と真奈美さんは自宅で学校側といじめの問題を話している。
いじめはないと豪語する担任相手に夫婦で奮闘しているはずだ。
相手はこの開発事業の大半を束ねる会社で取締役にある大泉家の次男・玲央である。
凌空がランドセルを家に置いてきてくれれば、その中の教科書やノート、文房具がいじめの物的証拠となったのだが。
凌空はこの家にランドセルを持ってきていることは確認した。
既に写真やランドセルに仕掛けたボイスレコーダーで物的証拠はあるから何とかなるとは思うのだが。
だが、凌空に嘘をついてまで自分の家に招いたことによって、まさかこんな事態になるとは思っていなかったのだ。
「お主の言うとおりだ。この剣を抜けば、封じられていた「魔」たちはいっせいに噴き出してくる。そのものを導き、浄化できれば、封じ込める必要がなくなる。お主と、この子の力があればできうる。」
「つまりこのままだと、その魔物たちが湧きだしても、唯一対抗できるこの剣がないと、この辺りは魔物に侵食されていくという訳か。」
「そう単純ではないが、そう考えてもらって構わない。」
後方から廊下を走る音がした。
「だが、実際問題として、そいつらが拡散したら何か不都合でもあるのか。既に魔物がこの町にいるのであれば、何かしらのことが起こっているんじゃないか。」
「まだ、微々たるものだよ。ヒールが突然折れたり、買い物かごの取っ手が壊れたり。スカートが焼けるというのもあったか。基本的には、彼らの数は少なく影響は小さいが、この後「魔」たちが多くなると、あいつらは人の邪悪な想いを集合させていく。そして、多くの邪な欲望を持つ者に取り憑く。それは取り憑かれている人間をさらに凶悪化させ、欲望を大きくさせ、結果的にこの社会に混乱を与えることになるだろう。権力を持つ者であれば、他者に対する攻撃性が人類にとって悲劇的になる。」
修太朗の横に来た古谷助教は、大人の口調を子供の声で語る右腕の見えない凌空に呆然としていた。
「その子はお主の助手か。都合がいい。その子の欲しがっている情報は十分博士号に足るものだぞ。」
「え、何のこと?」
古谷美澄は突然自分の事情が語られ、聞き返した。
「教授、これは何が起こっているんですか?彼、凌空君ですよね。右手、どうしたんですか?」
矢継ぎ早に古谷が修太朗に質問を浴びせかける。
だが、修太朗にそれにこたえている暇はない。
「古谷君、今は質問に答えている余裕はないんだ。凌空が今、とんでもないことに巻き込まれている。手を貸してほしい。」
「あ、えっと、はい、わかりました。でも、凌空君に何が起こっているんですか?」
修太朗は古谷からまた凌空に視線を向ける。
「どうする気だ?その剣を抜いて、魔物を解放したのち、そいつらをどうやって浄化するんだ?」
「田野倉のDNAを継ぐ身体を依り代として用いる。「魔」はもとは万物に潜む精霊が核になっている。そのものらを依り代にいったん集め、この剣を用い、浄化を行う。それでまず大多数の奴らを対処したのち、残っている黒い靄を狩っていくことになる。場合によっては「勾玉」や「鏡」も使うことになるとは思うが。」
言ってることの意味は分かった。
しかし、この儀式は危険が高すぎる。
こいつは元は確かに人、この田野倉に縁のあるものかもしれない。
しかし、このやり方は善行と悪行を侵犯するような存在。
閻魔というほど巨大なものではなく、陰陽師が使役した式神に近い。
この式神もどきは依り代となる人間の生死には一切興味がないに違いない。
「依り代って、田野倉のDNAって…。彼は、一体何を…。」
「古谷君、これから起こることを動画として取ってもらいたい。うまく映る保証は出来んのだが、うまくいけば、この大烏山の古代史に関わる仮説の傍証ぐらいにはなるだろう。」
「何を言ってるんですか、教授。私は今ここで何が起こっているのか、全く理解していません。せめて、納得のいく説明だけでも…。」
修太朗は凌空を見た。
この子の命と心だけは守らなければならない。
この子を心から愛している私の息子とその嫁が、この子の居場所のために、今、戦っているはずだから。
私も、この命にかけ、この子を、田野倉凌空を守る!
「もう、それほど時間もないのだろう。お前は、そう、式神だな。この「黒い靄」、万物に宿る精霊のなれの果てを封じ込めるために陰陽師に作られた式神の一部なのだろう。」
「我々の存在をそう呼ぶものもいたな。昔の話だ。今は、この状況を終息させる方法を熟知している存在だ。式神と呼びたいなら呼べばいい。田野倉修太朗!依り代になる、このモノたちの器になる心は定まったようだな。では、まいる。」
古谷美澄は自分の持つスマホを、田野倉教授とその孫にあたる少年、田野倉凌空の二人が入るように向けた。
動画モードに設定し、録画のスイッチを入れた。スマホの画面録画を示す赤い点が表示された。
一体、何がここで起こっているのか?
