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オールトの巣(2)

***リグレッタ・チハルト***


 街灯どころか松明たいまつもカンテラの明かりも無い真っ暗な空間の中を私は歩いていた。

 エンンローム公爵を追うためにパルファムを出てからすでに10時間程度、日が落ちてから4時間は経っているだろうか。先ほどまではかろうじて見えていた街道も、一切明かりを持たないせいで今では完全に暗闇に飲み込まれている。常人ならば目的地を目指すどころか自分が立って歩いているのかさえもわからなくなるほど、今の街道は暗い。

 そんな夜道を私は風が運んでくる音と匂いを頼りに南西にいるはずの公爵の護衛部隊を追っている。道中、騎馬に乗った見方の追撃部隊に追い抜かれたりもしたが、魔術師として五感の全てを使って追跡している私と違い彼らは夜に視界を奪われるにつれ段々と進軍速度が鈍っていく。馬足の優位は時間と共に無くなり、先ほどついに馬が疲れきって休憩している所を私が追い抜き返した。

 この分だとエンローム公爵にもそろそろ追いつくはずだ。

 この闇にいい加減、私もうんざりしてきている。少なくとも接敵さえしてしまえば、この退屈からは開放されるだろう。しかしそれまでは――


「……今頃どうしているのかな」


 溜息を吐きながら、ふとパルファムに置いてきた"彼"のことを思い出した。今日のこの闇夜のように真っ黒な髪と三日月の浮かんだ右眼、それにトルゴレオではまず見ないエキゾチックな顔立ちをした異国の少年。

 少なくとも、もう戦ってはいないはずだ。私が出た時点でパルファムの占拠はほぼ終わっていた。

 ということは今頃は戦闘につきものの戦後処理とか部隊の再編に頭を悩ませているのかもしれない。ああいった雑務は慣れればすぐに終わらせられるのだが今の彼には結構な重荷になるだろう。


「ああ。お金も足りないなんて言っていたし……任せて本当に大丈夫かしら?」


 アンキシェッタとティアが傍にいれば大抵の事は手伝ってくれるはずだが、彼の行動はどうも私の想像を超える物になる場合が多いのだ。

 異世界から来た少年、私の主君にして被保護者であるシュージには少々子供っぽいところがある。物を知らず、どこかへ行く度に遠慮なく好奇心を見せたり、普段はふてぶてしいくせに他人に高圧的に出られると途端に首をすくめる所などを見てしまうと、彼の精神年齢は市井しせいの子供達と同程度なのではないかと思わせることがあるのだ。


――けど、それだけじゃない。


 彼の稚気ちきには性格や単純な印象以外の何かがある。

 例えば彼は頼まれたことはなんでも引き受ける。この国に来てすぐにキスレヴとの戦争、ハマミの町でのエマの救出――時には丸一日ずっと掃除や馬車の御者を押し付けたこともあった――等等、半月も経たないうちに身分に合わないあらゆる仕事を押し付けられては、その全てを彼は引き受けてこなしてきたのだ。

 真面目、と言っていいのかもしれない。優しいとも断るだけの勇気が無いとも言える。とにかくどんな些細な事でも頼まれ事は絶対に断らないのだ。


「そういえば彼、あれから少し戦い方が変わった……」


 クリクスで大怪我をした夜、包帯を代えながら私は彼にもう二度と前線に出ないで欲しいと言った。無茶な願いだ。自分でもそう思う。今は戦時でこちらはとにかく劣勢を強いられ続けている。彼の準魔術師としての力は勿論、戦略の原案者である彼が前線指揮官として出なければ戦況は途端にひっくり返るかもしれないのに。

 しかし彼は前線に出なくなった。クリクスでの攻城戦も今日のパルファムでもとにかく慎重に戦うようになったのだ。2度の戦いで彼が自ら剣を抜いたのは瀕死のウェーバーを倒すのとティアに言われて街の正門を破壊した時だけ。彼が本当に私の言葉のせいで変わったのかわからないが、彼はあの夜以降明らかに戦闘を避けるようになった。

