日の丸の街(3)
26、白色矮星の疾走
夕暮れを過ぎて真っ暗になったハマミの街を歩く。
日本と違い、街灯の無いこの街は日が暮れると街中でも一気に暗くなってしまう。それでも俺は民家から漏れる僅かな明かりと館の警備兵が燃やす篝火のぼんやりとした炎を目標にしてハマミの紅い街並みを歩いていた。
「むっ、あれか……」
スラクラの屋敷は他の赤一色の建物と違い、白い漆喰の壁と様々な色のタイルを用いた屋根を使ったオシャレな建物だ。広さは……暗くて良くわからない。四角い土地の頂点に居る俺から反対側の篝火まで150メートル程なので野球のスタジアムよりやや狭いくらいだろうか?
土地の半分――屋敷の正門から玄関までは庭に使われており、屋敷自体はそれほど広くない。その上外壁は石垣の上に簡単な鉄の格子を組んだだけのもので、どうやら侵入するのに苦労はしないで済みそうだった。
俺は周りを見回し警備がいないことを確認すると、石垣に足をかけて壁を乗り越え一気に敷地に侵入した。
「よっ……っと。侵入成功っ」
「ウゥゥゥ~~」
「さてと、どっから入れば見つからないかな~」
なるべく篝火に近づかないよう屋敷を周り空いている窓やドアを探す。
今回の目的地はここ。この街で横暴を働く大商人スラクラの館。そこで今まさにその毒牙にかかろうとしているボンズのおっさんの娘、ビューティーエマフラン(以下略)さんを救出することだ。
今回は三人には街の各所で警備を動かす陽動を行ってもらっている。といっても立場上あまり危険なことはさせてもらえないので、あくまで警備が手薄か確認してから侵入するか判断する、という約束だった。
まあ、実際には警備が多少厳しかろうが3人は黙って侵入……ってあれ? 唸り声?
「ウゥゥゥ~~~」
唸り声に気づいて視線を下ろす。
足元には白い長毛の大型犬が歯を剥き出しにして俺を威嚇していた。
「ば、番犬がいたのか……!」
「グルルルルルル! ワンッ!」
「シーーッ! や、止めろ! 人が来る!」
「ワン! ワンワンッ! ウゥ~~~~ッ!!」
努力も虚しく犬は自分の職務を全うするために、一層強く吠え立ててきた。
(ど、どうする!?)
走って犬を振り切れるはずもないし、懐柔するための餌もない。しかしこのまま吠えられたら確実に今夜のミッションは失敗してしまう……。
(――やるしかない)
俺は足を開き緩く構えると、犬が吠えるために口を閉じた瞬間、咄嗟に体を低く沈めて腕を伸ばし、犬の顎を掴んだ。
「ワ―――キュン!?」
「捕まえたぞ! 黙っとけ、コンニャロウ」
驚いた犬は体を引いて転がり、更には前足を使って口を塞ぐ手を払い除けようと暴れるが、これ以上吠えられる訳にはいかない。俺は必死に牙を剥き出すの犬の口を塞ぎ続けた。
「ウゥゥ!! グルルルルルルルルル!!」
「このっ! いい加減に! しろっ!」
犬が体を捻ったため、引き摺られるように俺も地面に倒れこむ。そのまま数分は犬と格闘を続けたが、お互い手と牙――唯一の武器を封じられているので埒が明かない。
時間だけが過ぎていく勝負に焦った俺はイチかバチか、空いた親指で目の前の黒い鼻を塞いだ。
これで完全に窒息するわけではないが、かなり息苦しくなるはずだ。案の定、犬は鼻を塞いだ瞬間今までで一番激しく暴れたが、徐々に力を失いやがて酸欠で気を失った。
「……ふぅ。手強い相手だった」
全身は土だらけでしかも犬と格闘したため服もシワクチャだ。正直一旦帰って出直したい所だが、騒ぎを聞いた奴にこの番犬を見られると屋敷の警備が厳重になってしまうかもしれない。急がなくては。
