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大陸中央の恋物語

大陸中央の恋物語【桜梅桃李物語】

作者: あやぺん

 幼馴染は少し変わっている。同じ長屋住まいの女達と違ってキチッとしていて凛としている。それであまり喋らない。

 貧乏大家族の次女リルはいつも働いている。朝早く起きて朝食を作り、お弁当も作り、妹達にわいわい言われながら川で洗濯物をして干して消える。多分お昼ご飯や繕い物や掃除や内職。

 俺も仕事があるので冷たい川での洗濯を手伝おうか? とは言えないし、そもそも近寄るとリルの兄が怒る。

 気さくで楽しいけれど強い長屋の親分みたいなリルの兄は「俺の妹達に近寄るな。特にニック」と恐ろしい睨みを効かせている。

 彼とは友人で長屋の幼馴染の中では仲が良い方なのになぜ俺を目の敵にする。


 ここの古株、リルの両親は「自分達は稼がないと暮らしていけないし、兄を地区兵官、姉を職人にするから家守りをリルに任せるしかないから頼む」みたいに周りの大人達に娘達の事を頼んで見張らせている。

 リルのいつものすまし顔を面白話で笑わせるとかわゆいから隙を見て話しかけてお喋りするけどすぐに発見されてさり気なく誰かに引き離されてしまう。

 リルと妹達は下街女なのにまるで箱入り娘みたいだ。


 さて今年リルは元服する。彼女は俺と1歳違い。貧乏だから嫁に出して今よりマシな生活をさせたい。教育のために今度は三女中心に家守りをさせる。だからリルの両親はリルの嫁ぎ先を探し始めた。


(近寄るなだったけど早くも縁談探しが始まるとは。よっしゃあ!)


 リルは優しいし妹達の面倒をよく見ていて家事もしっかり出来る。でもあまり喋らなくて大人しい。それで三女が美少女で溌剌元気だから親達からすると同じ家族から嫁なら三女の方が良いという評価。

 俺と同年代の男達もブサイク気味の何を考えているか分からないリルはイマイチ。


(ブサイク気味って貧乏で整えられていないだけで笑うとかわゆい。かろうじて川水浴びを覗いた時に胸がかなりあった。好機だ。俺は楽々リルを嫁に出来るぞ)


 リルは大事な女。不誠実に手を出してはいけない。というか口説けない。喋るのが精一杯。

 そうなると練習が必要なので「おっ、ええぞ」という女がこちらを気にしてくれた時は恋人未満友人以上みたいに接していたけど中止!

 中止だけど弁当を作ってくれるのはありがたいので受け取る。


(俺も別に稼げていないけどあの家よりは全然マシ。少し飾ってあげられる。かわゆくなるから周りが驚く。後悔しても遅いとはこのことだ)


 そういう訳で俺はリルの両親の元へ乗り込む事にした。向こうから来ないかと待っていても来ないし他の男と縁談になってしまうと思って突撃。季節は春。リルはもうすぐ元服する。

 リルは姉妹と共に祖母の様子を見て裁縫を教わって来なさいと追い出されてリルの両親と3人になった。


「あんたの母親とリルの相性が悪いから嫌だ。あんたが母親とリルの間に入らなそうな性格なのがまた。最終手段にする。その時はお願いします」

「俺もお前はリルにはあまり。まあ誰でも嫌だけど。リルには苦労をかけているからもっと高望みしたい。お前は最終手段だ。その時はお願いします」


 ……最終手段ってなんだ!!

 ガタガタと部屋の扉が動いて「入るなって事か?」というリルの兄の声。

 母親がつっかえ棒を外して息子を部屋に招き入れてまたつっかえ棒。壊れた鍵を節約の為に直していないのだろう。


「よおニック。で、ニックと何してるんだ?」

「リルを嫁にくれって来た」

「……はあ? こいつはダメだ。俺は絶対に許さない。絶対に嫌だ。親しい奴がリルとねんごろとか無理。先輩達に声を掛けて頭を下げているから却下。桶結で食いっぱぐれないよりも地区兵官でもっと食いっぱぐれないの方だ。いけそうな人がいる。無理なら道場の上の人達にも頭を下げて回る」


 気さくで優しく笑ってばかりの男なのに妹関係だと恐ろしい顔をする。もの凄く嫌そうな顔を向けられてしまった。


「まあ俺達もまだまだ探すから最終手段にしようかと。リルが不憫なのが続くのは困る。年内までは粘る」

「もう十分家を守ってくれて心配なところは沢山あるけど近くなら大丈夫。働き者で真面目なリルなら優しい人相手ならなんとかなる。家のことはなんでも出来るようにした。我が家はもう少し粘る」

