新たな刻(2)
51、老狐と夜会
戴冠式と違い市内を巡回するパレードは問題なく終わった。まあパレードでの俺の出番は豪華な衣装を馬車に乗って手を振るだけなのでそもそも失敗するわけが無いのだが。
パレードの後は少し郊外にある王族の別荘に向かい、本日三度目になる着替えを行って夜会のための準備を済ませる。朝は日の出からここまで休憩無しなので俺はもうすでに心身ともにヘトヘトになっていた。
「あーーっ、キッッッッッツい! スケジュールもきついけど服もキツい! なあゴフレ、せめて襟のボタンを外すか胸周りを縫い直してくれないか? これじゃあ呼吸困難で倒れちゃうよ!」
俺はさっきから椅子に座る俺の背後に立って髪に何個もビーズを結ぶ召使に話しかけた。彼は俺の衣装の着付けと髪型のセットを担当している召使で、今朝から俺が移動するたびに50個以上ビーズを付けたり外したりするという賽の河原のような苦行を繰り返している苦労人だ。身の回りの世話をする召使の中でも一番時間がかかる仕事をしているので自然と話しかける事も多かった。
「申し訳ありませんが陛下のご要望には一切お答えできません。着こなしはだらしなくならないようにトスカナ様に厳命されておりまし、今から針子を呼んでも縫い直しは間に合わないでしょう。窮屈さには慣れていただくしかありませんね」
「くぅ……じゃあ、そもそもなんでキチンと採寸した服がこんなにギチギチなんだ? これじゃまるで着るほうが服に体を合わせろと言わんばかりじゃないか。ゴフレよ、君ひょっとして採寸を間違えたか、服に女物のコルセットでも縫いこんであるんじゃないだろうな?」
俺は腕を動かしてなんとか服を緩めようと努力するが、窮屈な胴衣は体を動かすたびに獲物に撒きつくの大蛇のように体の自由を奪っていく。その息苦しさたるや"ひょっとしてこれ囚人に着せる拘束服じゃないの?"と思ってしまうほどだ。
「男物でも女物でも、良い服というのはそういうものです。単に色の付いた布というだけでなく、姿勢や体格を矯正して持ち主を立派で美しく見せる目的で作られているのですから。それにもしご令嬢方が貴方のこの晴れ姿をご覧になればきっと列を作って逢瀬のお誘いに来ますよ」
召使は胸を張って言った。
――この窮屈な服を我慢するだけで、モテモテになるだと?
俺はなるべくがっつかないように気をつけていたが、生憎自分の耳がピクピクと動くのは止められなかった。
「……本当に?」
「間違いありません。不肖この私、この15年間で千回以上の夜会に関わらせていただきましたが、これまで今夜の貴方に匹敵する男性など見たことがありません。あなたが社交の場に出れば女性なら初心な乙女から未亡人まで誰もが貴方様を求めて話しかけてくるでしょう」
「うーむ、そうかなぁ」
召使の自信を持った言葉に思わず唸ってしまう。さすがに長年貴族の相手をしているだけあってゴフレの言葉は少しオーバーだがお世辞としては一級品だ。
まあ確かに服は今更どうしようもないし、ここは我慢するか。
「でも、本当に今日はキツ過ぎる……。このままじゃ夜会の途中で寝ちゃいそうだ」
「……確かに今日の分刻みの予定はまだお若い陛下には少しばかり厳しいですな」
「それもこれも全部アイツのせいだ。全く、トスカナは何故あんな奴を推薦してきたんだか」
朝から緊張のしっぱなしで俺は既にグロッキーだった。
すでに日は沈みこの別荘には続々と人が集まり始めている。戴冠式は儀式の性質上、列席できるのはトルゴレオ王国の貴族だけだったが、この夜会にはそんな制限は無く、外国の使者を含む様々な重要人物が参加する予定なのだ。
せめてパレードか夜会のどちらかを明日にしてくれればよかったのに。
