斜陽の勝鬨(2)
この話から主人公以外の視点があります。注意
14、斜陽の勝鬨
***リグレッタ***
「キスレヴ軍を確認っ! 我が方の北東から一万三千の騎兵と2万の歩兵の混成部隊が接近中です!」
斥候からの報告に俄かに指揮所は色めき立った。
いよいよ、トルゴレオとキスレヴとの決戦が始まるのだ。
敵の数はこちらの3倍程、しかし総戦力に対する騎兵の割合が想定を遥かに超えているので実質の戦力差は数字以上に開いている。
しかしこれほど絶望的な報告を受けているのにも関わらず、外のトルゴレオの将兵達に動揺は無かった。昨日の演説から始まった不可思議な熱狂が、未だにその効力を発揮しているのだ。
そしてその熱狂の源泉たる異世界の青年は、指揮所の天幕の外で決戦前の最後の訓示を行い自らの兵達への影響力をより確実なものにしていた。
「馬鹿な、何故キスレヴのような小国に1万3千もの騎兵が……青獅子騎士団は何をしていたのだ?」
指揮所の中で思案気に爪を噛もうとする。しかし自分の手が篭手で覆われていることを思い出し、赤面しながら手を振って誤魔化した。
私はいつもの肩を出した胸甲以外にも白金の鎧を纏った完全武装だ。ただやはり私の髪は横に括ると兜を被せられないので、頭には髪留めしか付けていない。
「ふむ、前王陛下はどちらかというと国内と西大陸の情報を重視していたのでな。我々青獅子騎士団はそちらへ振り分けられていたのだよ。まあ、そうでなくても今回の戦争はいささか急過ぎる。いくら情報収集の得意な我々でも準備もできないのではどうしようもないさ。ところで、アンキシェッタはどうした?」
ティアは先日と同じ青いメッキの板金鎧だ。先程までは指揮所で座って大人しくしていたが、敵発見の報告を聞いてから段々と落ち着きが無くなっていき、ついには獲物の斧槍をいじり始めた。
おかげで先程から本当なら今にも飛び出して戦いたいっ! という不穏なオーラを放っている。
「アンならもう外の自分の隊の指揮に出かけましたよ。陛下の戦術によって部隊が細かく分けられたから指揮系統の最終調整を行いたいそうです」
「生真面目な奴め……しかし、これだけ騎兵が多いとなるとシュージの"スペイン方陣"とやらを採用したのは正解だったかもしれんな。我々の知る普通の陣形では間違いなく歯が立たなかっただろう」
「ええ、話を聞くだけでは解りませんでしたが、今日実物を見てようやく得心がいきました。これは侵攻側のキスレヴ軍にとって悪夢のような布陣となるでしょうね」
そう言って私は作戦書を指し示す。そこには750からなる長方形に並んだ槍兵の集団と、それらの周りを取り囲むように500名の弩弓兵を配置された、今回のトルゴレオ部隊の最小構成が描かれていた。
シュージ陛下が言うにはこれは彼のいた世界のスペインという地方で使われていた構成で、多数の射撃部隊を中心に置いた槍兵の槍衾が360度守ることでその場に要塞のような防御力を実現する守りの構成らしい。
「確かに移動するには最悪だが……横からだろうが後ろからだろうが敵からの攻撃なら最大の効果を発揮する防御の構えだからな。この部隊をさらにアンキシェッタの大型火縄銃で援護させれば、3倍の兵力相手でもかなり有利に戦えるはずだ」
「それでも、本来なら勝利は難しかったでしょう。私は昨日まで疑っていましたが、兵達のあの士気を見て勝てるかも知れない、そう思うようになりました」
