手を高く掲げて
頭目が捕らえられたことを知り、残りの兵士達は逃げていったようだ。可哀想なのは一般の信者達かもしれない。もうここに住むことは難しいだろう。ファンテは、後で街に掛け合い、彼らをどうにか受け入れてもらえないか頼もうと考えた。
冒険者達にグロフを預け、ファンテはリーンと共に城門まで戻って来る。
「ファンテ」リーンが呼び止めた。
「ありがとうね。助けに来てくれて」
途端に彼は挙動がおかしくなった。何か、言いにくいことを思い出したようだ。
「あ、あのな? リーン」
「それにしてもこんなに沢山の冒険者達、どうやって協力してもらったの?」
リーンは城門の向こう、冒険者達が地面に座り、談笑している光景を眺めた。
「俺が雇った」
「ええ? そんなにお金、あったっけ」
ファンテは、困った顔で夜空を仰ぎ、頭を掻いた。
「売ったんだ。その金で雇った」
「売った? 売ったって――ああ、なるほど」勘のいいリーンはすぐに気付いた。
「で、幾らになったの? 魔法の鞄は」
「金貨、千二百枚」
リーンが目を剥いた。
「嘘。何でそんな高値で?」
「分からん。南方じゃ見たことのない魔法具だったんじゃないか」
――実際、俺も驚いたしな。
リーン救出のため大量に冒険者を雇うことにしたファンテは、大金が必要だと考えた。やむなく魔法の鞄を売りに出し、その高額査定に驚いたのだった。
「すまん、お前の大事なものだったのにな」
「いいよいいよ。また買えばいいから。生命より大事なものなんてないからね」
彼女はにこりとした。
「で、リーン。さっきのは何て歌なんだ」
「えっとね、『荒城の月』って言って、結構古い日本の歌」
「荒城……?」
「荒れた城、って意味」リーンは振り返って、古城の外観を指差した。城の塔に緑の月が掛かっており、物悲しくも鮮烈な光景だった。
ファンテは先程の歌を思い出す。
「凄かったよリーン。多分、今までで一番だった。何せ女神様だもんな。さすがだよ」
当のリーンの顔は浮かない。
「肝心のあいつに、歌の良さは伝わらなかった」
音の攻撃を放った時、彼女はわざとグロフだけは気絶させなかった。自分の歌声で少しでも考えを変えて欲しかったからだ。
「そんなことはないぞ。俺は、お前の歌はあいつに届いていたと思う」ファンテは微笑む。
「え……だって」グロフは歌の前と後で、様子が違ったようには見えなかった。
「多分、奴自身も気付いてなかっただろうがな。ここに、こう――」
ファンテは右の目尻に指をつけ、真っ直ぐに下へなぞった。
「泣いてたっての? あいつが?」
頷く。あの瞬間、ファンテは確かに見た。男の右目から一筋の涙が流れ落ちたのを。多分、認めたくない一心で歌に必死に抗ったのだろう。それでも涙一筋ぶん、あいつの中から感情が溢れ出たのだ。
リーンは口元をほんの少し緩めた。そうか、ファンテがそう言うのなら、信じることにするよ。一人ごちた。
「じゃあ……はいっ! ファンテ」
リーンは左手を高く上げた。手のひらをファンテに向ける。眉をきりりと引き締め、鼻息荒くどや顔だ。
「本当は両手が良いんだけど、仕方なくです!」
「リーン、いったい何を……?」
「叩くの、私の手を。ファンテの手で!」
戸惑うも、ファンテは言われた通りにする。
二人の手が打ち合わされ、小気味いい音をたてた。
「これがハイタッチです!」覚えておいてね、とリーンは白い歯を見せた。
この世界には拍手がない。おまけにガッツポーズもなければハイタッチだってないのだ。ファンテはそれらをリーンから教わった。やってみればこれ以外に考えられないほど、賞賛の気持ちや高揚した感情を的確に表現できる手段はなかった。
ファンテは、ハイタッチした後の自分の右手を見つめた。ぴりぴりとした微かな痺れが、彼にある種の達成感と高揚感をもたらす。
「なるほど。いいな」
「でしょ?」いてて、リーンは右肩を押さえる。
「痛むのか? 悪いが街に戻るまでは――」
「分かってる。まあ痛いけど、何とかなる」
ファンテの顔は心配そうだ。普段は見とれるほどの美形なのに、こうなってしまうと形無しだ。リーンは何故か母親のような気持ちになって、子供を安心させるように笑みを見せた。
安堵したのか、ファンテは歩き出す。
すれ違いざまに、リーンは彼の背中に額をつけた。
「お、おい……?」戸惑うファンテだが、背面のリーンがどんな顔をしているかは見えなかった。
絞り出すような声が聞こえた。
「怖かったよ、ファンテ……ほんとに、怖かった……」
ファンテは、ああ、そうだよな。悪かったな、リーン――口に出そうとした。
「でも、ファンテの顔を見て勇気が出た。ありがとうね、私の為に、何度も危ない目に遭ってくれて」
言葉に動けず、ただ前を向いて、彼は無言で息を吐いた。
「さ、行こ? ごめんごめん、変なこと言ったね」
リーンは彼から離れ、追い抜き、前を歩き出した。
――俺もだリーン。
小さな背中を見守る。多分、あらゆることの何かがほんの少しでも食い違っていたら、彼女はここにいなかった。
――俺が行くまで死なないでくれて、ありがとう。
ファンテは目元を軽く拭う。リーンについて行く。
勝利の余韻に浸る冒険者達が、二人を明るく出迎えた。