暗黒星雲(1)
34、暗黒星雲(昼)
***ウェイバー・エイブラムス***
襲撃の日の次の日、昼食を取り新たな作戦を練ろうとしたところ、異変に気がついた。
「ゆらぁり……クソッ! ……私としたことが……」
苛立ちの原因は鎧の下に着ていた上着のポケットが切り裂かれていた事だ。
ポケットには父から渡された今回の作戦指令書が入っていた……はずだった。
恐らくは昨日のあの戦いの最後の一瞬、飛び掛ってきた男に盗まれたであろうそれは、今回クリクスを攻略するに当たって事前に調べられていたクリクス城の防備の情報や双子の団長が取るであろう戦略が書き記されていた。
文書の紛失そのものに問題は無い。城の見取り図などの情報は完全に暗記しているし、そもそもあの召喚王が入城した時点で双子の戦略予想など役には立たなくなっている。
だが、
「戦略の裏を書かれた上に、せっかく罠にかけた王をトドメをさせぬまま持って行かれるとは……!」
昨夜の作戦――包囲網の中でわざと本陣を離れて配置し、夜襲にきた赤獅子騎士団を逆に襲撃する作戦は完全に失敗に終わった。
原因は死んだはずの召喚王と青獅子騎士と妹のティアを含む三人の魔術師によるまさかの襲撃だ。
偶然なのか、でなければどうやったのか想像もつかないが、まさか隠密に近づいてくる赤獅子達を攻撃するために潜んでいた部隊を見つけ出され、更には力づくで突破されてしまう事など全く想定もしていなかった。
おまけに後詰めの予備部隊を用意しなかったおかげで、魔術師2人の迎撃も陽動の意図で起こされた火災の鎮火もできず、しかもこの自分までも撤退に追い込まれるという屈辱。
撤退が早かったおかげで自軍の被害こそ殆ど無かったものの、指令書を奪われ「エンローム軍が隠し通路を含めて敵城の情報を知っている」という内実を曝してしまったので、次の攻撃に際して取れる選択肢が極めて限られたものになってしまった。
できるなら昨夜の待ち伏せで終わらせるか、防備の無い隠し通路から兵力を送り込んで一気に城を落したかったのだが、今頃クリクス城は指令書の情報を元に城壁の強化や隠し通路の防衛強化などを行っているに違いない。
「ウェイバー様! 斥候が戻ってきました!」
「……報告しろ」
「はっ! 斥候に出した16部隊は無事帰還。我が軍の3キロ四方に渡って敵の姿はありませんでした!」
「西のクリクス城はどうだ? あそこは山城で、しかも森に囲まれていて視界が悪い。隠し通路から兵を出している可能性もある」
「はっ! ご命令通り斥候の内10部隊を割いて調査に向かわせました! 城の正門と判明している城内からの隠し通路14本も確認させましたが、どちらも兵力を動かした気配は無いそうです! ……ただ、その…………」
「なんだ?」
「その、クリクス城に近づいた数組が『城内から人の気配を感じなかった』と報告しておりまして……炊事の煙どころか物音一つしない、と……」
「ゆらり……何だと? 兵力を動かした痕跡は無かったのではないのか? なのに何故城内から人が消える?」
副官を鋭く睨む。
副官は震え上がりながら、答えた。
「お、恐れながら、我々の持っているクリクス城の隠し通路の情報は完璧ではありません。もし本当に城内が空だとすれば、敵軍はまだ我々が知らない通路を通り、捜索範囲外にまで逃亡したのではないでしょうか?」
「……ゆらり……あるいは、意気揚々と城内に入った我々を待ち伏せるべく、城内で息を潜めているか、だ」
「そ、そんな……」
思わず腕を組み、顎を擦る。これは由々しき事態だ。
敵は指令書の情報からこちらが予想もしなかった行動を取り出した。
こちらの兵力は敵を7000程上回っているが、向こうには魔術師が3人もいる。決して油断はできない。
「よし……今度は1分隊をクリクスの調査を出せ。本当に城に誰もいないか確認するんだ」
「はっ! 了解しました!」
右手で胸を叩き、副官は部下に命令を伝えに言った。
「……ゆらぁり……」
しかし……もし城に誰もいないのだとしたら、これは一体どういうことだろうか?
確かに戦力的にはこちらが大きく勝り、城壁の弱点や城から地下へ、山の中をアリの巣のように走る隠し通路の殆ども判明している。城内に篭って戦うにはいささか以上に不利だが、それでも野戦をしかけるより遥かにマシなはずだ。
「あるいは……北部の兵と合流してレオスを解放するつもりなのか?」
一見、それが一番手堅い方法に見える。
何故かは知らないが、レオスを包囲しているキスレヴ軍には増援が来ていないと聞くし、キスレヴ軍さえ撃破できれば中部と北部を合わせ腰を据えて戦力を整えることができる。
しかし、これは下策だ。
そもそもレオスを取り返しても中部はキスレヴに睨まれている事実は変わらず、召喚王は常に南部と、キスレヴへの防衛に戦力を割かなければいけない。当然、どちらへも侵攻などできるわけはなく、その間に父が南部を纏め上げキスレヴは戦力を回復させるだろう。
「だが、一時的にせよ我々に対して優位を作れる手でもある……」
では召喚王が我々に反撃を試みている場合はどうだろうか?
