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雲霞の如く(1)

37、鼻血と朝日



 昨夜の戦闘から一夜明けたクリクス城。

 彼女達と赤獅子騎士団はリグレッタ二度目の"ついうっかり"によって今回の戦闘での数少ない"名誉の負傷者"として医務室送りになった俺とは違い捕虜の処遇について上へ下へと大忙しだった。

 何せ今回の戦闘では自軍の3倍以上――それもほとんどが煙のせいで治療が必要な状態――で捕らえられたのだ。牢屋にぶちこむだけで済む捕虜とは段違いで手間がかかる。

 一方、クリクス城には赤獅子騎士団全員がいられるわけではない。ウェイバーを倒しても、南部にはまだ反乱の元凶たるエンローム侯爵が残っているし、他にも首都のレオスまでキスレヴと戦闘に行かなくてはならないのだ。どちらにせよ戦場へ行くのは間違いなくので、留守部隊には五百人も残せないだろう。

 俺がいる医務室は昨夜の作戦で部屋中がベトベトした煤に汚れていたが、幸い棚に入っていたシーツと布団は無事だった。しかし寝てばかりいるわけにもいかない。

 さて仕事仕事っと、布団の上に地図を開いた直後、せっかく無事だった真っ白いシーツにパタタッと赤い雫が落ちた。

 同時に、医務室のドアが開く。


「うぇ……また鼻血が出てきた」

「……大丈夫か?」

「ああ、アダス」


 相変わらず突然現れるアダス。。

 俺は慌てずに血をハンカチで拭いながら、


「まだ痛い。鼻が折れたかもしれない」

「……鼻は普段のままだ。顔を上に向けて冷やしておけ」

「うぃ…………」


 言われた通りに首を上に向けた。

 鼻血が逆流してなんだか気持ち悪かった。


「……シュージ王。捕虜の処遇が決まった。ウェイバーを含む士官以上の者のみ拘束することになった。他の者は回復し次第、順次開放していく予定だ」

「へぇ。それなら留守の人たちだけでもどうにかなりそうだな」


 士官以上の人間なら全体の1割ぐらいだろう。確かにそれなら留守部隊でも十分面倒を見ることができる。


「……王よ、この後はどうする? これだけの捕虜を得たとはいえ、エンローム侯爵の部隊は未だに健在で赤獅子騎士団の数を上回っている。今回の敗北でまた侯爵の南部の貴族への影響力は更に弱まったが、まだ説得だけで我々の味方に引き込めるほどではない。これでは千日手だぞ?」

「お互い攻め込めるほど戦力は無いってことか。う~~ん……」


 布団の上に広げた南部の地図を見る。

 南部には大きく分けて3種類の領地がある。一つは代々軍務卿にあるエイブラムス家が治める巨大な領土、二つ目は赤獅子騎士団や上流貴族が治める8つの中規模の領土、そして最後に下級の貴族が治める数十の小さな領土の三種類だ。

 基本的に中世の街という奴は首都から遠い領土ほど田舎ということになるので、諸侯の領地は偉ければ偉いほど首都に近く、そうでないほど首都からは遠い。それはトルゴレオでも同じらしく、一番レオスに近いのはエイブラムス領、二番目は専門の軍事組織という特殊な性格を持つ赤獅子騎士団領、そして他の上級貴族、下級貴族と続いていくのだ。


「この、上級貴族って奴らの中で援軍を出してくれそうな奴はいないのか?」


 俺は南部の中でもエイブラムス領に隣接した7つの中規模の領地を指しながら言った。他の小さな領では首都どころかエイブラムス領からも遠すぎて援軍には間に合いそうに無い。


「……残念ながら、無理だ」


 相変わらず、全然残念そうじゃない無表情でアダスが言った。


「この7つの領地はトルゴレオでも指折りの腐敗と暴政を誇る地域だ。住民はいつでも反乱を画策しているし、領主は住民を抑えるために大規模な兵力を置かねばならない。それ以前に……お前はこういう頭の固い貴族からはあまり信頼されていないのだ」


