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オールトの巣(3)

一身上の都合でドラゴリオンの漢字表記を『地竜兵』から『剛竜兵』に変更しました。なんか強そうになりましたね。

次の原稿は半分出来上がっているので更新は早くなります。

43、シンチレーション


***ティア・エイブラムス***


 エンローム侯爵軍と国王軍の対決があったというのにパルファムの街は案外平穏だった。

 ならず者の集まりということで心配していた民兵達の略奪もシュージから高額の報酬が約束されていた事と、憲兵代わりに配置していた赤獅子騎士団の活躍によりほとんど行われなかったし、何よりも戦の当事者であるエンローム侯爵が真っ先に逃げてくれたため治安組織や官僚の人員がまったく損なわれること無く接収できたのが大きかった。

 一万人を超す民兵達が娼婦組合ヒロインギルドや酒場に殺到しているおかげで街の治安は悪くなってはいたが、金持ちになった民兵達が豪遊することで起こった空前の特需とくじゅは住民達に領主わたしに文句を言う暇を与えなかったので今の所大きな問題にはなっていなかった。シュージから言い渡された"当主による親戚への監督不行き届き"に対する罰金として払った金貨7千枚の損失はかなりの痛手だったが、これだけ街が賑わえば幾割かは回収できるだろう。

 街はすでに今朝から滞在二日目になる民兵達を相手にするために食料や酒、周囲の町から臨時に集めた応援の娼婦などが入ってきている。馬車と人間の行列はさすがに夕方までには途切れたが、いっぱいの人と物資を詰め込まれた街は今やはちきれんばかりに活気を漲らせていた。

 その様子を私はボウッと屋敷の窓から街の様子を覗いていると庭に見慣れたツーテールが現れた。ここからではよく見えないが、何か大きな物を引き摺っている。


「ほぉ、やはり捕まえたか」


 レッタの奴が引き摺っていたのはボロ切れのようになった私の父親だ。本当に、あいつは徒歩で馬に乗った20人の男に追いつき捕まえたのだ。

 私は長年の習慣通りに手元のベルを鳴らし家令長を呼び出すと、レッタと親父殿をこの部屋まで案内するように命じる。我が家に40年以上仕え続けてくれている爺やは記憶よりもさらに老け込んでいるようだったが、相変わらず図ったように正確に結ばれたネクタイと優美で完璧な礼儀作法は変わっていなかった。


「ティア、ただいま戻りました」


「やあレッタ。どうやら親父殿がずいぶん苦労をかけたようだな」


「全くです。あんまり暴れるものだから、首だけにして持って帰ろうと思ったくらい」


 リグレッタが鼻を鳴らして不機嫌そうに言った。


「それはそれは。よく我慢したな。大の男を半日も引き摺ってくるなど、私なら自分の親でも耐えられん」


「帰りに味方の捜索部隊に合流して相乗りできなければそうしていたでしょうね。でもエンローム侯爵には皆さん聞きたいことがおありでしょう

から」


 そう言ってレッタがグイッと襟首を持ち上げると首を絞められた親父殿がうめき声を上げた。

 半月ぶりに見た私の父親は疲労で憔悴しきっており、あちこち剥がれた鎧と相まって見事なくらい敗残の将にふさわしい外見となっている。彼こそが、キスレヴの侵攻に混乱する首都レオスから5千の騎兵を連れ出し、その後シュージを死んだ者として勝手に王位継承を語った大罪人なのだ。


「お久しぶりです親父殿」


「お……おお、ティア、我が娘よ! 見ての通り私にはもう抵抗する力など残ってはいない。どうかこの女ドラゴンを追い出して、この哀れな父親の一生の願いを聞いておくれ」


 私の父親は震える手を私の方へ伸ばしながら本当に悲痛そうな声をあげた。


「……驚きました。本当に驚きました。親父殿ほど傲慢な人間でも命乞いの仕方は知っていたのですね。でもレッタはを追い出すのはお断りさせていただきます。親父殿にはキスレヴ侵攻の真相やその後の反乱に至った経緯ついてはっきりさせて頂きたいですし、それを後で一人一人説明し直すのはひどい手間ですからね」


