三日月の瞳(2)
19、天頂の名乗り
テルマ村は人口80人程の小さな村だった。トルゴレオの首都が近いということもあり物流は盛んなのだが、近くに森と街道があり耕作に割ける土地が少ないためこの程度にとどまっているらしい。
俺達はティアを捕らえている部隊を襲撃するために、建物が多く敵も油断しやすいこの村を使うことにした。当然、民家に人がいてはいつかティアが提案したゲリラ戦のように重大な被害が発生しそうなので、住民には退去してもらう。
無人となった村には一番大きい村長宅の屋根にスナイパーとしてアンが、入り口近くの井戸の影に伏兵のリグレッタが、そして村の北口――南から来る敵の正面に堂々と姿を晒すポジション――に何故か俺が立たされていた。
「な、なんで俺がこんな目立つところに……」
いや、理由は聞いたけどさ。
***
「なんだこれ!? ホントに光ってる!」
アダスの短剣を覗き込むと、剣腹に映った俺の目の中に――瞳の下部に緩いUの字を描くような異様な金色の線が入ってた。最初は剣の装飾か、光の加減でそう見えるのかと思ったが、短剣をずらそうが光を遮ろうが、ソレは変わらず月の様なボンヤリとした光を放っていた。
俺はもう少しよく見ようと指で瞼をこじ開けようとしたところ、
「――あ、あれっ?」
自分の体がうまく動かない。
麻痺や立ちくらみではない。立っている事、腕を持ち上げる事、指を開いて顔まで持っていき眼球を傷つけないように瞼を開く事、この全てが上手くいかない。
まるでゲームのコントローラからパソコンのキーボード操作に切り替えられたように、突然自分の体の動かし方がまるっきり変わってしまっていた。
短剣を握る力加減も分からず、思わず床に落としてしまう。
「どうしたんですか、シュージ様?」
心配したアンが俺を支える。
「体が、うまく動かない。なんというか……ややこしくなった?」
「ややこしい……?」
その場に居た全員が首を捻る。
そりゃそうだ。俺だって自分の言っている意味が分からない。
ただアンだけは何か心当たりがあるようで、
「……ひょっとして、動かし方はわかるのに頭が追いつかない感じですか?」
「そう、それ! 今さっきまでなんともなかったのに……」
「ふむふむ……これはもしかすると……」
心配するリグレッタとアダスをアンは手で制すると、アンは俺の手を持ち上げ、肘を叩いたり指を曲げたりして異常が無いことを確かめる。一通りの反応に満足したアンはうんと頷いて何かの確信を得たようだった。
「なあ、アン。一体俺に何が起こっているんだ?」
「……シュージ様、恐らく今あなたは一部の筋繊維や神経伝達の制御を自分で行っています。これまでファントムが行ってきた肉体の制御を、あなたが肩代わりしているんですよぅ」
指を立てて、生徒に指導をする先生のような口ぶりで話すアンキシェッタ。
「肉体の制御を? でもそれって魔術師じゃないとできないんだろ?」
「……前にも言いいましたけど、ファントムの制御は魔術師としての前段階です。私達は強い恐怖や絶望――精神が肉体を凌駕するような衝撃的な体験をしてファントムを制御できるようになるんです」
「恐怖や絶望……つまり今朝の体験のことか。じゃあアン達もそんな体験をして魔術師になったのか?」
「………………」
アンは急に押し黙った。見ればリグレッタも顔を俯かせ俺と目を合わせないようにしている。
……どうやら、これ以上この話題には触れて欲しく無いようだ。俺は急いで話題を転換することにした。
「というか、俺はファントムを凌駕どころか、命からがら逃げ出した立場なんだけど……」
「それも……私にはわかりません。とにかく今はシュージ様が自分の体をコントロールできるようになることが先決です。上手くいけば一緒にティアちゃんを助けに行けるかもしれませんよ? 陽動とか、囮とかですけど」
「でも、すぐにできるものなのか? 正午までそんなに時間が無いだろ?」