 やはり平民出身――というかぽっとでの王ということで、俺の貴族間での評判は最悪らしい。

 それにしても……トルゴレオに数百いる貴族の仲でも指折りに治安が悪いなんて……どうやらこの7人は相当強欲でワルな貴族らしいな。


「じゃあ、ティアならどうかな? ほらっ、リグレッタみたいに社交界では顔は効くそうだし、おっさん相手に酌でもさせてさ」

「確かに口は回るかもしれんが……いや、確かにあの器量なら御曹司にでも嫁がせれば、あるいは援軍を出してもらえるかもしれん」

「………………ストップ。やっぱり駄目だ。もし俺がティアにそんなことを頼んでみろ。間違いなく殺される」


 思わずシミュレートしてしまう。

 話をもちかけた時点で俺の首が飛ぶ。どうにか頑張って交渉を成功させ、縁談の話をティアが了承してくれたとしても結婚初夜までには婚約相手の首を持って悠々と帰ってくるだろう。


『ちゃんと結婚はした。義理は果たしたぞ』


 みたいなことを言いながらティアがバスケットボールのように俺に生首をパスする様を想像した。


「相手カワイソス」

「……?」

「いや、この案は諦めよう」

「そうか」


 しかし……う~ん……これは、どうしたものかな。

 さすがに今回のような損害の少ない作戦が何度もできるとは思わない。だからなるべく敵を数で上回りたいのだ。けど、人間というのは畑から生えてくるわけじゃない。

 まとまった数を手に入れるには、地域に根付いた人間に頼るしかないのだが……。


「この貴族達ってさ、お金で買収とかできないかな?」


 ほら、金ならあるし。

 とスラクラからもらった馬車のことを思い出して、成金なりきんみたいなことを言ってみる。いや、実際成金なのだけど。


「……一人、二人ならできるかもしれないが、貴族達は信用できない。元よりエンローム侯爵側の人間ということもあるが、特に我々は少数だ。もしこの貴族達に千人単位の援軍を送られ裏切られた場合、対処できない」

「げぇぇぇぇ……」


 思わず奇声をあげてしまった。


「またこのパターンか! ……つまり戦力は足りない、しかし多く援軍を呼んでもコントロールできない……八方塞がりじゃないか!」

「……元から援軍のアテは無かったはずだ」

「あぅ……じゃ、じゃあ、青獅子騎士団はどうだ!? どうせこの辺にもスパイとして団員がいっぱいいるんだろう? 何人集められる?」

「……南部だと事務員を入れても三百人くらいだ。戦闘員ともなると……なんとか五十人送れるかどうか」

「50って……少なっ!」


 騎士団なのに戦闘員が6分の1しかいないとか。

 前々から疑問に思っていたけど、一体どんな組織なんだ。


「……我らが青獅子騎士団は総員5千人。主な活動は国内外での諜報。赤獅子騎士団のような騎士団領は持たないが本部は北部のシャーマンというところにあるが、一部の部隊を除いて殆どの団員が地区ごとの情報網の構築に当てられている」

「アダスが団長なんだよな?」

「……違う。団長は本部のあるシャーマンの領主の妻、セシリア・シャーマン伯爵夫人だ」

「ツマ……? フジン? ――うぇ!! 女の人!? 騎士団長が!?」

「……そうだ。今はキスレヴの国境警備隊に潜入している」


 キスレヴって今戦争真っ最中の敵国じゃないか! そんな中に単身飛び込むとか……なんという女ジェームス・ボンド。どうやら女性にして現役バリバリのスパイらしい。


「……たとえ全ての青獅子騎士団を集めても戦えるのはせいぜい千人。しかも今朝の情報によればエイブラムス領には五千の騎兵が入領したらしい。とてもじゃないが我々では戦線を支えられん。頼るのなら戦力としてではなく諜報や情報伝達の手段としてくれ」


 腕を組みながら言うアダス。彼自身は相当な剣の使い手であるはずだが、やはりスパイとしては少数派なのだろう。


「ってことはやっぱり自前で戦力を増やす必要があるんだな。はぁ……」

「……王よ、やはり無理だろう。一応エンローム卿の反乱は抑えたのだし、ここは無理に攻めずに味方のいる北部で援軍を募るが無難なのではないか?」

「――うぐっ! い、いや、できる! ……………………できる、と思う。どうにかする。ちょっとだけ、もうちょっとだけ考える時間をくれ」

「……いいだろう。存分に考えろ」


 3人にエンローム侯爵は捕まえると断言した手前、何もせずに北部に逃げることはできない。

 何か、何か無いだろうか?