そんな風に俺が不満を召使にぶつけながら髪のセットを任せていると、夜会の時間まで誰も入ってこないはずの待機室の扉が急に開かれた。
ノックも無い突然の闖入者に俺と召使は驚いて振り返る。
「げぇっ、ナポリ!」
闖入者が誰か分かった途端、俺は思わず声を出して呻いた。
「これはこれは陛下。人が部屋に入った途端に"げぇっ"とは。あなたの国では平民にそのような卑しい挨拶を覚えさせるのですか? その上人を呼び捨てにするなど。確かにあなたはこの国の王であらせられますが、せめて年長者で教育係である私には敬意を払っていただかないと」
闖入者の老人は部屋に入るなり不快気に鼻を鳴らして言った。
この老人の名はナポリ・ルノー。トルゴレオの中部に領地を持つ侯爵だ。白髪交じりの銀髪を後ろに纏めて背筋をピシっと伸ばした彼の性格は老獪にして狡猾、そして傲慢で悪辣。こいつをイメージするには狐がぴったりだろう。長年要職についていたため国政に関するあらゆる分野に長けていて、その優秀さから国中の貴族の尊敬を集める人物ではあるのだが、俺からしてみれば弁が立つ上に立場を使って血統主義、保守主義、年功序列を容赦なく振りかざしてくるとんでもなく厄介な相手だ。
こいつとは知り合ってまだ数日
だが、俺はとにかくこの老人が苦手だった。
「……………………こんばんわ、ルノー侯爵」
俺は歯を食いしばりながら正しい挨拶を返した。
こんな奴、本来なら即刻田舎の閑職に飛ばしてやるのに。
「ご機嫌麗しゅう、国王陛下。……おや、何やらお疲れのように見えますが、ひょっとしてそんな顔で夜会に出席なさるおつもりですか? まったく嘆かわしい。来客の皆様に我が国の王の貧弱さが露呈してしまうではないですか」
「誰のせいでこんなに疲れていると思っているんだ!」
老人がしたり顔でそんなことをのたまうのを見て、思わず頭にかっと血が上る。
席を蹴って掴みかかろうとしたが、そのせいでようやく完成しかかっていたビーズがバラバラと落ちてゴフレが哀しげな悲鳴をあげたのでなんとか自分を抑えた。
「……なあ、ルノー侯爵。おまえが組んだ予定では戴冠式とパレードと夜会がこうして同じ日に入っているけど、歴代の王でそんな事をした人はいないと神官は言っていた。ひょっとしてわざわざ俺に余計な苦痛を与えようとしてるんじゃないだろうな?」
「まさか、本日の行動予定は緻密な計算の結果ですよ。太陽神殿で行う以上戴冠式は晴れの日に行われねばならず、パレードは民衆の話題が最も盛んな時期に、そして夜会は戴冠式と間を空けずに。そもそもあなたが戴冠式で改革政策を打ち出す、なんて無茶を言い出さなければここまで過密にする必要は無かったのですがね。貴族方があなたに刺激されて勘違いをして妙な共謀を企む前に、トスカナ殿や私が直接話して協力を取り付ける必要があったのです」
「ぐぅ……」
その言い様はなんだか大人が子供を言い伏せる理屈のようで余計に腹が立つが、今までこいつと言い争って勝てた試しがないので俺は歯を食いしばるしかなかった。
「……で、その緻密な行動予定を作ってくださったルノー侯爵が何故ここにいるんだ?」
「何、貴族方を集めた夜会開く以上、主催側で何か問題が起こっていないか確認に来たのですよ。なんといっても上流階級としての教育を受けていない若者というのが、どんな無分別な行動を取るのか私には想像もつきませんからな」
「ルノー侯爵! それはいくらなんでも国王陛下に対して不敬なのではないですか!?」
俺とナポリの事情を知らないゴフレは思わずビーズを結ぶ手を止めて叫んだ。
「使用人は黙っていなさい。私はこの国の摂政兼宰相としてトスカナ内務卿から国王陛下の教育に関する全権を預けられているのだ。お前が立ち入っていい話ではない。……おっとそうだ。陛下、申し送れましたがこの私本日を持って摂政職に加えてトルゴレオ王国の宰相職を拝命いたしました。3卿制になって以来、宰相職の任命はかれこれ100年ぶりになりますが……まあ国の代表である国王陛下が経験不足ではいた仕方ありませんな」
