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オールトの巣(4)

44、彗星の巣


***ティア・エイブラムス***


「パルファムに帰ったはずの親父殿はあの日、キスレヴとの決戦が行われるであろう戦場に剛竜兵から生き残った5千の騎兵と共にいた。恐らく部隊の秘匿には随分苦労したんだろう。何せエンローム軍にとってはキスレヴ軍もトルゴレオ軍も敵。でもさいわい、平原は森に囲まれていたし、キスレヴの動向に注目していた青獅子騎士団も詳しくは調査しなかった」

「……そうだ。あの日は動員できた騎士が少なく、戦場全域の諜報を行うことは不可能だった」


 アダスが静かに頷いた。


「親父殿の作戦は単純にして巧妙だった。キスレヴ軍が優勢ならば兵力を出し切る瞬間、つまり敵がシュージに止めを刺そうとした時にキスレヴ軍の司令官を背後から騎士達で強襲する。逆にもし万が一トルゴレオ軍が優勢であれば、魔法でシュージを殺しトルゴレオ軍を瓦解させてキスレヴ軍を本陣から誘き出してから強襲する予定だった。要するに漁夫の利を狙ったんだ。どちらにせよシュージは殺し、国を救った英雄となった親父殿が国王として即位する予定だった」


 親父殿は苦々しげにこちらを睨んでいる。この表情、どうやら正解のようだな。


「どちらにしてもあの日、シュージは死ぬはずだった。だから事前に用意された布告であいつは死んだ事になっていたんだよ」


「で、でもティアちゃん! 実際、あの戦闘にはエンローム侯爵の騎兵部隊なんて現れなかったよ!」


 アンキシェッタが当然の疑問を挟んだ。


「それはトルゴレオ軍とキスレヴ軍との戦況が極めて微妙だったからだ。あの戦ではシュージのスペイン方陣もキスレヴの大部隊もなかなか決定打が無く持久戦に陥っていた。親父殿が戦況をコントロールしようにもシュージを殺すはずの魔法は何故かうまくいかないし、手薄になる事を期待していたキスレヴ側も極限まで消耗したせいで部隊を休み休み本陣から出す始末。それは日暮れにトルゴレオ軍が瓦解した後も同じで、キスレヴの本陣は疲労した兵士達が集まっていて強襲できず、シュージは森の中へ逃げてしまって行方不明。結局、親父殿の連れてきた5千の軍勢は何もすることができず、誰にもその存在を知られる事無くその日は撤退していったというわけだ」


 その状況は親父殿には予想外で最悪な物だったに違いない。

 もしシュージの軍略がもう少し弱ければキスレヴ軍は防御を崩すためにもっと大胆に兵を動かせたし、もしシュージがあと2千人でも多く兵士を揃えてキスレヴを倒したなら、例えメディエイターの魔法が発動しなくても戦闘終了後に捕らえてこっそり殺してしまえばいい。

 だが現実にはそうはならなかった。魔法というアテは外れ、戦況はいつどちらかが崩壊してもおかしくないギリギリの所を行き来し、最後はキスレヴが防御を残したまま戦に勝ってしまったのだ。

 そして戦功を得られなかった自分に残ったのは戦後の政治基盤になるはずの上級貴族からの不信と、有名無実な国王即位の布告。

 完璧にして巧妙だったはずの作戦は一転して自分の首を絞める縄に変わった。


「あの、じゃあそもそも何故エンローム侯爵はシュージ様を殺せなかったの? だって今だってシュージ様はこんなに苦しんでいるのに……」


「お前達、覚えているか? あの日私達を率いて戦っていたのはシュージであってシュージじゃない。こいつのファントムがシュージの体を乗っ取っていた」


「え、でも……あれ? それでもシュージ様であることには変わりないですよね? あのファントムがなにか変だと言っても結局、ファントムは人間の一部なんだし……」


「ああ、実際あの変わり身には肉体的な変化はほとんど無い。だがメディエイターにとって重要なのは内面の変化だった。恐らくだがな、メディエイターの魔法は女には通じないんだよ」


