連星(4)
31、バッカスと金星
『…………帰って来ない』
――うん、帰ってこないな。
アンキシェッタが部屋を出て30分以上が経過した。
その間アンキシェッタが呼びに言った2人はもちろん、お願いしたお粥も未だに到着の気配が無かった。
『しかも扉の向こうから漂ってくるこの美味しそうな匂い…………駄目。もう我慢できないわ』
空腹に耐えかねてファントムは体を持ち上げ立ち上がろうとしたが、
『あっ……! しまった……!』
その動作が妙に遅い。
怪我のせいではない。痛みや失血によるものでもなく、まるで体の感覚がなくなったかのように動きがチグハグとしているのだ。
同時に、今まで希薄だった俺自身の感覚が少しづつ戻ってくる。
『あっちゃー、もう時間切れ? ……いい? 聞いて頂戴。とりあえず急ぎで血管は繋いだけどしばらくは無理に体を動かさないこと。むこうの生活みたいに肉ばっかり食べてないで、きちんと栄養バランスを考えて食事をすること。夜更かししないこと。夜は体を冷やさないようにすること。あと一人だけ、私達にとってあいつだけは必ず――』
まるで母親がするようなお小言の最中、フッと意識と体が戻ってきた。それまで支える必要の無かった体が体重に負けてガクっと折れる。
しばらく眩暈のような感覚と体中の筋肉という筋肉が突っ張るような感覚に襲われた。
そのまま、1,2分悶絶してようやく俺は体を取り戻したのだが、
「うえぇぇぇぇぇぇぇ、気持ち悪っ。腹減った。腹が痛い。腹減った!」
出血は止まっているが、右脇腹が痛む。ファントムの言った通り、まだ怪我は治っていないようだ。
「最後の言葉……"あいつだけは必ず"? 何が言いたかったんだ?」
明らかにその前までのお小言より重要そうだったぞ。
ファントムは誰をどうしたかったのか。あそこまで中途半端では何も推測することができないじゃないか。
と、そこでお腹がクゥ~と鳴り体が自分の空腹を思い出す。
「アンキシェッタ、何してるんだろうな。もうファントムがいない以上待ってても仕方ないし、食堂でも探して食べ物を漁るか」
今は考えても仕方ない、と自分を納得させる論理を組み立てると、体を引きずりながらドアを開き、部屋からクリクス城内へ繰り出した。
***
「がぁーはっはっは!! 野郎共! 歌え、歌えぇい! ……おう、そこの新入り! 俺には酒注げ、酒! ヒック!」
「え? は、はい! …………って、なんで俺が!?」
外から漏れていた美味しそうな匂いを辿ってたどり着いたのは、クリクス城の兵士食堂。匂いの原因は単に兵士達の食事の時間だったからだというわけでは無かった。
食堂の扉をの先にあったのはジョッキを片手に肩を組み大音響で歌うマッチョの騎士達と、その大音響さえも物ともしない更なる大声で馬鹿騒ぎを煽る赤獅子騎士団の代表、赤毛の巨漢――ロトンとラスティがいた。
「なーに言ってんだぁぁ? 俺ぁ~赤獅子の騎士団長様だぞぅ! そりゃ、おめぇ、平団員が酒を注がねぇ理由がないじゃねぇか!? なぁラスティ!?」
双子の片割れ、恐らくロトンが酔って真っ赤になりながら言った。もう随分飲んでるらしく呂律も、喋っていることもおかしい。
「おいおい! 団長は俺だろロトン! てめぇは俺に負けたんだぜ。この俺との厳正なる勝負でな! まったく……ジョッキ三杯も差をつけてやったじゃねーか。忘れたのか? ああ!?」
「ありゃあ、てめーが俺のエールにウィスキーなんて混ぜやがったからだろ! なんなら今からもう一回やってもいいんだぜ、団長決定戦をよぉ~!」
「――って、騎士団の団長を飲み比べで決めたのかよ!」
普通、命をかけた真剣勝負とかじゃないのか!?
「団長~! 俺も参加します! 俺ぁ、前々から団長の座を狙ってたんでさぁ!」
「団長、俺も!」
「がぁーはっはっはっはぁ!! ようし、てめぇら! 第二ラウンドだ! 全員、ジョッキを満たせぇ!」
食堂内では双子は勿論、どいつもこいつも酔って正常な判断を失っていた。
ってか団長の座を狙ってたって何気に危険発言だよなぁ。室内で俺だけが展開についていけず、食堂の中で立ち尽くす。
騎士達は酒に関する欲求にだけは反応するらしく、団長の命令を受けると軍隊仕込の整然さで立ち上がり厨房の奥から次々とビールが注がれたジョッキを取り出し、全員に配りだした。
何故か、俺の手の中にも並々とそそがれたジョッキが一つ。
「……これがビール……」
この世に生まれて17年。ウチの両親はお酒やタバコに厳しく、俺は今までビールにすら接する機会が無かった。
ちょっとの罪悪感と同時に好奇心が首をもたげはじめる。その時、いかにもゴロツキっぽい男達と立ったまま乾杯して酒を飲むというのがいかにも魅力的な行為に思えたのだ。
テーブルの向こうでは双子が乾杯の音頭をとっている。
「よぅし! じゃあ我らの怨敵、ウェイバー司令官殿がケツをまくって逃げ出した記念に!」
「三枚に卸された我等が王の回復を祈って!」
「「野郎共! 乾杯だぁーー!!」」
――おおぉ~~~!!! 乾杯ーー!