「な、ならばあのこぞ――国王陛下もここへお呼びするべきだ! 彼にだって今回の顛末を知る権利があるし、私も直接申し開きをする機会が欲しい!」


「ふむ……」


 親父殿の言うことに理屈は通っている。だが一瞬だけ、ほんの一瞬だが彼の目が不穏に光ったのを私は見逃さなかった。

 相変わらず、油断のならない人のようだ。


「おい、レッタ。どうする?」


「……念のためアダスやアンも陛下と一緒にこの部屋に呼んでおきましょう。この4人なら何があっても対処できます。あと一応、上級貴族の方々はこの屋敷に近づけないように」


「なるほど。なんといっても貴族という奴は往生際が悪いからな。親父殿を奪還してもうひと頑張り、などと考える輩がいるかもしれん」


 私はもう一度手元のベルを鳴らすともう一度家令長を呼び出し用件を伝える。

 部屋にはまずアダスが、次いでアンキシェッタが入ってきたがシュージだけは所用で出かけていたので少し時間がかかるようだった。


「さて、親父殿。いろいろな聞きたいことがあります」


 ゴキゴキと指を鳴らして威圧するように父親に迫った。


「まずはティーゲル王と共に出撃したキスレヴ戦について話してもらいましょうか。そもそも、震災で国が危ないというのに何故キスレヴを攻めるのに賛同されたのですか?」


「待て、ティア! まだ国王陛下が来ておらぬぞ!」


 親父殿が唾を飛ばして叫んだ。


「生憎、彼は国王ですから。国王のために説明の手間を惜しまない人間など何人でもいるんですよ」


「くっ……!」


「さあ!」


 親父殿は脂汗を浮かべていた。

 一体全体、どうして親父殿はこれほどまでシュージの同席に拘るのだろう? 単なる時間稼ぎなのか、それとも暗殺でも企てているのか。

 どちらにせよこの場の誰も親父殿の好きにさせる気は無く、本人も周囲の殺気を敏感に察してポツポツと話始めた。


「……あれは西部の被害金額が出た日の会議だったか。交易の要である西部を失い復興まで10年は財政を圧迫し続けるとトスカナ内務卿が発言した後"キスレヴには今のトルゴレオの財政難を補って余りある財産がある"とティーゲル陛下がおっしゃったのだ」


「まさか。キスレヴは国家収入に応じて数割を我がトルゴレオに上納金を納めている国なのですよ。私もお義父様からキスレヴの国家収支を見せてもらったことがありますが、あの程度の歳入ではどうやりくりしても雀の涙ほどの物でしかありません」


 全く信じられない。と言った感じのリグレッタ。


「それはトスカナ内務卿を騙すため見せ掛けの国家収支だ。どれほどの額かはわからんが、あの国は上納金を誤魔化すためにもう何年も前からティーゲル王を含む外交関係者に賄賂を渡し続けていたのだ。私はそれを知っていたからキスレヴへの攻撃に賛成した」


「そんな! 下級の役人ならともかく、国王本人が賄賂を受け取り国家の利益を損なうなんて事が有り得るのですか!?」


「……いや。有り得るぞ、レッタ。ご存知の通りティーゲル前王の趣味は骨董品の蒐集しゅうしゅう。金はいくらあっても足りないはずだ。だがトルゴレオの国庫はトスカナ内務卿によって厳しく見張られていたし、15年前の破産寸前の状態から大陸一の富裕国家にまで経済を回復させたお前の父親には前王も強くは出られなかった」


「・・・それに、我々青獅子騎士団がキスレヴを調査することも嫌がって我々を遠ざけていた」


 合点がいったとばかりにアダスが頷いた。

 恐らく国王がキスレヴの歳入を隠していたのは本当だろう。

 レオスに侵攻してきた兵の数から言ってキスレヴの国力は西部を失った今の我が国と大差無いくらいのはずだ。どんな魔法を使ったのかは知らないがあの地震が起こった時点でキスレヴはティーゲル王の予想を遥かに超えるほどの強国になっていたのだ。