 どんな理屈かは知らないがな。


「女には通じない……」


 アンキシェッタは言葉を反芻して少し考えた。


「……じゃあファントムが、シュージ様の身代わりになった? 彼女はキスレヴ軍からじゃなくてエンローム侯爵からシュージ様を守っていたってこと……?」


「あるいは両方から、だな。あの戦はあの兵士を奮い起こす能力無しではとてもあそこまで持っていけなかった。だが能力を使ったせいでファントムは急速に消耗し、戦闘の最後にメディエイターの魔法がシュージに進入するのを防げなかった。――そうなんだろう? シュージのファントム?」


『…………フフッ』


 と、可愛らしい笑い声が足元から響いた。

 全員の注意が蹲っているシュージの方へ向く。彼は相変わらずアンキシェッタに介抱されながらうずくまってたが、その体にはいつのまにか黒い霞のようなものが纏わりついていた。


『フ、アハハハハ! 正解よ、ティア! よくもまあ、あれっぽっちの情報でここまで推理できたわね! 勘がいいのかしら』


 私の問いかけに答えたのは少女の声。

 直後、アッと驚く間も無く炎が燃えるような音がして、シュージの全身から黒い煙が吐き出される。黒い煙はシュージのすぐ上でフワフワと漂ったかと思うと徐々に人間の形に纏まり、やがて少女の輪郭をそこに映した。

 少女の容姿は以前シュージが言っていたように、12,3歳くらいで腰まである長くつややかな髪とシュージと同じ黒い瞳だ。よく見ると瞳だけでなく目元も、鼻も、それどころか顔全体の造りがシュージに似ている。年齢差を考慮しなければ双子と言っても通じる程だ。彼女が纏っている白い布に穴を空けただけのワンピースは華美とは言えないが、変色や染みどころか皺一つ無い恐ろしく潔癖な代物だった。


『初めましての方は初めまして。いつもお世話になっています。コイツのファントムです』


「幻影……? いや、直接脳に映像を送るのなら幻覚ですか。声はシュージ陛下の口から発しているのですね」


 レッタが興味深そうに言った。


『ん、リグレッタも正解。ほら、私って実体無いからさ。今はあんた達のファントムを操って直接網膜に姿を映してんのよね』


「これだけの人数のファントムを手玉に取るとは……あなたは一体何者なのですか? ファントムと言っても要するに、所詮は人間が自分の意思で管理できない不随意筋や防衛本能を司るただ機能でしかありません。それなのに、あなたはこうして話したり、他人の身体機能に手を加えたりしている」


『私はコイツのファントム。それは間違いないわ。ただ私達が生まれた世界のカミサマって人間の死後、魔法の使用で劣化した魂を受け取るのが大っっっっっっ嫌いだったから。万が一にも魔法を使える"魔術師"なんて人種が発生しないよう、自分が作る人間には飛び切り強力なファントムでプロテクトを掛けたのよね』


 人間が魔法を使う場合、魔法の行使は本人がイメージした超常現象の発動と引き換えに心を磨耗させ魂を劣化させる。劣化といってもその変化は本当に僅かなのだが(例えるのならダイヤモンドにヤスリを一撫でする程度のものだ)それでもダメージは魂から心まで届き、人間は精神に甚大な被害を受ける。そういった事を防ぐためにファントムは人間の意志が直接心魂にアクセスできないように抑制リミッターをかけて人間が魔法を使うのを防いでいるのだが、その抑制も極度のストレスや体調不良などでファントムがよわったり、あるいは想定以上の強さの意志を持つ人間によって破られると体の持ち主に心魂へと繋がる鍵である<鍵呪文>を許してしまうことがある。