隣に居た、名前も知らない騎士のお兄さんとジョッキをぶつける。
見よう見まねのまま、ジョッキを傾け中の液体を泡ごと口に注ぎ込んだ。
達成感から、最初はブハっと息を吐き豪快にうまい! とテンプレな感想を叫ぼうとしたが、
「…………ぬるい。つか、苦い」
全然美味しくない。
なんとなく裏切られた気分になり、ジョッキの中身をすばやく床へと捨てる。
俺が捨てたビールは、酔い潰れて床で寝ていた兵士の顔にぶちまけられたが、全く起きなかったし、すでに食堂中がビールまみれだったので誰も気にしなかった。
「あ~~~~~~!! あなた達! 何をしてるんですかぁ!」
「おう! 我等が硝煙姫! ア~~~ンキシェッタ様の途中参加だぁ!!」
食堂に入ってきたのは30分ぶりの再会となるアンキシェッタ。
アンは方々を走り回っていたらしく、若干息を乱していたが、騎士団の乱痴気騒ぎを一目見て目を剥かんばかりに驚いた。
「そ、その名前は止めてください! 私は団長達みたいな火薬ジャンキーじゃありませんから! ……そんなことより、皆は何をやってるんですか!」
「何って、ウェイバーがケツまくって退散した記念と」
「4分割されたオウサマの回復祈願だろ?」
なんだか、こいつらが言う度に俺の分数が増えている気がする。数えて無いけどさ。
アンはまだ俺に気付かないまま、団長に事の顛末を問い詰めるために食堂を横断してきた。
途中、酔った団員達がアンの胸や腰に手を伸ばしてきたが、アンはそれを見もせずに全て手刀で迎撃して、全くセクハラを寄せ付けなかった。
さすが、男所帯には慣れているらしい。
「そうじゃないです! 我々はクリクス城で孤立してるんですよ!? 包囲戦で食料を切り詰めないといけないときにこんなことして! どうするんですか!? この城の食料備蓄なんて二月分くらいしか用意してないのに……」
「おうおうおう! 食料の事なら心配はいらねぇよアァァンキシェッターー! 手は打ってあるぜ。なぁラスティ!」
「おうさ! こんなこともあろうかとたんまりと借金して食料を買い込んでおいたからよ! 城に篭ってりゃあ補給無しでも2年は戦えるぜぇ アァァンキシェッターー!」
「私の名前はアンキシェッタです! そんな風に発音………………シャッキン? ……………………ッ!? 借金~~~!!?」
アンキシェッタ、二度目の絶叫である。
「そんな、ウチの財政なんてカツカツなのに…………ガルベージさん! 経理のガルベージさんはいますか!?」
「ふわ~い。アンちゃん、私はここにいますよ~」
手を挙げたのはこのマッチョ集団に不似合いなひょろっとした無精ひげの男性。こいつも例に漏れず酔ってはいるが、呂律はちゃんとしているし、まだ話はできそうだった。
「ガルベージさん! 団長達は一体いくら借金したんですか?」
「ん~~、あちこちから勝手に借りたみたいだから正確な数字はわかんないけど…………金貨で一万2千枚くらいかな?」
「いちまんにせん……」
――そういえば、
人混みの向こうでがっくりと膝をつくアンを見て、ふと思う。この国の貨幣ってどうなってんだろう? レオスでは全くお金のことなんて考えなかったし、ハマミの街では買い物は全てリグレッタに任せていた。
この国だとそんなに生活に密接に関わっているわけではないが、それでもやはり知っておいた方がいいんじゃないだろうか。
俺は人混みを搔き分けるとアンキシェッタのやり取りが直接見える位置にまで近づいた。
「しかも、ただの借金じゃないんだ」
「はぇ?」
ガルベージと名乗る騎士が続ける。
アンはまだショックから立ち直っておらず、呆けたようにしか反応できないようだ。
「団長達はキスレヴ金貨で借金をしたんだよ」
「キスレヴ金貨……って、キスレヴのお金ですよね? 確か金の量が少ないからトルゴレオ金貨ほど価値が無いって……」
「アンちゃん、それは昔の話だよ。キスレヴは5年前の改鋳で金貨の金の含有量をかなり増やしたんだ。しかもこの度の戦勝とレオスの包囲でトルゴレオ金貨の価値は絶賛暴落中、逆にむこうは価値がうなぎ登りと来ている」
「……それって……ひょっとして…………」
頬をヒクつかせながら問いかけようとするアン。
俺も流れから段々と話の結末が見えてきた。
「ああ、とてもじゃないが普通にやりくりして返せる額じゃない。俺達はキスレヴがしたように貨幣価値を変えるくらいの圧倒的な勝利をしなければならないというわけだ」
「………………………………………………キュウ~」
あ、気絶した。