「俺は優しくないって事ですか⁈」

「いや別にそうではないけどリルの縁談は高望みしてるから。別の作業場の職人もどうかと悩んでいる。この部屋からそこの部屋へ。それで下っ端桶結の嫁にっていうのはちょっと」

「リルには苦労をさせているのに我が家はまだまだリルに何かしてあげられないからとにかく高望みする」


 そういう訳で両親からは最終手段、兄には「俺は自分の友人なんて絶対に嫌だ。許さん」と言われて追い出された。


(好機じゃなくて却下された! 高望みしてる……地区兵官ってなんだ! しかもいけそうなのかよ! さすがリルちゃん! あいつが許す地区兵官って事は中身重視のはず。地区兵官でそれは勝てねえぞ! 竹細工職人には負けなそうだけど高望み系職人を探すって事だ!)


 こうなったら俺はリルと恋仲になり仕方ないから許すという空気を作るしかない。

 リルが「ニックのお嫁さんになりたい」と言ってくれたら今よりはマシだから許される。

 

(口説く練習は終わりだ。近寄ってくる女はどうにかなるようになったけどあのキチッとした慎みのあるリル相手はドキドキして無理だった。でも口説く。口説き落とす。どうにか口説くしかない!)


 しかしながら意外に話しかける隙がない。早朝の食事準備中は母親といる。母親が一旦早朝仕事で稼ぎに消えても他の母親達といて近寄れない。

 水汲み大変だな、と言いたくても力仕事は兄と義兄がしているので炊事場から移動しない。

 洗濯時も同じく女達と妹達に囲まれているし俺は仕事に出掛ける。帰宅したらまた炊事なので朝と同じ。

 休みの日だ、と思ってリルがたまにプラプラ出掛ける日と重なりますようにと祈ったら好機到来。ぷらっと出掛けた!

 

(よっし。後をつけて話しかける。いつもの楽しいお喋り。多分楽しいと思ってくれているはず。ニコニコかわゆいからな)


 話しかけようとしたけどリルは俺達より10くらい年上に見える地区兵官に声を掛けられて長屋へ連行。

 彼女は地区兵官に部屋の前で飴を渡された。部屋前に来るまではすまし顔だったのに嬉しそうなかわゆい笑顔。


(どういう事だ! あいつは同僚に見張らせてるのかよ! それか縁談相手か⁈)


 俺だって飴くらい贈れる。高いけど綺麗な瓶入りの絵飴(えあめ)が良いかもしれない。数が必要だ。リルが飴を末っ子に譲ったのを見てそう思った。やはり彼女は優しい姉だ。

 リルはいつもギャアギャアうるさい妹達の世話をする優しい姉。面倒くさそうな顔もよくしているけど。

 背に腹は変えられない。勝手に貢いでくれる女には貢いでもらって昼食代を削って貯金。俺は高い瓶入りの絵飴えあめと元服祝いの(かんざし)を買う。


(元服日は長屋の皆でお祝いになるから俺はその日に口説くぞ。他の男が目をつけていないし恋人がいた事もないからドキッとしてくれる筈だ)


 ふと気がついた。女には好みがある。男にもあるんだからそうだ。なので一緒に小物屋へ行って選んでもらおう。かわゆいニコニコ笑顔を見たい。

 贈るのは絵飴(えあめ)だけにして贈り物をしたいから小物屋へ行こうと誘う。

 今は予算がこのくらいだけど立派に稼ぐようになるから最初は、みたいに言ってもリルなら喜びそう。俺を甲斐性なしとか言わない。

 自分の家が貧乏でもそれに恨みつらみみたいな事を言わない。疲れるけどわいわい楽しいって言う素敵な女だ。


 明後日はついにリルが元服する日。無事に目標金額を貯められたので明日の休みに絵飴(えあめ)を買う予定。

 リルがきらきらする目をしそうな綺麗な瓶入りのもの。お店の目星はつけてあり3種類で悩み中。

 なのに、家族で食事をしていたら母親がこう告げた。


「あのリルちゃんにお役人さんが結婚お申し込みに来たのよ」


 俺は薄めの味噌汁を吹き出しそうになった。


「お役人さん? リルちゃんに?」

「お金持ちそうな着物の男が2人来て不審者には見えないけど当然誰だって聞くでしょう? そうしたらそうだったの。凛としていて格好良くて見惚れたわ。色男よ色男。ネビー君の通う剣術道場に通っている人だって!」

