立春の旅日和
23、立春の旅日和
次の日、旅支度を整えアダスから情報を得た俺たちは南部の、赤獅子騎士団の本拠地がある"クリクス"へと向かうことになった。
エンロームは王と出撃したキスレヴ戦での完敗に対して、俺が少数でキスレヴに健闘したおかげでいま一つ周りの信頼が無いらしい。そこでまずは自分の領地の軍だけで赤獅子騎士団を倒し、南部全土を自分の旗下に置くとともに実績を作り士気を上げようしているらしいのだ。
俺達はクリクスが包囲される前に赤獅子騎士団に合流し、反撃を行いエンロームを捕らえる。さらにその後、南部の残党を吸収しレオスが降伏する前にレオスを包囲するキスレヴ軍を倒さなければならない。
こちらの世界に来てからまだ一週間と経っていないが、来てから今までずっと時間に追われている気がするな。
「陛下、そちらの杭を抑えていてください。結び目も、解けないように」
「わかった」
ここは街道脇の森の中、俺が今リグレッタと作っているのは今夜宿泊するためのテントだ。
昼は南へ向かう街道、夜は道を逸れて森に入るため当然宿屋等の宿泊施設は使えない。日が沈む前に森で焚き火を焚いて、こうして一から寝床を作らないといけないのだ。
夏の旅なら寝袋か毛布だけで十分なのだが、まだトルゴレオの季節が春の始まりなのとリグレッタ達が虫を嫌がったため、セーフハウスからテントを持参することになった。持ってきたテントは三人用の設置型テントと個人用の折畳みテントの二つで、当然男の俺が独りで寝る。
「そこを、弛まないように同時に強く引いてください……せーのっ!」
「よっ! ……これで完成か?」
二人で息を合わせてテントを仕上げる。俺はテントなんて建てたことは無かったが、リグレッタは騎士団の演習で何度かこういうことをやっていたらしい。彼女の手馴れた手つきと指示のおかげで滞り無くテントを建てることが出来た。
「はい。後は荷物の運び込みと調理の準備ですが、これは私がやりましょう。陛下は薪拾いと食料調達に行った二人を手伝いに行ってきてください」
「わかった」
そもそも荷物といっても俺たちが背負っている程度の分量だ。テントに入れて展開するだけならそう手間はかかるまい。
対して二人は森に入って1時間は経っているだろうか。どちらにせよ採集なら人では多いに越したことは無い。俺は自分のテントに荷物を詰め込むと腕まくりをして森の奥へ二人を探しにいった。
***
「……お。おーい! アン、俺だ!」
「あ、シュージ様。テントの方は終わったんですか?」
「ああ、後はリグレッタがやるって。そっちはどう?」
「えへへ~」
俺が聞くとアンはニコニコしながら腰の袋に手をやった。袋はゴツゴツと大きく膨らんでいるのでどうやら収穫は上々らしい。
「はい、こちらが今夜の晩御飯です!」
「こ、これはリンゴにサクランボ……それに芋まで。森をちょっと探しただけでこんなに見つかるもんなのか?」
「ふふっ、私は南部の騎士団の出ですよ? この辺りやクリクス周辺の森はよく通るので場所を覚えているんです。特に私は王都への使者に使われることが多かったので……」
「使者? 連絡なら魔法を使えばいいじゃないか? 王都ならリグレッタもいるし文通よりずっと早いだろ?」
魔法を使うのは辛いが数日の野宿ほどじゃない。それに魔法に頼らなくても伝書竜や部下などにやらせればいいんじゃないだろうか?
アンも騎士団の一員とはいえ、女の子に数日がかりのパシリをさせるのは正直ヒドいと思う。
「連絡だけじゃなくて直接出向かなくちゃいけない仕事もありますから、仕方ないですよ。それにうちの団長と副団長、堅苦しい話し合いとか大嫌いで私達部隊長を代わりに行かせるんですよね~」
「……その人達、いわゆる駄目な大人じゃね?」
赤獅子騎士団の団長といえば、これから合流して共に戦う仲間になる予定の人物なんだが……どうやら真面目な人間ではないらしい。それもナンバー2まで含めて。
俺の訝しげな視線にアンは慌てて手を振った。
「い、いえ、そんな事は無いですよ! あの二人は戦争中毒と言うか、ティアちゃんみたいな武人気質というか……とにかく、戦場で実力を発揮するタイプなんです!」
「……ふーん。まあ、アンがそこまで言うなら悪い人じゃなさそうだな」
「底抜けに明るい人達ですから、陛下もきっと気に入られると思いますよ~」
その後も薪を拾いながらアンに団長について色々聞こうとしたが、あまり要領を得なかった。特に団長と副団長は常に一緒に行動しているらしく、各々がどういう人物なのか全く話から読み取れないのだ。
団長の武勇伝には常に副団長が出てきて団長と同じ行動をしているし、時には話しているアン本人もどっちがどっちだかわからなくなり二人が入れ替わったりもしていた。
(まあ、会えば分かるか)
そう思い落ちていた長めの木の枝を手に取った所、
「あ、シュージ様! その枝は駄目です」
「え? これ?」
