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三日月の瞳(1)

18、三日月の瞳



 セーフハウスは地上の大樹の下の根を切り抜いて作った地下施設だ。

 地下といっても王都の周辺にあり、有事の際の青獅騎士団の司令部になることを想定して作られているので、中は普通の一軒家より広いし設備も物資も3人で泊まるには充分過ぎるほど整っていた。

 俺たちは傷の手当てと着替えを終えると外の隠し井戸から水を汲み、倉庫から干し肉と雑穀の保存食取り出して簡単に朝食を済ませる。そうして人心地ついたところでリグレッタに今までの――主に俺と黒い影の姿をしたファントムとの関係について話した。


「そんな、ファントムがそんなことを……?」


 手を口元に当てながらリグレッタが驚いた様子で言った。

 正直、俺には自分のファントムのことはほとんどわからない。俺の話はあらゆるものが断片的な情報や推測から成っており、特に昨夜の夢のできごとなどはリグレッタとアンをひどく混乱させた。


「…………ファントムというのは自分にとって唯一の存在です。ですから陛下が感じたのならその影とやらは陛下のファントムで間違いないでしょう。しかしそれが姿を現したり、兵を操るというのはあまりにも私が知るものとかけ離れています」


 一通り思案したあと結論を出したリグレッタ。

 魔術師にとってのファントムの制御とは、あくまで体調管理の延長線上にあるものでそれ自体が超常現象を行うことはないのだと言う。


「それに、ファントムが体を乗っ取ろうとするのもおかしな話ですよぅシュージ様。ファントムと私達主人格とは明らかに機能と役割が違います。それを逆転させるなんて、馬が人間に乗ろうとするようなものです」


 アンもリグレッタの意見に同意していた。

 二人とも別の観点から結論を出しているので、俺以外の人間にとってはよほどありえないことなんだろう。


「そんなこと言われてもどっちも実際あった事だしな。……ひょっとして俺が異世界の人間だから体の構造がこっちの人間と違うのかも。それがファントムにも現れてるとか」

「体の違いですか……陛下の外見を見る限り特に変なところはありませんね。何か思い当たることはありますか?」

「そりゃあ、俺と二人の違いと言ったら……」


 思わずリグレッタとアンの胸を見る。

 そこには綿の平服に包まれながらも、決して存在感を失わない2対の膨らみがあった。

 今はティアがいないので中、小と少し物足りないラインナップだがこれはこれで……なんて考えながら視線を戻すとそこには鬼が、いやリグレッタがものすごい形相で俺を睨んでいた。


(――馬鹿なっ!? 視線を向けたのは一瞬だったはずだ!)


 どうやらそのたった一瞬の視線に反応し、考えを読んできたらしい。


「違いと言ったら…………なんですか?」


 "続きを言ってみろ、命は無いぞ"とこめかみに青筋を走らせて、強烈にガンを飛ばしてくるリグレッタ。一方アンキシェッタは俺達の間の空気に気付かず、俺との違いを探そうと指や歯の数を一生懸命数えていた。

 果たしてこれはラッキーなのか助け舟を期待できない分不幸なのか。

 俺は冷や汗をタラタラ流しながらどうやってこの場を切り抜けようかと必死で考えた。


「違いと言ったら……そ、そうだ! 親指をこうやって片手で掴むと……ほらッ、親指が取れちゃうゾ♪」

「………………」

「………マタ生エチャウゾ♪」


 棒読みである。


「………………」

「わあっ! すごいですよ、シュージ様。痛くないんですか?」


 咄嗟に思いついた手品だったが、どうにか誤魔化すことができたようだ。リグレッタの無言のプレシャーには心が折れかけたが、素直に騙されてくれたアンの賞賛が俺の傷ついた自尊心を癒してくれた。 


「……………とにかく、もうファントムの影とやらの力は借りないことです。強力ではありますが、そのリスクは計り知れません」

「ああ、わかったよ……」


 恐らく俺にもう次は無い。

 あの空間でファントムの力が最後に弱まった理由がわからないので、もう一度危険を犯しファントムと対峙した場合今回のように逃げ切れる保障はないのだ。

 影の力はもう使えない。俺はもう戦うことはできないのだ。


「で、これからどうするんだ?」

「ティアちゃんは数日ここで隠れて、それから検問や封鎖を突破しようって言っていました」

「数日って、何日間? そもそも突破してどこに向かうんだ?」

「それは……ごめんなさい。わかりません。ティアちゃんもそこまで考えてなかったと思います」


 盲点突かれてたじろぐアンキシェッタ。基本的に頭脳労働は苦手なようだ。


「とにかく! ここに隠れてさえいれば見つからないんですから、私達はゆっくり考えていけばいいんです。どうせキスレヴ兵が森の周辺にいる間は動けないし私達は安全な隠れ家で情報収集を行いながら方針を決めていくしかないでしょう」


 俺の意地悪な質問に今度はリグレッタが半切れで乱入してきた。

 こいつの答えは大抵正論なんだが、なんだかこいつが何か言うと悪いフラグが立ちやすい気がするんだよな。


―――ドンドンッ!


