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オールトの巣(1)

41、オールトの雲


 トレン率いる民兵達がパルファムの街で掃討戦を繰り広げている。

 城壁を守っていた敵軍は、東側から侵入した民兵達に成す術も無くやられ、パルファムの市内は既に東半分が制圧されていた。民兵は確かに正規の兵士に比べて装備と質で劣るが、今回のように味方の圧倒的な数からくる安心感と多額の報酬という士気の調整さえしてやれば、まともに訓練などなくても軍隊として十分な働きができるのだ。心配していた騎兵も、今の所は出てきていない。

 未だ怒号と剣戟の響くパルファムで俺達と赤獅子騎士団は今回の反乱の首謀者でありティアの父親であるエンローム侯爵を捕らえるべくパルファムの中心、エイブラムス家の屋敷へと向かっていた。

 辺りでは戦闘の音は聞こえるが民間人の姿や悲鳴は一切聞こえない。

 どうやら住民達は俺達の軍による略奪を恐れ、事前に窓や扉に板を打ち込んで建物に完全に立てこもっているようだった。まあ攻める側としては民間人に変に出てこられるよりもジッとしてくれる方がよっぽど助かる。


「っとぉ、その前にオウサマよぉ!」


 赤獅子騎士団と共に進軍していると、団長のラスティ(ロトンかもしれない)が突然振り返って言った。


「ガルベージの野郎に言われてよぉ、アンタのためにコレを書かされたんだ」


 そういって差し出されたのは乱雑なトルゴレオ文字で書かれた羊皮紙の巻物だ。


「………………」


(……読めない)


 そもそも字が読めないのに加え、ラスティの目に余る程乱雑な字が余計に俺の理解を遠ざける。

 しかも行が全体的に斜めになっていたり句読点が左端にあったりと、字だけではなくラスティの母国語に対する理解は散々なようだった。


「………………」

「どうだぁぁぁ? こんっっっせつ丁寧に書いてやってるだろぉぉぉ?」


 それでも一応、巻物を開きざっと左から右に目を通す。やはり何度読んでも俺にトルゴレオ文字という奴は読めそうも無い。

 しかし――


「シュージ様、どうかなさいましたか?」


 視線に気付いたアンが言った。


「い、いや」


 困った様子を彼女達に見られないよう、咄嗟に羊皮紙を持ち上げて顔を隠す。

 気付けば回りの赤獅子騎士達もそれとなくこちらを気にしているのが目に入った。赤獅子騎士から俺に注がれる視線はいつのまにか、ニヤニヤ笑いを含む物ではなく尊敬と若干の好奇心が混ざった心地良い物になっていた。


――そうだ、俺には皆が期待している。こんなことで失望させちゃいけない。


 小さな意地だが、これぐらいは乗り切ってみせなくては。

 俺は巻物を降ろすとコレを書いた張本人であるラスティを呼び止めた。


「えー、ゴホン。この書類だけど……ラスティはどう思う?」

「あぁん? 今回の戦費の事かぁ? なぁんでぇ俺に?」


 あ、これって収支報告だったのね。


「……ま、足りねえわな。民兵共に戦功ボーナスはやりすぎだぜ。ほとんどはオウサマが持ってきた財宝で賄えそうだけどよぉ。見ての通り赤字はトルゴレオ金貨で7千枚。どうだぁ? 俺っっっ様達みたいに借金でもするかぁ?」

「そうか、赤字は7千枚か……」


 ……やっぱり足りなかったか。

 7千枚と数字は大きいが、一応事前に計算していた予想の範囲内ではあった。


「……問題無いよ。金ならある」

「無ぇよオウサマ。そりゃ、みやこの国庫にはあるかも知れねぇが、少なくとも今のアンタの財布は空っ欠だ」


 手を振って否定するラスティ。ま、そう思うわな。


「違う違う。あるのは金のアテさ」

「あぁん?」

「エンローム侯爵だよ。足りない分は内乱の賠償金としてエイブラムス家から徴収するんだ」

「おぉぉう!? なんだバッチリ考えてるんじゃねぇか! その歳で金の回し方を知ってるたぁなぁ。オウサマ、あんた立派な借金持ちになれるぜ! ガッハッハッハッハ!」


 ……それ、立派なのか?