「ほぉ、お前は負けるつもりだったのか。そもそも内務卿の娘が負け戦に王の護衛を買って出るなど、一体シュージをどうするつもりだったのだね?」
「………あなたもただの護衛ではないでしょう。そちらは一体何を考えているのです?」
「それは今日の結果次第だな……っと、そろそろ敵が近づいてきたようだ。国王陛下にはせいぜい扱き使ってもらうとしよう」
そういうとティアは挨拶も無しに天幕を出て行った。
天幕を出て行くティアは口調だけはいかにも面倒くさくてしかたないといった感じだったが、その目は憧れの男性とデートでもするみたいにキラキラしているのを私は見逃さなかった。
おそらく今頃は初めての会戦に初恋の乙女のように胸まで高鳴らせているのかもしれない。
「全く……これだから戦闘狂はっ」
敵が視界に入りいよいよ外が騒がしくなってきた。私もそろそろ陣に戻らないと。
私は側に立てかけておいた愛用のサーベルを手に取るとティアに続いて入り口をくぐった。
***
それまで戸惑うように、弩弓兵の射程の遥か向こうで留まっていたキスレヴ軍が動きだした。
正面に歩兵だけを2千人ほど先行させているのは、弓か弩の一斉射で密集しているトルゴレオ軍を蜂の巣にしてしまおうとしているのだろう。
俺はトルゴレオ軍の10の部隊の真ん中で、愛馬のエヴァとお揃いの金ピカの甲冑と鎖かたびらに宝石で輝く王家の宝剣フレイムタンを佩いて指揮を取っていた。
他人には見えないが、相変わらず俺の体はファントムと重なって煙を吐くように黒い影を纏っている。
「アンキシェッタ、まずはお前の部隊を出せ。続いて全軍に斉射させてまずは敵の射撃を沈黙させろ」
「はいっ、シュージ様!」
敵の行動に俺を操る影は的確に対応した。
ここまではいつもシミュレーションゲームでお目にかかる攻撃パターンだ。本来なら射撃部隊同士で様子見と疲弊狙いの前哨戦を行うのだが、密集を旨とするこのスペイン方陣は射撃に弱い。そこで今回は敵の誘いに乗りつつも、13000人の内5000人、敵の倍以上の射撃部隊を展開して敵の部隊を無力化するのだ。
「赤獅子騎士団、構え!………撃てっ!」
「続いて5番、6番、10番の方陣部隊、弩弓部隊についてに前へ出ろっ!」
都合7000人近い飛び道具の応酬は一瞬両者共に拮抗したかに見えたが、やがて俺の狙い通り敵の弓兵部隊はバタバタとこちらを遥かに上回る被害を出し、後ろへ下げられた。それを見てこちらも集中させていた射撃部隊を元の編成に戻させる。
「赤獅子騎士団に被害はありません。……これでキスレヴが撤退してくれたらいいんですけど………」
「それは無理だな。相手のファントムはまだ昂ぶっている。間違いなく仕掛けてくる気だろう」
――ここから先の戦いには、事前の作戦など無い。ただ敵の動きを見て、臨機応変に動き、効率的に兵を"使って"いくしかないのだ。
自分の名前の下、ファントムの指揮で大勢の人が死んでいく。
顔も知らない兵の、名前すら知らない家族や恋人の一生から今から一人の人間を奪うのだ、と思うとたまらなく怖くなったが、もはや引き下がることはできない。たとえ他人任せの指揮であろうと、これは俺が生きるための戦いだからだ。それをエゴだと非難されようが、俺は生きることにしがみついていたい。