 一体どうして彼はあんなに受身なのだろう? 何を考えてそうなったのか、そういえば私は彼の事をほとんど知らない。


「……帰ったら少し話をしてみましょう」


 道の先、闇の向こうにいくつもの灯火が見えた。

 考え事はここまでだ。


「――見つけた。ようやく追いついた」


 長かった。半日以上に渡る追跡にようやく終わりが見えたのだ。

 明かりの数は20以上。街道を巡回中の軍隊にしては少なすぎるし、旅人か隊商ならばこんなに遅くまで起きているのはおかしい。間違いなく、あの灯りはエンローム侯爵の護衛部隊だ。

 部隊はまだ遠く、ここからでははっきりと見えない。だが灯りがほとんど動かないことから察するに、どうやら今は夜営の準備を行っているようだ。

 私は身に着けている鎧の留め革を締め直すと、抜剣し物音を立てないよう慎重に光源へと近づいた。


――あと100歩


 前から吹く風が馬の体臭を運んでくる。ずいぶんと汗臭い。どうやら逃げるためにかなり馬を酷使したようだ。馬にこれだけ汗をかかせては、今夜はもう長くは走れないだろう。


――80歩


 灯りの傍に人影が見える。

 ようやくのチャンスだが一瞬だけ迷いが生まれる。


(相手が眠るのを待ったほうがいいかしら?)


 いや、パニックに陥られて散り散りに逃げられては困る。あくまでトエト領の方向に向かってもらわないとエンローム侯爵を見失う危険があった。


――60歩


 鎧が焚き火の灯りを眩しく照り返す。護衛達は腰のカンテラを下げ、全員派手な衣装を施された頭の先から爪先まで鉄板で守るフルプレートアーマーを着用している。普通の兵士が買える代物ではないのでおそらく貴族の出身の騎士で高い俸給を与えられた特戦隊なのだろう。

 私はサーベルを暗殺者がするように逆手に持ち替えた。こうすれば至近距離でも鎧の継ぎ目を狙いやすい。敵の鎧は上物なのでサーベルを折らないようできるだけ弱点を狙わないと。


――40歩


 僅かに話し声が聞こえる。


「いや、さすがは侯爵殿。今頃あの若造はパルファムで地団太を踏んでいる頃でしょう」

「゛異世界人"などと大仰なことを言っても所詮は野蛮な国の教養の無い平民に過ぎませぬ。同じ卑賤の市民はともかく、そんな者に上級貴族の方々が簡単に屈するわけがなかろうに」

左様さよう。無能なりに浅知恵を働かせたようだが、まさか包囲を任せたホーリング子爵の次男が我等『――――――』の一員だとは思いもしなかったのだろうな」


――あと20歩


 耳を澄ませながら私は訓練した通り、闇に紛れ気配を消して歩を進めた。足音は無い。ただドキドキと脈打つ心臓の鼓動だけがこの闇の中で唯一私の存在を主張している。


「閣下。明日中にはトエト領に着きます。今日は追っ手に会わずに済みましたな」

「敵の軍馬は10騎ほど。こちらもパルファムで軍馬のほとんどは処分したからな。捜索部隊などまともに出せはしないさ。わびしいことに今の所、我々20騎がこの国で最大の騎兵部隊だからな」


 焚き火を囲んでいた護衛達の中からカイゼル髭の男が立ち上がる。エンローム侯爵だ。残念ながら彼は私からもっとも遠い位置にいた。


(――9歩、8歩、7歩)


「何の! 馬など閣下が戴冠した暁には遊牧民からいくらでも取り上げればいいのです。彼奴等もあの若造も所詮は蛮人。馬に乗せるよりも地べたを這い廻っていたほうが自然でしょうて!」

