夜明けの召喚(5)
6、準備室でのティータイム
「全ての原因は西部で起こった大地震でした」
ここはあの廊下からごく近いところにある準備室という部屋だ。もともとは貴人達がパーティーのための待機室や着替え室として使うらしい。
このあと新王披露目の舞踏会に出席するのだからこの部屋がちょうどいい、と二人に案内された。
準備室は赤絨毯のそこそこ豪華な内装をしていて、奥の大きなソファに俺が、向かいの椅子にトスカナが座っている。リグレッタは俺がソファに座るのを見届けてから、お茶と茶菓子を求めてメイドを呼びに行った。
「その地震の話はリグレッタから聞いた。西のほうでかなりの被害が出たけど、魔術師の官吏が全滅して支援が出せないんだろう?」
「ええ、どうも領主がいる都市も壊滅したようで、地震発生の第一報からまったく情報が入ってこなかったのです。そこで王は…前王であるティーゲル6世陛下は、最悪の被害を想定した復興金額をすぐに算定するよう命令を出しました。結果、国家予算を可能な限り割り振っても復興には10年かかることがわかったのです」
国家予算十年分というのは気の遠くなるような話だ。
十数年前の大震災時、当時一流の経済国であった日本ですら最新の機材と様々な国からの援助を受けてなお、あれだけの死者を出してしまったのだ。
こんな中世もいいところの国家では、復興の前に震災地の人間など全滅してしまうかもしれない。
「国家予算を全力でつぎ込むってことは産業も経済も停滞するし、完全にトルゴレオ王国全体が元通りになるまで20年はかかるかもな」
戦争とは無縁の現代っ子でもゲームをしていれば最低限の知識は入ってくる。
俺の趣味は経済と戦争の両方を行うRTSGだったのでこれ位はなんとか理解できた。
「おっしゃるとおりです。そこでティーゲル6世陛下は、北東にある我が国の属国キスレヴに復興金額の半分を支払うように命じたのです」
「半分なんて……お父様、キスレヴにそんな大金が払えるわけがないでしょう?」
お茶と焼き菓子をお盆に載せたリグレッタが戻ってきた。
この話はリグレッタが首都レオスを離れたあとで起こったらしく今朝首都に帰ったばかりの彼女も知らなかったらしい。
キスレヴとはトルゴレオの北東にある軍事国家だったが、15年前に戦争に敗れてトルゴレオの属国になった国らしい。敗戦からは国土も収入もトルゴレオに制限され、たった数年で一流の軍事国家だったのが辺境の小国と成り果ててしまった。
当然たとえ半分といえどトルゴレオが20年傾くような金額を払えるわけが無い。
「そりゃ無理だな。もっと妥当な提案はなかったのか?」
「外交を行う外務卿が西部で消息不明でしたので、王が外交に関して唯一の発言権を持っていたのです。案の定、外交交渉はすぐに決裂しトルゴレオは"西部の民を救うため"キスレヴへ侵略を行うことが決まりました」
「西で助けを求める人たちがいるのに、王様は東で戦争を始めたってわけか」
震災の支援には人手と何より食料がいる。その両方を西に回さず、東で戦争をするのに集めたのだ。西部の民のためになるわけがない。
「集められたトルゴレオの騎士は王と王子を含め3万5千騎。全員が鋼鉄の鎧をつけ、騎乗したその軍団が敗北するはずはありませんでした。しかし我が軍はキスレヴ領内に侵攻したその日に奇襲を受け、王を含めた2万人以上が戦死、1万人が捕虜として彼らに捕らわれたのです」
「つまり完敗して壊滅した、と」
そうです。とトスカナがうなずく。
ウィキで得た知識によると俺の世界の、現代の軍隊は大体4割が戦闘不能になれば壊滅と判断される。こんな風に三万五千分の三万、つまり7分の6が損害を受けるというのはかなりの異常事態なのだ。
「斥候の報告によれば、キスレヴの軍団3万3千は最短で4日後にこの首都レオスに到着します。ここまでが今のトルゴレオの状況です」
ティーゲル6世とやらは1日半で敵地まで侵攻したが、敵の軍団は捕虜の移送や補給などで出発まで時間がかかる上に、トルゴレオと違って軍団の半分以上が歩兵で構成されているため移動が遅いらしい。