 魔術師とは何らかの理由で鍵呪文を会得し何度も心魂へのアクセスを経験してことによって、魔法とファントムをコントロールできるようになった人間の事を言うのだ。

 つまり彼女の言う強化されたファントムとは死ぬ寸前まで弱るか、不世出の意志の強さを持ちだしたとしても、肉体の所有者の意志から心魂への干渉を防ぐ程の性能を持たされているということになる。


「……なるほど、陛下の居た世界に魔法が無かったのはそういうことだったのですね」


『そうそう。だから今まで私の能力の殆どは魔法の行使の阻止に使われていたんだけど~、向こうと違ってこの世界のカミサマは魂の管理に関しては寛容みたいだからね。ニャハハ、仕事サボってこうして出てきちゃった♪』


「か、彼と同一人物とは思えない性格ですね……」


 汗ジトのレッタ。

 そしてその様子を冷静に見ていられなかった人物が一人いた。


「さっきから儂を無視しおって……ふざけるな! お前が! お前さえ邪魔をしなければ儂はっ!」


 先程から会話に加われなくなっていた親父殿が叫んだ。


『あー、ヤダヤダ。これだから加齢臭プンプンたるおっさんは。若いの話に入れないとすぐそうやって大声出すんだから』


 その様子にファントムは顔を顰めながらお手上げのポーズをとって首をフリフリ。


「なんだとっ!?」


『心配しなくても私だってあんたに用があるのよ、エンローム・エイブラムス。あんたが魔法を使うためにあの汚いジジイから渡された物を出しなさい』

 

「なっ―――! ………………なんのことだ?」


『……あぁん? 何、トボける気? 往生際が悪いって生き物としては美点だけどサ。あんまりウザいと私、短気だから殺しちゃうよ? どうせあのジジイも今更修司とパスなんて繋げてないしね。あんたさえ殺せばもうこの魔法を使う奴はいなくなる』


 可愛い頬をヒクつかせてファントムが親父殿を睨みつけた。邪気は無いが残酷な言動はシュージの気質の一部なのか、それとも分別を持たない年頃である幼い姿がそうさせているのか。

 どちらにせよ、彼女は暴力を必要とあれば振るう事を躊躇わないだろう。


「親父殿、何なのか知らないが出して貰おう。彼女は殺すといえばかならず殺すし、私はこれ以上自分の執務室の風通りを良くしたいとは思わない」


「く、……ぐ、……こ、断る」


 ここまで言ってもまだ渋る親父殿。……まさかここまで強情だとは思わなかった。

 そして宣言通り、短気な彼女の堪忍袋は10秒と持たなかった。


『へぇ……そんなに大事なんだ。いいわ。いいわよ。命より大事だってんなら地獄まで持って行かせてあげる。――――ねえ、そろそろ大丈夫でしょう? 立ちなさい修司。立ってコイツを殺すのよ』



 *** 主人公 ***


 俺が部屋に入った直後、


「<永阪修司ながさかしゅうじ>!!」


「え?」


「<―永阪修司! 死ぬほど苦しめ!―>」


 エンローム侯爵に名前を呼ばれた次の瞬間、目に火をつけられたような激痛が走った。

 それは以前キスレヴとの戦いの折に感じた急な激痛。俺はその意味を理解する間も無くあまりの痛みに叫びを上げて倒れた。


――痛いっ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!


 人生で二度目の、ウェイバーに腹を斬られた時よりも遥かに激しい痛みはその後何分も続いた。

 不幸だったのは自分がその痛みで気絶しなかったことだ。苦痛で意識が白くなってかき混ぜられたスープみたいになる度に侯爵の"死ぬほど苦しめ"という言葉が何度も頭の中で反響して意識を引き戻す。通常なら段々と慣れるはずの体の痛みはしかし時間が経つごとに恐ろしい拷問となって俺を苦しめ続けた。

 それが――


『立ちなさい修司。立ってコイツを殺すのよ』


 ――――ファントムのたった一言で覚醒させられたのだ。

 そして先程までは何一つとして満足に動かせなかった体もフラフラしながらもどうにか立ち上がった。

 まだ視界がボンヤリとして定まらない。頭からつま先まで不調を訴える体を、気合でなんとか押さえつけた。


「シュージ、しばらくは休んでいた方がいい」


『駄目よ、ティア。修司にサーベルを渡して頂戴。私達はエンロームを殺さなくちゃいけないの』


 俺の喉から女の声が……!?