俺の危機感に反応して、黒い影がより濃く俺の周りを漂い始める。こいつにとって俺の体は自分の体でもあるから少なくともこいつだけはどんなことになっても俺のエゴについてきてくれるはずだ。
「左翼から騎兵が来る。部隊は射撃部隊を中心へ入れさせて部隊を固めろ。敵がさらに部隊を送ってくるようならティアを正面から左翼の援護に行かせろ」
ファントムが手早く伝令に指令を伝える。今回は味方が近くにいるのと、魔法反動によるリグレッタの疲弊を防ぐため魔法での拡声を使っていなかった。
こうしてキスレヴ軍の猛攻が始まり、戦闘は一気に過熱していった。
「背面から敵の突撃を受けていますっ!援護をっ」
「敵歩兵部隊が前進を始めました!」
「左翼、敵騎兵隊を追い返しました!」
次々と送られてくる報告。
敵の攻撃はかなり激しいらしく、支配していた味方兵士のファントムが次々と息絶えていくのを感じる。
その援護のためティアもアンも引切り無しに魔法を使っているらしく先程から何度もエコーが俺の体を通っていった。
「火縄銃は騎兵隊に集中させろ! 歩兵は中央に誘い込め、私の部隊と挟んで消耗させる! リグレッタ、一緒に来い!」
「はいっ! ここにおります、陛下!」
そしていよいよ俺自身が戦闘に参加する時が来た。防衛戦なので前線に出ても指揮はそれほど困らない。ファントムはリグレッタと並んで馬の腹を蹴り、方陣と共に敵へ近づいていく。
戦闘は有利に進んでいる。俺は戦争シミュレーションゲームの経験から、このまま行けばギリギリで勝てるだろうと踏んだ。
自分の力ではない、ファントム任せの勝利によって俺は英雄になるのだ。
(これでいいんだ)
だって俺は小説や漫画の主人公のように強く無い。
(力はいらない)
恐らくこれから俺の身に降り注ぐあらゆる試練も、こいつに任せれば乗り切れるだろう。
――凡人のまま、ただの永阪修司として生きる。
それが俺が出したこの世界での答えだ。
***
「正面の敵部隊が撤退していきます」
「国王陛下! 左翼と右翼を攻撃していた部隊もです!」
昼頃から始まった戦いだが、今はもう日没近くになっており太陽が平原の端を赤く染め始めていた。
周りは俺も含めて皆ボロボロだ。矢も火薬も底を突き、ほとんどの兵が飛び道具を捨て抜刀して戦っていた。
秘策だったスペイン方陣は人数が減りすぎて維持できず、今は俺の周りに5000人ほどが一塊で立っているだけだ。
それでも敵が追撃してこないのは向こうの―特に騎士を乗せて走り続けた軍馬の体力が―尽きているからだ。あまり走らせていないエヴァですら、今は毛皮の上に玉の汗を浮かべ、時折疲労で体を痙攣させている。重騎兵の突撃は威力抜群だが実は数回程度しか実行できない、まさに切り札的な戦術だったのだ。
「シュージ陛下……これで終わり、なのでしょうか?」
馬の下からリグレッタが言った。彼女は遊撃に参加した他の二人とは違い、頑ななまでに護衛として俺の傍を離れようとしなかった。
「………ああ、私の――」
敵は全滅していないが、この戦闘で半数以上は再起不能だろう。敵兵のファントムを探ってももはや戦意は感じられない。
ここを守りきれたのなら、勝利を聞きつけた領主が明日から援軍を送ってくれる。
「―――いや、俺の勝ちだ」
――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!