「それでその後、俺を召喚したのか。でも、やっぱりおかしいよな。なんでよりにもよって異世界から王様を呼ぼうなんて考えたんだ?」
今朝と違い少し落ち着いたからか、俺はようやくその矛盾に気がついた。
責任を取るのが嫌なら、普通は自分以外の他の貴族にやらせようとするはずだ。そのほうが異世界の人間を敵国に差し出すよりはるかに説得力がある。
それに対してこの"異世界人を呼び出して王様にしてしまおう!"という発想は明らかに常軌を逸していた。
俺の問いにお茶を飲んで喉を潤したトスカナは説明を再開する。
「王が戦死してしまい、王子も行方不明となったトルゴレオは分解寸前でした。誰もが領土に帰って守りを固めるか敵に降るかの二択しか考えていなかったのです。そんなときメディエイターと名乗る人物がここに来ました」
「メディエイター……仲介、とかだっけ?」
英語はそこそこ得意だ。さすがにペラペラとは喋れないがそれでも学校のテストなどで困ったことは無い。
(ん? ってかなんで英語があるんだ? そもそも、当たり前のように日本語喋ってるよな? 異世界なのに)
「メディエイターは黒いローブを着た老魔術師でした。彼は重臣たちの前で"自分の魔術なら異世界から望むままの英雄を呼び寄せこの状況を打破してみせる"、と言ったのです。全員が半信半疑でしたが駄目で元々、最悪そのまま司令官として責任を取らせれば責任逃れができると私が皆を説得いたしました」
望むままの英雄、というのは英雄を作り出すのでは無くインターネットの検索のようにいくつかの条件を付けて都合に合う人間を異世界から連れてきたということらしい。つまり俺の場合は"戦争に勝てる""言葉が通じる"というキーワードで見つけたのだろう。
それと今の発言にはもう一つ、見過ごせない箇所があった。
「トスカナが説得した?」
「お父様が!?」
これにはかなり驚いた。今までトスカナは無条件に味方だと思っていたのだがその実、俺に責任を取らせようとする最先鋒だったのだ。
俺は半ば不信感を、リグレッタは若干の怒りを込めてトスカナを睨んで続きを促した。
トスカナはブルブルと震えながら
「わ、私はメディエイターに未来を見せてもらったのです。魔術では人を騙す幻覚は生み出せない。あなたがキスレヴに勝利し、勝ち鬨を上げて英雄となる瞬間を私は見たのです。信じてください。悪意や私欲からではなく、未来を信じて陛下を召喚するよう皆を説得したのです」
魔術では人を騙せない?
俺がチラっとリグレッタを見ると彼女はすぐさま補足してくれた。
「お父様、シュージ様のいた世界では魔術は殆ど知られていなかったようです。シュージ様、先ほどご説明した通りこの世界の人間はほぼ全員が魔術の素養を持っています。魔術は防衛本能に強く反応するので、人を騙したり直接体内を傷つける魔術は殆ど成功しません。未来を見せる、というのは正直聞いたこともありませんが自然現象に変換せず、直接お父様に見せた幻覚ならば少なくとも嘘ではありません」
「……少なくとも嘘ではない、ね。なら希望が見えてきたじゃないか」
「……しかしやってきたのがこんな平和ボケした、平民の青年というのはあまりにも……。お父様、メディエイターとやらに代わりの者を召喚するよう頼むべきです」
相変わらず言い方のキツいリグレッタ。しかしもう慣れたね。
「控えなさいリグレッタ。廊下での発言もそうだがお前は何故そこまで陛下を突き放すのだ? メディエイターはもういないし、未来の光景抜きでも私はシュージ陛下ならこの国の未来を託してもいいと思っている」
「もういないだって? 一体――」
「何故です、お父様!? シュージ様の何を見てそんなことが言えるのですか! この人は、昨日まで普通の生活を送っていたのですよ!」
俺の言葉はリグレッタの怒声に中断された。
このメディエイターって奴はあからさまに怪しい。行方がどうしても気になるんだが……
「……リグレッタ、シュージ陛下の寝間着とベッドを見たか?」
「え……ええ、はい。それが何か?」
「マットレスにはバネが使われていて、寝間着の生地には何千の織物を扱ってきた私でも見たこと無いものが使われていた。つまり陛下はわれわれの国より文明の進んだ国からいらっしゃったのだ」