 いや、これは前にも経験がある。俺のファントムが意思疎通をする時にこんな感じになるんだった。

 それよりも俺がエンロームを殺す?


「生きて捕まえるって約束だったのに……なんだってそんな話になっているんだ?」


『あーーーーーーーもうっ! イチイチ面倒くさいわね! ホラっ、私の記憶を見せてあげるから、10秒で理解しなさい!』


 彼女がそういうと俺の頭の中(同じ頭ではあるのだが、使っている部位が違うらしい)に俺が悶絶していた間のやり取りを流し込んでくる。


「な、なんだよこれ……! メディエイターの魔法? 俺の、暗殺……? 嘘だろ……!」


「……残念ながら、全て本当の事だ」


 ティアの断定をリグレッタやアンに確認すると、どちらも強い調子で頷く。

 俺を殺すための魔法、字が読めないのがバレた事、そして手柄を横取りするためだけに5000もの兵力を隠して持ち去った事。こっちに来てから今まで苦労した事、全てがこの男のせいだった。

 胸の辺りがマグマのような怒りが溜まり始める。

 視界の端でティアが申し訳なさそうに目を伏せたのが見えた。


『そうよ。この男のせいであなたはこんなゲームもネットも無い世界に連れてこられて、何度も死ぬ思いをして、そして戦争で数千人を殺すハメになったの。それだけじゃないわ。この男は今もあなたを殺すための魔法を手放そうとしない。今すぐ殺してしまわなければ、危険よ』


「でも、約束が……」


「シュージ、もういいんだ。私はもう親父殿を自分の肉親だとは思ってはいないし、生け捕りにして話を聞くという目的は果たした。それにどういうつもりか知らんがメディエイターの魔法は親父殿にとって命より大事らしい。そんな命ならお前の身の安全とは比べるべくもないさ」


 そういってティアは俺の手に無理矢理リグレッタのサーベルを握らせた。


「こうなる予感はしていたんだ。覚悟もある。お前は王としてするべきことをするんだ」


「でも……!」


『やらなきゃいけないのよ、修司。あんた、英雄になりたいんでしょう?』


 唐突にファントムが言った。


「え……?」


『思い出しなさい。あんたが大好きなゲームやネット小説に出ていた主人公はどうやって英雄になった?』


「それは……冒険をして、敵を倒して……」


 国民やあるいは人類のために、皆を脅かす魔王や邪神を倒して、そうやって英雄になっていったはずだ。


「その通り。魔物を殺して、敵の兵士を殺して、犯罪者を殺して、敵を殺して殺して殺して殺して、自分の周りの人間の敵をすっかり殺しまくって、それでようやく英雄と呼ばれるんじゃないの? エンローム・エイブラムスは反逆者だわ。彼を殺せば大勢の人間があなたの勝利を認める」


「でも! 何も今この場で殺さなくったっていいじゃないか! ティアの父親なんだぞ!」


『前に言いかけたでしょ? 私達にとってエンローム・エイブラムスは天敵。コイツだけは殺さなくてはいけないの。私が起きている時ならいいけど、もし万が一脱走されて寝ている間に不意打ちでもされたらどうするの? 私達、簡単に殺されちゃうのよ』


