三日月の瞳(3)
20、黄金の目覚め
俺に与えられた役割は陽動だ。敵の注意を引き、数人に追いかけさせたところで逃げ出し、数が減った所にリグレッタ達が襲撃してティアを救出するはずだった。
ところがそれでは彼女たちが40人以上を相手にするのは変わらない。
俺は自分のための名乗りを上げるのと同時に、剣の光で合図を送り、作戦を無視する形で無理矢理二人に奇襲を行わせた。リグレッタ達の負担は減るが、俺の危険が跳ね上がるこの行動に"もしかしたら合図を無視して撤退を促されるかも"と思ったが二人はちゃんと俺の思いを汲み取ってくれた。
「<―風星、疾風、流動、私の言葉に世界が歪む―>」
「<―炎珠、燃焼、圧縮、私の願いで世界が歪む―>」
村の奥の井戸の向こうと、右手の建物の屋根から魔法の鍵呪文が聞こえる。
魔術師はこの鍵呪文を唱えることで自分の魔法を現実にする。魔方陣や杖等を使わないで"己の中のイメージ"に寄るこの世界の魔法は、どちらかと言うと俺たちの世界のSF小説にある"超能力"に近いものだ。
「"炎熱の大蛇"、敵を焼き尽くして!!」
「"剣風の大蛇"、敵を喰らい尽くせ!!」
今まで感じたことの無い程強いエコーと共に正面の部隊に突如、竜のような大きさの蛇が2頭現れる。
炎の蛇は何人もの敵を焼き尽くし、無色の輪郭だけが見える風の蛇は敵を切り刻み、炎の蛇が上げる黒煙を空高く巻き上げていった。
俺は剣を構え、走り出す。
今この場で必要なのは敵を分散させてティアの檻を手薄にすることだ。
「ハァッ!」
「クッハァァァァァっ、そう何度もさせるか!」
俺は敵の隊長の側にいた、皮鎧を着て大剣を背負った中年男に切りかかったがその判断は失敗だったらしい
俺の横斬りに、背負っていた大剣を先程の禿頭の男とは比べ物にならない速さで返してきた。
そのまま剣を合わせて鍔迫り合いになったが、俺は押し負けてじりじりと後ろの路地裏まで後退させられる。
「おらおらおらぁぁぁ! どうした、王様よぉぉぉ!!」
「ぐっ……こいつ、並の兵士じゃない!? それに……」
やはりそうだ。俺は以前の黒い影に体を任せた時とは比べ物にならない程弱い。ファントムそのものが体を操っているのと違い、ファントムを押し退けて体を操作するため、筋力や反応のリミッターが半分も解除しきれていないのだ。
「ふんっ、素手から5人も倒すから相当な手練だと思ったが……踏み込みといい、剣の構えといい、単なる力任せの素人だなっ」
「くっ……」
やはり熟練者にはわかるのか。図星を突かれた。
その間もなんとか均衡を保っていた鍔迫り合いは腕力以外の、技量と武器の差による要因で不利になっていく。
さらに悪いことに、俺の周囲にはこの大剣の男を援護しようと次々と兵士が集まり出していた。
「バラギ副隊長!」「ご無事ですか!?」
「おう、さっさと来い! こいつを囲んじまえっ」
「や、やばっ!」
このままではまずい。
俺は鍔迫り合いの状態から踏ん張って、どうにか均衡を崩すと右の路地裏へ身を翻した。
「逃がすかっ。俺は隠れてる魔術師を仕留める! お前らは路地を固めてシュージ王を仕留めるんだ!」
そう言ってバラギと呼ばれた男はリグレッタの方へ去る。
代わりに狭い路地裏に10人近い兵士が殺到してきた。このままでは俺は行き止まりまで追い詰められてしまうが――
「お、おい。下がれ! こんな所じゃ身動きが…ぎゃあ!」
俺は剣をフェンシングのように構えて突きまくった。
敵は狭い路地に入ろうと次々と迫ってくる。そのせいで先頭の兵士は身を引くどころかむしろグイグイと前へ、身動きもとれずに俺の方へ押し出されてしまうのだ。
ドサッと先頭で、俺の刺突を3箇所に受けた兵士が倒れた。
次の兵士も1度は剣で防いだが、やはり位置取りを自由にできないまま倒れる。
そうして3人目も倒されたところでようやく事態に気付いたらしい。残った敵は路地裏から引いていき唯一の出口を半包囲して俺と睨みあった。
「あと7人か……」
目の前の敵を数える。
俺が倒したのは8人。最初の魔法攻撃で十数人は死んだはずなので、向こうにはまだ20人以上残っている計算だ。
この数ならリグレッタ達の危険はかなり軽減されたはずだが、先程のバラギとかいう男は油断ならないし、敵が切羽詰って捕虜のティアを狙わないとも限らない。
(――ここでモタモタしていられない!)