「そしてあの日キスレヴが持っているであろう豊かな財産を目当てに我々は国境線へ向かって侵攻した。前王は確かに向こう見ずではあったが、彼の作戦には十分な勝算はあったのだ。キスレヴはまだ徴兵を終えていなかったし、トルゴレオの軍団3万3千人は実戦経験こそ無かったが、全員が馬に乗り上質な装備を整えた勇者達だった。だが国境を越えた夜、夜営しているトルゴレオの陣地に約2千の"剛竜兵"《ドラゴリオン》が現れた」


「剛竜兵……」


 あまりに意外な名前の登場に部屋にいて話を聞いていた3人は静まり返った。唯一リグレッタだけは事前にこの事を聞きだしていたらしいが、それでも未だに納得しきれていないようだ。

 剛竜兵とはトルゴレオ王国が成立する遥か昔に起こった兵科で、2~3メートルの中型で飛行能力の無い"剛竜"と呼ばれる竜を用いた騎士を指す。鞍や手綱をつけられた竜に騎士がまたがって戦うという点において剛竜兵は馬に乗る騎士と変わらないのだが、この兵科と騎兵との最大の違いは肉食動物と草食動物の身体的ポテンシャルの差にあった。剛竜は馬よりも遥かに速く、そしてより長い距離を走ることができる。彼らの生息区域には別の大型の竜が侵入してくることもあるため、攻撃性が高く大型の竜の一撃にも耐えられる程鱗は硬い。勿論、その力は野生だけでなく戦場でも遺憾無く発揮され、彼らが生きていた当時の記録によれば力自慢の騎士の一撃でも彼らの皮膚を切り裂くことは難しく、逆に剛竜から攻撃を受ければ人間など鉄の鎧ごと食い破られると記されていた。この生き物、とにかく誰の手にも余るほど強いのだ。

 生物として反則的に強靭な剛竜だが、彼らには戦場で恐れられるさらにもう一つの要素があった。

 そもそもこの剛竜、馬や牛が主食なのである。馬の体には食物連鎖の下層に位置する生物として、この竜に対して先祖代々の恐怖が刻み付けられており、野生の馬は勿論、軍馬として訓練された馬ですら彼らの体臭や鳴き声を聞くだけでパニックを起こす。

 つまり剛竜兵とは戦場において"存在だけで騎兵を撃破し得る"という兵科としては究極の能力を持っているのだ。

 対して長年本格的な戦争から遠ざかっていたトルゴレオの軍編成は極端なまでに騎兵に偏っていた。


「なるほど。つまりあんなに被害が大きかったのは――」


「そうだ。トルゴレオ軍のほとんどの騎士はパニックに陥り暴走した自分の馬に轢き殺され、生き残った者も相手が剛竜兵だということを知らずに突撃しあっさりと返り討ちにされた。儂の部隊はその晩、風上に陣を張っていたため運よく難を逃れたが、相手が剛竜兵では戦う術など無かった。襲撃後、国王陛下の戦死の報を受け、周囲から潜んでいたキスレヴの騎兵や歩兵が包囲してくるのを見た儂は『勇猛にして典雅なる金虎撃滅超武装騎士団』と共に無事な兵士達を集め辛うじてレオスまで撤退したのだ」


「それでキスレヴ軍はほぼ無傷で我々を撃退したあげく1万頭以上の軍馬を手にいれ、今は首都を包囲しているわけですか。歴史的な……いえ、戦史上最大級の勝利ですね」


 無論、剛竜兵にも弱点はある。彼らの鉄より固い鱗も腹までは覆ってなかったし、肉食であるが故に補給と維持に莫大なコストがかかるのだ。だが夜襲を受けて満足に統制取れない軍団に一人一人弱点など教える暇は無いし、敵の国で補給を突いても大して成果は上げられない。