「うううう……」


 渡されたサーベルが重い。体中から冷や汗が滲み出して、ただでさえ低い体温をもっと押し下げていた。

 人を殺すのは初めてじゃない。ないけれど……衆人環視で、戦場でもない場所で人を殺すことがこんなに難しいなんて。

 俺は弱弱しい動作でサーベルを持ち上げる。

 チラリと目があったエンローム侯爵の顔は恐怖に染まっていた。


『修司! 英雄になりたいのなら一人でも多くの人間を殺しなさい! 私達は天才とか、特殊能力を持った物語の主人公じゃない。そんな人間が異世界で皆にたたえて貰うためには世のため、人のために敵を殺して、それを示してみんなに認めてもらうしかないのよ!』


 ファントムの言葉は説得のための言葉じゃない。彼女は全て俺から、俺自身が考えた事を口にしているに過ぎないのだ。自分から出た言葉であるが故に俺にはエンロームを殺す事に対する反論が全く浮かばない。

 そして心情的には賛成しているからこそ今こうして首の上でサーベルを振り上げる所まで来てしまった。


「……ティア、本当にいいのか?」


 俺は情けない声を出しながらティアに最終確認を試みた。


「シュージ、親父殿は私をレオスに置き去りにして身代わりにしようとした。お前が殺しても感謝こそすれ、私が恨む事は決してない」


 一縷の望みを賭けてティアに問いかけたが、帰ってきたのは極めて事務的な口調。

 周囲に居たリグレッタやアンにアダスもそれに同意した。

 この場でエンロームを生かそうなんて甘い事を考えているのは俺一人なのだ。


「くぅ……くそっ、なんでこんなことに……!」


 手がブルブルと震える。緊張で視界が白くなったり暗くなる。

 相手のことなんて考えるな。自分の事だけを考えていればいいんだ。

 自分の事……エンロームを殺したら、その後はどうしたらいいんだ? 首を拾うのか? いや、まずはサーベルを綺麗にしてリグレッタに返さなきゃ。血はどれくらい出る? 首から下はどう処理したらいいんだ? 返り血を浴びたら服の着替えだって必要だ。


『迷うな! やれ! 永阪修司! 私達が生き残るために、一つでも多くの命を奪え!』


「う…………う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」


 誤魔化しを看破され、背中を押された俺は獣のように吼えた。

 重力に逆らって支えていたサーベルを開放する。


――最後に、俺が殺す相手を見る――


 凄惨な光景が起こるのは間違いないというのに、リグレッタもアンもアダスも、この場の誰も目を放さない。全員が俺のために、自分もエンロームを殺した共犯者になろうとしている。


――傲岸不遜そのもの人間であったはずの目はまるで懐かしむように――


 サーベルは残像を引きながらまっすぐに振り下ろされる。これをうなじに当てれば、人間の首なんて簡単に切り落とせるだろう。


――ティアを―――


 軽い風切り音に続きドス、と重い音を立ててサーベルが振り切られた。


「………………」

「………………」

「………………」


 室内に沈黙が訪れる。あたりには数センチの髪束と、床板だった木屑が少し。だが、それだけだ。

 俺とファントムの怨嗟を受け、ティアからも絶縁を宣言されたエンローム・エイブラムスはまだ生きていた。


『あんた! なにしてんのよ!』


「……無理だよ。俺には、殺せない」


 自分の頬から汗と涙を垂らしながら俺は言った。

 事実だった。

 エンロームの最後の顔を見た瞬間、先程まで胸に滾っていた怒りの感情が溶けて無くなってしまったのだ。例え頼まれても、今からもう一度サーベルを振り上げて彼を殺すなんて不可能な事だ。


『……まさか、今更人を殺すのが怖いなんて言うんじゃないでしょうね?』


「……違う」


 確かにさっきファントムが言った事は真実だ。

 俺が圧倒的足りえない普通人である以上、英雄になるためには地道に戦果を示して皆の人気を得るしかない。俺は憧れた小説のヒーローのようになりたいし、そのためにはこれからも人を殺すことを忌避してはいけない。

