日の丸の街(4)
27、星の金貨
***アンキシェッタ***
(どうしよう…………しゅーじ様、まだ戻ってこない)
シュージ様と別れて一時間。
陽動として引き連れていた衛兵を煙に巻いた私とレッタちゃんは、遅ればせながらスラクラ某の屋敷へ向かうことにした。
ティアちゃんはまだ合流していないけど、さっきから街のあちこちで騒ぎが起こっているのでとりあえずは無事だ。
前を行くレッタちゃんがまた、歩く速度を上げる。
「ねえレッタちゃん! 気持ちはわかるけど、そんなに急がないで」
「え、……ご、ごめんなさい、アン。どうも嫌な…………嫌な予感がして」
「嫌な予感? それって、どんな感じ?」
徹底的な現実主義者のレッタちゃんが『嫌な予感』?
これはかなり珍しい。
「ええと、……なんだか去勢していない飼い犬を野に放したような落ち着かない感じ」
「去勢? 犬? よくわからないよレッタちゃん」
「私もはっきりとは……。ティアがよく言う女の勘というやつかもしれません」
手元の火の玉が照らす赤一色の町並みを駆ける。急いだ甲斐もあって予定より随分早く屋敷が見えてきた。
真っ白で派手なスラクラの屋敷は王都でなら映えるだろうけど、この赤いハマミの街並みからは浮いてるな、などと考えていた時、
『ぎゃあああああああああああああああああ!』
ドンッという鈍い音の後に続いた彼の悲鳴。
その様子は明らかに普通じゃない。
「今のは陛下!? 急がないと!」
「待って、レッタちゃん! ……足音が二つ。シュージ様、こっちに逃げてくるみたい」
「逃げている? 警備に見つかったのですか?」
警備なら一人というのはおかしな話だ。その程度の人数、ファントムを操れる彼なら振り切るか倒してしまえばいいのに。
足音は段々私たちのいる通りまで近づいてくる。一つは普通の男性の足音のようだが、もう一つの歩兵一個部隊を突撃させた時のような喧しい足音はなんだろう?
やがて軽い方の足音が角を曲がり、通りの向こうにシュージ様が走ってくる姿が見えた。
その無事な姿に安堵したのも束の間、彼は私の明かりの向こう、闇の中から現れた巨大な人影に追いつかれ、その丸太のような腕で背後から押し倒された。
「ぐぇぇぇっ!!」
「つぅぅかま~~~えたぁぁぁ! さあ、ダァァァリン! 大人しくアタシ♪の百人目の愛人になりなさ~~~い!!」
彼を押し倒したのは牛のように大きく、カエルのような皮膚と声を持つ半裸の怪物。特に目を引くのは大きな顔で、2メートル以上はある身長の3分の一を占める巨大なソレは、圧倒的なサイズの口を開いて獲物を食べようとしていた。
私もレッタちゃんも目前の光景に少しの間呆然としていたけど、彼の悲鳴にようやく我を取り戻す。
「化け物! シュージ様から離れなさい!」
「アン、リグレッタ!? 気を付けろ! そいつはお前らと違って99人もの男を食ってきたバケモノだ!」
「……私達と違って?」
なんだろう、微妙に言葉がおかしい気がする。
「街中に、人喰いのバケモノ!? ……アンは陛下の保護を。私はあの怪物を倒します!」
レッタちゃんは私の言葉を最後まで聞かずに、バケモノとの距離を詰めるべく駆け出す。
幸いバケモノは人を丸呑みする性質では無いらしく、捕食の際邪魔になりそうなシュージ様の服を脱がすことに躍起になっていた。
そのハムのように太い指がベルトにかかった瞬間、レッタちゃんは地面を踏み割って跳躍し、全体重を乗せたドロップキックを化け物の額へ見舞う――
「ハァァァァッ、とぅっ!」
「きゃぁぁぁん!?」
ドロップキックが決まった! バケモノは思いのほか可愛い声を上げて仰け反り、一瞬だけシュージ様にかかっていた手と足が離れた。
私はその隙にシュージ様を化け物の下から引っ張り出して、二人で急いで安全な距離まで退避する。レッタちゃんも一緒に距離を置こうとしたけれど、バケモノがすぐに立ち上がってきたのでレッタちゃんは離れるのを諦めてバケモノと対峙した。
「そこの小娘ぇ!! ダァァァァリンを返しなさい!!」
(こ、怖い!)