改めて屋敷の周りを回ってみると2階の東側に窓が開きっ放しの部屋が見つかった。鉤縄も足がかりも無い、プロの泥棒でも侵入の難しい部屋へ常人を遥かに超える脚力で駆け上る。
「よっ、とっ! またまた侵入成功~。……よし、さすがに部屋の中にまでは犬はいないみたいだな」
俺が侵入した部屋はどうやら客間のようだ。ベッドや家具はあるものの、必要品以外は全く置いていない。
屋敷に地下牢でもない限りビューティエ(以下略 さんを監禁しておくなら客間しかないと思うんだが……広い屋敷だし他にも客間があるのかも知れない。
「とりあえず、この階の部屋から回ってみるか。っとその前に……」
部屋にあった柔らかい馬の毛のブラシで服の土を丹念に落とす。旅をしている間はあまり気にしないのだが、今夜は特に身嗜みが重要だ。
なぜなら今回はただ単に勧善懲悪を行うというだけでなく俺だけの究極の目的があるからだ。
それは……ビューティ(以下略 さんとお近づきになること。
こっちの世界に来てからリグレッタ、ティアにアンキシェッタと美人の知り合いは一気に増えたが、どうも彼女達はお互いチームワークが良すぎて中々ペースを握らせてくれない。
このままでは仮に、将来彼女達とうまくいっても今の状況から抜け出せずに尻に敷かれ続けてしまうだろう。でもだからといって会って数日なんだし無理に距離を詰めるのもなんだかなー、と悩んでいた時に降って沸いたようにこの話が飛び込んできたのだ。
勿論俺は"王様なんだから宮殿にハーレム作ってウッハウハやがな!"という節操無しではないのだが、……無いはずなのだが、…………無いのかもしれないが、それでもやっぱり美人の知り合いというのは多いに越したことはない。
だが、ただ知り合っただけではどうにも印象が薄い。一緒に過ごせる時間は少ないのでできるなら出会いは劇的でないとその後の展開は期待できないだろう。
だからこそ今回はわざわざ三人を引き離し、多少の危険を冒して、こうして屋敷に単独潜入する手はずを整えたのだ。
十分に汚れを落とした後、服の皺を正した俺は客間を出て目標の捜索を再開することにした。
赤いカーペットが敷かれた廊下はかなり長く、廊下の端は真っ暗で見えない。ただ両側に等間隔で並んだ白いドアだけが暗闇に浮かび上がっていた。
「だが、助け出したとしても時間が無いよな。明日の朝には出発しないといけないなら、今夜中に次に会う約束でも取り付けておかないと……うん? なんだこの破片?」
歩いているうちに妄想が膨らみ、思考が屋敷脱出後のプランフェーズ2に移行しかかっていた時、廊下で奇妙な物を見つけた。
白いペンキが塗られた木の破片だ。辺りを見回すと一つだけドアが粉々に砕けている部屋があったので、どうやら誰かが吹き飛ばしたドアの破片らしい。
「この部屋……客間みたいだな。誰もいないけど、誰かが使った跡がある」
ビューテ(以下略 さんがいたのだろうか? しかしこの破壊の跡……嫌な予感がする。
急いで部屋をを出て犯人を追う。幸い犯人は破片を払わずに移動したようで、よく廊下や階段を見れば点々と白い木片の道標があることがわかった。
目印をおって階段を上り廊下は全力で駆け抜ける。もはや見つかる危険がどうこうというレベルではない。もしドアを破壊するほどの怪力の持ち主がビュー(以下略 さんを襲っているのなら彼女の命が危ない。
――うぅ……グスッ……もうイヤ……
木片の終着点、スラクラの屋敷の4階の一際豪華な木材を使ったドアの前にたどり着いた時ドアの向こうからすすり泣くか細い声が聞こえた。
――こんな……辱め……うぅ……
まだ生きているようだが、この泣き声とドアの隙間から漏れてくる酸っぱい汗の匂いがこの中で何が起こったかを容易に想像させた。
(なんてことだ、遅かったか!)