 ほら。


「………言った側から何故隠れ家に来客が?」


 リグレッタは目を丸くしながらノックされたドアの方を見た。

 "見つからない""安全安心"がこのセーフハウスの売りだったのに、それが一瞬で破られるというのは想像だにしていなかったようだ。

 どうにか居留守で誤魔化せないかとしばらく無視していたが、来客は俺たちの存在を知っているかのようにノックし続けた。

 仕方なく警戒しながら3人でドアへ近づく。


「キスレヴ兵かな? それにしてはノックが大人しいような……」

「……私が見てきます。レッタちゃんはシュージ様を」


 リグレッタはコクンと頷くと俺の手を引いて部屋の奥、玄関を確認できるギリギリの位置まで下る。

 この扉の向こうにいるのが、もし敵だったら……


(……怖い)


 もし敵なら、俺は初めてファントム無しで殺し合いに臨むことになる。戦うのは怖い。

 人の生き死によりも、身を危険に晒すことでファントムの逆鱗にでも触れて、今度こそ自分が自分で無くなってしまうのが怖い。あの空間には二度と行きたくない。緊張感とともに視界の隅にボゥッと暗い影が浮かび上がった。

 部屋の向こうではアンがタイミングを計りながら慎重にドアノブに手をかけている。リグレッタに合図を送り、ドアノブを捻るとギィィという音と共に外の光と人影がセーフハウスに入ってきた。


「ハッ!」


 ドアを開けた瞬間、来訪者に掴みかかるアン。が、来訪者は機敏な動きでそれをかわし逆にアンの手を掴み返そうとする。

 それをアンがさらに掴み返して、戦いはそのまま一進一退の攻防戦になるかと思ったが、リグレッタの声がそれを遮った。


「やめなさい、アンキシェッタ! その方は味方。青獅子騎士団の方です」


 部屋に一瞬の沈黙が訪れる。

 両手を捌ききって相手の首に手を伸ばしていたアンキシェッタだが、リグレッタの声に反応して、慌てて手を離して身を引いた。


「えっ? あ……ご、ごめんなさい!」


 なるほど。ここを作った青獅子騎士団の騎士なら当然ここを訪れることができる。おそらくキスレヴが国王の首級を上げたという報告が無いためここに当たりをつけて探しにきたのだろう。


「……いや、構わない」


 来訪者は痩せぎすのくすんだ茶髪の男だった。年齢は、よくわからない。中年といえば中年に見えるし、まだ若い青年と言われればその通りに見えるのだ。

 他にも服装は灰色のチュニックとズボンというどこにでもある服だが、ボロボロのそれは乞食にも流浪の傭兵のようにも感じさせるので、首から下げた青い獅子のペンダントが見えなければこの男の正体を推測するのは不可能だった。


「……シュージ王と王立騎士団のリグレッタ・チハルト、それに南部赤獅子騎士団のアンキシェッタ・メルコヴだな?」

「ああ。お前は?」

「……青獅子騎士団のアダスだ。お前達を探していた」


 男の表情や言葉には感情が全く込められていない。それでもあえてそこから意思を汲み取るならば、全てに腹を立てているような不機嫌さがそこにはあった。

 ふと、アダスと俺の視線が重なる。

 それは一瞬の交錯だったが、その視線に自分の弱気を咎められた気がして俺は竦みあがった。

 

「……お前が異世界からの救世主とやらか。歓迎させた割には、やはり期待外れだったようだな」

「ぐっ………」

「あなた、シュージ様に失礼じゃないですか!? そもそも青獅子騎士団だって情報収集を任されてたのに敵の増援を察知できなかったじゃないですか。がっかりさせられたのはお互い様です!」


 怯んだ俺の代わりに、アンが腰に手を当てて反論する。


「……我々の仕事は戦闘直前までだ。それ以降はお前たちの領分だろう」


 確かにアンの言ったとおりキスレヴへの情報収集は全て青獅子騎士団に任せていたが……いくら諜報のエキスパートでも戦闘中に戦場で情報を集めるのは無理だろう。ましてや増援は敵進路上の補給部隊。全く意表を突かれた上に、短時間で集めたであろうそれを察知するのは不可能に近い。アダスの言うことにも一理ある。

 俺はアンを制止するとアダスに話を聞くことにした。


「アンキシェッタ、もういい。アダスが言っているのは事実だ。……それでアダス、今のレオスの状況を教えてくれないか?」

「……敗走したトルゴレオ軍を追撃した後、キスレヴ軍は部隊を再編してレオスに向かっている。しかし我々青獅子騎士団が補給部隊不在の補給拠点を襲ったため、レオスへの侵攻はかなり難しくなっているはずだ。包囲はされるが、少なくとも数日でレオスが陥落することは無い」