バケモノが睨んでくる。
リンゴ程もある赤茶色の瞳はまるで竜か悪魔のような迫力があった。あまりの怖さに私とシュージ様はお互い抱き合って震えあがる。だけど、レッタちゃんだけは私達二人を庇って仁王立ちで化け物を睨み返していた。
「あとそっちのブス! 女として底辺レベルの顔のくせにアタシ♪の顔を傷つけるなんて…………ふん、何よ。ブスがどんなブスかと思えば、ツインテールなんて髪型でオトコに媚びるしか能の無い頭の弱いブスみたいね」
「ブ、ブス? 媚びてる!? 頭が弱い?? て、撤回しなさい!! イボガエルとて今の発言は許せません!」
顔を真っ赤にして怒るレッタちゃん。いつもティアちゃんと口喧嘩して負けるのはこのカッとなりやすい性格のせいだ。
「イィィィィボガエルゥゥゥ!? ……どうやら顔と一緒に視力と性格まで歪んでいるようね。いいわ。アタシ♪が! 矯正! して! あげる!」
「っ!?」
化け物が突然、メロン程もある乳房を揺らしながら走り出した。レッタちゃんは巨体からは想像できないほど俊敏なその動きに咄嗟に動けず、ゴリラのように筋肉質な体が繰り出すビンタをまともに受けてしまう。
「レッタちゃん!?」
「ぐぅぅぅぅっ!」
先ほどのドロップキック並みの鈍い音とカキンッというなにかが割れる音。ビンタを受けたレッタちゃんの左頭部は流れ出る血と壊れた髪留めから落ちる長い銀髪がベッタリと張り付いていた。
「レッタちゃん! 大丈夫なの!?」
「くっ……つつつ……な、なんとか…………」
レッタちゃんはバケモノの強烈な一撃を受けて、意識も足もフラフラで今にも倒れそうだったけど、得意の負けん気でなんとか踏みとどまり、
「ウ、ウシガエルにしては淑女の嗜みを知っているようですね……でも本当のビンタは――こうです!」
レッタちゃんがヒキガエルさんに向かって右足を一歩踏み込み、右手を大きく後ろに引いた。体中のバネを使った渾身のビンタは必要以上に大きい顔に当たり、火薬の破裂音のような爽快な音を夜の闇へ響かせる。
威力、角度共に最高のそれを受けたら、たとえ兜を着けた男の人でも立っていられないはずなんだけど……。
でもアカガエルさんはレッタちゃんと同じようによろめきはしたものの、倒れることはなかった。
「……上等よ、おチビさん! 骨格から整形してやるわ!」
「あなたこそ見直しました。お礼に力づくで両生類から爬虫類に進化させてあげます!」
レッタちゃんがガマガエルさんの右の頬を張れば、ガマガエルさんがレッタちゃんの右の頬を。お互いに一度づつ、何度も何度もなぐりあう。
どうやら私達を置いてけぼりにしたまま、泥沼の殴り合いが始まってしまったようだ。
ここは私も参加して助けてあげるべきなんだろうけど、私じゃあこの展開についていけない。ふと、シュージ様と抱き合ったままなのを思い出して、彼の顔を覗き込んで尋ねた。
「ご無事ですかシュージ様?」
「あ、ああ。助かったよ、ありがとう」
触れそうなほど顔が近かったため、彼は真っ赤になって立ち上がりながら答える。
とはいえ自己申告では心配なので、一応シュージ様を一回転させて怪我が無いかどうかチェックする。セーフハウスから持ってきた黒い綿服は、土がついていたり、生地が無理矢理引っ張られたような跡があったけど血はついていなかった。
「それで、ビューティーエマフランソーズさんはどうなったんですか?」
「ビューティエマフランソーズさんは………………無事だ。飽きれば自力で帰ってくると思う」
「自力でって……どういうことですか?」
「自力というか……100万馬力で?」
馬力? 馬車にでも乗って帰って来るのだろうか?