もはや先ほどの浮かれ気分は吹き飛び、代わりに理不尽な暴力への怒りと救えなかった自分の不甲斐無さが胸の中から湧き出てくる。
俺は怒りに任せてドアを蹴り開けると、大きく息を吸い込んで叫んだ。
「その人を離せ! もう彼女には指一本触れさせないぞ!」
部屋に飛び込んでまず見えたのは部屋の小さなランプに照らされた2メートル以上の巨人のようなたくましい人影。人影は後ろ向いていたが、その両腰からこちらへ向かって2本の細い足首が伸びている。どうやら泣き声の主はテーブルの上に仰向けに押し倒されているようだ。
俺の声に気づいた人影がヌゥッとこちらを振り返った。
ランプで照らされた巨人の焦げ茶色の長い髪は油でべったりと撫で付けられテカテカとゴキブリのような光を放っている。肌は白いがその分血管が透けていて赤と青の斑模様が浮き上がり、さらにそのほとんどをニキビかニキビ跡が覆っていているので輪郭は人間なのに、まるで毒のある蛙か蛇が二本足でそこに立っているかのようだった。
しかしこいつを見て一番目を引くのは顔だ。顔を構成するパーツ全てが人類にとって規格外の大きさで、特に顔の半分を占める口唇は小さなちゃぶ台がすっぽり入ってしまいそうな程大きい。そして半裸の上半身にはゴツゴツと浮かび上がった背骨、丸太のような腕にアクセサリーのようにひっついている引き千切られた革の手錠と巨大な乳房が……乳房?
……おっぱい? あれ? 女の人?
「あらぁん? アタシ♪と旦那様の初夜に待ったかけようなんて、一体誰なのんんん?」
「………………ちょっと失礼」
一瞬の思考の硬直の後、俺は目の前の未確認生命体に会釈して、テーブルの上の人物を覗き込む。
絶対に認めたくない事実がそこにあった。
「うっ……こんなはずじゃあ……ただ人質のはずだったのに……こんな……ううぅ」
テーブルの上で下半身丸出しで押し倒されているのは痩身の男性だった。両手で顔を覆って泣いているので顔をわからないが恐らくこいつがスラクラなのだろう。
服は下半身も含めて無残に破られていて、布地は全くその役割を果たしていなかった。そして……いや、それ以上の描写はしたくない。今の彼は人間としてあまりに無残な姿だ。
ふと、考えてしまう。目の前で泣いている男はスラクラ。ということは、ひょっとして目の前の肌色超人ハルクが……?
「いや、そんなはずはない……そんなはずは……」
ボンズのおっさんはこう言ってたじゃないか。
『昔から周りの女の子より飛び抜けていたな。オーラが違うっつーか……』
「…………そっかー。確かに飛びぬけているな……身長が」
「?」
そして確かに体中からオーラも漲っている。野獣とか狂戦士のオーラとかだが。
『つっても男に媚びるようなタイプじゃねぇぜ。一本芯の通ったいい女よ!』
手錠を引きちぎってのしかかる女に、裸で泣きじゃくりボロボロに消耗した男。
なるほど、確かに媚びて男を喜ばせようというタイプじゃない。むしろ、略奪の対象として見ているようだ。 え? 一本芯? あの建築資材の鉄骨のような背骨のこと?
思い浮かぶ肯定材料を嘘だ、有り得ないと脳の奥深く無意識野の屑籠に放り込んでいく。
この時俺は間違いを犯してしまった。現実を認めたくないばかりにこの半裸のイキモノをまじまじと眺めてしまうという致命的な間違いを。
「あぁん! わかったわぁん、あなた、攫われたアタシ♪を助けに来てくれたんでしょん? でぇ、後で助けたお礼にアタシ♪のカラダを求めようってんでしょう? もおぉ、若い子って下心ミエミエなんだから♪」
これが野生の嗅覚という奴か。
何の情報も無い状態から恐ろしいほど正確に俺のプランのフェーズ3を言い当てられた。
だが断じて言える。俺はこんな宇宙怪獣のために危険を冒したのではない。
「いえ、違います。私は偶々ここを通りかかっただけです。本当に、ご夫婦の営みをお邪魔する気は無かったんです」
しかし目の前のコレは耳も貸さず
「アタシ♪は今まで心と体を~、99人の殿方に捧げてきたけどぉ、やっぱりぃ~私の愛を支えるにはお金がなくっちゃね~。ボーヤ♪は何をしてる人ぉん?」
「ひぃっ!!」
言葉と同時に両手で俺の頭をがっちり押さえ込んできた。そのまま、恐ろしいほど遠近感の狂った顔が近づいてくる。
――嘘を吐かなくては、こいつの興味を引いちゃいけない!