「お役人さんで色男とは決まりだろう。お役人さんとはそれはまた玉の輿だな。高望みして息子を地区兵官にしたから娘が玉の輿とは。まあ、言っていたしな。家計で無理をしたりネビー君に期待してきたのは本人の為もあるけど娘達の為でもあるからって」


 ……。

 最終手段の俺は本当に最終手段ってこと。ド貧乏大家族だけど長男は貧乏な家からは難しい仕事の地区兵官。

 武術系の才能が必要なのでそれなりの家の男でも奪い合いの職。

 這い上がりたい、成り上がりたい者は狙うけど難しい仕事だ。家族の期待を背負って努力を積み重ねているのを間近で見てきた。


(レオさんとエルさんにあいつと比べられたらそりゃあイマイチだ。もっと早く気がつくべきだった! っていうか友人は嫌って言うていたのにそいつは良いのかよ! 同じ剣術道場ってあいつが頭を下げたって事だろ!)


 俺は部屋を飛び出してリル家族の部屋へ向かった。丁度よくリルの姉夫婦の部屋からリルの両親と兄が出てきたところだった。


「リ、リル、リルちゃ、リルちゃん結婚するんですか⁉︎」

「多分。お前、リルが欲しいって言ってなんで恋人を作っていやがる。普段は気のええ奴なのにムカつく奴だな」

「恋人なんていない!」

「なら遊びか。もっと却下だ。うるせえな。声がデカい。夜だぞ」

「お前に言われたくねえ! 俺は単に節約と思ってありがたく弁当を貰ったりしていただけだ」

「俺はとっくに遊んでねぇ。滅多にしてなかったけど難癖結婚はゴメンだからやめた。俺がお前は嫌みたいな事を相手の家族に言われるからやはり触らない。お嬢さん嫁をもらうまでずっと継続する。その後は嫁を触りまくりだ」


 じゃあな、と言われて去られた。リルの父親に「リルが必要とか勉強をさせてくれるって言うてくれた。しかもネビー経由で人となりが分かっている。こんな幸運な話は二度とこない。本人が断固拒否じゃなかったらそのまま嫁に出す」と告げられた。

 肩を叩かれて放心。口説く前に失恋した。どこの誰か知らない奴に横から掻っ攫われた。

 2日後のリルの元服祝いは中止。当日準備なので問題ないから中止だそうだ。

 リルの元服祝いはお互いの両親と当人同士が料亭で行う結納宴席。だから結婚後に結婚祝いと元服祝いをまとめてすると連絡が回ってきた。料亭で結納宴席ってなんだ⁈

 結納したらリルはどこかで花嫁修行。読み書きや相手の家の事などを学ぶそうだ。

 結納日に両親と出掛けるリルは皇女様のような着物姿で美しかった。

 周りの男達が「嘘だろう」と唖然としたのもかわゆい姿を見られたのも嬉しかったけど全て縁談相手からの贈り物と知って絶望。

 いつも近寄るのがそこそこ大変だったけど、お申し込みの日から家を出る日まで家族の誰かが常に彼女と一緒で近寄る事が出来ず。

 告白もお別れも言えないうちにリルはあっという間に長屋から去った。


 こうして俺は不貞腐れ。恋人に振られた、と家族が言うけど無視。そういう噂になっているかもしれないけど無視。どちらにしても失恋である。

 幼馴染で小さい頃から知っていて2年くらい前から気になり出してこの結末。

 俺以上に話している奴はいなかったんだから普通は幼馴染婚だろう!

 夏が来て大きな神社でリルが花嫁になると聞いたけど無視して仕事。

 夏が過ぎて秋になりリルの結婚祝いが長屋の合間机や椅子を使って行われる事になったけど無視して仕事。

 言われた言葉が突き刺さったので次の恋に備えて女にムラってしようが練習と思おうが誘いを無視してとにかく仕事。同じ理由を二度と言わせない。言わせてなるものか。


 仕事にして俺は無視した長屋での宴席時のリルは楽しそうではなくて、相手の男も無愛想。ただリルは高価な着物や小物に飾り物姿で綺麗で化粧や髪型でわりと美人になっていたらしい。