これから何が起こるのか。
少年の肘から先のない右の肩が動き始めて、二の腕がゆっくり上に持ち上がり始めた。
「おじいちゃん、ダメだよ!こいつら式神の言うとおりにしたら、おじいちゃん死んじゃうよ!言いなりになっちゃだめだよお~。」
先程修太朗とやり取りをしていた声のトーンとは明らかに異なる、少年らしい声が、悲壮感を込めて修太朗に向けられた。
その声を聴いた修太朗は、目を細めて凌空に微笑みかけた。
「凌空、じいちゃんは大丈夫だ!じいちゃんのことより、凌空は自分のことだけを考えろ。学校のことはお前の父さんと母さんがしっかり、居場所を作ってくれる。頑張って生きろ。お前の両親、修と真奈美さんを信じろよ。凌空、絶対、死ぬんじゃないぞお!」
修太朗が凌空に心からの願いを絶叫した。
凌空の右肩が上がり、二の腕が肩の上に天を指すように引き上げられた。
美澄のスマホには凌空のその姿しか映っていなかったが、右腕が引き上げられた瞬間、肘から先にある右手と、その先に長い両刃の剣のような形をした白く輝くものが一瞬現れて、消えた。
地が揺れた。
少年の足元のなにもないはずの大地に黒い裂け目が見えた。
美澄は、今目の前で起こっていることを理解できず、ただ、ただ、恐怖が、心を、身体を、魂を揺さぶった。
腰が抜け、尻もちをつくように廊下に座った。
顎が小刻みに震えている。
今起こっていることを記録しているスマホも体の震えに合わせて上下に揺れていた。
力の入らない下半身が、じんわりと温かい液体に包まれていく。
と、同時に辺りにアンモニア臭が満ちてくるが、美澄は動くことが出来ずにいた。
今日はお気に入りの薄い黄色のワイドパンツなのに…。
この異常な場に似つかわしくない思いが湧いてくるが、目の前に大いなる闇の形をした、歪んだ憎悪が拡がっている。
恐怖以外の何物ではないその禍々しい存在。
だが、それをただ見ている田野倉教授も異常に思えた。
私は恐怖でおしっこを漏らしてしまっているのに…。
教授は平然とその様子を見ているようで、どこかがおかしかった。
違う。
教授はそれが起こることをはなから知っていて、私に記録を取るように命じたのだ。
そして、この後に起こることも見据えて、今、その悪意に満ちた闇に、その顔を向けている。
少年、田野倉教授の孫の凌空君が振り上げたそのものを、今度は振り下ろした。
肘から剣の先まで、白く光っているが、前よりはその光が弱くなっている気がする。
その光の剣は禍々しい闇を追い立てていた。
大きく広がったはずのその黒く大きな憎悪の闇が小さく収斂し始めている。
そのままこの恐怖の闇はどこかに消えてくれることを美澄は祈った。
自分がこのままでは保てそうもない。
全てを捨てて逃げられればまだしもだったが、下半身には全く力が入らない。
ただ祈るのみ。
しかも、教授の最後の頼みのような記録取りを命じられたことにより、そこから全く動けず、目をつぶってやり過ごすこともできない。
大きかった黒い闇は、一旦、人の大きさくらいまでに縮んだかに見えた。
その時、修太朗が、その闇に対して大きく手を広げた!
それはまるで泣き疲れて、どうすればいいか分からなくなっている我が子に対して、ここに来ればやさしく抱きしめてあげるよ、と言わんばかりの行き先の誘導であった。
人くらいまで縮小していたその闇の心が、歓喜に満ちているのが美澄の恐怖で凝り固まった感情に、さらなる恐怖を叩き込んできた。
人の形をしたその恐怖の闇は、一度膨張し、そのまま修太朗の大きく広げた両手の中心である胸に突き刺さるようにぶつかった!
その衝撃のためか、修太朗が腰かけていた縁側から、体が浮き突き飛ばされるようにそのまま後方に倒れた。
その倒れた修太朗の身体に、嬉々としてその闇の怪物が吸い込まれていく。
修太朗の身体が数度にわたり跳ね続け、口から夕飯で食べたものと思われるピザのような吐しゃ物が勢いよく飛び出してきた。
その後に赤い血の塊も吐き出されてくる。
「田野倉教授…。」
力なく美澄は教授の名を呼んだ。
修太朗の倒れた体に、美澄の汚水が浸していくことも、美澄にとって耐えられない光景であった。
だが、衝撃はそれだけで終わらなかった。
黒い闇がほぼ修太朗の身体に吸い込まれそうになった時、光の剣を手にした凌空の身体が、先ほど立っていた中庭の端から、助走もなく高々と飛び上がったのだ。
美澄は小学6年生の身体能力をまったく知らない。
だが。助走なしであれほど高く、そして長距離を跳ぶことが出来るのだろうか?
少年は、星空と月の光を背にして、一瞬でその教授との距離をゼロにした。
少年は、飛んでいる最中にその光る剣を振りかぶり、教授の足元近くに着地すると同時に、その剣先を黒い闇の怪物が逃げ込んだ教授の胸に突き入れた。
光の剣は深々と、その柄の部分まで教授の胸の中に刺しこまれた。
静寂。
次の瞬間、おぞましく禍々しい雄叫びがこの家を揺らした。
一拍おいて、光が爆発的に教授の胸からあふれ出し、衝撃波が物理的な力となって、美澄の身体を直撃した。
美澄の身体は宙を舞い、廊下の端の壁にしたたか打ち付けられた。
その痛みで、ギリギリつなぎとめていた意識が途切れた。
凌空は、ゆっくりと光る剣を修太朗から抜いたのだが、光が弱くなり青銅色の剣には一切血の跡はなく、また修太朗の身体に血の一滴も怪我の後もなかった。
ワイシャツにも傷はなく、吐しゃ物が汚しているだけだった。
「くっ、しくじった。逃げた奴らがいる。」
凌空はまた少年らしい高い声で、少年らしくない言い方であたりを見渡す。
「おじいちゃんが!」
「大丈夫だ、追うぞ!」
凌空の声で、違う喋り方の者が凌空の身体を動かす。
凌空は修太朗と倒れている美澄を一瞥したのち、駆け出した。
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