どこまで嫌味なんだコイツ。
「……ルノー侯爵、俺への用事は済んだだろう。いい加減出ていってくれないか。見ての通り俺とゴフレは準備で忙しいんだ」
「そのようですな。ただ戻る前に陛下に一つだけ申し上げておきます。どうか今夜はこれ以上貴族方に敵をお作りになられないよう。でないと貴方は今度こそ国王の座をを追われる事になりますよ」
ナポリは最後にハッキリと俺に釘を刺すと、貴族のお手本のような堂々とした動作で扉を出て行った。バタンという音を聞いて安心して脱力するのも束の間、ムカムカと胸の奥から怒りがこみ上げてくる。
俺はゴフレがビーズを結び終えるのを待ってから立ち上がって椅子を蹴り飛ばした。
「ああぁ~~~~、最悪だっ!! 宰相だって? これで公私ともにあいつと顔を突き合わさなきゃならんじゃないか! しかもあの捨て台詞! 俺を追い落としたい貴族の筆頭って絶対お前だろ! ……くそぅ!! 同じ側近ならいっそ影武者にでもして暗殺者の群れに放り込んでやりたい!」
いや、毒見役に任命するのもいいな。あとは料理長に激辛料理でも作らせれば……
「陛下。何故彼にあのような大きな態度を取らせるのですか? いくら優秀な侯爵でもあのような無礼を働くような者は解雇してしまうべきです」
ゴフレはやや憤慨しながら言った。対して俺はイライラを隠そうともせずに答える。
「俺だってナポリは嫌いだ。けど解雇はできないんだ」
「できないことなどあるものですか。貴方はこの国の王なのですよ!」
「トスカナが絶対に首を縦に振らないんだ。俺がトスカナに直談判に行ったら"彼はこの国にとって絶対に必要な人材です。それを陛下に分かっていただけないのなら、私は職を辞しさせていただきます"だってさ!」
「それは……確かに難しいですな。しかし、何故? あの陛下に心酔しておられるトスカナ様がそこまで頑に……」
ゴフレは顎をさすりながら考え込んだ。
トスカナは見た目は小物っぽいおっさんだが経済界では言わずと知れた辣腕大臣だ。それはトルゴレオで15年前にあったという経済危機を乗り切ったことからも明らかだし、今だって本来なら地震災害と戦争費用のダブルパンチでいつノックアウトしてもおかしくないこの国の経済が回っているのもトスカナが行っている様々な政策のおかげだ。
自慢じゃないが俺はまだこの国の経営や法律のことはほとんど分からない。加えて有望な人材もいない今、トスカナが内務卿を辞めてしまうと途端にトルゴレオは崩壊の危機に陥ってしまうのである。
「まったく……最初は軍事、外交、内政の全てが揃ったエキスパートだと紹介されたんだ。俺はまだ字も読めなくて仕事はできないし、トスカナは軍事はからっきし、そして外務卿のナントカ公爵が仕事に復帰できない以上こういう人間をあなたの補佐につける必要がありますってさ。そりゃ、実際にナポリの仕事ぶりは完璧さ。でもいくらなんでもあんな性悪の爺さんを側近にするなんてトスカナもあんまりじゃないか」
「いえ、……そうとも言えません。今思い出しましたのですがルノー侯爵といえば長年トスカナ様と共にこのトルゴレオ王国を支え続けてきた言わばトスカナ様の相棒のような存在だったはず。ここ数年はお年のために引退していましたが、現役時代は悪政と腐敗のはびこる貴族主義者達に対して改革派として宮廷政治に携わり続けたと聞いています」
「はぁぁぁ~~っ!? 改革派? 反貴族主義? 何それ、まったくの別人じゃないか! じゃあ何か、俺が目にしていたのはそっくりさんか偽者なんじゃないか?」