夕日の中、激戦の末勝ち取った勝利に兵達が勝ち鬨を上げる。おそらくトスカナが見たのはこの光景だったのだろう。俺は俺という存在が与えた希望を確かに、実現した。
と、同時にこれまで丸二日間俺を取り巻いていた黒い影が消え、体の感覚が戻ってきた。
「脅威が去ったからか……くそっ、あちこち筋肉痛だぞ」
「陛下!? 正気に返られたのですか?」
「……ああ、いつもの俺だよ、リグレッタ」
言いながら身に付けていた鎧を外していく。さっきまでならともかく、今の俺の筋力で鎧をつけていると、腕一本も持ち上がらなくなっていた。
激戦を経てようやく勝ち取った安息。先程までは気にならなかったが、今は一刻も早く鎧と血の不快な鉄の臭いから離れたい。
革紐を緩めガシャガシャと鎧を足元に落としていると、傍らのリグレッタが何か苦い物を飲み込んだような顔でこちらを見ていた。
「…へ、陛下……その、あの……」
「んん?」
あのリグレッタが体をモジモジさせながら、珍しく言い淀んでいる。
一瞬その様子を可愛いと思った自分がいたが、少し待っていても彼女は相変わらず話しづらそうにしたままだ。
なんなんだ? と思いエヴァを下りて、リグレッタに近寄って――
「ひ、東から新たなキスレヴ軍が接近しています! 数は3000以上っ!」
「て、敵援軍? 嘘だろっ、どうやってそんなに!?」
晴天の霹靂のような報告に全軍が動揺しうろたえる。東を見ると報告の通り、夕日を正面から浴びた敵兵が鉄の防具を真っ赤に光らせながらこちらへ迫っていた。
兵達にはさっきまでの熱狂的な闘志はもう無い。俺の意識の回復と同時にファントムによる支配を解かれたのだ。
ゾロゾロと視界に入る数が段々と増えていく。確かに3千はいそうだ。しかし何故か夕日を跳ね返す防具は胸当と兜のみと、明らかに先程までの敵部隊よりショボい。
「軽装鎧……? ……! こいつら、補給兵か!」
補給兵といえど3万3千の人間と1万3千の軍馬が消費するだけの物資を運ぶ人員だ。それを引っ張ってくればこれぐらいの頭数は揃えられるかもしれない。
「陛下! このままでは!」
あまりの事態にリグレッタが悲鳴を上げた。
数では勝っているが味方の集中力は切れ、体力はもう限界だ。例え一回でも敵の攻撃には耐えられない。
――このままでは全軍が潰走してしまう。
「もう一度ファントムを……――――ッ!?」
危機感からもう一度ファントムを呼び出そうとしたが、現れた黒い影はまるでフリーズしたPCのように動きが遅い。
そしてとどめとばかりに右目に耐え難い苦痛が襲い掛かってきた。痛みは錐のように目を突き刺し、容赦なく俺の眼球の神経を抉っていく。
「なんなんだ!? め、目が!」
思わず地面に膝をつくが、その間も痛みは治まらず、目からは熱い湯のような涙が絶え間なく流れ出していた。
「う、うぅぅぅ!! ――痛い! 痛いぃぃぃぃぃっ」
激痛にうずくまり、子供のように叫ぶ。
「陛下っ!?」
「シュージ?」
「シュージ様? どうしたんですか!?」
突然倒れこんだ俺を心配してリグレッタだけで無くアンとティアも駆けつけた。
アンキシェタは意識を保たせようと何か話しかけてくれているようだが、俺は目を押さえたまま悶絶していて答えることができない。
しばらくそのまま俺の周りを囲んでいた三人だったが、少しの間の後、埒が明かないと悟ったティアが行動を始めた。
「本来ならこんなはずじゃなかったんだがな………。まあ、仕方ないか。シュージ、エヴァを借りていくぞ」
言うが早いかティアはエヴァに跨って駆けて行ってしまう。
「ティア、な、何を…………?」
行動が理解できない。とにかく目が痛いので、誰かに傍に居て欲しいのに……。
「リグレッタ?」
「…………」
次はリグレッタが無言のまま俺の腰から宝剣フレイムタンを抜いて去っていく。
さらにその向こうではアンが先程俺が外した金ぴかの鎧を拾い集めてどこかへ持っていく最中だった。
「なあ、アン……二人は……?」
「シュージ様……これで失礼します」
答えず行ってしまうアンキシェッタ。
彼女たちが去っていく様子を信じられない気持ちで見送る。呼び止めることすらできない。
「俺を、置いていくの? 俺が………負けたから?」
最後の頼みであるファントムを見るが、黒い影は相変わらず俺の側で身悶えしているだけで、まともに動く気配がない。
「く、くそおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
太陽が、沈む。
――バラバラと糸が解けるように兵士たちがレオスへと走って
あれだけ明るかった戦場が闇に飲まれていき、
――全軍の潰走が始まった。
夜が訪れた。
視点変更時に名前を書いてみたんですけど、わかりやすいでしょうか? ご意見等お願いします。