意味はよくわからなかったが、とにかく目的は達成できたみたいなのであまり詳しくは聞かないでおこう。
シュージ様はズボンを直しながら、フウっと溜息をつく。
「あれじゃあ、当分終わりそうにないな。ここにいても仕方ないし、一旦ボンズさんのとこに帰るか」
「ええ!? レッタちゃんはどうするんですか?」
「リグレッタなら大丈夫さ。ほら、なんか楽しそうだろ」
シュージ様の指差す方を見ると、通りでは相変わらずレッタちゃん達が激しいビンタの応酬をしていた。二人とも顔は真っ赤に腫らしているけど、凄惨な様子は全く無くて……確かになんだか楽しそう。
「……そうですね~、あんなレッタちゃんは初めて見ます」
命の危険は無いようなので、ここで帰るのもアリだろう。
でも城壁を越えたり、衛兵の陽動までやってここまで来たのに、何もしないで手ぶらで帰るのもなんだかもったいない。
(……そうだ!)
「じゃ、二人でこうやって帰っちゃいましょうか!」
レッタちゃんやティアちゃんがいないのを良い事に、両手を回して彼の右腕に思いっきり抱きついてやった。
「ア、アンキシェッタ? あた、当たってる! 当たってる!」
「え~、一体私の何が当たってるんですかぁ?」
真っ赤になって焦りだす様子が面白くって、わざと惚けて質問してみる。
「何ってその……胸が……」
「私の胸、嫌ですか?」
「そ、そうは言ってない」
そこまで言ってようやく、自分がからかわれている事に気づいたようだ。目線を私から逸らし、どうにか平静を取り戻しかけた彼を、さらに強く抱きつくことでもう一度揺さぶってやった。
自分の胸の谷間に男の人の腕があるのは変な感じだが、自分からくっつくのなら悪い気はしない。
「えへへ~……」
さすがにシュージ様は以前抱きついた時のように積極的じゃなかったけど、それでも工房までの少しの間、私は二人きりの時間を満喫することができた。
***
翌朝。
明け方近くに、リグレッタとビューティエマフランソーズ(以下エマさん)が肩を貸し合いながら帰ってきた。どうやら昔の青春ドラマのように、殴り合いの中で友情が芽生えたようだ。
リグレッタが無事なのを確認すると俺達は旅装を整え、荷物を詰め込む。
工房で食料も調達できたし、最大の不安だったエマさんもスラクラの屋敷から取り戻すことができたので、街を出ることにしたのだ。
正直スラクラの暴虐を解決を解決できなかったのは心苦しいのだが、何しろ俺たちには時間が無い。まあ、あの様子ならしばらく悪さをすることもないだろうし、レオスを奪還したらなるべく早く解決してやろう。
「結局俺は何もしてないな……」
三人より早く準備の終わった俺は、先に外に出て門番に預けた武器をどうやって取り返そうかと考えていた。 その時、
ドンドン
俺が工房を出ようとドアノブに触れた瞬間、ドアがノックされた。
『あの、私、所用でシュージ国王陛下を探しているのですが……彼はここにいらっしゃいますか?』
「シュージなら俺だけど……?」
ドアの向こうから聞こえたのはやや高い男の声。
この登場パターン、また青獅子騎士団の人だろうか?