 俺の視界ではわりと美人ではなくてかなり美人に見えたのではないかと思った。

 あれがリルちゃんかとか、女は化けるって見る目なし達め。

 そもそもリルの兄のせい。凡々地味顔だからって「俺はイマイチ。俺似のリルもブサイク気味。俺はともかくリルは母ちゃんに似ればよかったのに損してる」と口にする兄が悪い。気の良い奴だけど時々ムカつく。

 それなのにリルをイマイチと言う男を睨むし、逆に褒めると「近寄るなよ」と不機嫌。あいつは5人の妹に懐かれているからって妹バカ過ぎだ。


 お金持ちに嫁いだというのに安物着物だし帰りたそうな様子。秋にそういう噂を耳にして俺は決心した。

 金は人を幸せにするけれど金だけでは幸福は得られない。

 なんとか食べていけるだけの金があって家族が仲良く助け合ってワイワイしていれば幸せだと感じられるリルに必要なのは金持ちではない。そういうこと。

 俺には彼女への気持ちがある。引きこもり気味で仕事に打ち込んで金も貯めている。

 

(不倫だなんだとリルに何かされたら困るからまずは相手の男探り。そもそもなぜド貧乏次女を役所勤めの男が嫁に望む。どこの役所だ。真面目で文句を言わないからこき使いたいとか?)


 家族の介護が怪しい。用無しになったら捨てるかもしれない。

 とりあえず身近なリルの兄からリルの夫を探ることにした。秋も過ぎてもう冬になろうとしている。雪は年内には降らなそう。

 寒いけど合間机で皆で飲もうぜと誘ったら「おう!」と簡単に了承された。それで普通に持ち寄り飲み会。


「そういやネビー。リルちゃんは元気なのか? なんかこの間ここに来て元気なさそうって聞いたけど。母ちゃんがさ」

「ん? 会ってないから分からん。そうか。元気なさそうだったのか。会いに行きづらいからなぁ。今度の稽古で聞いてみる。ありがとよ」

「会いに行きづらいってなんだよ」

「わりと格上の家だから我が家は足を引っ張りません。金もたかりません。そう伝わらないとあまり。特に俺。俺の評判は大事。ヘマしなければ年明けに階級が上がって正式に地区兵官だ。ルル達を少しずつ寺子屋に入れられる」


 能天気で明るい男がしんみり飲むとは。


「心配じゃないのか? 寂しがってるぞきっと」

「いや、前に優しくされてうんと幸せそうな笑顔だったからこっちにあまり来たくないのかも。天邪鬼の心配性ババアがガミガミ言うたのか? ルカか? 俺らはリルの足を引っ張らない。特に俺。俺が仕事で何かしでかしたとかであいつの幸せをぶち壊したらトト川で死ぬわ」


 気怠そうな仕草でお猪口を口に運ぶ姿は珍しいし目が燃えている。


「つまり飲んでる場合じゃねぇ。勉強しよう。バカだから頭に入りにくいけど続けていればどうにかなるだろう」


 探る前に撤収されてしまった。分かった事は1つ。優しくされてうんと幸せそうな笑顔だったという事。本当か?

 その後もあまり探れなくて悶々としていたら年が明けた。リルと夫はもしかしたら新年の挨拶に来るかもしれないと思ったのに来ず。

 兄と姉夫婦以外は年末にリル達と中央区のお祭りへ行ってそこで挨拶だったらしい。

 

(娘は幸せそうだったという話が増えた。増えたというか俺もレオさんから聞いた。嬉しそうに喋っていた。ルルちゃん達からも聞けた。リルちゃんは幸せなのかよ!)


 チラッとリルの妹達にリルの夫について聞いたら「ロイ兄ちゃんはね!」と褒め話炸裂。

 お喋り姉妹達の話を総合すると皇女様になれるサンダルを買ってくれて玩具も買ってくれて沢山遊んでくれたそうだ。それで姉ちゃんはニコニコしていたと。つまり俺の出番はない。


(金があって本人にも妹達にも優しい色男ってなんだ⁉︎ 何も勝てねえ!)


 さらに翌月、俺はついにリルと再会。

 仕事終わりに土手を歩いていたら前から提灯の灯りが近寄ってきて背の高い男と背の小さい女性が手を繋いでいるようなので「チッ」と思った。

 それでお互い近づいていって「ん?」となるも相手の男は俺を見て女性側を俺から遠ざけた。


「兄ちゃん、ビビっていましたね」

「あはは。あれは愉快でした。あのような姿は初めてです」


 リルの声!