普通、修行やパワーアップと言ったら現実なら数ヶ月、漫画でも数日はかかるものだ。今回の場合は今までオートで行っていたものをマニュアルで動かすだけだからそんなに難しくは無いはずだが、それでも腕一本満足に動かせない今の状況には不安を感じてしまう。
するとアンキシェッタはニヤっと意地の悪そうな笑いを浮かべた。
「そのことなら心配はいりません。私達がいます」
「……え?」
アンがリグレッタに目配せをする。彼女達は二人共、悪意は無いが何か面白がるような含み笑いをしていた。
(これって確か、前にも……)
心の奥、封印された記憶から滲む残滓が俺の背中に滝のように冷や汗をかかせる。
嫌な予感がする。しかし俺の体は自由に動かなかった。
「……俺は失礼する。村に行くなら準備しておく事がある」
「ア、アダス!? 待って! 行かないで!」
急いでいるというよりも、長くなるのが面倒そうでセーフハウスを出て行くアダス。なんとか呼び止めようとしたが、アダスは無情にも全く躊躇することはなかった。
「陛下、ご安心を。私達二人はトルゴレオ随一の使い手であり――」
いつぞやのように目を爛々と光らせながら退路を塞ぎ接近するリグレッタ。勿論、そんなことをしなくても、そもそも俺は動けない。
いや、それより重要なのは前回の追体験のような台詞回しに、俺は徐々に舞踏会があったあの日、準備室で何があったかを思いだしかけていた。
「――魔術だけでなく、ファントムによる肉体制御の深奥を究めています」
「お、思い出したぞ! あの時、俺はこの後―――ッ!」
台詞を引継ぎ悪戯っぽい、しかしとてつもなく凶悪な笑いを浮かべて近づくアンキシェッタ。
「さあ、陛下!」
「さあさあ、シュージ様!」
「やめろ! スプーンをそんな風に使うなんて……あ、ああ……うわああああ!!」
***
そんなこんなでアダスの訪問から3時間程度の特訓を終えてここにいる。
何故かその間の記憶は無い。
だが二人は自称する通りかなり優れたコーチだったのだろう。
俺は自分の体で今までファントムが行っていた筋繊維や神経伝達の制御をできるようになり、常人以上に高い身体機能を操れるようになったのだ。
その制御には自分の手足がいきなり増えたような難しさを感じたが、幸い二人のおかげで今ではどうにか戦力になるぐらい動ける。ただし動けるといってもリグレッタ達には遠く及ばないし、目の光も結局コントロールすることはできなかった。
まあ即席だから仕方ないし、むしろ短時間でここまで動けるようにしてくれた二人には感謝すべきだろう。
ただ体のアチコチが痛むのは何故だ?
「アダスは……どこにいるのかさっぱり分からないな。さすがはスパイ」
一応、作戦には参加すると言っていたのでこの村のどこかにはいるはずだ。
目を凝らしてアダスを探していると村の反対側、リグレッタのいる入り口の方から数十人の集団が歩いてくるのが見えた。
「来たかっ」
やって来たのはキスレヴの歩兵。馬に乗らず、軽装の鎧を身に付けている様子から正規兵ではなく、昨日増援に出てきた補給部隊なのだろう。
部隊は後方に馬車を2台引いていてその内1台にティアが鉄の檻に轡と鎖で厳重に拘束されていた。
ティアは目立って汚れていないし、鎧も軍服も脱がされていない。女性の捕虜ということで心配していたが、どうやらティアの魔術師としての怪力を恐れて乱暴は出来なかったようだ。
少しホッとしたがやはり現状は見過ごせるものではない。
「誰だ! そこで何をしている」
敵の隊長らしい奴が俺を見て叫ぶ。
同時に檻の中のティアも俺に気付いたようだった。驚いて、目を大きく開かせている。
「答えろっ、貴様は何者だ! その目は一体……」
「……………だ」
「あぁん? なんだと?」
(―――大丈夫だ、必ず助ける)
目でティアに強く訴えかける。それがどう通じたのかは分からないが、ティアの蒼い目に涙が溜まっていくのが見えた。
正直、戦闘に向かうのはまだ怖い。恐怖を忘れているわけでも、乗り越えたわけでもない。
(今度こそ出来る筈だ。ティアを、――助けられる!)