 撤退は仕方の無い判断だったと言える。


「しかし親父殿。あなたの話を信じないではないが、そうなるとまだ疑問が二つ残る。一つは剛竜はすでに100年以上前にこの大陸から絶滅したはずであることと、何故キスレヴはその最強の戦力である剛竜兵を肝心要のレオスへの攻撃に連れて来なかったのか、ということです」


「それは……儂にもわからん」親父殿はモゴモゴと言った。「剛竜はまだ生き残っていたのかもしれんし、もしかしたら全く別の竜かもしれない。レオスに連れてこなかったのは補給というより政治的な理由かもしれない。儂には何とも言えん」


「ふぅん……。まあ剛竜兵の真相はキスレヴと戦ってみることでしかわからないようですね。で、次はレオスに帰ってからのことを聞きたいのですが――」


 次の瞬間の展開はあまりに突然だった。


「――エンローム侯爵を捕まえたって本当か!!」

 

 連絡が遅れていたシュージが扉を蹴破るようにして入ってきたのだ。

 彼の登場があまりに突然だったため、部屋にいた全員が思考を切り替えられずほうけてしまう。

 だがただ一人だけ、彼を待ちわびた親父殿だけが待ちに待った好機の到来に目を輝かせて叫んだ。


「<永阪修司ながさかしゅうじ>!!」


「え?」


 それは彼の本名だった。初日に彼が名乗って以来誰も聞くことの無かったシュージの生来の名前。

 本来なら我々トルゴレオの人間には発音し難いはずの名前が、何故かエンローム侯爵の口から魔法の波動エコーと共に発せられたのだ。


「親父殿っ! 何を――!?」


「<―永阪修司! 死ぬほど苦しめ!―>」


「っ!?」


 危険を感じてレッタが親父殿の両腕を捻りあげる。

 だがその甲斐も虚しくエンローム侯爵は魔法を完成させてしまった。"鍵呪文"も"力ある意思の言葉"も無い出鱈目な魔法だったが、その意図と効果は見るまでも無かった。


「あ、あ、あ」


 シュージからピシッと何かが砕けるような音と黄金色の光が放たれる。右目を押さえた彼は続いて、この世の終わりのような絶叫を上げたのだ。

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

  

「陛下!!」


「シュージ様!? これ、あの時と同じ……!」


「クッククク、ハハハハハハハハハハ!! ざまあみろ、小僧! 奴隷の分際で主人に噛み付きおってからに!」


「エンローム、貴様ぁぁぁぁ!!」


「がぁっ!?」


 激昂したレッタが腕を封じられた親父殿の頬を強く殴る。

 口を切り血を噴き出した親父殿だったが、それでも笑いを止めることはなかった。


「グフッ、ごふっ! ……ハ、ハ、ハ。ハハハハハ! なかなかの忠誠心だ、トスカナの娘! だが、いいのか? 貴様らではポンコツになったこいつの戻し方など知るまい!」


「なら彼を治しなさい! 今すぐに!」


「ハ、誰が治すものか!」


 普段からは信じられないほど心を乱すレッタだったが、振り上げた二発目の拳が親父殿に届く前に私がその手を振り払った。


「止めろ、レッタ!」


「ティア!? あなた! いくらあなたの親でも、今回ばかりは――」


「違う! 冷静になれ。ここでこいつに死なれたら、本当にシュージを治す手立てが無くなるかもしれないんだぞ?」


「くっ、……ああああああああああああああ!」


 行き場を失くした拳は焦燥の念と共に壁に叩きつけられる。レッタの怒りを受けた壁は屋敷全体を揺るがす衝撃と共に壁紙と木片と漆喰を撒き散らし、人間大の大穴を私の執務室にこしらえた。轟音に驚いて下の階の使用人たちが騒ぎ始めるが、この部屋には誰も近づかないように言いつけてある。

 レッタはしばらく俯いていたが、キッと親父殿を一睨みすると近くの椅子に腕と足を組んで座った。

 一方、親父殿はレッタの膂力に驚いた様子も無く、袖で血を拭い立ち上がった。

 