 ラスティは随分感心した様子で頷くと、高笑いして俺の背中をバンバンと叩くと先頭へ戻っていった。

 あ、借金の話で思いだした。

 そもそも、エンロームだって兵を集めているのに金貨7千枚も払えるのだろうか? 向こうも金欠だったらどうしよう。


「ティアなら自分の家の経済状況くらい知っているかな」


 ティア・エイブラムスはエンロームの長女であり、今現在エイブラムス家で唯一俺の側にいる人間だ。

 といっても本人は何年も北部の騎士団に所属していたし、彼女の興味の対象はもっぱら戦闘や武術に向けられているので実家の資産状況に詳しいかどうか自信は無かった。

 まあ、聞かないよりマシだろ。と隊列の後ろで警戒しているティアを呼び戻す。


「どうした、シュージ?」

「これなんだけど――」


 俺はラスティに渡された巻物をティアに見せて、赤字分をエイブラムス家に出させる考えを伝えた。


「金貨……7千枚……!」


 巻物を読んだティアの顔が若干引き攣ってた。

 どうやら金貨7千枚というのは大貴族にとっても相当な額なようだ。


「無理かな?」

「……恐らく、先祖伝来の土地を幾らか売らなければならないな」

「うーむ……じゃあ、何か別の方法を考えないと……」


 エンロームの命もそうだがこの戦いが始まる折、ティアは何よりもエイブラムス家の存続を願った。

 エンローム侯爵は裏切り者だが、ティアは違う。できれば家計が破綻するほどダメージは与えたくはない。

 しかし――


「いや、シュージ、お前は気にしなくていい。エイブラムス家は国王に対して明確に反旗を翻したのだ。私もこれくらいは覚悟している」

「でも、下手をしたらエイブラムス家はもう――」


 大貴族に戻れないんじゃないか? と言いたかったのだが、


「だ・か・ら ! お前はそんなことを気にするな!」

「ブッ!?」


 バァン! と先程のラスティに倍する威力で背中を叩かれた。

 さすがに息が止まり、ゴホゴホと咳き込む。


「自分で言うのもなんだがウチは金持ちで名門の貴族だ。この程度、幾らでも乗り越えて見せる。貴族とはそういうものだ」

「ティア……」

「………………それに、本当に大事な物は無傷で残っているしな」

「え?」

「ほら」


 ティアが指した先を見ると――


「「「「おかえりなさいませ、ティアお嬢様!」」」」


 そこに待っていたのは超ド級に豪華な宮殿だった。来客を迎えるための鉄柵でできた門とその間から見える何十、何百メートルに渡って完璧に手入れされた芝と樹木が広がる庭。中央には「これぞ金持ちの極みっ!」と言わんばかりにいくつもの黄金の像が乱立する噴水が備え付けてある。


(ご、豪華なんてもんじゃない!)


 建物どころか明らかにこの庭だけで俺の世界ならヴェルサイユ宮殿やエカテリーナ宮殿などの世界遺産級の宮殿に匹敵する絢爛けんらんさがある。というかイチ貴族の屋敷が国王レオスの城より豪華ってどういうことなの?

 そして先程のハモり。元気よく挨拶したのは、庭を横切るレンガの歩道の両側にはそれぞれ2列横隊に並んだメイドさんと数人の家令――いわゆる執事だ。一体何人が働いているのだろうか? 少なくとも百人に届くであろう使用人の大部隊はティアに丁寧に一礼した後、それぞれが完璧に同じタイミングで頭を上げた。どうやら相当良く訓練されているようだ。