 戦力を集める方法…………武術大会でも開いて腕自慢を集める?


「………………」

「う~~~~~~~~~ん」


 いや、それではあまりにも時間がかかりすぎる。

 やはり今からでも貴族達を説得する方法と制御する方法を考えるべきか。

 いっそ弱みでも握れればなぁ~。


「……シュージ王よ」

「う~~~~~~~~~ん」


 貴族達は反乱を恐れている。じゃあ、反乱を治めてやれば素直に従うんじゃないか?

 そういえば、日本の武将に一夜にして領地の反乱分子を全滅させた奴がいたっけか。

 むう……名前が思い出せない。しかも考えているうちに鼻から喉にかけて熱い物が込み上げてきた。


「……王よ、血が――」

「う~~~~~~~~~~ん」


 確か四国の武将だったか……。

 いや、そもそも反乱を鎮圧しちゃったら貴族は俺じゃなくてエンロームの方へ行っちゃうじゃん。

 ……でもこの四国の武将、何故か気になる。そもそもこいつはどうやって反乱分子を集めたのだろう。


「――王よ――」

「う~~~~~~~~~ん」


 病み上がりのせいか、ともすればボウっとなりがちな意識をコクコクと首を動かすことでどうにか覚醒させる。

 そのせいで視線は部屋の医務室の煤にまみれた壁紙と赤いシーツとを行ったり来たりしていた。


「う~~~~~~~~~…………んん? 赤い……? って、ええ!!?」


 気が付けば俺の鼻からはドクドクと大量に血が流れ出し、鼻から上半身、そして俺がかけているブランケットを真っ赤に染めていた。


「血血血血血血血血血血血血!!?」

「……興奮して血圧が上がりすぎたようだな。衛生兵えいせいへいを呼ばなくては」

「そ、そうか、衛生兵だな! え、衛生兵ーーー!! 衛生へーーーおぶっ!!?」

「……叫ぶな、じっとしていろ」


 思わず叫んだせいで更に血圧が上がり、鼻からまるで銃で撃たれたかのように血が吹き上がる。体を流れる血が急激に減り、体から体温が失われた。

 だが、失血のショックと頭から血の気が減りクールダウンしたおかげで、今まで喉の辺りまで出かかっていた武将のことを思い出した。

 土佐の武将で、確か名前は――


「そうだ! 思い出したぞ! ――山内一豊やまのうちかずとよだ! 功名が辻の、土佐の武将だ!」


 っとそこでドアが開かれた。


「陛下、一体何が―――こ、これは!?」


 衛生兵を引き連れて部屋に駆け込んできたのは、この鼻血の究極の元凶たるリグレッタだ。


「おお、リグレッタじゃないか!」


 歓迎の意を示すためにハグしようとしたが、血で汚れるのを嫌ったのかリグレッタには避けられる。

 というか、さっきまで昨夜の事もありなんとなく会い辛いと思っていたはずなんだけど……どうやら俺の思考は三途の川ギリギリまでぶっ飛んでいたため、あらゆる理性が働かなくなっているらしい。