「……ふん、やはりこんな男には狂犬のような女がお似合いだな。全く、こんな小僧に誑かされおって。そもそも、この男ではまともな王になどなれんというのが何故わからん」


「……王の資格ですか。では親父殿には何故シュージにそれが無いと言えるのでしょうか?」


 この時、私もレッタ同様ハラワタが煮えくり返る思いだったが、それでもあえて丁寧な口調を崩さずに話しかける。

 親父殿は昔から自分の世界に入りやすく、少しおだててこういった誘導尋問をすればいつも簡単に情報を話してくれるのだ。


「見たからだよ。レオスに来たメディエイターが私にこいつの全てを見せてくれたのだ」


「それはトスカナ殿が見たという勝利の光景のことですか?」


「違う。儂が見たのはこいつの頭の中の全てだ。こいつは怠惰で、臆病で、自分のことしか考えない最低の人間だということを儂は知っている」


「嘘だわ!」床に臥せっているシュージを庇いながらアンキシェッタがヒステリックに叫んだ。「彼は優しいんです! 勇敢で、人助けのために行動できる人よ!」


「ハッ、それはそれは」


 今にも泣き崩れそうなアンとは対照的に親父殿は段々と余裕を取り戻していく。

 人を見下し、罵倒する心底胸の悪くなる自分の父親の様子に、私は自分にもう一押しだと言い聞かせた。父親のコントロールは幼い子供の頃から心得ている。あと少し、もう少しだけこの傲慢な男に優越感を味あわせてやれば口に歯止めが利かなくなりなんでもペラペラと喋りだすはずだ。そうなればこの男は始末してもいい。

 うずくまり痛みに悶えるシュージを見て私は心を鉄のようにすることを決心した。


「お前達もコイツをずいぶんと便利に使ったみたいだな、ええ? お前達がこの小僧が優しいと思うのはこいつが頼み事を断らないからで、それは本人の性格と関係が無いと知ったら一体どう思う? コイツは善意で何かをしていたわけじゃない。ただ単に人の言うことを受け入れるしかなかったのだ」


「……どういうことでしょう?」


「小僧の右目だ」


 ハンッと鼻で笑いながらますますご機嫌になりながら親父殿が言った。

 周囲に殺気だった3人の魔術師と1人の暗殺者に囲まれているというのにこの余裕。親父殿はいよいよ周囲の状況を忘れ自分の世界に没頭し始めていた。


「この右目の光はメディエイターの魔法によって直接心魂に通じておるのだ。なんでも奴は魔法でファントムを制御する術を研究しておるらしくてな。通常、他人の言葉や感情は心に届く前に頭脳による思考のフィルターを通してから心に送られる。小僧の場合はそれが無いから、他人――特に儂の言葉には敏感に反応するのだよ。何せ断れば今度は向けられる敵意で直接心魂が傷つくことになるからな」


 ……その話が本当なら確かにシュージは親父殿の言葉には逆らえない。人間にとって魂に傷をつけることは肉体の死以上に恐ろしいことだからだ。そんな事はファントムが絶対に許さない。


「ここで儂が貴様らと戦えと言えば戦うし、死ねと言えば自ら命を絶つ。こやつは決して主人わしに逆らわぬ人形なのだ」


 現にシュージは押し付けられた丸一日の馬車の御者を嫌々ながらこなしたし、時には鼻血を出すほど脳を酷使して戦略をひねり出したりもした。普通なら明らかに断るか諦めるであろう場面でも決して期待に背くことは無かったのだ。


「そんな……! じゃあシュージ様の意思なんて最初から……」


「そうだ。コイツは自ら王になる事も、戦で戦う事も選んでなどいない。最初から儂達の奴隷で、戦場で生贄となるべく召喚されたのだ」


(……ん? 最初から(・・・・)?)


 疑問に思う箇所があった。

 全てが真実であればこの話には矛盾する箇所がある。だが、この様子だと親父殿は嘘は言っていないはずなのだが……。


(つまり――親父殿が認識している事実のどれか一つが間違っている?)