パジャマの生地は確か化学繊維だったはずだ。確かに中世ど真ん中のこの世界ではお目にかかれないかもしれない。マットレスのバネ云々はたしか百年くらい前から使うようになったはずだ。
「それだけではない。先ほどの政治と戦争の話でも最中に適切な質問をし、しっかりと理解されているのだ。間違いなくシュージ陛下は高度な教育を受けておられる。お前が考えるような一般の平民とは違うのだ、わかったな? リグレッタ」
ちょっと照れるな。
といっても政治や戦争の話についていけたのは中学高校の教育じゃなくて普段やっているシミュレーションゲームの賜物なんだが。
「…………はい」
トスカナの力説についにリグレッタが折れた。よっぽど悔しかったのだろう、がっくりと首を垂れている。
これで俺を認めてくれるのだろうか? しかしやっと慣れてきた彼女の無愛想な物言いが聞けなくなるのは残念かもしれない。
「まあ、何はともあれ、これで現状はわかった。目下俺がやるべきなのは目前のキスレヴ軍の迎撃準備と情報収集か……」
西部の救援というのもあるが、首都に敵軍が迫ってきている現状、人手や物資を回すことは不可能に近い。何より、俺は見ず知らずの異世界人よりも自分の身の方が可愛いのだ。
「その前に舞踏会です、陛下。たとえ一度退けても我が国がバラバラのままではキスレヴはすぐまた攻めてくるでしょう。今夜のシュージ陛下のお披露目の場でなんとしても味方を手にいれ増援の目処を立てておかなければ後が続きませんぞ」
トスカナはやけに舞踏会に拘るな。
見ればこのおっさんこの話題がでた途端に先ほどの怯えたり、申し訳なさそうにしていた面影は消え、今では子供のようにはしゃいでいる。
「舞踏会ったって……俺は踊りなんてできないぞ」
トスカナの剣幕にやや気おされながらもやんわりと期待を遮った。中学で踊ったフォークダンスくらいならできるがお城の舞踏会では役に立ちそうも無い。
「そのことなら心配はありません。リグレッタがおります」
トスカナがリグレッタに目配せする。
さっきからトスカナの瞳は悪戯っぽく光っていたが、今その光が一段と強くなった気がする……。
「シュージ陛下、そもそもあなたにワルツの技術など期待しておりません。本来なら時間をかけて地獄の亡者も泣いて逃げ出す舞踏会の覇者にして差し上げたいのですが……生憎とパーティーは今夜。突貫作業で基礎の動きだけを覚えてもらいます」
そういったリグレッタの深緑の瞳が父親と同じように明るく輝く。
――ヤバイ
この目は…見たことがある。オオカミやライオンが獲物を見るときの目だ!
「な、なんなんだ、二人とも!? 舞踏会って確か踊らないって手もありなんだろ!? 盛装ぐらいはするけどそれ以上はしなくていいんじゃないか?」
するとトスカナがノンノン、と人差し指を振って答える。
その態度は明らかにさっきまでの頼りないおっさんとは別人だ。なんだか腹立たしい。
「陛下、我がチハルト家は社交界の頂点を極めた家でして」
「踊りだけでなくファッションの最先端でもあり最高の主催者でもあるのです」
父親の言葉をそのままリグレッタが引き継ぐ。そのコンビネーションにはなんの淀みも無かった。
「故にその全てに一切の妥協は有り得ません」
「残り数時間でも突貫でシュージ様にも貴人として恥ずかしくない振る舞いを身に付けていただきます」
これがさっきまでのあの微妙に温度差のあった親子なのだろうか。
背筋を悪寒が走り思わずソファをずらして二人から距離を取った。すると二人も座ったまま椅子を動かして俺との距離を戻す。その際部屋の出口はリグレッタに、迂回路はトスカナによって塞がれた。
「さあ、陛下!」
「さあさあシュージ様!」
「え……ちょ、ちょっと!」
その位置関係を維持したまま、今度は二人が距離を詰めてきた。
椅子に座ったままなのにも関わらず、俺は二人の機動に全くついていけない。
「待っ………うわ、うわぁぁぁあぁぁぁああ!!!」
――それから二時間ほどの出来事を、俺は覚えていない。
ただ俺の体には無数の青あざが、頭にはワルツの完璧な踊り方が記憶されていた。