「あくまで市井や夜会で流れていた噂ですから……。ただ私にはルノー侯爵のあなたに対する態度はどうも不自然に思えます」
「不自然? どういうことだ?」
「いえ……言葉にするのは難しいのですが……」
「ふーん」
うんうんと唸り始めるゴフレ。
結局、答えは出ないまま夜会の時間が来てしまい、俺は不機嫌なまま夜会に入場することになった。
******
夜会に無事入場を果たしてすぐ俺は早速辺りを見回して目的の人物を探す。
(――いた。あれがバルド帝国のデュオ大使、そして隣にいるじいさんが神聖連合のマル神父か)
見つけたのはターバンを巻き深い青のゆったりとした布を纏った――元の世界で言うイスラム文化のような服装の――男と紺色の法衣の上に刺繍の入った赤い前掛けを着た髭の長い老人。
二人の正装は明らかに周りとは文化が違う事を示していたし、あらかじめ教えられていた通りの風体をしていたため探すのは簡単だった。
彼らはトルゴレオに比較的近い位置にある大国の外交官(マル神父は外交官ではないが同じような役割を果たしている)で、今回の夜会を開いたのは俺を彼らに会わせるためといっても過言ではない。
俺は小間使いのお盆から飲み物を受け取ると予行どおりなるべく気軽な風を装って二人に近づこうとする。が、
「あの、シュージ陛下!」
「ご機嫌麗しゅう、国王陛下!」
声をかけて走り寄ってきたのはトルゴレオの貴族令嬢らしい二人の少女。年は俺より二つか三つくらい下だろう。姉妹ではないようだが二人とも綺麗なドレスを着ていてそれなりに可愛い容姿をしている。
「ああ、こんばんわ。ええっと、君達は……?」
「はい、私達は――」
二人のうち、オレンジ色のドレスを着た娘が前へ出て二人分の自己紹介をしてくれた。
どうやら二人は南部の辺境に領地を持つ男爵と子爵の令嬢で、わざわざこの夜会に出席するために父親についてここまで来てくれたらしい。
(……けど、南部の貴族と言えばほとんど俺を目の敵にしているはずだ)
女性でまだ子供とはいえ貴族は貴族。今朝もオブイェークトとかいう男爵を敵に回したばかりだし、ひょっとしたら父親の代わりに嫌味を言いに来たのかもしれない。
そう思って固い態度で構えるが二人の反応は俺の予想を大きく裏切る物だった。
彼女達はキャイキャイと黄色い声をあげ、最近の天気の話や戦勝のお祝いを述べたりと知らない人が見たら芸能人のファンか何かに見えるぐらいはしゃいでいたのだ。
「――あの、陛下! よろしければもう少し近くでお顔を拝見してもよろしいですか?」
「あ、ずるいわ! 私もよろしいでしょうか、陛下?」
「え? はぁ、別に構わないけど……」
許可を与えるが早いか、二人はいきなり背伸びをして競うように顔を近付けてくる。少女特有の甘い息を感じられるような距離で、2対の潤んだ視線が俺の顔を上から下へと絡み付いてくる。加えて二人は俺に寄りかかるように背伸びをしてくるので、密着してくる二人の体が実に悩ましかった。
「あぁ……本当にお噂通りだわ」
「お召し物も良く似合っておいでです、陛下。これを見て"未開地からきた蛮人"だなんて……大人達が言っていたことは嘘っぱちね」
二人は見るだけでは飽き足らず髪や頬まで触りだした。
「あの、褒めてくれるのは嬉しいんだけど、そろそろ……」
そろそろ離してくれないとさっきの二人の大使を見失ってしまいそうだ。
二人は一瞬だけ不満そうな顔をしたが、体を離す際にポケットに何かをねじ込んでからようやく離れた。
「ありがとうございました!」
「私達、しばらくこの町にいますから、その……お返事くださいね」
二人は頬に朱を刺しながらお辞儀するとその場を去っていく。
俺はやや呆然としながらポケットにねじ込まれた物を確認した。
「封筒……?」
ハッ、もしやこれはラブレター!?