「つまりあの戦は実質引き分けだったわけですね」

「キスレヴの戦力が目減りしている今なら、戦闘を避けて他の地方へ逃げることができそうです!」


 思いもよらなかった戦果の報告に喜ぶ二人。ネガティブな見方かもしれないが、負けても敵に一矢報いたというのは精神的に大いに慰められる。

 かくいう俺も昨日の戦闘が全くの無駄ではないと知ってホッとした。

 しかしアダスの表情は変わらない。むしろ報告に喜ぶ俺たちを軽蔑するように色の無い瞳でこちらを見ていた。


「……その中の、追撃に加わったキスレヴ部隊の一つが、今日の正午にこのセーフハウスの東にあるテルマ村を通過して本隊に合流する。数は50人ほど。捕虜一人を連れているそうだ」


 50人の部隊?捜索部隊ならともかく通過して本隊に合流するなら、俺達に関係は―――って


「捕虜が一人? それってもしかして……」

「……捕虜は青獅子騎士の女性。シュージ王追撃の最中に森に現れ、魔法を使って戦ったという報告がされている」

「それって、ティアちゃん!?」

「………………」


 アダスは答えない。たとえ解りきったことでも、推測や主観を交えないで報告するのがこの男の流儀なのだろう。

 ティアはもしかしたら死んでいるかもしれない、と思っていただけにこの報告は俺たちにとって最大の吉報だった。


「助けに行きましょう! ね、シュージ様、レッタちゃん?」

「……あ、ああ」

「………………」


 助けるべきだ。

 それが正しいのは解っていたが俺は即答できなかった。

 いくらリグレッタ達でも魔術師がたった二人で50人の部隊に襲撃をかけるのはかなり危険だ。ティアの救出どころか返り討ちにある可能性のほうが高いだろう。

 もしそれで二人が死んでしまったら……そしてもし俺が戦闘に巻き込まれたら……。

 考えるだけで体が震え始める。あのファントムとの邂逅は俺の心に恐怖と、消えないトラウマを植えつけていった。


「シュージ陛下、無理をしないください」

「リグレッタ……」


 俺の様子を見ていたリグレッタがそっと俺の手を握ってくれた。ただ暖かいだけではない、人肌の温かさに震えが少し弱まる。


「……陛下の安全が確保できないのに、ここで私達まで倒れるわけにはいきません。捕虜になったのならすぐ殺されることはありませんし、我々は包囲されないよう隠れて進むべきです」

「レッタちゃん、そんな……」

「………………」


 ティアは同じ騎士団の人間だというのにアダスは何も言わない。

 黙ったまま、ただこちらを観察するように眺めている様は、まるで俺たちを試しているかのようだった。


「俺は………」

(――怖い)


 ティアは俺を助けるために死を覚悟して敵に身を投じたというのに。


「俺は………」

(――情けない)


 戦うのは嫌だ。

 先ほどまではぼやけて見えていた黒い影がアダスの向こう、ドアの前に今度ははっきり見える。

 今度、こいつを受け入れたら俺という人格は確実に消え去るだろう。影が見えただけで、震えるほどの怖気が全身を走るのだ。戦いなんてできっこない。


「俺は………」

(――逃げたい)


 リグレッタに手を繋いでもらっても今も震えが止まらない。

 ファントムに言われた通り、俺には無理なのかもしれない。


『でも、それでも…………もし、もう一度があるのなら』

(――逃げたい、でも!)


「たす、――助けにいこう! 俺は、ティアを、助けたい!」


 俺は怖さも、情けなさも、臆病さも飲み込んで叫んだ。

 噛んでしまい、壮絶に格好悪かったけどそれでも喉から搾り出すことができたのだ。

 突然叫んだ俺をアダスは相変わらずの無表情に、二人は驚きに目を丸くして見ていたが、3人とも俺の意見に反対することはなかった。


「はぁ、はぁ………」


 たった一言叫ぶだけで相当な体力を消耗した気がする。しかし、声に出したことで先程までのような壮絶な恐怖感は幾分軽くなった。

 俺は呼吸を整えると胸を張って立ち上がり皆を見回して反応を確かめることにした。周囲では相変わらずリグレッタ達が目を丸くして俺を見ているが……ちょっと驚きすぎじゃないかな?


「陛下………?」

「駄目かな? 50人相手で厳しいのはわかるけど……」

「いえ、そうではなくて」


 なんだか反応がおかしい。

 見ればリグレッタとアンだけでなく、アダスまでもが俺の顔をジロジロと見ていた。


「シュージ様、その目……」

「目? どっちの? どうしたの?」


 言いにくそうにしながらも、トコトコと寄ってきて上目遣いで俺の目を覗き込んでくるアン。

 普段ならそんな仕草にもドキドキするところだが、みんなのもったいぶるような態度に俺も何が起こっているのか気になっていた。


「……右の目だ。光っている」


 アダスがボソッとほとんど独り言のように言った。


「は? 光ってる?」

「……これを使え」


 アダスが腰から短剣を抜いて、その剣の腹を俺に向けた。

 磨かれた短剣は鏡のようで、そこにはいつもの俺の顔に、


「なんだこりゃ………?」


―――右目の中、黒い瞳に被せるように金色の三日月が光を放っていた。




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