そう、わかっていた。この質問にまともに答えてはいけない。
しかしわかっていたはずなのに、正面から俺を覗き込み、爛々と光る赤茶色の瞳はあまりにも脅迫的で、
「商家の長男~? 勇敢な騎士様ぁん? そ、れ、と、も……」
「…………お、王様やってます。つい先日から……」
「あらぁん!? 王様ってあの王様!? 国で一番偉い人ぉん!? あらあらあらぁん! まぁあああああああ、あなたが!? じゃあちょっと若いけどあなたが私の運命の王子様だったのねぇぇん!」
と俺から手を離し、小躍りで喜ぶビュ(以下自主規制) さん。飛ぶたびに高級建築であるはずの屋敷が揺れる。
俺はかかっていた重圧から解放されてヨロヨロと壁までよろめくと、恐怖で凍り付いていた肺に再び空気を入れなおした。
(落ち着け……オチツケオチツケオチツケ)
深呼吸をするが、動悸と嫌な汗は止まらず、むしろ加速していく。
(悪イコトバカリ考エテモ仕方ナイ。ソウダ、今時白馬ノ王子様ニ憧レルナンテ可愛イトコアルジャナイカ。
美人ハ三日デ飽キルケド、不細工ハ10年ハ飽キナッテ言ウシ…………10年?)
――10年?
――"コレ"ト
――暮ラスノ?
フト、正気に返る。
冷静に、どうにか意識を保ちながらこの両生類との種族を超えた恋人生活を想像する。
コレと手を繋いで散歩をする俺。腕は太すぎるので赤ん坊のように人差し指を左手で握る。
ベンチで肩を寄せようとして二の腕辺りの筋肉に押し包まれる俺。
キスしようとするも頭ごと咀嚼されそうになる俺。そして、夜は……
思わずスラクラを見る。――すぐに後悔。やたら生々しいイメージが浮かぶ。
頭を振って映像をかき消すが脳裏に焼きついて離れない――エイリアンに食い散らかされた俺。
――10年、コレト、暮ラセル?
「………………無理だ」
「ああ、私の王子様! ご主人様! ダーリン様♪ 今のもう一度言ってくださる? …………好・き・だ♪ って! アハァン!」
「むぅぅぅぅぅぅりだぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁああ!!」
「ああ! ダーリン!!?」
背を向けて一気に逃げる。伸びてくる腕を避けて部屋を出る。暗い廊下に飛び出す。
人類の限界に近い全力疾走に、足を踏み出すたびに摩擦に耐え切れず毛の長いカーペットが千切れとんだ。
衛兵に捕まるのなんてどうでもいい! 一刻も早く距離を稼がねば、間違いなく俺には死よりも辛い未来が待っている。
――ドドドドドドドドドドドド!!
背後から重機のエンジンのような爆音が近づいてくる。ビ(以下自主規制)だ! あの巨体で何故こんなに足が早いのかわからない。
だがどうやらスピードは俺の方が上のようで、爆音は少しづつ俺から離れていた。
(このまま屋敷を出られれば……逃げ切れる!)
――この時、俺は勝ちを確信して油断していた。
屋敷の玄関を体で押し破り、スピードを殺さず庭へ踊りだす。そのまま最高速度で
「ワォン! ワンッワンッ!!」
――進行方向に、さらには足元に飛び込んでくる白い影に気付かず、
走る。限界まで足を前に伸ばし、地面を割り、風を裂く。そして次なる一歩を前へ出し、犬の長い毛を踏みしめ
――盛大に転んだ。
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
「キャンキャンキャ~~~ン!」
犬につんのめる。足は地面を離れ、上も下もわからないほどきりもみに回転しながら体は空中を飛んだ。
ザザザッと何度も地面をバウンドしてようやく転倒が止まる。あまりの衝撃に視界が真っ白に染まり意識が消えかける。
俺にぶつかった白い番犬も無事では済まず、かなりの距離を吹き飛ばされて重傷を負っていた。
本来なら死んでもおかしく無い怪我だが、俺と一瞬だけ目が合う。
するとそいつは首を起こし――口角を吊り上げ"ニタリ"と笑った。
(…………はっ! やばい!)
持っていた距離のアドバンテージを、速度を、全てこの転倒で失ってしまったのだ。
俺は急いで立ち上がり再び街の方へと走り出す。
マズイ、マズイと感じてはいたが、背後から例の爆音が迫り
――やがて恐れていた通り(自主規制)に追いつかれ、押し倒された。