ひょっとしてこちらでは靴箱じゃなくて直接本人のポケットに入れておくのがメジャーなのだろうか。
「……っと、イヤイヤ。今は大使に会わなきゃ」
ラブレターの返事ならいつでもできる。
どうにか雑念と未練を振り切って今度こそ、と足を踏み出した所。
「あら、国王陛下ではありませんか。ねぇ、ちょっとよろしいかしら?」
今度は深いスリットの入ったドレスを着たムチムチの年上お姉さんが俺を呼び止めた。
「えーーと、ごめんなさい。ちょっと今は……」
「ふーん……そうですか」
俺のやんわりとした断りに、女性は唇を尖らせる。
だがそのまま諦めるでも無くクネクネと腰つきを強調したパリコレモデルような歩き方で近寄って、さっきの二人と同じように吐息がかかるくらいに顔を寄せると、またしても俺の上着のポケットには封筒がねじ込まれた。
「ふふっ、では今度は陛下の都合の良い時間にお会いしましょう。できればもっと遅くに。明け方までね♪」
女性は真っ赤なルージュを引いた唇から艶っぽい声を耳元に吹きかけて去っていった。
この短時間にラブレターが三通……なんなんだ? これがゴフレの言っていたモテ期なのか?
もしやと思い、チラリと辺りを見回せば辺りからは無数の熱っぽい視線が帰ってくる。
目が合ったことで均衡が崩れたのか、やがて一人二人とこちらに向かってくる。
「「「「「陛下!!」」」」
(……はは、――うははははは♪ もう大使とかどうでもいいや!)
******
「……ひょっとして俺は天然無意識系イケメンキャラだったのか?」
ポケットを封筒でパンパンにして準備室に戻った俺は一人呟いた。
俺を囲んできた女性達は案の定、皆それぞれ用意していた手紙をポケットに捻じ込もうとしてきたのだが、数十におよぶ封筒が全て入るわけも無く、仕方なく一旦さきほどの準備室まで撤退したのだ。
「に、し、ろ、は、と……ざっと40通くらいか? うははっ、こりゃ一人ずつデートするだけでも2ヶ月かかるな!」
封筒をめくりながら、頬が緩むのが止められなかった。
あいかわらずトルゴレオ文字はほとんど読めないがピンクやらハートマークが乱舞する手紙といえばラブレターに間違いない。
予想より遥かに激しいが本当にゴフレの言った通りになった。確信を得て俺は大きくガッツポーズ。
俺始まった! 俺の愛とニクヨクと青春の日々はここから始まるんだ!
「忠告しておきますが」
「ひぃっ!!」
無人だと思っていた空間で突然声をかけられて俺は思わず悲鳴をあげる。
声の主はリグレッタだった。
レースをあしらった淡いグリーンのドレスに同色の長手袋、いつもはツーテールにしている銀鎖のような髪をオパールのアクセサリーでアップにしてその他幾つかの宝石を身に纏っている。
健康的でやや幼く見える普段とは違い、髪形を変え入念に化粧を施したリグレッタはあれだけの美女を拝んだ後でも素晴らしく綺麗に見えたが、ただ一つ。ひどい軽蔑と失望を露わにして見下してくる視線がリグレッタの全てを俺にとって残念な感じに纏めていた。
「返事を書いてはいけませんよ。例えそれが断りの手紙だとしても王城の衛兵は貴方からの個人的な手紙を持った女性があなたの寝所へ入る事を止めようとはしませんし、好意的な返事を書けば噂はすぐに国内中に広がるでしょう」
「リ、リ、リ、リグレッタ!?いつからそこに?」
「あなたがニヤニヤしながら"ひょっとして俺は天然無意識イケメンキャラだったのか?"なんて言っていた辺りからです」
「ギャーーッ! 最初からかよ! 声くらいかけろよ!」
この前もこんなことあったよね!
