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連星(5)

よくわかる現在のトルゴレオ王国の状況。

西部 地震で壊滅。死者行方不明者数不明。復興の見通し無し。

中部(首都レオス) キスレヴ軍により目下包囲中。16日後に無条件降伏。

北部 唯一被害の無い地方。少数ながらも兵力を集結中。

南部 軍務卿エンローム・エイブラムス侯爵による反乱が発生中。現在唯一、主人公側の勢力にある赤獅子騎士団の本拠地クリクスにウェイバー・エイブラムス率いる軍が侵攻中。

32、包帯の環



 あ、気絶した。

 グルグルと目を回して、倒れこむアン。

 ポフッという案外軽い音と共にアンはビールまみれの床に沈んだ。


「おーぅい! 退場者一名だ! 誰か、姫様ぁ運んでやれ!」

「あ、はーい! 俺やります!」


 挙手して立候補をする。さすがにここの酔っ払い達にアンを任せるのは不安がある。


「え~~っと、おめぇさんどこかで見覚えがあるんだがなぁ……? 本当にうちの新入りだっけか? 言っとくがぁ変な気は起こすなよ。アンキシェッタはセクハラには死を持って報復する主義らしいからな」

「………………了解です」


 と、ラスティかロトンのどちらかが最後に忠告してくれた。

 さっきセクハラどころか、それ以上まで行きそうになったが……一応了承はあったし大丈夫だよね?

 ただこの場でお姫様だっこというのはやりすぎの気がしたので、救急隊員のように脇から首の後ろに手を回して引き摺るようにしながら、俺はアンを食堂から連れ出した。


「ってどこに連れて行けばいいんだ?」


 伏魔殿たる食堂から出たはいいが、先程俺が寝ていた部屋ですら分からなくなっているのに、アンの部屋なんて分かるわけが無い。

 途方にくれて辺りを見回していると、食堂の隣、やや奥ばった通路の先に厨房のドアがあった。

 そこから漂ってくるのは、先程から感じていた香ばしい肉の焼ける匂い。そういえば俺、お腹が空いてるんだった。


「すまん、アンキシェッタ……」


 空腹には勝てずアンを引き摺ったまま厨房に入る。

 ざっと見回したが、厨房には騎士どころか料理人もおらず、ここならアンを置いておいても大丈夫そうだ。

 適当な椅子を見繕い、アンを座らせておく。少し冷えるので毛布をかけてやりたかったけど、さすがに椅子以上のものは厨房には無かった。


「うう……いよいよガス欠だ。厨房ならどこかに食べ物が……」


 空腹がつのりいよいよ食べ物が恋しくなって、辺りを見回す。

 厨房のテーブルには食堂での宴会に用意された物なのか、パンやシチュー等の様々な料理が置かれていた。その中でも特に俺の食欲をそそったのは、まだ湯気を放つ骨付き牛肉の塊。


「おお、マンガ肉だ! まさか、こんな所で拝めるなんて!」


 待ち望んでいた動物性蛋白質に小躍りしながら手を伸ばす。

 手に返ってくるのはズシリとした重量感。鼻腔に届くのは、滴る肉汁と振りかけられた粒胡椒や香草の香り。持ち手として握った骨はまるで俺のために作られた名刀のようにぴったりと手に馴染んだ。

