欠けた月(1)
16、欠けた月
***リグレッタ***
「ウー、ハァァァーー! 死ねぇ、魔女め!」
体を低く、土の臭いがわかるほど低く傾けて敵の斧を避ける。
そして体を前に傾けた勢いそのままに敵へ踏み込むと右手のフレイムタンを逆袈裟――右足から左脇腹に抜けるように斬りつけた。
「ハッ!」
「がぁぁああっ!」
不自然な体勢だったため両断はできなかったが、それでも重傷を負わせることはできたようだ。用心に倒れた相手を蹴り、気絶していることを確認する。
「これで、一段落……?」
「――くく、喰らえぇぇ!」
「っ!?」
ギィンッ!
斧男と戦っている間に他の敵が後ろから回りこんでいたらしい。不意打ちで背後から突き出された短剣に咄嗟に振り上げたフレイムタンを弾かれてしまった。
わずかな月明かりを反射して、フレイムタンにはめ込まれたルビーが紅い放物線を描きながら遠くへ消えていく。
自分が丸腰になったことを悟った私は、敵を警戒しながら後ろへ跳び距離をとった。
敵も深追いしてくるようなことはせず、短剣を前へと構えたままこちらの動きを見ている。
「へ、へへ……もう武器は無ぇみたいだな。こうなりゃ、いくら強い女騎士さんでもただの小娘だ」
「くっ……」
一人倒したぐらいで安心してしまった自分に腹が立つ。
しかし今は目の前の男を相手に武器無しで戦わなければならない。
そのために意識から後悔を捨て、篭手を深く嵌め直し呼吸を整えた。
「ふぅぅぅぅぅ………」
そんな様子が男は私が諦めたように見えたようだ。
構えていた短剣を下ろし、ニヤニヤと下品に笑いながらあからさまに失礼な視線を送ってきた。
「へへ……降参するようだな。安心しな、別に殺そうってわけじゃねぇ。ただ上に引き渡す前にちょっと俺のお相手をしてもらおうってだけさ」
「……勘違いをさせてしまったようですね。武器があろうが無かろうが、あなた相手なら結果は変わりません」
「てめぇっ………女が丸腰で何ができるってんだ!」
「少なくとも刃物を振り回して喚くだけのマヌケには勝てます。どうしました? まだ短剣の使い方を思い出せないのですか?」
「がぁぁぁああ! 女風情が、馬鹿にしやがって! 殺してやる!」
深追いせず様子見をしてきたから慎重な男だと思ったが、予想に反して私の挑発で簡単に激昂してくれた。
「うらぁぁぁぁぁぁっ!! 死ねやぁぁぁぁ!」
男は怒鳴りながら走り出し、短剣を腰溜めに構えた奇妙なスタイルで突進してくる。
そしていよいよ距離が縮まり短剣の間合いに達した瞬間、男が突き出してきた手を掴んで後ろに引き、逆に左の拳を顔面にたたき返した。
「――ぁぁぁあああげぴゃっ!」
敵の勢いと私の拳の運動エネルギーが顔面で炸裂する。
当然、篭手で覆われた私の拳にダメージは無い。しかし全ての衝撃を顔面で受け止めた男は鼻や口から血を吹き出しながら背中から派手に倒れこんだ。
「………さすがに今度は不意打ちは無いようですね」
先程のような失態は一度で十分。
敵がいないことを確認した私は周囲を見回しフレイムタンを探した。しかし辺りはすでに暗く、見つけられるのは足元にある先程斧男に折られた私のサーベルの残骸だけだ。
「仕方ないですね。それにしても、キスレヴの追撃が少なすぎる……一体どこに……?」
他の二人のところへ行ったのだろうか?