俺は三歩後ろに下がると先程倒した兵士から剣を奪う。
重量のある騎士剣を両手に持った姿は敵兵の動揺を誘った。
「何!? あいつ、剣を二本扱えるのか!?」
「使える訳ないだろ!」
ボケてくれた兵士に、ツッコミを入れて剣を投げつける。
「ブガッ!」
剣はクルクルと回転しながらスコーン!と兵士の兜に刺さり、彼は頭から地面に倒れ込んだ。
それを確認して俺は路地に倒れている兵から更に2本の剣をいただく。都合3本の剣は筋力を強めた俺でも少々キツイ重さだったが、この2本のおかげで敵は投擲を警戒して包囲を広げざるを得なかった。
敵は残り6人。さてどいつに投げつけようかな……
「シュージ様、任せて!」
突如兵士2人の頭に黒い尾羽の矢が生えた。屋根の上のアンキシェッタの援護だ。
今までアンキシェッタの戦いは魔法しか見たことが無かったが、かなり強力な弓を使っているらしい。矢は兜の一番硬い部分に命中し、ほとんど貫通しかけていた。
俺はアンキシェッタに手を振って感謝を示すと、一気に路地裏から飛び出す。
「こ、こいつ!」
「待て、ウォーモリ! まだ弓がこっちを……ギャア!」
俺の突撃と同時にまた一人、アンに倒される。俺はアンを探そうと注意が疎かになっている奴に近づくと、大上段で剣を振るい一気に斬り倒した
(――あと二人!)
だがさすがに敵も何時までも呆けていてはくれない。敵は大上段を振りきった俺を狙い、二人同時に攻めてきた。
咄嗟に地面に刺さった剣を手放して思いっきり前へ転がる。
その一拍後にギャン! と敵の攻撃が地面と剣を削った。そのまま、転んで不安定な体勢の俺に敵から追撃が入るところだったが、アンの矢が牽制してくれたおかげでどうにか体勢を取り戻せた。
「せいっ!」
お返しに、腰に引っ掛けていた敵の剣を取り出し一本を敵に投げつける。だが
「甘いぞっ!」
正面からでは弾かれてしまった。
今の俺なら、例え騎士剣でも野球ボールのように投げられる。しかし、それでもせいぜい100キロ程度――中学生の直球程度だ。ボールより大きく遅い物が、不意も突かずに当たるはずが無い。
俺は仕方なく手元に残った最後の剣を抜き、二人の敵と相対した。
剣を振る―なぎ払う―突き刺す―その度に俺の剣は弾かれ、何度も硬質な打撃音を響かせる。
(くっ、このままじゃ……)
二人の兵士と交互に4合、5合と打ち合う。アンキシェッタの援護があるとはいえ2対1のまま打ち合うのは正直辛い。やはり素人の俺が勝つには1対1で力任せか、奇をてらう作戦で行くしかないのか。
苦慮の末に俺は剣撃の合間に鞘とベルトを外し、そっと片方の兵士の足元に放ってみた。
「うわっ何っ? あ、足が!?」
「もらった!」
目論見通り、ベルトに足を取られる兵士。
俺はその隙を見逃さず相手の太ももを斬りつけた。
「ぎゃああああっ!」
「イワティ! 貴様……卑怯だぞ!」
ベルトが足が絡まった男にとどめを刺す。もう一人の兵士が倒れた方を庇おうとしたが、アンは背を向けた敵を見逃さなかった。
「ぐわっ!」
弓鳴りの音が聞こえた一瞬後、黒い矢が流星のように敵の急所を貫いていた。
「はあ……はあ……これで……10人っ……」
膝をついて休む。手は何度も剣を打ち合ったせいで震え、もはや剣を振るどころか握るのも億劫だ。
体力は限界かもしれない。それでも、ここで戦いをやめるわけにはいかない。
「ティアの方に行かないと……」
だが足を動かした刹那、俺の進路に黒い影が現れた。
黒い影は手足を大きく伸ばし、俺の行く手を精一杯遮ろうとしている。
――しゅうじ!