 クゥ~と一段と高く腹が鳴り響く。

 俺はもう我慢の限界! とばかりに涎を垂らしながら肉に齧り付こうとしたが――


「手を離せ。それは私の肉だ」


 聞き覚えのある若い声とともに突如、耳を掠めて後ろからサーベルが現れた。

 伸びて来たサーベルは耳を掠めて、まさに俺の口に届こうとしていた肉に突き刺さる。


「……は…………え?」

「肉から、手を、離せ」


 一音づつはっきりと区切る声。

 ……危うくチビるところだった。

 俺は名残惜しくも肉から手を離すと両手を万歳に上げ、声の主を確認すべくゆっくりと振り返る。


「………………陛下?」


 果たして、薄闇に浮かんだのは見覚えのある銀のツーテールだった。


「リ、リグレッタか!? ……なんだ、その格好?」


 リグレッタが着ていたのは地味なグレーのワンピースにフリフリのエプロン。左手には鍋を持ち、右手には肉の刺さったサーベルを装備していた。

 地味な格好だったが、いつも露出している肩が隠れた分むしろ普通の女の子としての印象が強くなっている。


「なんだとはなんです。あなたが御所望した大豆入りのお粥を作っていたんですよ」


 そういってツイと差し出したのは鍋からは味気無い、もとい健康的な粥の匂いが漂っていた。

 思わずお腹が鳴り始める。


「ほら、やっぱりお粥が食べたかったんでしょう?」

「いやその……俺は、そっちの肉の方がいいんだけど……ほら、怪我には肉って言うじゃん」

「陛下、ファントムというのは健康に関しては決して嘘をつきません。そのファントムが直接指示した以上、陛下にはこれから傷が完治するまで溺れるほど粥を食べて頂きます」

「さすがに溺れるほど食べるのは違うと思う……」


 確かに、今まで食にあまり気を配ったことはないが、溺れるほど食べるというのが明らかに間違っているのはわかる。

 何より、食べ盛りの男子を捕まえてしばらくお粥だけで過ごせというのはあまりに酷じゃないか。


「それより、何故あなたがここにいるのです? アンの話ではアナタを乗っ取ったファントムが部屋で待っていると聞いていたのですが」


 小鉢とスプーンを取り出しながらリグレッタが問う。どうやら、俺はこのお粥から逃げられないらしい。


「部屋でいくら待ってもアンが帰ってこなかったんだ。ファントムはその内に制限時間とやらで、いくらかお小言だけ残して消えちゃったよ。アンは食堂で気分が悪くなったみたいなんで連れ出して、そこに寝かせた」


 さすがに部外者であるリグレッタに、赤獅子騎士団の借金の話をするのは憚られたので適当にごまかしておく。

 リグレッタはふむ、と頷くと畳まれていたテーブルクロスを取り出し、アンに被せた。


「お小言、ですか? 具体的にはなんと?」

「えっと、"とりあえず急ぎで血管は繋いだけどしばらくは無理に体を動かさないこと。むこうの生活みたいに肉ばっかり食べてないで、きちんと栄養バランスを考えて食事をすること。夜更かししないこと。夜は体を冷やさないようにすること。あと一人だけ、私達にとってあいつだけは必ず――"」

「必ず……なんですか?」

「そこまでなんだ。途中で消えちゃったんだよ」

「明らかに最後の言葉が一番重要そうなのですが…………まあ、少しでもコミュニケーションがとれただけマシとしましょう」


 と言った、リグレッタが小鉢に入れた粥にスプーンを入れる。そのまま口へ持っていき、味見でもするのかと思いきや


「フーッ、フーッ……はい、どうぞ」


 差し出されたのは彼女の吐息によって冷まされた木のスプーンとお粥。伝説のカップルイベント"はい、アーン"こそ無いものの十分以上に破壊力のあるシチュエーションだ。

 俺は頬が赤くなるのを感じながら俺はスプーンを受けとって自分の口に運ぶ。


「ん……うん。おいしい」

「大変結構。お口に合って何よりです」


 粥は熱くも無く温くもなく、塩加減も豆の柔らかさも良く調整されていた。

 これなら、しばらく飽きずに食べられるかもしれない。

 一方リグレッタは俺の感想を聞くとエプロンを脱いで自分の食事に取り掛かった。

 先程の骨付き肉の他にも熱々のバンズやシチュー等の様々な料理を凄まじいスピードで、しかしマナーを忘れずに頬張るリグレッタ。思わず手元を見る。俺の前には相変わらず鍋いっぱいのお粥があるだけだった。


「………………なあ、ちょっとだけそっちの味――」

「駄目です。ダイエットだと思って我慢なさい」

「………………」


 取り付く島も無い。

 仕方なく、なるべく隣のテーブルを見ないようにしながら粥を啜った。

 それから約20分、隣には空の皿の山が立ち並び、俺には鍋のそこが見えて食事が終わりかけた時、リグレッタが問いかけた。


「ところで、傷の具合はどうですか? ファントムの言うとおり出血は止まっているようですが」

「傷? ああ、もう大丈夫だよ。ちょっと痛いけど十分歩けるし…………みんなちょっと大袈裟なんだよ」


 正直座っているだけでも痛むが、さすがにリグレッタの前で痛がる訳にもいかず、精一杯強がってみせる。


「ほぅ。死にかける様な傷を負って、私達に盛大に心配させた挙句にそれを大袈裟、ですか……ふぅん」

「……………………」


 そんな俺の強がりを見透かすように半眼で追求してくるリグレッタ。

 首を逸らして必死に視線を逸すが、どうみてもバレてます。


「…………どうやらあなたに聞くよりも、直接見た方が良さそうですね。陛下、服を脱いでください」

「は?」

「脱ぎなさい。それとも、私の"魔法の杖"で脱がして差し上げましょうか?」


 シャランっと肉の刺さったサーベルを鳴らすリグレッタ。

 久しぶりに聞いたジョークだが、前回と違って剣先に刺さった肉が流す生々しい肉汁がその迫力を一層強くしていた。


「すぐに脱ぎます。お時間を取らせて本当にごめんなさい…………だっけ?」

「よろしい。…………フフッ。そう、確か初対面はこんな感じでしたね」


 リグレッタが苦笑しながら相槌をうつ。そういえばこいつには初対面から刃物を突きつけられたな。

 俺は空になったお粥の小鉢を横に除けて、シャツのボタンを外した。

 木綿のシャツを脱ぐと胸からわき腹にかけて巻かれた包帯――アンが巻いてくれたらしい――が露になる。シャツは畳んで傍に置くと両手を上げてリグレッタに包帯のある箇所を見せた。