「ご苦労!」


 右手を上げて挨拶に答えるティア。このシーンだけを見れば、誰もがこの場で一番偉い人間はティアだと言うに違いない。

 だがそんなことよりも俺の心配はもっと別のところにあった。


「ちょ、ちょっとティアさん!? この人達、俺達と戦う気なんじゃ……?」


 彼らは屋敷の使用人でエイブラムス家の人間。当然、ティアよりも当主であるエンロームの命に従うはずだ。


「その心配は無いぞ、シュージ。我がエイブラムス家は武門の一家。その当主の座は持っている武力によって決定される。つまり彼らは今はわれらの味方だ」

「……そうなのかー」


 もはやツッコむ気も起きずに生返事。なんて都合の良い立場の使用人達なんだ。

 使用人達の横隊をくぐった先にあったのはさらなる絢爛だった。

 まずは先程門から見えた噴水。これが近くで見るととにかくデカイ。まず水を受ける最下段からして公園にあるような平凡な物ではなく、黒い大理石と白い擦りガラスのブロックをチェック柄のように積み重ねたもので、受けた水をただその場で循環させるのではなく、周囲に張られた浅い人工の川として庭の端々にまで水を送る役割も持っている。水を噴き出す2段目と3段目には老若男女様々な人間の姿を象った像が黄金の光を放っているし、一番上には一際大きい男性(これも黄金だ)が随所に宝石をちりばめた太陽のモチーフを手に掲げていた。


「これがエイブラムスの黄金噴水……」

「はぁぁ……」


 国内でも有名な噴水らしく、感嘆そのものといった様子でリグレッタとアンが呟いた。


「あれが太陽と運命を司る最高神アルヴァーだな。その下の段が月の神カロト、生と死の双子の女神アンダルセーヌとリブラス。その下は……よく知らん」


 と噴水に圧倒されていた俺達にティアが説明してくれた。


「すごいな……こんな見事な噴水は俺の世界にも無かったよ」

「ほぅ! そうかそうか!」


 少なくとも、俺は知らない。


「お前の言葉は嬉しい反面、残念でもあるな」

「うん? どういうこと?」

「この噴水はわざわざ西大陸から職人を呼んで作らせた一級品だ。職人は自分以外の作品でもこれに匹敵する物は無いと言い切っていたからな。お前の世界にも無いのなら、この世でこれ以上の物は見れないことになる」

「変わった考え方をするね」


 ティアの感想は詩的な感性、というか純貴族的発想なのだろう。

 現に初めてこの噴水を見た人間である俺やリグレッタ、アンキシェッタは珍生物でも見たかのように目を丸くしてこの黄金の塊を観察するしかなかったのだから。

 噴水のショックも覚めやらぬ俺達を次に待ち受けたのは宮殿と言ってもいいくらいの建物だ。屋敷の壁自体はスラクラの屋敷と同じ、白い漆喰を用いた白亜の殿堂のはずなのだが、同じ材質とは思えないほど輝いていた。よく見ると壁の漆喰に貝殻の箔のような物が塗りこまれている。

 ……一体壁だけで幾ら使ったんだ。

 っと敷地に入ってから400メートル。ようやく玄関が見えた。


「ラスティとロトンは騎士団を二つに分けて玄関と裏口を見張ってて。中は俺達だけで入る」


 どうせ接近戦の弱い赤獅子騎士達は屋敷内で戦えないのでここの包囲に置いておこう。

 屋敷に踏み込みながら、自分がいよいよ迫ったエンロームとの対面に興奮しているのがわかる。今まで俺を苦しめてきた戦いの一つがようやく終わるのだ。


親父殿おやじどの母様ははさまは二階の執務室だろう」

「エンロームは何かしてくるかな? 待ち伏せされると厄介なんだけど」

「あるかもしれんが……いや、待ち伏せするならもう時期を逸している。それならそもそも屋敷の防衛が無かったのが妙だ」


 ティアの言葉に嫌な予感が頭をよぎる。だが予感は予感。とにかく今は確認するしかない。

 シャンデリアが吊られた大きな吹き抜けのエントランスから階段を上る。執務室はすぐに見つかった。


「開けるぞ」

「ちょっと待って……すーーーーーっ、はーーーーーっ…………いいよ」


 興奮と同時に緊張する。何せここに来るまでに、俺が南部で切れるカードを全て使い切ってしまったのだ。今、ここでこの内乱を終わらせられなければ南部の内乱は泥沼化してしまう。俺はなんとしてもエンローム侯爵を捕まえなければいけないのだ。