「そうです、そうです! 騎士の身分を持たぬものが馬に乗るなど言語道断! この際あの男のついでに異民族など一掃してしまえばいいのです!」

「時間制限がある以上、赤獅子騎士団とあの若造はもう何日も南部にはいられますまい。我等がここで逃げ切ってしまえば、上級貴族の方々も戻ってきます。もはや何もせずとも、南部はあなたの物でしょう」


 若い男二人に対して年寄りの男が冷静に言った。


(――6歩、5歩、4歩)


「人口と食料産出の大部分を占める南部さえ押さえればトルゴレオの兵力は8割を抑えたも同然! 再起は間近、閣下……いえ、エンローム陛下の王国は今夜すでに始まっているのです!」

「はははっ! こやつめ、うまいことを言いおって! だがその通りだ。今夜、ここに儂の新しい王国が成った! 儂はこの場にいる勇敢な騎士と共にトルゴレオに変わる新建国の設立を宣言するぞ!」


(――3歩、2歩、1歩)


 おだてられたエンローム侯爵に続くように護衛達が立ち上がる。薄暗い中、男たちはまるでグラスで乾杯するように篭手を高く上げてぶつけ合った。


「エンローム王万歳!」

「さようならトルゴレオ王国!」

「エイブラムス王朝の末永すえながからんことを!」


 私はその円陣の一人の真後ろに立ちそっとサーベルを振り上げる。そして逆手に握ったサーベルを


「―――戯言ざれごとはそこまでにしていただきます」


 男の左肩に渾身の力を込めて振り下ろした。


「あっ……」


 体内に侵入した剣先に致命的な臓器を傷つけられ、男は小さな断末魔を漏らしながら体をブルッと震わせる。

 声に反応し、20対の瞳がギョッとした様子でこちらにいっせいに振り向いた。その全ての目が今起こったことを理解できず、この期に及んでも呆然とこちらを見て固まっている。

 奇襲が成功したことを悟った私はサーベルを男から抜いて血振りをした。


「残念ですがあなたたちの新王国は今の1秒限りで終わりです。成就することは永遠にありませんし、今後思い出す者もいなくなるでしょう」

 

 剣先を向けてそう宣言する。シュージを崩壊寸前の王国の玉座を押し付けておいて、自分達だけが新しい王国で安定を得るなど言語道断。

 宣言を受け男達の中でエンローム侯爵だけが正気を取り戻した。

 彼は衝撃でワナワナと震える指を私に向けながら


「き、貴様はトスカナの娘! どうしてここが……いや、どうやって(・・・・・)ここまで来た!?」

「さすがは"元"軍務卿。的確な質問です。でもそんな事よりも今はその役立たずの腰巾着達に応戦しろと命じたほうがよいのではないですか?」


 挑発するように、きつく睨み付ける。

 私はこいつらを許せない。パルファムから逃げ出すのはいい。部下の兵士達を囮に使ったのも仕方が無いと言える。しかしそこまでしてくれた兵士達の犠牲など一顧だにせず自分達の栄華だけを夢想してニヤついているような輩は生かしては置けない。

 護衛達は肌を粟立たせるほどの殺気を受けてようやく剣を抜いた。


「閣下の栄光を邪魔する者! 死ねぇぇぇぇぇ!」

「女が騎士の真似事など! 貴様はあの外国人に股でも開いていればいいのだ!」


 彼らの内、最初に殺した男の近くにいた二人が絶叫しながら私に襲い掛かってくる。

 下品な言葉を吐きながらの雑魚のお手本とでも言うような大上段の攻撃を見切ると、私は突っ込んできた一人目に向かって片足を上げ男を足裏で受け止めた。突進の衝撃片足を置いた地面を盛り上がらせ、腹を蹴られた形になった男は牛のようなうめき声を漏らす。

 私は膝に十分に力を溜めた後、遅れて飛び掛ってきたもう一人の護衛に向かって渾身の力で蹴り返した。


「ぐげぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 鎧がガシャン! 二つの鎧は互いにぶつかり合い盛大に火花を上げると、同僚達の隙間を通り過ぎ、夜営地の灯りの届かない闇の中に落下した。