 あるいはそれが突破点になるかもしれない。

 私は今まで聞いた事を注意深く吟味し、アンが引き出す新たな情報に耳を傾けた。


「奴隷だなんて酷い……! シュージ様は私達トルゴレオの人間のために無理矢理異世界に連れて来られて、軍人でもないのに嫌々人殺しをさせられているのに!」


「無理矢理? それに嫌々だと? それは嘘だな。これは対等な取引だったのだよ。儂らは強力なファントムを持つ人間の世界から生贄を得る。豊かな先進国での安定した生活にんでいたコイツには望み通り冒険溢れる世界で戦の刺激と名誉ある死を与えられる。尤も、レオスでしぶとく生き残ってからはお前達の言いなりになっていたようだがな」


「私達は彼を言いなりになんかしないわ! あなたみたいに、自分のために他人を平気で使い潰す人がいるから、トルゴレオはこんな国になってしまったのよ!」


 アンキシェッタが喉も裂けんばかりに叫んだ。


「では逆に聞くが使い潰さないならどうする? この戦争の後、お前達はこいつをどうするつもりだ?」


「それは……勿論、シュージ様は既に王様なのだから、王位についてもらってトルゴレオ王国を治めてもらうに決まってます」


「人の言う事に逆らえない、本物の王族でもなく、政治に関しては事務仕事の経験すら無い男がか? お前達は自分が仕事を助けると言うかもしれないが、そもそもコイツは自分のサインどころかトルゴレオの字を読むことすらできないんだぞ」


「字が読めない……?」


 何か引っかかるように考え込んだアンキシェッタ。だがこのままシュージが馬鹿扱いされてしまう事に我慢しきれずレッタが口を挟んだ。


「何を迷っているのアン!? 彼の国と私達の言語は同じなんでしょう? なら字が読めない訳がないわ。それに、シュージ陛下は立派に仕事をこなしています。現に昨日だってラスティが渡した収支表を読んで、彼の金策に答えていたのを見たじゃないですか」


 確かに昨日そんな事があったが……果たして本当にあれはレッタの言う通りだっただろうか?


「あ、――――ああっ!!」


 それまで考え込んでいたアンが叫んだ。


「と、突然叫んでどうしたんですか?」

「クリクスに遊びに行った時にシュージ様、金貨のふちの文字を見てコインを左に回していました!」

「は??」


 アンキシェッタの言っている事が理解できずにいぶかしむレッタ。レッタだけでなく部屋にいた全員が同じような反応を示した。


「それに、それにそれにそれにっ! 昨日も書類を読むとき、目がこっちからこっちにいってこうクッと戻って……で、団長に『どう思う?』って聞いたじゃないですか! きっとなんですよ!」

「おい、アンキシェッタ。全く要領を得ないぞ」

「……何が言いたいんですか、アン?」


 まるで歴史的発見だとでも言うように大興奮するアンキシェッタ。

 彼女は必死に自分の大発見の過程を説明しているようだったが、努力も虚しくこの場の誰にもにもさっぱり伝わってこなかった。


「だから! シュージ様のいた世界では左から右に文字を読む(・・・・・・・・・・)んです! いつもは読むフリだけして、でも昨日はその場で答えを求められたから団長を引っ掛けて書類の内容を聞き出したんですよ」

「――なんですって!?」


 私達3人とアダスは驚愕の思いでシュージを見る。彼は先程よりは落ち着いたものの、相変わらず目を押さえたまま蹲って激痛に悶えているので、話が聞こえているか怪しい。

 だが彼の行動はこの場にいる4人全ての予想を裏切った物だった。


「彼が、私達を騙していたというの!? で、でも、何故そんなことを?」


 レッタが心底慌てた様子で言った。


「多分……皆をがっかりさせたくなかったからじゃないですか? 私達は勝手に彼の事を賢者みたいに思って期待していたし、シュージ様って変にプライド高い所があるから」

「たかが見栄っ張りでそんな大変なことをするなんて……信じられないわ」

「……同感だ」


 全く、男のプライドなんて人の役に立った試しがない。

 