 けど、この人は駄目だ


「シュージ……なんで……? どうして殺さないんだ? お前、自分の身が危ないんだぞ? わかっているのか?」


 ティアが渇いて掠れた声で言った。


「……わかってる」


「じゃあ、何故?」


「…………………………ティアの父親だから」


「……私は、親父殿と決別したと言ったはずだぞ」


「"親父殿"」


「何?」


「それでもティアはずっと"親父殿"って呼び続けていただろ。俺には最悪な人間ってイメージしかないけどさ、多分ティアにとっては良い思い出もある父親なんだ」


「……それは…………ただの習慣だ。意味など無い」


「それだけじゃない。最初にファントムがエンロームを殺すって言った時もこいつは本当にやるぞって最後通告してたよな。それに、そのシャツの裾についた皺。俺にサーベルを渡してからずっと自分の服を掴んでこらえていたんだろう?」


「あっ、それは、その、………………あぅ」


 ファザコンとは言わないまでも秘めていた父親への思慕の証拠を指摘されて、ティアは顔を赤らめて俯いた。

 そんなティアの様子になんというか……びっくりした。いつもクールでどこか達観したようなイメージのある彼女にまるで少女のような表情を見せられるとは思ってもみなかったのだ。


『修司、よく考えなさい!』


 そして再び自分の喉から迸る女の声。


「もう十分考えたよ。俺はこの人を殺さない。――例え自分の命を握られていても」


『私達の命だけの問題じゃないわ。こいつは5千人の兵を戦場に連れてきながらトルゴレオ側に参戦しなかったのよ。この場の人間ならともかく、一緒に戦った他の貴族達にはもうティアの監督不行き届きなんて言い訳は通用しない。今落とし前をつけないとティアにまで累が及ぶのよ。それでもいいの?』


「公式には今日、この場で処刑したことにする」


『そんなの、トルゴレオも私達も余計なリスクを背負い込むだけじゃない! そんなデタラメが通用すると思っているの!?』


「通用する! 俺が押し通すんだ! アダス、エンロームを誰にも見られずにここから連れ出せるか?」


 押して駄目なら更に押すしかない。俺の思考をパクれるファントムを相手に口げんかで勝つために主と従という立場を使って無理矢理我を通す。


「……可能だ。だが、連れ出した後はどうする?」


「宗教施設とか、別荘とか、どこか一生幽閉できそうな所に入れておいてくれ」


『修司!!』


「無駄だよ、ファントム。もう決めたんだ」俺はキッパリと断言した「俺は英雄になる。けど、それは自分のためだけじゃない。例え俺が悪人を全て殺して英雄になっても、それで周りの人を悲しませちゃ意味が無いんだ」


『強情な奴……。いつか後悔するわよ!』


 ファントムは苦々しげに捨て台詞を吐くと、少女の姿から再び黒い煙となって拡散し、この場から消え去った。



*******


「………………」

「………………」

「………………」


 ファントムが去った後、執務室には虚脱したような空気が流れていた。皆疲れていたし、今さっき起こった出来事に対して心の整理ができなかったのだ。


(でも、これで終わった)


 キスレヴから敗走してから約半月。レオス奪還のための最大の懸念だった南部の内乱はようやく全て解決した。俺の右目は相変わらず危うい爆弾のままだったが、エンロームさえ遠ざけておけば問題は無いはずだ。

 アダスが準備のために部屋を出てすぐ、今まで貝のように黙っていたエンロームが俺に頭を下げた。


「こぞ……いや、シュージ陛下。助命していただき感謝する」


「……悪いけどこれ以上譲歩はできないよ。釈放はできないし、今後ウェイバーや奥さんに会うのも禁止だ」


「いや、そのことはもういい。……あの状況で儂の命を助けてもらったのは。お礼というわけではないが、儂も誠意を示すためにメディエイターから渡された品について話しておきたいのだ」