それにしても妙だ、と思ったところで南の――森がある方角からティアのエコーを感じた。
『レッタ、アンキシェッタ! 南の森だ! シュージが捕まった!』
「そんなっ!?」
護衛に回した人数が少なすぎたのか、陽動がうまくいかなかったのか。原因は色々考えられるが、それはもはや関係ない。
陛下が捕まったとあれば、もはや私がここで陽動をする意味は無いのだ。
私は丸腰なのも忘れて、森へと一目散に向かった。
***まだリグレッタ***
南の森について私とアンが合流するとティアはすぐさま敵へ攻撃を始めた。
シュージを気絶させて捕らえていた部隊はまさかここで奇襲を受けるとは思っていなかったらしい。さしたる抵抗も無いまま、散り散りに逃げていった。
「ふむ、どうやら捕まっていたのは小隊規模の部隊だったようだな。本隊が来る前にシュージを取り返せてよかった」
「そ、そんなことも知らずに突撃をかけたのですか……」
「丸腰でついて来たお前に言われたくないな。さて、これからどうしようか?」
さっきの部隊を逃がしてしまった以上ここに増援が送られてくるのは時間の問題だろう。
このまま3人だけなら逃げ切るのは容易いが、彼が気絶しているのでは振り切るのは難しい。
叩き起こそうかと思ったが、頬を強くつねっても起きないし、起きてもまた目の激痛で動けないのではむしろ邪魔になるかもしれない。現状ではこのままにするしかないようだった。
「ティアちゃん、シュージ様の馬は?」
「……エヴァはやられてしまった。あれほどの器量の馬なら、今頃冥府の女王の馬車に迎えられていることだろう」
見ればアンも身に着けていたはずの鎧を殆ど失っている。フレイムタンも失ったし、ここでもう一度陽動を行うのは無理だった。
「レオスへの道はもう抑えられているでしょうし………万事休す、ですか」
「……いや、待て。確かここから5キロほど南に下った所に青獅子騎士団のセーフハウスがあったはずだ」
「セーフハウス?」
聞いたことの無い単語だ。
「青獅子騎士のスパイが緊急時に追っ手から逃れるために使う隠れ家だ。森の中に溶け込むように建ててあるからピンポイントで捜索されない限りは、見つからない」
「じゃ、じゃあ、そこに逃げ込めばシュージ様は助かるのね!?」
アンが希望を込めて聞いた。
「私達もな。あとは数日待って検問が広がりきったところを突破すればいい」
「全く……何故、最初にそれを言わなかったのですティア。無駄な覚悟を決めてしまったではありませんか」
「あいにく、私はスパイ志望じゃなかったんでな。自分が逃げる羽目になるとも思わなかったし、団長に教えてもらった時は殆ど聞き流していたんだ」
とその時、森の入り口の方から多数の鉄が擦れる音が聞こえた。
音源の数は多く、ゆっくりではあるが着実に私たちの方へと近づいてくる。
「もう、追っ手が!?」
悲鳴を上げるアン。
思ったよりも敵の動きが早い。これほど近づかれては、気絶している彼を抱える私達は逃げ切れないだろう。
「こんな……」
「……一難去ってまた一難だな」
「どうしよう、レッタちゃん……」
敵の松明の赤い光が近づいてくる様子に思わず歯噛みした。
何故神はもう少し時間をくれなかったのだろうか、とパニックで栓の無いことまで考え出す。
そんな風に私が固まっているとティアが泰然と普段のクールな表情のまま、つかつかと歩いてきて私の足元にいたシュージの側で膝をついた。
「ティア、何を……?」
「………………」
ティアは答えない。
そしてしばらく黙ったままその顔を眺めていたかと思うと、首に手を回し無理に起こさないよう意識の無い彼を優しく抱きしめた。
そのままティアは目を閉じる。いつもの獰猛な笑顔ではない、まるで聖女のような穏やかな表情を現したままお互いの黒い髪を肩で重ねた。
「……シュージ、たった数日だったが、お前といるのは思いのほか楽しかったぞ。我々の我侭で戦争にまで参加させてしまったが、それでも異世界から来てくれたのがお前で本当に良かったと思っている」
そのまま、意識の無い彼に語りかける。
口調はいつもの男言葉だが、一言づつ想いを込めた彼女の語り掛けには、周囲にいる私達にも伝わるほどの迫力があった。
「ティアちゃん……」
「……レッタ、アンキシェッタ……森の中には、1キロおきに木に錆びた剣が刺さっている。5個目の、トルゴレオの紋章の入った剣の剣先へ向かえばセーフハウスがあるはずだ」
最後まで名残惜しむように抱きしめた後、ティアは彼を私に託しハルバードを手に取った。
いつものように戦闘を楽しんでいる様子は無い。ただ末期の老人のような、穏やかな覚悟を決めた幼馴染がそこにいた。
「ティア、戻りなさい! 私が行きます。私なら疲労は無いし、セーフハウスだってやはりあなたのほうが見つけ易いはずです」
「止めろ、レッタ。いくらお前でも丸腰では何人も足止めなどできまい。アンキシェッタや私ではシュージを背負ったまま夜の森を5キロ走破するのは難しいし、魔法で灯りを灯せるのはアンキシェッタだけだ。ここは私が行くしかない」
「そんな、ティアちゃん……」
「その代わり、もうシュージを取られるなよ。こいつは我々が思っている以上に色々背負い込み過ぎるようだ」
ティアの決意は固い。
初めて見る幼馴染の真摯な様子に少し驚いたが、それだけ今の状況が逼迫しているのだと改めて自分に活を入れなおした。
「…………わかりました、ティア。どうか、あなたに夜星の導きがありますよう」
「………ああ。共に月の王の下へ集おう」
「そして私とレッタちゃんと三人で、三騎士の誓いを果たしましょう」