「くはっ、はははははははははっ! なんということだ! お前達、あれほど大きな口を叩いていた割にはずいぶんな貧相な信頼関係じゃないか!」

「「「………………」」」


 親父殿の指摘に我々はグゥの音も出なかった。


「無様だな、全く無様だ! これだから女という奴は!」


 精神的に完全に優位に立ったのを見て取るとトルゴレオの大多数の人間が持っている女性蔑視の持論をぶちまけ始める。


「だから儂は常々言っていたのだ。全く女という奴は度し難い。男の崇高な考えなどろくに解らぬくせに勝手に全てを知った気でいるし、いつもいつも浅薄な考えで行動する。隷属の魔法を極めたとかいうメディエイターの奴も女だけは幾ら研究しても理解できんとほざいておった」


 それは何度か聞いたことがある親父殿の持論だ。


(ん……?)


「貴族の娘なら親が決めた相手に股を開いていればそれでいいのだ。それを貴様らのように思い上がって、己の能力も省みず男の仕事である軍事に嘴を突っ込む愚行。だから国が傾く、無駄な流血ばかりさせる! だが、いまや儂は一言唱えるだけでこの男を殺せるのだ。こいつさえ死ねば、トルゴレオは再び一つになる!」


(女のファントム《・・・・・・・》?)


 もはや親父殿の言葉は耳に入らなかった。

 聞き出したたった一つの新情報でもう一度、今まで引っかかっていた全ての謎を解いていく。

 軍事のトップである軍務卿を欠いたレオス平原での戦闘。その後シュージが死んだことにされた不自然な布告。そしてなぜかウェイバー単独で行われたクリクス侵攻軍。もし、これら全てがたった一つの失敗から発生したのだとすれば――


「――――そうか」


 そして今、何もかもが理解わかった。


「そういうことだったのか……」


 手を伸ばし、レッタとアンキシェッタを下がらせる。

 後は答え合わせだけだ。


「二人ともご苦労様。おかげでこの半月、ずっとひっかかっていた事がようやく全てがわかったよ。そしてご高説ありがとう、親父殿。今ようやくわかったよ――お前はもう用済みだ」


「ティア! 貴様、何を!」


 自分でも驚くほど冷たい声が喉から吐き出される。

 周囲が冷や水を浴びせられたようになり、親父殿は今までの上機嫌を壊されて怒り狂った。


「ティア! 貴様、まだわかっていないのか!? こいつを治せるのは儂だけで、儂は一言命じるだけでこの小僧は死ぬのだぞ!」


「彼を言葉ひとつで殺せる……果たして本当だろうか?」


 私はレッタからサーベル借り受けると切っ先を床に突き刺した。


「話を聞いてからずっと引っかかっていたんだ。親父殿は言葉一つでシュージの命を操れる。少なくとも声の聞こえる範囲であれば死さえ強制できる。しかし、だったら何故、親父殿は戦で負け、レッタに捕まり、今ここでこんな無様を晒しているんだ? 強力な切り札があったのに、何故今の今まで使わなかった?」

「………………」


 周りが息を呑む音が聞こえる。

 そう、親父殿にはシュージを殺す機会は何度かあったし、そうでなくとも多少のリスクを負えば近づく事くらい簡単にできたはずだ。そんな絶対的優位を持ちながらこまで追い詰められた理由。


「親父殿、あなたは既に一度シュージの殺害を試みたんだ。だがその時は魔法を使ってもシュージの身には何も起こらなかった。だから親父殿は今日までその魔法が役立たずだと思い込んでいた」


 傲慢で、切れ者で、往生際の悪かった親父殿の顔から血の気が引いていく。今度こそ図星のようだ。


「それは、そんなはずは……儂は……」


 どうにか弁解を搾り出そうとするが、私はそれを手で制した。


「もはやあなたが答える必要は無い。私が言おう。シュージの殺害を狙ったのは半月前。パルファムに戻って不参戦だと思われていた親父殿はあの日、私達とキスレヴが戦ったあの平原にいたんだ」


フラグ回収の解答編です。三人称に近いティア視点で、しかも長い説明が続いて申し訳ないです。

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