 俺が唾を飲み込むと同時にティアによってドアが開かれた。


「そんな……」


 ドアの向こうは書類とたくさんの本が積み重ねられた部屋で、代々エイブラムス家の党首が座るであろう執務机座っていたのは壮年の女性・・

 そう、嫌な予感的中。肝心のエンロームがいない。


「あなたがシュージ・ナガサカですね」

「そういうあなたはティアのお母さんですか……」


 ゲンナリしながら紹介を返す。

 エイブラムス夫人はティアの母親らしく背のピンと張った40近く女性だが、疲労のせいか全体的にやつれて髪には白い物さえ混じっていた。


「エンローム侯爵はどこです?」

「わかりませんか? 主人は留守にしているんですよ。少なくとも、あなた方には主人を追うことなどできはしません」

「……答える気は無いんですね」


 一応、チェストやカーテンの裏など伺うが、室内のどこにもオッサンが隠れている様子は無い。当たり前だ。カクレンボじゃないんだから。


「――そもそも、平民上がりの冠掛かんむりか風情ふぜいが、恥知らずにも名家である我がエイブラムス家にこんなたいそれた仕打をするなんて……! あなたに一欠片でも血統への敬意があるのなら今すぐあの汚らわしい猿達を纏めてこの街から出て行きなさい!」


(勝手に冠掛かんむりかけにしたのはお前らだろう……)


 バチバチと俺に敵意そのものの視線をぶつけてくるエイブラムス夫人。

 チリっと右目に軽い痛みが走ったが、そんなことよりも目的を見失った精神的なショックの方が大きかった。


「シュージ、もういい。ここは任せろ」


 俺の肩を叩いて、ティアが母親に声をかける。


「お久しぶりですね母様ははさま。親父殿はどこですか?」

「ティア……あなた、自分が実の両親に何をしているのかわかっているのですか!?」


 先程の俺と同じようにヒステリックに叫ぶエイブラムス夫人。娘相手に完全に喧嘩腰だ。

 だが、ティアは涼しい顔のままで切り返した。


「あなた達こそ、私に何をしたか覚えてらっしゃるでしょう。まさか政治の犠牲羊スケープゴートにした娘に今更親孝行を望んでいるんじゃないでしょうね?」

「……私達だって進んで娘を辛い目に合わせたわけではありません。家のために、あれは仕方なかったのです」

「家のため、ではなく親父殿個人のためでしょう。……いえ、もうこの件は結構です。親父殿の行方を教えてください。我々と戦い戦列が崩れるまでの指揮は間違いなく親父殿の物だった。つまり、親父殿はまだ近くに居るはずです」

「私がそれをあなたに教えると思っているのですか?」

「あなたは話しますよ、母様。何せウェイバー兄上の命がかかっていますからね」

「…………っ!」


 『ウェイバーの命』という言葉を聞いて夫人は激しく動揺した。

 ……どうやら娘はともかく息子にはとにかく甘いタイプのようだ。


「ウェイバーは、あの子は無事なのですか!?」

「今の所はちゃんと五体満足でいますよ。もっとも反乱が長引くようなら拷問や処刑を考えねばなりませんが」


 氷のように冷静なまま夫人を追い詰めていくティア。

 息子が処刑されると聞いて、今度こそ夫人は平静を失った。


「ティア! なんという恐ろしい事を!! あの子はこのエイブラムス家の嫡男なのですよ! もしあの子が死ぬような事があったら――」


 金切り声を超えて、超音波のような声が室内に響く。


「兄上が死んでも跡継ぎには分家の者がいます。そもそも、反乱に失敗した時点で兄上は当主になどなれません。……でも母様、もしここで父上を捕らえることができたらシュー……国王陛下に兄上の助命を嘆願してさしあげますよ」

「この男に……嘆願ですって……!」


 ティアに指摘されてエイブラムス夫人の獣のように鋭い目がカッとこちらに向けられた。

 ティアと同じ青い目には強い屈辱と若干の恐怖が滲んでいる。


(そもそも処刑する気なんて無かったんだけど……)