「……全く。あなたがソワソワしながら準備室へ向かうから何事かと思って尾けてみれば。まさか仕事を忘れてデートの予定を立てているなんて」
ヤレヤレといった感じで首を振るリグレッタ。
「な、なんだよ。別にいいだろ。こっちはラブレターをもらったんだぜ? 本気のお付き合いはともかく、ちょっと遊ぶくらい……」
「遊ぶだけでは済みませんよ。一度でも二人きりで会えば、彼女達は間違いなく寝所に忍び込んでくるでしょう。皆あなたの右眼が欲しいのですから」
「右眼?」
眼=アイボール。当然だが眼球とは人体の一部で取り外したり貸し借りできる物ではない。
他に解釈のしようを考えるが、生憎俺はどうしても以前見たグロ映画しか思い出してしまう。
いや、リグレッタよ。あそこにいた全員が猟奇殺人者だってのはさすがに嘘だろ。
「あの娘達は貴方との文通や恋愛に興味はありません。単純に政治的理由から既成事実を狙っている場合もありますが、彼女達が貴方に近づいたのはあなたのような特別な眼を持った子供を産みたいからですよ」
「こ、子供!? 恋愛とか結婚を飛ばしていきなり子供っ……?」
や、勿論子供を作る過程には大いに興味があるが。
女の子ってそういう事を男以上に忌避するものだと思っていた。
「男女では出産の価値観が違うのです。特に私達貴族の女性というのは自分の容姿に関してはこだわりと自信を持っています。美しい自分が産む子供は当然、美しくなければならない。大方、あなたとの間に子を成せば自分の容姿に加えて世界に一人しかいない特別なしるしを受け継ぐ子供ができるだろう、と考えているのでしょう」
ついでに王位継承権にも食い込めますしね。とリグレッタはつけ加えた。
「俺の価値は眼と地位だけかよ……」
なんだか急に疲れが押し寄せてガックリときた。
というかこの右眼は俺にかけられた何らかの魔法の結果であって遺伝する形質ではない。
だがリグレッタの話には確かに思い当ることもあった。さっきの会場内で寄ってきた女性達、そういえば皆やたらと俺に顔を近付けていた。あれは今考えれば噂で聞いた俺の目を確認するためだったのだろう。
愛情を持ってくれるのならいい。一目惚れみたいな一時の感情でもいいし、十歩譲って"顔だけで選びました!"と言われてもまだ我慢できる。でも"あなたの遺伝子の右眼部分だけが欲しいんです! ついでに王位継承権も"なんてのはさすがに無いな。
こう見えても俺は高校では純情少年で通ってたんだ。
「ゴホン……ま、まあ、私は令嬢達と違って人を見る目がありますから。眼や地位以外にも陛下の長所を認める事も吝かではありませんが……その最近の貴方の頑張り……とか……」
ツンとすましながらも半眼でこちらを伺うという奇妙な表情でリグレッタが言った。心なしか顔が赤い。
あのリグレッタが人を褒めるのは珍しいな。いや、それぐらい俺が落ち込んで見えたという事か。
今まで鬼女だとばかり思っていたが彼女にも一応人を気遣う心を持っていたのだ。
「ハハッ、リグレッタはお世辞が下手だな。でもありがとう」
「なっ――――!? ………………もう、あなたという人は!」
俺は俺なりにリグレッタの気遣いを労ったつもりだが、一体彼女はどう受け取ったのか。せっかくそこそこ上機嫌だった表情をいつもの不機嫌に戻してこちらを睨みつけた。
うんうん。やはりいつものリグレッタ…………いや、なんだかいつもよりちょっと怖い。
「あーー、でもどうしよう。俺今日中に外国の大使に接触しなきゃいけないんだけど、外に出たらまた手紙攻勢だろう? またあんな人数に囲まれたら身動きが取れないよ」
「行くしかないでしょう。幸い、手紙さえ受け取ってもらえれば彼女達は満足するのですから。なるべく失礼にならないように断りながら進んで――っとちょっと待ってください。襟が乱れてますよ。それに折角の髪も解けそう」
リグレッタはそう言うとこちらへ駆け寄ってテキパキと俺の身だしなみを整え始めた。