 そう言うとエンロームは感謝の意を示すためにもう一度頭を垂れた。

 死を覚悟したせいで走馬灯でも見たのだろうか? あれほど傲慢だったエンロームが信じられないくらい素直になっていた。


「……そういえば、いよいよ殺される場面になっても渡そうとしなかったよな? 一応身体検査はさせて貰うけど、それってそんなに大事なものだったの?」


 よくよく考えてみれば不思議なことだ。エンロームはあれだけ王位や自分のプライドに執着していたはずなのに、あの場ではもはや用を成さない魔法のアイテムのために命を捨てようだなんて。

 エンロームはバツが悪そうに目線を逸らすと、ボソっと呟いた。


「………………儂のしりだ」


「……は?」


 尻? ケツ? ヒップ?


「……どういうこと?」


「儂の尻の中に例の品がある」


「……………………………………まさか、」


 ……まさか

 

 …………まさか まさか


 ………………ま さ か 、 こ の 展 開 は !!


「ま、まさか! まさかまさかまさか!! お、お、お、お、お、おおおおおおおおお前、俺に自分のしりをまさぐれって言うのかーーー!!!?」


 げええええええええええええぇぇぇぇぇぇ!!!

 信じらんねえ! 何だこの展開! なんで俺がそんな事を…………殺そう。やっぱり今殺そう!


「違うわい!!」


 俺が自己防衛のために先程のサーベルを掴もうとすると、エンロームが唾を飛ばしながら否定した。


「そう言われるのが嫌で儂は黙っておったんじゃ! メディエイターの奴はお前を従える魔法を使うには奴が持っている玉剣フロレスの欠片を直接体内に埋め込まなければならんと言ったのだ! 戦に出るのに10センチ近い物を手足に刺すのはまずい。かといって腹や胸は危険だから、仕方なく腰元から尻に突き刺して埋めたのだ」


「え……? 突き刺して埋めた? "に入れた"じゃなくて?」


 玉剣フロレスってのは確か以前ティアが話してくれた事があった。

 トルゴレオ王家にも2つ伝わっている、決して折れず曲がらない魔法の武器。決して壊れないはずなのに欠片、というのはよくわからないが、確か相性の良い魔術師なら玉剣フロレスによって通常とは違う魔法を扱えると言っていた。

 ならば体に埋め込むことで他人に力を分け与えることも可能かもしれない。


「でも問題のブツが玉剣の欠片だなんて……尚更黙っていた理由がわからないな。そりゃ、取り出すのは痛いだろうけどさ、死ぬよりマシだろ」


「……ならお前はこのメンツであの時、あの状況で尻を出して"どうぞここから取り出してください"と言えるか?」


 エンロームが神妙な顔つきで言った。


「ふむ……どうだろう?」


 言える、とは断言できない。少し考えてみるか。

 突然エンロームがズボンとパンツを脱いでそう言ったらファントムはなんと反応するだろうか。彼女は人間の肉体に関しては究極的といっていい位詳しいので摘出は容易なのは間違いない。しかしあの短気な性格を考慮すれば、間違いなくその場で取り出そうとしただろう。

 そうすると最初のシーンも変わってくる。

 俺は下半身丸出しのオッサンの前に立たされて、ファントムからこう言われるのだ。


『立ちなさい修司。立ってコイツのケツからそっと――』


 ……最悪だった。


「…………死んだ方がマシだな」


「だろう」


 お互い嫌な想像を共有したもの同士、エンロームとウンウンと頷きあった。なんだかここにきて初めてこのオッサンと分かり合えた気がする。

 一方、その様子を見ていた後ろの女性三人は溜息を吐き呆れ返ってこう言った。


「これだから男は……」

「男って奴は……」

「男の人って……」


「「「大馬鹿ね」」」




解答編終わりです。いやーいくつかフラグ回収するだけなのにこんなに苦労するとは。

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