「言われた通り股を開きましたが……どうやら彼らには刺激が強すぎたようですね」


 先程の下品な言葉の報いを思い知らせる。

 私がスカートを直して服装を正して余裕を示すと護衛達うっと声を詰まらせて戸惑った。ここまできてようやく私が魔術師だと思い出したようだ。

 気勢を削がれた護衛達はジリジリと後退していった。


「皆の者、落ち着け! 魔術師と言えど敵は一人だ。ここは我らで足止めにして、なんとしてエンローム閣下を落ち延びさせるのだ!」

「そ、そうだ! 小娘などに我々『勇猛ゆうもうにして典雅てんがなる金虎撃滅超武装騎士団きんこげきめつちょうぶそうきしだん』が負けるものか!」


 勇猛にして典雅……は?

 長すぎる名前を覚えられず戸惑う。先程までの怒りを忘れ思わず素で聞き返してしまった。

 エマの父親もそうだけど、南部の人ってどうしてこう無駄に派手な名前をつけたがるのかしら?


「閣下! ここは我ら『勇猛にして典雅なる金虎撃滅超武装騎士団』にお任せを!」

「『勇猛にして典雅なる金虎撃滅超武装騎士団』ばんざーーーーい!」

「うむ、任せたぞ『勇猛にして典雅なる金虎撃滅超武装騎士団』」


 バカバカしさに毒気を抜かれた私に対して『勇猛にして典雅なる(以下略)』はその一喝で完全に士気を取り戻す。エンローム侯爵が騎乗するのを助けながら私の前に17人の騎士達が壁として立ちふさがった。

 ……せっかく有利だったのに。

 囲まれないように位置を調整して動きながら、私はエンローム侯爵が逃げる方向を視界で確認する。


(長居は駄目ね。早く追いかけなくては)


 見失う心配は無いが、あまり時間をかけたくない。

 私は体を左右に開きどっしりと構えると、あえて騎士達に見える速さで何度かサーベルを振った。案の定、全て避けられる。が、包囲の一角に一人だけ反応の鈍い男を見つけた。

 まずはこいつからだ。

 私は左右に開いていた構えを解くと直立から前傾へと姿勢を崩して一気に駆け出した。相手の腰より低く――ベルトに吊るされたカンテラの灯りを受けない死角に潜り込んだ私は闇の一部となり、敵の目を欺く。攻撃の直前にのみ姿勢を戻し姿を現すその攻撃は私の先祖が編み出した夜襲の奥義だった。

 風を切り裂く音と共に突然至近からサーベルを向けられた男は目を見開き、口を開け


「『勇猛にして典――』」

「いい加減にしなさい」


 死の直前、またしてあの長い団体名を叫ぼうとした。……この人たちは自分達の団体名をそこまで気に入っているのだろうか?

 余計な思考が脳裏を掠めたのは一瞬。

 男を倒した瞬間、周囲から次々と剣と怒号が殺到する。

 最大限の動きでそれらを避わすと、すれ違い様に今度は最も大振りで隙だらけだった二人の喉を掻っ切る。常人離れした筋力を用いて、返り血を浴びるより早くその場から離脱し、今度は死角から敵に襲い掛かかった。

 この場の誰も私を捕らえられない。あちこちから切りかかられ、闇の中必死に敵の姿を探して地面に視線を走らせる護衛達の様子はまるで野犬の群れに襲われている無防備な旅人のようだ。


「早い――っ!」

「今度はそっちだ! 気をつけろ!」


 エンローム侯爵というリーダーが抜け、縦横無尽に薄闇を駆け回る私を度々見失い、敵は徐々に連携を失っていった。

 私と彼らでは剣士としての技術に大きな差がある。

 一般人と魔術師との筋力差もある。

 だがこの場での私の圧倒的優位を作り出しているのはそのどちらでもない。


「おい! またやられてるぞ!」

「どういうことだ!? いくら魔術師でも魔法無しでこんなに強い訳が……!?」


 敵の背後に回り斬りつける。正面から飛び込んで斬りつける。横から近づき、上から飛び掛り突き刺し、あるいは下から地面から這うようサーベルを振るわせた。これら個々の動きは魔術師なら誰でもできることだ。恐らく、準魔術師である"彼"にもできるだろう。だが他の魔術師と違い、私の動きには攻撃を停滞させる"行動の継ぎ目"が無い。疲労を生まない体はいつでも、いつまでも全力疾走に近い動きを行い決して手を緩める事無く最大の攻撃と機動を繰り返す。