俺が手に取ったのは1メートル程度の黒い枯れ枝だ。乾燥している割にずっしりと重く太さもあるので良く燃えそうに見えるんだが……、
「それは"黒煤の木"といって火にくべると物凄く煙が出るんですよ。出てきた煙は毒があって咳きや痰が出たり涙が止まらなくなるので焚き火にはちょっと……」
「ど、毒!? ごめん、そんなつもりじゃ……」
「色以外は普通の木の枝ですからね~。ちなみに一般家庭では虫の巣を燻して害虫駆除に使っているらしいです」
「この木にそんな威力が……危なかった」
何も考えずに素手で触ってしまったのだが、毒があるなら後で手を洗ったほうがいいだろう。今はとにかく薪拾いを早く済ませてテントに戻らねば。
「……この辺りは行商人や旅の人間がよく使うので、あまり枯れ枝がありませんね」
「だな。……なぁアン、そこらに生えている木を切っちゃ駄目なのか?」
正直そろそろ暗くなりつつある森の中で、地面に落ちた枯れ枝を捜すのは面倒くさい。それならば周りにある木から何本か枝を頂戴してしまえばいいじゃないか。地球環境的には勿論NOなのだが、石油どころか石炭さえ使われていないこの世界なら二酸化炭素増加なぞなんてことはあるまい。
「生木は煙も出ますしなかなか火が着かないんですよ。私も面倒くさいと生木で我慢しちゃうんですけど、レッタちゃんそういうのすごく几帳面で……諦めないで二人で探しましょうシュージ様。倒木の下や岩の影になっている場所なら枝が湿らずに残っていることがあるのでそこを重点的に探してください」
「りょうか~い!」
リグレッタ……面倒くさい奴め。
その後も俺達は森の中を探し回りようやく焚き火に必要なだけの薪を集めることが出来た。
「これくらいでいいかな。そういえばティアはどこに行ったんだ?」
以前この質問をした時彼女はキスレヴの部隊の中で捕虜になっていたわけだが、今回はさすがにそんなことはあるまい。
「ティアちゃんは森に入ってすぐ兎を見かけたと言って狩りに出たんですけど……そういえば遅いですね。どうしたんでしょうか?」
「ふむ、森で迷子になっているのかもな」
「探査の魔法を使えば私達の位置が分かるので、帰ってこれなくなるようなことはないはずですが……あ!」
アンが言うなり背筋に走る悪寒。しかもただ通り過ぎるだけではなく波のように俺にぶつかって反射するこの感覚は……
「探査魔法ですね。ここからすぐ近くみたいですけど、私達が見つからなかったんでしょうか?」
「うーん、結構歩き回ったからすれ違ったのか?でも……」
すれ違ったというのは有り得るが、薪を集める間俺達はずっと大声で話していた。探している相手が近くにいたのに、声すら聞いていないというのはあるんだろうか?
「見つけたぞぉ!!!」
森中に響くようなティアの大声。彼女の姿は見えないが、驚いた小動物や鳥が声の発信源の方から逃げてきた。
合流のためアンキシェッタがティアのいる方へ向かって、叫ぶ。
「ティアちゃん! こっち! 私達そろそろキャン――」
――メキメキメキッ! ズズゥゥゥゥン!!
視界の向こう、緑の森の中にある針葉樹の一本がゆっくりと左に傾いていく。針葉樹は高さにして20メートル、直径1メートルのまさに大木と言うべき大きさを誇っていたが、骨が折れるように軋んだ後、轟音と共に周囲の木を巻き込みながら倒れた。
「な、な、な、何だ!? 敵か!?」
「シュージ様、落ち着いてください。ティアちゃんに何かがあったのかもしれません……行ってみましょう!」
「あ、ああ!」
俺達は互いに頷くと、薪や食料の袋をその場に置いてティアの元へ駆け出す。大木が倒れた場所は案外近く、そこには大木を前にまるでイチローのように斧槍をまっすぐに構えたティアがいた。
「兎の分際でこの私にここまで時間を使わせたことは褒めてやろう! だがそれもここまでだ。お前の退路――塞がせてもらった!」
斧槍の前には確かに白い兎が見える。だが大木は兎の正面を塞いでいたが、それ以上に針葉樹が水平に伸ばしていた枝がティアの周りを囲っていた。
「……ひょっとしてさっきの見つけたぞって」
「兎を見つけたって意味だろうな」
兎は少し逡巡した後枝の下を潜り抜けるように走る。ティアも兎を追おうとしたが案の定、枝に足を取られ満足に走れず兎を逃してしまった。
「おのれ、逃げるのか臆病者! おい、待て! ……こうなったら……<氷華、凍結――」
兎一羽に二回目の魔法を放とうとするティア。俺達はそれを最後まで見ずに先ほど置いた食料と薪を取りに引き返す。
「…………」
「…………」
その後、お互い何も話す気が起こらず無言のままキャンプに戻った。食材をリグレッタに渡し、俺たちは黙ったまま薪を火にくべる。そしてしばらく火を眺めているとティアが帰ってきたのでリグレッタが夕食を作り始めるのをボーっと見ていた。
――夕食は芋と"干し肉"のシチューに、黒麦のパンにリンゴとサクランボを挟んだフルーツサンドだった。