唾と一緒に恐怖を飲み込むと、数日前に感じたあの全能感が蘇ってきた。今度は右目に痒みは無い。ただ想いが強くなる度に目の光が増し、体中から熱い力が湧き上がってくるのを感じる。
「……俺は…………だ」
「名前もまともに言えんのかっ。ふん。もう敵でも味方でもどちらでもいい。お前ら、やってしまえ!」
敵の隊長らしき男の号令で部隊から5人の兵士が剣を抜いて近づいてくる。
以前の、影無しの俺ならここで何も出来ずに逃げだしていただろう。だが今は違う。目を閉じて自分の体の"操作"に集中する。
「黒髪黒目で片目が光ってるなんざ、薄気味の悪い餓鬼だ」
「おい、あの光る目ン玉、もしかしたら高く売れるかもしれねーぞ」
「ああ、宝石を入れた義眼かもな」
「へへ、可哀想に。怖くて目を瞑ってやがる」
―――今朝まで俺はただの臆病な人間だった。
彼女達を仲間として頼りきれず、戦闘は全て影にやらせていた。そしてキスレヴに負けて、あの空間で俺の一部であるはずの影にも負けた。
「おい、一息で殺してやれよオッカ。泣かれたらたまんねぇ」
「ああ、トルゴレオの糞共を蹴散らした、俺の剣の冴えを見せてやるぜ!」
そっと目を開ける。
正面にオッカと呼ばれたもじゃもじゃと獣のように髭を伸ばした兵士が、その後ろでは残りの4人が剣を抜いたまま構えずに中心にいる禿頭を囃したてていた。
髭の兵士が剣を腰溜めに構える、しかし俺はまだ剣を抜かない。
「あばよ、糞餓鬼。うらぁあああああ!!」
敵の剣が横一線に薙ぎ払われた。
自慢するだけあって、中々の勢いで放たれたそれを――
「おおおおおおおおおおお!」
――俺は両手で挟んで受け止めた。
「嘘だろっ!?」
刀身を捻って敵の手から剣を奪う。
そのまま、奪った剣を回転させて目にも止まらぬ速さで禿頭の兵士に剣を突きつけた。
「俺は……永阪修司だ!」
「な、何だぁ、急に? おい、わかったからそいつを俺から………ぎゃあああああっ」
禿頭の兵士の声を無視してさっきの仕返しに横一文字に切り払ってやった。
俺の思いがけぬ反撃に、後ろの4人の反応がモタついている。少し待って敵がようやく剣を構えた所で、俺は陸上競技のクラウチングの体勢で地面に倒れている兵士を踏みつける。
「こ、こいつ……!?」
「うわっ!」
「うぉぉおおおおおお!!」
敵が構えた剣で攻めてくる寸前、両手で剣先を真っ直ぐに構え、俺は踏み台を蹴って真ん中で前後に並んでいた二人に一気に迫る。
前の奴は剣を弾いて防ごうとしたが間に合わず、剣が胸に突き刺さった。そのまま剣を抜かずにそいつを押して、後ろにいたもう一人を貫通した剣先で突いた。
「ぎゃあっ」「ぐわぁああ!!」
人間二人分の胸板と防具を貫いたことで剣が抜けなくなってしまったが、構わない。
俺は奪った剣を手放すと持参した剣を抜き、勢いのまま残りの二人も切り捨てた。
「はあ……はあ……」
一分も無い間に5人も殺した。
確かに一瞬の早業だが、実は見た目ほど余裕は無い。最初の白刃取りからして綱渡りだし、自分の剣が相手の肉を絶つ感触には背筋が震える。だが、
「お、お前ら、早く! 早くあの小僧を止めろ!」
5人の兵士がいなくなることで再び敵の隊長とティアの姿が見える。敵の隊長は後ろの兵士を強引に前へ引っ張って自分の盾にしようとしていた。
俺は剣を真上――太陽へ掲げて叫ぶ。
「俺は、日本人で! ただの高校生で!――」
「き、貴様! 何をしている!? 何を言っている!?」
真昼の太陽を映す剣の眩しさに、敵の隊長が目を庇いながら泡を吹いて叫んだ。
「――戦争が怖くて! 他人任せにした挙句に負けて! 泣きながら女の子に守ってもらった、ビビリ野郎の永阪修司だ!」
ヤケクソに近い、ただ声がでかいだけの叫び。
キスレヴ兵は今しがた5人を斬り倒した俺の異様な行動に戸惑っている。だが、別にこいつらに聞かせるために叫んでるんじゃない。リグレッタ達のためでもない。
(これは、自分のための名乗りだ)
「何故この場でそんな恥を……待て、ナガサカ・シュージだと?」
「……でも、それじゃあ何も出来ないなら……誰も守れないなら……俺は、今までの俺を捨てるっ」
「ああっ! 貴様は、まさか!?」
――俺の頭上で剣に映された太陽が痛い位の光を放っている。
――この剣は俺と同じだ。達人に作られた業物でも、魔法の力を持つ聖剣でもない。
――それでも今こうして刃に太陽を宿している間、この剣は光輝く至上の名剣に見えているのだ。
「俺はトルゴレオの王、三日月の瞳を持つシュージ・ナガサカ王だ!」
ファンタジーに巻き込まれた"一般人"から当事者の"主人公"へ。
憧れるだけではない、無責任に請け負うだけでもない。
ただの凡人の身であらゆる試練を受ける覚悟を決める。
(――偽者でもいい。俺は主人公になるんだ!)
突如、敵兵の後ろと直上から炎と、風が現れて敵兵を飲み込んだ。人間と民家が焦げて黒煙が辺りと太陽を包む。
二人の援護を受け、俺は先程まで太陽を映していた剣を握って敵の群れへと駆け出した。