 私の最大の武器とは"手数"。成長期に内分泌系を操作して得たこの能力は余力を気にする事無く、一人一人に対して全力で動き続け、延々と攻撃し続けることができる。本来魔術師でも苦戦は必至であるはずの17人もの精鋭部隊に対して、私は無尽蔵の体力と闇夜を利用した豊富な攻め手によって今この場での絶対的優位を作り出していた。


「早すぎる! こいつ、どうしてこんなに動けるんだ!?」

「おい! ここはもう駄目だ! 馬を殺せ! この女にエンローム様を追わせるな!」


 あれだけいた護衛部隊も半分にまで減り、彼らはついに自分達の帰還を諦めた。


(でも、もう遅い)


 最初は一度に一人か二人しか仕留められなかったが、頭数が減り連携を完全に失った今なら一息に3人は殺せる。

 私は速度を上げ、夜の闇の中を台風のようになって駆け回った。サーベルが煌く度に血しぶきが上がり護衛達が腰に下げているカンテラの灯りが消えて行く。

 吹き荒れる血と風によって焚き火の明かりは消え始め周囲は加速度的に暗くなった。

 敵はもはや私の残像すら捕らえられなくなり、仲間が斬り殺される度に増える闇の領域だけで私の存在を認識していた。


「――闇夜の猟犬(ナハト・イェーガー)……! 嘘だろ、まるで昔話の三騎士そのものじゃないか!」

「や、闇に食われるっ! もういやだ! 助けてくれ!」


 血風を巻きながら敵を追い立てる。また一人、恐慌に陥り馬に乗って逃げようとした護衛を引き連り降ろしてサーベルを突き立てた。6人を殺す間に馬を5頭も殺されてしまったが、15頭も残れば私には十分過ぎる。

 死体を蹴り飛ばしながら再び闇に紛れる。

 残る4人は既に私を探すことを諦め、背中合わせで背中合わせでお互いを守りながら周囲の闇に目を凝らしていた。

 これを攻撃して一人づつ崩すのは面倒だ。

 私は口内で囁くように鍵呪文を唱えると今夜で『勇猛にして典雅なる金虎撃滅超武装騎士団』を絶滅させるべく風の魔法を解き放った。


「……"無色の大鎌"」


 物理法則を捻じ曲げる<意思の力>を受けてサーベルの切っ先から超高圧の空気が噴き出す。至近であれば大岩ですら両断するそれを、私は四人の兵士達に向けて解き放った。


******


 護衛部隊を倒し再び追跡を続けること約一時間。道の先からまたしてもエンローム侯爵の声が響いてきた。


「ええい、走らんか! 駄馬めが! 何故走らんのだ! 休息は与えたはずだぞ!」


 予想よりもずいぶんと早い。やはり彼の馬も限界だったようだ。

 ノロノロと瀕死の体で進む馬を哀れみながら私は後ろから侯爵に声をかけた。


「汗をかいた馬を放っておいても休息にはなりませんよ。この馬はむしろ体を冷やして体力を消耗してしまったのでしょう」

「リグレッタ・チハルト!?」


 エンローム侯爵は驚いて悲鳴のような声をあげた。


「貴様、走って追いついたとでも言うのか!?」

「途中まではあなたの部下から馬を拝借してきたのですが、痙攣を起こして動かなくなったので乗り捨ててきました。多分、あなたの馬ももう限界のはずです」

「そんなことではない! 儂が聞きたいのはそんなことではない! パルファムからここまで我々はかなりの距離を稼いできたはずだ! それを徒歩で、後から出発してどうやって追いついたのだ!? 魔法の気配は無かったはずだぞ!」