 俺は絶対に間違えない。避けられたけど進路を変えて女性側の方へ向かった。土手を降ります風に歩く。


(提灯二つの灯りで分かる。かわゆい旅装束って何だ⁈ まさか旅行したのか⁈)


 リルは俺に気がつかないで夫に向かって顔を上げて可憐な笑顔を浮かべている。


(……見たことねぇ。この表情は見たことがない。俺に向けられていたニコニコ笑顔と違う。なんか違う!)


 これだけで完敗だと分かった。俺は土手を転がり落ちた。痛い。酷い。完全失恋した瞬間。

 家で両親から「あのリルちゃんが旅だって。うんと遠い温泉街に行ったって。浮絵を見せてもらったけど楽しそうな街なのよ」と教えられた。

 地位、金があって情もありそうで遠出の旅を出来て役人なら学もあるだろう。全てで負けた俺は焼け野原。


 ★数ヶ月後★


 今日は休み。合間机で昼間から酒と思って飲んでいたら完全失恋以来のリル登場。

 ペラペラお喋りの妹と共に棒と太めの糸を使った何か分からないものを始めた。あの白い玉になった糸はなんだ?

 リルは長屋のお喋りババアに話しかけられてしばらくしてこう口にした。


「もう少しゆっくりお願いします。間に入る隙が欲しいです。私はのんびりです」


 そうしてしばらくすると以前と違ってペラペラお喋りババアと妹達の間にリルの言葉がちょこちょこ入るようになった。楽しそうにお喋りしている。


(うおっ)


 強風が吹き抜けて目にゴミと思ったら桜の花びらだった。桜にはまだ早くないか?

 

 桜。桜梅桃李。妹が寺子屋では教わらなそうなのにどこかで小難しい言葉を覚えてきて教わった。

 それぞれが独自の美しい花を咲かせるように他人と自分を比べることなく個性を磨きましょう。そう言われたそうだ。

 あの子は変と言うけれど俺はリルを見染めたし、リルの玉の輿が悔しくて調べた幼馴染女達の情報によるとリルの夫は俺と同じような理由で彼女を見つけたという。

 土手の上を出稽古時に歩くからリルを発見。俺が彼女を気にし出した頃と同じ時期。


 何の役人か知らないけど完敗で悔しいので仕事に関係なくても節約が必要でも学校へ入学する目的はないけど特別寺子屋に通い始めた。

 情は次の相手女性次第だけど俺はわりと一途だったからきっと大丈夫。女関係は反省する。それで現在励んでいる仕事と金の次は学だと思った。

 次は悔しい思いをしたくないから備えあれば憂いなし。同じ負けるでも完敗はゴメン。


 ここは大陸中央煌国という国らしい。しかも王都。自分の生活は恵まれているなんて知らなかった。

 このくらいなら日常生活でも知りそうな事だったらしいのに俺は常識や学に興味なさ過ぎ。

 学があるとあの子は変ではなくてこう言える。リルは春の終わりに咲く梅で皆が桜に夢中でも目を止めて愛でる者は愛でると。

 愛なんて単語は恥ずかし過ぎて口に出来ない言葉だからこれは手紙とかで使わないと。


 桜は梅にはなれないし、桃は(すもも)にはなれない。

 そうだろうか?

 凛としていて大人しめで妹達に優しいリルは去年と同じだけど、美しくなって喋るようになり笑顔の種類が変化した。

 俺は彼女がお喋り好きだなんて気がつかなかった。彼女の家族はペラペラお喋りだから気がつきそうなのに。

 楽しそうに話を聞いてくれてかわゆいではなくて、少し待てば彼女ももっと沢山の言葉を返してくれて深い仲になっていたかもしれない、なんて。


 季節はまもなく春。しかし胸が痛いので俺はしばらく冬生活。


「桜、桜、舞い散る桜」


 リルと妹達が歌い始めた。俺の知らない曲。


「桜の吹雪は春たより」


 強風が吹いて桜の花びらがたくさん舞った。これがきっと桜の吹雪。

 いつかで構わないので俺の人生にも春たよりが来ますように。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リル視点からでは全くわからなかった、ちょっと気が向いた時にちょっかいかけてただけだとばかり思っていたニックの心情がわかり切なくなりました。 本人に知られることもなく失恋も辛いし、ささやかな…
[良い点] 新しいお話をありがとうございます。 こちらも楽しく読ませていただぎした! リルちゃん、両思いだったなんて! ロイさんがいつまでも警戒しているのは正しかったんですね。
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