(またお前か!)
トラウマに反応して肌がブツブツと粟立つ。
この影は今朝も見たが、あの空間で俺から"何か"を奪った分、今は輪郭が遥かに人間らしく、そして若干小さくなっていた。しかも身長に準ずるように声も幼くなったような……
――しゅうじ!
また俺の名前を呼んだ。やはり昨夜のような敵意は感じない。
しかも影はいつもの陰気な死体のような動きではなく、バタバタと手足を動かして何かを俺に伝えようとしていた。
「一体、なんなんだ! お前は!?」
敵なのか、味方なのか。明らかに俺の理解を超えている。
ふと、黒い影が屋根の上の何かを指して俺を呼んでいることに気付いた。
そこにはリグレッタの援護に膝をついて弓を引き絞っているアンと――その背後でアンを両断しようと剣を鞘から抜き放つバラギがいた。
「アン! 危ない!」
俺は一瞬影への恐怖を忘れて叫ぶ。
「――え!? きゃっ!」
「おせぇぇぇぇぇ!!」
アンは俺の声に気付き咄嗟に構えていた弓でバラギの剣を防ぐ。初撃をなんとか防いだアンはバラギを押し退け、再び距離をおこうとするが上手くいかない。
弓という武器と、屋根の狭い地形が災いしてこのままではすぐ追い詰められてしまいそうだ。
一方、俺とアンの距離は100メートル以上離れていて、走るどころか剣を投げても間に合わない。
(駄目だ! 間に合わない!)
俺ではどうしようも無い。
アンキシェッタを助けられない。
しかし、それでも――
(何か出来るはずだ! 主人公になるなら、なんだって出来るはずだ!)
キスレヴとの戦闘――あの恐ろしい夕暮れの中で、俺は何もできなかった……いや、しなかった。全てを他人に任せて、本当にギリギリの状況になっても自分でなんとかしようとは思わなかった。
確かに、俺にできることは少ない。でも数少ない"できること"さえ諦めてしまったら、今度こそ自分はここにいる価値がなくなってしまう。
「アンを……ティアを……助けるんだ!」
右目が強く輝く。同時に意志が今までに無いほど高まるのを感じた。
『魔術師というのは、手品を行う人間のことではなく現実にはありえない現象を願い、言葉にすることで現実にする"魔法"をコントロールできる者のことです』
左足を前に、半身になり剣を持つ右手を引く。
全ての筋肉が次の動作のために力を溜め始める。
『シュージ、魔法は概念のようなものだ。時が来れば自然に使えるようになるし、それまではいくら練習しようとも鍵呪文は手に入らない』
――しゅうじ!
ファントムが俺の側へ現れる。
驚くべきことに、その姿はもはや先程までの黒煙を纏ったような影ではなかった。はっきりとした、人間の輪郭を持つ黒髪黒目の少女の姿になっていたのだ。
少女は胸に手を合わせて、歌うように言葉を紡ぐ。
―――きかい、こくう、しはい……
(これは……俺の鍵呪文!?)
「……<―輝界、虚空、支配―>」
一言呟く度に、自分の中で何かが解ける。
体内の今まで血の通っていなかった部分にまで俺の意志が行き渡り、同時に蛍のように光る 黄金の粒子が俺の体に集まり始める。
大気と光が竜巻のように吹き荒れる凄まじい光景に、リグレッタや兵士達はおろかアンを倒し、大剣を突きつけていたバラギでさえ圧倒されていた。
「な、なんだありゃ……」
―――きけ、からのまの……
「<―聞け! 空之間の王の声を!―>」
ありったけの意志を、思いを、心を魔法に込める。
その瞬間、俺は大気も、重力も、距離さえも振り切って――
「届けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!――」
「は?」
――屋根の上、バラギの眼前に"出現"した。
「――\"星屑の鉄槌"!!」
「う、嘘――がああああああああああああああああ!」
俺が剣を振るのと同時に、周囲に集まっていた無数の魔法の光がシャワーのようにバラギに殺到する。
光は容赦なく大剣を割り、皮鎧を貫き、肉を押し潰しそして、バラギの断末魔さえかき消して俺の視界を黄金の光で塗りつぶしていった。