これこそ最も憂慮すべきことである。こちらの作戦はつぶされ、相手の意図はまだ読めていない。
考えうるのは城内での待ち伏せ。あらゆる場所に潜み、油断したところで一気に攻撃を受ければ戦力差は簡単に覆えされる。しかし、これは入城前に調査を徹底させることで防ぐことができるはずだ。
次に考えられるのはクリクス城それ自体を破壊して軍団を壊滅させる方法だ。これなら攻撃側にリスクが無く、かつ建物の崩壊によって追撃を遅らせることもできる。
しかし、
「……クリクスは堅城。一体どうすればそんなことができる?」
考える。
例えば設計の段階で予めアーチや城壁に構造上の弱点となる要石を作っておく方法。
その方法なら有事の際に要石を抜くなり破壊すれば、建物は崩れ中に居る兵を全て押しつぶすことができるだろう。しかし、可能性は薄い。
指令書に全ての城の構造が載っていたわけではないが、クリクス城は急造の砦ではなく、平時からの防衛を目的とした城であるし、城の構造を見る限りはそんな大きな仕掛けは無かったはずだ。
「大きな水源が無いのでは水攻めも無理。火攻めも建物が石造りでは効果を出しづらい……では、火薬による爆破か」
火薬は西大陸で発明され、近年ようやくトルゴレオでも使用されるようになった発火物だ。銃や爆弾などに封入され、火をつけると爆発を起こす性質から攻城兵器としての有用性も注目されている。
確かに、制式の装備として火縄銃を扱う赤獅子騎士団なら火薬の扱いも慣れているだろう。また、数百数千の兵士を城内で待ち伏せさせるよりも壁の隙間や、天井裏など人のいないスペースに幾らでも設置することができる。城中に仕掛けられた火薬に万が一、火が付けられれば、間違いなく自分の軍は壊滅的な被害を受ける。
恐らく、これが赤獅子騎士団が取りうる方法で最も脅威になるに違いない。
――ではクリクス城を占領しつつ、部隊が爆破されるのを防ぐにはどうすればいいのか?
「……ゆらぁり。派遣した1分隊では城内を隈なく調査することは難しい。最低でも騎士団の駐留人数である、3000人を城内の調査に送り込まなくては」
本来なら爆破されるリスクを避けるため少数の部隊に時間をかけて調査させるべきなのだが、攻城にかけられる時間が無いのはこちらも同じ。
ましてや、南部の諸侯から信用を失っているエイブラムス軍がもし空の城を目の前にしながら入城せず、何日も調査を続けたとなれば今度こそ家名が失墜してしまうだろう。
つまり今回、クリクスに入城するなら先に調査部隊として3000人程……いや、爆薬の発見に万全を期するなら5000人は送るべきだろう。
それで5000人も人手があれば城門から徐々に捜索を始めることで、部隊の安全は確保されるし、自分の手元にも十分な……いや、待て。
そもそも、得意分野とはいえ、スポンサーのいない地方騎士団ごときが城を吹き飛ばせるほどの火薬など手に入れられるだろうか?
それに、そもそも赤獅子騎士団といえばつい先日、大型の火縄銃を装備した実験部隊を新設したばかりだったはずだ。そんな組織が食料ならまだしも、火薬だけに大量の金貨を費やせるわけが無い。
「ゆらり……そうか……奴の狙いは……」
――戦力の二分。
例え自分が手元に5千人の兵を残していたとしても、3000対5000ではもはや絶対的な優位とは言えない。3人の魔術師、火縄銃という未だに未知数の武器、そして異世界人の召喚王、どれも軽視することのできないファクターだ。
かと言って城に送る兵を3000以下にまで減らせば今度は万が一爆薬が仕掛けられていたり、はたまた隠し通路から赤獅子騎士団が襲撃した際の対応が困難になる。
つまり自分は確実に赤獅子騎士団に対応できる戦力を手元に残しつつ、且つ安全を確実とするためには城内に5000人以上を送らなければいけない。
「ふんっ……小賢しい」
分散して駄目なら集中すればいい。クリクス城内には自分を含めた全軍勢を送る。
全ての兵士には罠など仕掛ける余地もない程、それこそベッドのシーツから石畳の裏まで徹底的調べさせるのだ。
――例え召喚王の目論見がなんであろうと、我が力と軍勢が全てを押し潰すのだ。