ドアを開けるとそこにはガリガリに痩せた白髪の青年が、真新しい修道服を着て立っている。服のどこを見渡しても目印の青獅子の紋章が無いので、どうやら騎士団の人間ではないらしい。
青年は覇気が無く、目の下にクマができてひどく憔悴しているようだったが、俺を見るなり生き返ったように目が輝いた。
「そのお声! まさしく昨夜私を悪夢から救ってくださった救世主様!」
「昨夜の、……悪夢?」
悪夢と言われてすぐエマさんの事が脳裏に浮かぶ。
でもこの男の顔に見覚えは無い。この街で知り合った人間なんて工房の関係者かもしくは……
「…………ああっ! お前、スラクラか!?」
「そうです、陛下。昨夜は私をあの化け物から救い出していただき、真にありがとうございました」
「お前がスラクラ……」
この悪徳商人に言ってやりたいことはいっぱいあった。
だが目の前の今にも死にそうな青年は聞いた話とはあまりにもかけ離れている。髪も昨夜見たときはくたびれていてはいたが金髪で、肌ももっと健康的に見えたのだが……。
「その格好はどうしたんだ? なんだか商人っぽくない地味な服じゃないか?」
スラクラが着ているのは黒のローブにフードのついた質素な修道服だ。新品で綺麗ではあるんだが、杖と簡単な荷物を背負った姿は今にも巡礼の旅に出かけそうな風体で、
「……昨夜、監禁部屋を破ったあのバケモノに襲われた時、私はあらゆる神に"今までの悪行全てを償うから助けて欲しい"と必死に祈りました。……何度も何度も祈り、やがて私の人として最後の尊厳が奪われそうになった時――月の神カロトに祈ったときにあなたが現れたのです」
よほど辛かったのだろう。話している間にスラクラはシクシクと泣き始めていた。俺もあの夜のスラクラの様子を思い出し、その辛さを想像するだけで思わず鼻がツーンとしてきた。
「あの部屋の……陛下があの地獄の封鎖を破り、化け物に放った雄々しい言葉は一生忘れません! そしてその三日月の瞳! 間違いなく陛下は月の神の化身であらせられる! 私はあの瞬間、まさに月の神によって救われたのです」
確か部屋に入って言ったのは"その人を離せ! もう彼女には指一本触れさせないぞ!"だったかな。確かにスラクラを助けるようにも聞こえる。そんな意図で言った訳じゃないが。
「……まさか、それで今日から神に仕えようってのか?」
「ええ。昨日あれからすべての使用人と部下に暇を出しました。街のことは商工組合かボンズさんに任せて、私はこれから巡礼者として各地を回ろうと思います。それと、今日は陛下へのご挨拶とともに些少ですが、私の全財産をお礼として受け取っていただきたく思いまして」
といってスラクラは鞄から赤獅子騎士団からの委任状を取り出した。委任状のスラクラの名前は大きくバッテンがされていて、バッテンの下にスラクラの字でボンズと組合にその権利を委任する、と記されていた。どうやらもうハマミの街はスラクラに悩まされることは無いようだ。
「お礼? その鞄に入っているのか?」
見たところ個人の旅道具でいっぱいになりそうな小さな鞄だが、財産というくらいだから値段の高い宝石でもくれるのだろうか?
「いえ、こちらは私の私物でございます。陛下にお渡しするのは私の家が先祖代々かき集めてきた宝飾品でございまして……少々嵩張るのであちらにまとめておきました」
彼が指差す方向には人がすっぽり入りそうなほど大きな樽が工房の前の通りに無造作に置かれている。宝石は貨幣と違って一握りでも数年遊んで暮らせる金額になるのだが、樽一つとなるとどれだけ遊んでも使い切れないかもしれない。
「あ、あんなにでかい樽に……。スラクラ、こんなに沢山は貰えないよ」
「樽? いえ、私がそちらではなく私が用意したのは……」
言われて改めてスラクラが指した方を見る。
そこには貴族が旅行に使うような大型の幌馬車があった。総鉄製に金の細工、馬は二頭立てとそれだけでもかなり高価な財産なのだが、中身はもっとすさまじい。ここから見えるわずかな幌の隙間だけでも今にも金のネックレスや宝石が溢れ出そうなのだ。
そりゃあ百年以上に渡って大商人が住民から搾取して溜め込んだ財産なのだから当然といえば当然なのだが……これは俺個人が持つにはあまりにも多すぎる。
俺は財宝馬車をスラクラにつき返そうしたのだが、
「スラクラ、やっぱりこんなの――」
『あらぁん? なんだか近くでお金と若いオトコの匂いがするわぁん!』
「マズイ! 陛下、私はこれで失礼します!」
「ちょ、ちょっと!」
工房の奥、寝室から金や宝石の匂いを嗅ぎ付けて獣が起きだしてしまった。
エマさんの声を聞くが早いか、スラクラはアスリートのようなフォームで走り去ってしまう。
「……はぁ。仕方ないか」
これほどの金を持つのは怖いが、さすがにエマさんに奪われるのは惜し過ぎる。
俺は工房のドアに適当な鉄の棒をつっかえ棒として差し込むと、エマさんが手間取っている隙に慣れない馬車を街の外まで動かした。