「……少し、逞しくなりましたか?」


 リグレッタは上から下へと視線を走らせて言った。

 言われて、自分の体を眺めてみる。

 この世界に来る前は太ってもいないし、かといって筋肉がついているわけでもない平均的な現代っ子の体型だったのだが、今は痩せて肋骨が浮き、アチコチ筋張っているような気がする。


「こっちに来てから随分動いたからな。筋肉がついたっていうよりも贅肉が落ちただけなんだろうけど」


 一週間でも結構変われるもんなんだな。少し人体の神秘に感動した。

 それより、怪我を見せるなら包帯を解かなきゃいけないんだが……包帯の端っこがどこにあるかわからない。

 見かねたリグレッタは俺の右腕を上げさせクルクルと包帯を解くと、今度は顔を近づけ怪我をまじまじと観察した。


「……あれだけの出血だったのに、もうカサブタになっていますね。傷はここから…………ここまで。深さは3、4センチといったところですか……よく生きてましたね。肋骨を避けている上にかなり鋭い斬撃ですから、確かに完治は早そうですね」


 傷を開かないよう慎重に、リグレッタの冷たくて細い指が傷口の周囲を触ってくる。


「ヒャフッ! ちょ、リグレッタ! くすぐったいって! も、もういいだろ!」

「駄目です。一応、消毒しておかないと……」


 どこからともなくリグレッタが液体の入ったビンとナプキンを取り出す。

 チョンチョンとアルコールを染み込ませたナプキンで傷口をつつくとその度に傷口が痛み、アルコールが気化してスースーした。

 消毒を終え、今度はリグレッタが包帯を巻きなおす。手を脇に回して背中へ包帯を通すたびに、胸やら顔やらが密着して大変ドキドキしていたが、途中でふと、その手が止まった。


「……陛下、お願いがあります」

「ん?」

「……もう…………怪我をしないでください」


 いつものようなはっきりとした物言いではない。うつむいたまま、喉から搾り出すような声でリグレッタは言った。それはつまり、文字通り体に気を付けろという意味ではなくて、


「つまり俺に、前線に出るなって……? そりゃ、俺は頼りないけど人並みぐらいには――」

「戦闘なら! ……私達がいます。赤獅子騎士団を得たことで人手も揃いましたし、隠密の任務ならアダスに任せられます。もう陛下が危険に晒される必要は無いんです! …………もしまた、あなたがこんな怪我をしたら、私…………」

「リグレッタ…………」

「…………お願いします……約束してください……」


 ギュっと体にしがみついたままリグレッタは言った。

 相変わらずうつむいているので彼女の表情は見えない。


「そ、それは…………」


 できない相談だ。

 俺はずっと変わりたいと願っていた。強くなりたいと、例え自分が夢見ていた未来像が絵空事であったのだとしても、そこにできるだけ近づこうとあの時、ハマミの村で決意したのだ。

 久しぶりに、右目がチリチリと痒くなる。

 リグレッタの哀願はあまりにも強烈に心に突き刺さる。決意が揺らぐ。

 果たして、自分の決意とはここまで彼女を心配させてまで成し遂げる価値のあるものなのだろうか?


「…………お、俺は……俺は……」


 動悸が激しくなる。

 あれほどの決意とは裏腹に、口が殆ど自動的に彼女の言葉を了承しようとする。

 そしていよいよ喉から声を絞り出そうとしたその時、それまで手を止めていたリグレッタが、包帯を巻き終えてポンと俺の体を打って言った。


「……なーんて! 言っても仕方ないですよね。戦力といってもまだまだですし、陛下にはこれからもどんどん戦っていただかなければ!」

「あ……え?」

「アン! 起きているのでしょう?」


 リグレッタに呼びかけられ、今まで沈黙していたアンがビクッと反応する。

 どうやら途中から目を覚ましていたが、声をかけるにかけられなかったらしい。

 アンは恥ずかしそうに目を開け、おずおずと自分にかけられていたテーブルクロスを外すと弁解をしようと口を開くが、


「あ、あの、私――」

「もう大丈夫なら、陛下を寝室までご案内してあげて。私はここの後片付けをしていきますから」


 と、リグレッタがそっぽ向いたままで命令した。


「は、はい! ではシュージ様、行きましょう」

「あ、……うん」


 アンに連れられて厨房を出る。

 結局、リグレッタの真意はわからないまま、俺は厨房のドアを閉めた。




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