 夫人はしばらく懊悩おうのうしたが、やはり息子の方が何よりも大事なようだ。俺に向かって苦々しげに言った。


「今ここで約束してください。主人の行き先を教えたら息子の命は救う、と」

「約束しよう」


 即答する。


「……………………トエト領のヴァーノです。あの人は20人ほどの騎士を連れて騎馬で街を出て行きました」

「街の外……? それに騎馬だって? それは嘘でしょう、エイブラムス夫人。外には貴族軍が居るのに、この包囲を抜けられるはずが……」


 トエト領といえば今回、唯一俺の側に寝返らなかった貴族の領地だ。そこにエンローム侯爵が逃げ込むのはわかる。

 しかし一人でこっそりと逃げるのならまだしも、絶賛包囲攻撃中のパルファムから20人もの人間と馬が逃げられるはずがない。

 俺の困惑を見て、エイブラムス夫人が初めて薄っすらと笑う。

 その瞳が“これは嘘ではない。さあ、苦しむがいい”と言っていた。


「…………そうか……貴族の誰かが裏切ったのか」

「裏切った、というのは正確ではありませんね。彼らは元々あなたのような偽者の王に仕える意志などなかったのです。今回はあなたに味方せざるを得ないけど、若造に好き勝手されるくらいならもう一度貴族の中の貴族である主人に立ち上がって欲しいという方は結構いらっしゃるのですよ」


 くそっ! やはり忠誠心の無い部隊などアテにするんじゃなかった!!


「すぐに全軍にトエト領方面へ追撃に向かわせるんだ!」

「は、はい!」


 俺は猛烈な勢いで振り返るとティア、リグレッタ、アンキシェッタの三人に命令する。三人の中でも足の速いアンキシェッタだけが猛烈な勢いで伝令に走っていった。ティアとリグレッタは動かないが……まあ伝令なら一人いればいいだろう。

 俺の焦燥の様子に余裕を取り戻したエイブラムス夫人はカラカラと笑う。


「オホホホホホ、無駄ですよ。この国の軍馬の殆どはキスレヴによって殲滅され、残りの主人の軍馬も今朝騎士達に殺処分させました。あなた方の陣営にも軍馬は10頭もいないのはお見通しです。徒歩かちでどうやって馬に乗った主人を追いかけようというのですか?」


 またしても癪に障る甲高い笑い声。


「くっ……!」


 悔しいが、夫人の言っていることは事実だ。俺達にはとにかく騎兵がいない。

 この戦力ならトエトに攻め入ることは簡単だが、そのためには往復で十日以上掛けなければならない。しかしレオスが降伏するまで一週間程しかない現在、エンローム侯爵を追い詰めるにはとにかく時間が足りなかった。


「くそっ……! 仕切りなおしか!」


 俺がレオスの救援に言っている間にエンローム侯爵は再び南部の貴族たちを取りまとめ、内乱を起こすだろう。俺は再び力を取り戻したエンローム侯爵と戦わねばならないのだ。

 だが、救いの手は意外なところから差し伸べられた。


「……エイブラムス夫人。息子さんの命に誓って、エンローム侯爵がトエト領に向かったのは間違いありませんか?」


 この危機的状況を物ともしない凛とした声。

 そう、質問を投げかけたのはリグレッタだった。


「これは異な事を。私は真実を告げました。まさか私にここまでさせておいて、息子の命を奪うような真似をなさるおつもりですか?」

「いいえ、ただ確認したかっただけです――シュージ陛下、私はエンローム侯爵を追います。明日の夕方には戻りますので」

「な、何を言ってるんだリグレッタ? 相手は馬に乗ってるんだぞ? ……あ、まさか馬よりも早く走れる魔法があるんじゃ――」

「それでは行って参ります」

「え、あれ? ……歩いて行くの?」

「ええ、走るまでもありません」


 あくまで優雅に歩いて部屋を出て行くリグレッタ。しばらくして執務室の窓からリグレッタが屋敷を出る姿も見えたが、庭を進む姿はどう見ても急いでいる様子では無かった。


「……………………………………もうだめだよ、ティア。エンローム侯爵は諦めよう」


 嘆息して今後の作戦を頭で巡らせる。

 しかしティアは俺の反応の方が心外だと言いたそうにしていた。


「何を言っているんだシュージ。レッタなら大丈夫だ。親父殿は切れ者だったが、一つミスを犯した」

「ミス?」


 もう一度窓から庭を覗き込む。まだリグレッタが見えた。相変わらず魔法を使っている様子も無い。


「そうだ。お前も覚えておくといい。もしも、お前が急いで私達から逃げようとするなら――いいか、一度しか言わないからよく聞けよ――馬ではなく自分の足で逃げるんだ」

「はぁ?」

「嘘じゃないぞ。何故ならもし馬を使って逃げても、リグレッタは必ずお前に追いつくからな」



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