 怒りで顔を真っ赤にしながら侯爵は吼えた。過剰な反応に見えるが、軍の総大将として絶対に追いつかれるはずが無い行軍の計算を覆されたのをまだ受け入れられないのだろう。

 エンローム侯爵にはいつものキレは無く、怒りの余りそれ以外の事が見えなくなっているようだ。つまり自身が絶体絶命の境地にある、ということを。

 そういえば、ティアも時々こんな風になる。もしかしたら遺伝する性質なのかもしれない。


「私がここにいることがそんなに不思議ですか? 馬は確かに足の速い生き物ですが、人間という荷物を載せて早いペースで進ませれば一日に進める距離は人間と大して変わりません。不安定な夜道を行くあなた方に対して休憩を挟まずに追跡すれば追いつくのはそう難しいことではありませんでした」

「パルファムから休憩無しでここまで来たと言うのか!? 80キロはあるというのに!?」

「それがなんですか。そんな距離、私にとっては何でもありません。さあ、いい加減に追いかけっこも飽きました。エンローム侯爵、大人しく捕まってください」

「――っ! くそっ!」 


 侯爵は慌てて馬から飛び降り、鎧をそこらに捨てながらなりふり構わず走り出す。

 だが中年の足で私から逃げおおせるわけもなく、彼の逃亡はたったの数瞬しか稼ぐことはできなかった。

 私は楽々エンローム侯爵に追いつくと、襟を掴んで地面にたたきつけ関節を固めて抵抗を奪う。肩に猛烈な負荷がかかった侯爵はギャッと悲鳴をあげて叫んだ。


「離せ! この魔女め!」

「離しません。気絶させてもいいのですが、あなたにはシュージ陛下に会わせる前に聞いておきたいことがあります」


 腕をがっちり捕まえた後も侯爵は往生際悪く暴れている。

 このままでは話も聞けないので2発ほど殴って黙らせた。


「く、ぐぅ………」

「あなたに聞きたいのは前王ティーゲル6世が戦死した戦いのことです」


 それはシュージ陛下を召喚するきっかけとなったキスレヴとの決戦。そして侯爵にとっては自身にとって人生の汚点となった戦いだ。


「話を聞いてからずっと疑問に思っていました。ティーゲル6世陛下は決して名君ではありませんでしたが、戴冠前から何度も戦場を経験した武人でした。その王が3万5千もの騎士達を引き連れてキスレヴのような小国相手に全滅したというのが解せない。エンローム侯爵、もしやあなたが裏切ってトルゴレオ軍を――」


 そして王を殺したのではないか?

 その言葉は侯爵によって中断させられた。


「ち、違う! 儂は国を裏切ってなどいない!」

「白々しい……レオスの近郊で戦ったとき、キスレヴの軍はほとんど無傷でした。あなたで無いというのなら一体誰が3万5千もの軍勢を全滅させたというのです?」

「……ド……剛竜兵ドラゴリオンだ」

「ドラゴリオン? ……嘘ですね。キスレヴは小国ですよ。剛竜兵の部隊など、いるはずがない」

「嘘ではない! 本当にいたのだ! どうやったかは知らぬが、キスレヴ軍は伝説の兵科を復活させていたのだ!」


 侯爵は叫ぶように弁解した。


「そんな……」


 信じ難い話だ。

 真偽を確かめるため掴んだ襟を揺すってみる。エンローム侯爵の目は真剣そのもので嘘を吐いている様子は無い。

 そして確かに相手が剛竜兵であれば、あの戦の歴史的な惨敗に納得がいくのも事実だった。


「ドラゴリオン……」


 それはかつてこの大陸のあらゆる軍隊を圧倒し、古代の軍事史の全てを塗り替えた最強の兵科。

 そっと口内で繰り返した言葉に私は苦く不吉な味を覚えた。



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