幼いころ三人で考えた約束の文句が自然と口から出た。アンもティアも少し驚いたようだが、二人とも覚えていてくれたらしい。
――昔はよくこうやって遊んだ。騎士になって御伽噺の三騎士のようにトルゴレオに名を残す騎士になろうとしていた。
それをいつの間にか忘れていた。それぞれ別の騎士団に入り少しづつ、自分たちでも気付かない内に疎遠になっていたのかもしれない。
それが今、こうして二度と会えないかもしれない時になって、ようやく仲の良かった3人に戻れたのだ。
ティアが森の奥へ消えていくのを見届けると、私は彼を抱き起こして背負った。
同時に暖かい命の鼓動が背中を通して伝わってくる。
「アン、今は陛下のことを考えましょう」
「うん……」
親友に背を向けて森の奥へ向かう。
後悔も心配も無い、今は彼を守ることに全力を捧げよう。
***まだまだリグレッタ***
「が、がぁぁぁあああああっ! わああああああああっ!」
「アン、そちらから左腕を押さえてください!」
「は、はい! ……シュージ様、しっかりしてください!」
ティアと別れてから2時間。夜の森は想像以上に走り難く、セーフハウスを見つけるのにかなりてこずってしまった。
それでもようやく5個目の目印によって木の虚に隠された入り口を見つけて安心したのも束の間、夜半過ぎに彼に異変が起こった。
最初はベッドの上で悪夢をうなされる程度だったが、動きは次第に激しくなり今では二人掛かりで抑えねばならないほどになっている。
「うーーっ! あああああああああっ!」
「ようやく敵の追撃から逃げ延びたのに……何故こんな……?」
まず思い至ったのは彼に毒か病気が入り込んだ可能性だ。しかし少なくともこの症状は、私の知っているどの病気とも違うし、敵軍とはいえその辺の一般兵が毒を使うような理由は無い。
私が目を離したその時、アンの手を振り切った彼の爪が、アンの頬を掠めた。
「痛っ、――シュージ様!? 駄目っ!」
「ぁぁぁぁああああ!」
顔を引っかかれたアンは抑えていた手を離してしまう。
するとシュージの手は一直線に自分の首元へ向かって爪を立てようとした。
慌てたアンがギリギリで取り押さえたが、そのままやらせていたら彼は頚動脈を破り死んでしまったかもしれない。
(何かと、争っている? でも……一体何と?)
「レッタちゃん! シュージ様が!」
何度も抵抗を阻んだからだろうか。彼は手足を動かすのを諦めて、今度は大きく背中を反り返らせて舌を突き出した。
――舌を噛み切る気だ!
私は咄嗟に彼の口に人差し指と中指を突き入れる。
「痛ぅ、ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ」
彼の歯が、私の指の皮や肉を貫いて骨まで達する。腕や足とは違う、神経の集まる場所への想像を絶する痛みが走った。
そのままでは危うく指を噛み切られるところだったが、アンがタオルを口に入れて猿轡のようにしてくれたおかげでなんとか指を離す。
「んーーーっ。んーーーーーーーーっ」
「くっ、このままでは……。 一体どうすれば……?」
(――光明が、見えない)
戦に破れ、友も失い、そして今また大事な主君まで私は死なせてしまうのだろうか。
それからしばらく暴れるその腕をヤケクソに近い感情で押さえていた。やはりアンも辛いのだろう。彼女もまたポロポロと涙をこぼしながら必死で彼にしがみついている。
「シュージ様……どうか生きてください。どんなことがあっても、私が絶対に助けて見せます。だから……だからお願いです。生きてください、どうか……」
「アン………」
すると不思議なことが起こった。それまで、いくら話しかけてもどれだけ揺すっても反応せず暴れ続けた彼が、アンの涙に触れると徐々に大人しくなったのだ。手や足からは力が抜けていき、タオルの猿轡ごしの悲鳴も消えていく。
私達二人はそれを信じられない気持ちで呆然と眺めていた。
「………………ひょっとして死」
「死んでません! こんな時にやめてよ、レッタちゃん!」
「ちょ、ちょっと、汚い! わかったから、やめなさい、アンキシェッタ」
涙どころか鼻水まで垂らしたアンに怒られた。
よくみると弱々しくはあるが彼はちゃんと息をしている。
呼吸音にもおかしな所はないし、心音も正常なのでとりあえず危機は脱したようだ。
「また暴れ出したときのために一応、見張りは付けておきましょう。まず夜は私がついています。アンは先に寝ていてください。」
「ぐすっ……うん、わかった。ふわぁ………明け方になったら交代ね」
「わかりました」
疲労しないとはいえ寝なければ体力や集中力は低下していく。アンも私もここはなるべく休んでおくべき時だ。
アンは用意していた桶の水で顔を洗うと、毛布と一緒に部屋の反対側に置いてあるソファーに横たわった。
「ティアちゃん……生きてるよね?」
「ええ、エコーを感じませんでした。ティアならいよいよ駄目なら最後に極大魔法を使うでしょう」
「ふふっ。うん、きっとティアちゃんならそう、する……ね」
喋り終えると同時にアンが寝息を立て始めた。
勿論、魔法を使う暇も無く倒されている可能性もあるのだが、わざわざ口にすることもあるまい。
(今日は、ティアを犠牲にしてなんとか生き延びた)
しかし明日は私かアンかもしかしたら陛下が犠牲になるかもしれない。
(――力が欲しい)
魔術師の魔法ような、中途半端なものではない。
全ての困難を歪めて想いを現実にする本物の魔法が、今は欲しかった。
(――力が、欲しい)