彼女の手際のおかげで服装はすぐに元通りになるが、作業が終わってもリグレッタはすぐには俺を放さない。そのままグイっとこちらの襟を引き寄せるとなんと会場の女の子達と同じように俺を至近から鋭い眼で観察し始めた。
「な、何?」
「やはりティアやアンの言ったとおりだわ……」
よく聞こえないが何やら口内でゴニョゴニョと呟いているようだ。
「……ちょっと格好良くなってる……顔つきも体つきも……俄かファンができる訳だわ。チッ、お父様ったら。こんなことならこんな良い服じゃなくてチャバネゴキブリの着ぐるみでも着せておけばよかった……」
「あの、リグレッタさん?」
至近距離から物凄い形相で睨まれる事に耐えられなくなった俺が声をかけると、彼女はようやく俺の服装に満足がいったのか再び距離を取って居住まいを正した。
「……気が変わりました、陛下。会場では私が傍にいて露払いをしてあげましょう」
「は?」
「だ、だから、私があなたのパートナー役を勤めてあげると言っているんです!」
そういうと彼女はスッと手袋をした右手を俺のほうへ差し出した。これは夜会でエスコートする男性に対して腕を組めという意思表示だが相当恥ずかしいのか、今度ははっきりとわかるくらい顔が赤くなっている。
「ええ~? パートナー?」
「なんですか、その反応は!! 私では不満だとでも?」
侮辱されたと感じたリグレッタは眼を三角にして俺を睨みつけた。
「やっ、そうじゃなくて。俺はさっきまでずっと何十人もの女の子達に囲まれてたんだぜ。皆目的があって俺に接近しているなら、今更一人増えたくらいで皆が遠慮するとは思えないんだけど」
「ああ、そんなこと。大丈夫ですよ。彼女達は私が隣にいる限りあなたには近寄ってきません」
いるだけで女が寄ってこないだなんて、なんだか蚊取り線香みたいな女だな……。
「……ひょっとしてリグレッタって同性に嫌われるタイプ?」
「違います。不憫そうな眼でこちらを見ないでください」
「じゃあなんでリグレッタが一緒にいると女の子が寄って来ないのさ?」
俺が改めて聞くと彼女は胸を張ってえらく鼻高々に言い放った。
「決まっているでしょう? 私が一番美人だからです。いくらがめつい女達とはいえ、狙っている男の前で格上の女と並ぶ度胸のある女なんていませんよ」
「………………」
予想の斜め上を行く返答に思わずリグレッタを見返したが彼女は"どうだ"と言わんばかりの表情をし、その深緑の瞳を溢れんばかりの自信で宝石のごとく輝かせている。冗談を言っている様子はない。彼女は本当に自分の容姿に絶対の自信とプライドを持ってこう断言しているのだ。
(この性格さえ無ければ素直に好感が持てるのになぁ)
「おわかりいただけましたか? では時間も無いことですし、さっさと会場に戻りましょう」
「ああ、よろしく――いえ、よろしくお願いします、レディ」
再び差し出された手を俺は紳士の作法通りに腰を曲げて恭しく受け取る。
「フフッ、ええ。よろしくお願いしますね、陛下」
俺のちょっとした悪戯にリグレッタは少女らしい優しい笑顔になって腕を絡めた。そのまま、仲良しのカップルのように二人で手を繋いだまま準備室を出て再び夜会の会場へ向かう。無人の廊下では上機嫌のリグレッタのハミングだけが響いていた。
(さっきはああ思ったけど、やっぱりリグレッタのこういう性格も悪くないかもしれないな)
さきほどは自信過剰に思えたが、不機嫌でさえなければリグレッタはそこらの貴族令嬢よりずっと綺麗なのだ。俺は男だから世の女性が美しくなるためにどんな努力をしているのかあまり知らないが、現にリグレッタがこうして自信に見合うだけの魅力を持っているのならたまには男として素直に賞賛の言葉を――
「ああ、そうだわ陛下。会場に入る前にもう一つ忠告をしておきます」
「え?」
「私がパートナーになった以上、他の女性に鼻の下を伸ばすような事は許しません。色目を使う事も目移りする事も厳禁です。破ったら……そうですね。さっきのあなたの独り言を会う人皆に言いふらしますからね」
「………………」
いや、やっぱりこの性格は無いな。