 俺はタオルを押し当て止血しようとする鬱陶しい衛生兵たちを振り切った。


「陛下、お願いですから落ち着いて! 血を止めないと!」

「そうだ! 聞いてくれよ二人共。これならいけるんだ。決めたぞ! 今度の作戦は山内一豊式徴兵――」

「ふむ……」

「アダス! あなたも頷いていないで陛下を止めてください!」


 混乱する衛生兵達と、ダラダラと鼻血を流しながら意味不明な事を叫ぶ俺、無闇に冷静なアダス。医務室の混沌さは更に増した。


「そう、まず各地区の青獅子騎士団に連絡をかけるんだ。内容は――で、領主達も―――――――――、――――――――――――」

「……ほう、なるほど」

「アダス! …………もうっ! こうなったら――」


 何をしようというのか、意を決して近づいてくるリグレッタ。俺はそれを無視して思いつくままに喋り続けた。だが、


「それで締めには<魔法の言葉>を――むぐぅっ!?」


 アダスとの間に割り込み、俺の正面に立ったリグレッタの白い指に鼻を思いっきり摘まれた。

 おかげで血は止まるが、同時に話も止まる。もう少しで終わったのに……。


「もう結構です、陛下」

「みゃ、みゃってくれ、もうひょっとだへ――」

「駄目です。話なら後日ゆっくりと。あなたは昨日から出血が多過ぎます」

「へも(でも)……」


 あくまで続行を主張しようとする俺に対して、リグレッタが次にとった行動はかなり奇妙なものだった。


「ねえ! ……ねえ! 聞いてるんでしょう!? 今すぐコイツとコイツの鼻血を止めなさい!」


 衛生兵やアダスに話しかけているのでは無い。彼女は視線を俺に向けたまま、まるで俺のすぐ後ろに第三者がいるかのように大声で叫んでいるのだ。

 それにしても鼻を摘んでいる相手を目の前にしてこいつ呼ばわりかよ。


「のいのい(おいおい)、っていうか一体誰に――」

『私以外に"コイツ"を"コイツ"呼ばわりするとはいい度胸ね、リグレッタ』


 ……もう一人いたか。

 突然、会話に割り込んだのは以前一度聞いた女の声。あまり信じたくは無いが、やはり声は自分の喉から出ていた。

 気付けば、自分の周りを黒い煙が取り巻いている。


「出ましたね。さあファントム、すぐにコイツの血を止めなさい」

『……鼻をぶん殴ってくれた本人が言うことじゃないわね。あなた、今朝からずっとドアの前でウロウロして、何かコイツに言いたいことがあったんじゃないの?』


 ……え? ずっと部屋の前に居たの?


「それは…………い、今から言う所だったんです。――陛下!」

「はい?」


 傍観していたのに、鼻を引っ張って呼び戻された。


「その………………悪いと思っています。だから、これで許しなさい」


 はぁ? これ……ひょっとして謝っているのか?

 俺が理解しかねて眉をひそめると、彼女は若干傷ついたような顔をした。しかしすぐに気を取り直すと、今度は若干の怒気を込めて叫んだ。


「だから、ご・め・ん・さ・い! って言ってるんです!」


 声量と一緒に更に強くなった握力で、ギリギリと締め上げられる俺の鼻。


「ポーーーーーーゥ!? もげる! 鼻がもげる!」


 ポップの帝王みたいになっちゃう!

 俺は必死で手を引き剥がそうともがいたが、リグレッタの指はその細腕にも関わらず全然外れない。


「わかった、わかったから! 許すから! もういいから!」

「よし」


 むしろ俺が許して欲しい。

 リグレッタは一応、答えに満足したらしくようやく指を離してくれた。


「これで仲直りですね。さあファントム、満足しましたか?」

『……もういいわ。血は止めておいてあげる。それと、コイツはもうすぐ眠くなるだろうから、新しいベッドを都合してあげて』


 直後、鼻が急激にムズムズし、立っていられないほどの眠気に襲われた。瞼が重い。どうやら血を止めて増やすためにファントムが何がしかの肉体操作をしたらしい。

 フラフラと寄りかかれる場所を探すと、向こうからアダスがやってきて手を貸してくれた。


「……待て、最後に王が言いかけた<魔法の言葉>とはなんだ」

『各地域先着2,000名様限定!』

「……了解した」

「どういう意味なんですか、それ?」


 どうやらさっきまでの俺の話を聞いていなかったリグレッタが聞き返す。しかし俺にもファントムにも、もはや説明するほどの余裕は無かった。

 薄れいく意識の中で消えそうになったファントムの声が聞こえる。


――それから修司、早くこの女と別れなさい。こんなゴリラ女、私達の身が持たないわ


最近更新遅くてごめんなさい

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