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斜陽の勝鬨(1)

大改稿対象です

13、陰る上弦




 今は日の出から2時間――つまり朝の7時くらい。作業はまだ終わらない。当然、俺は寝ていない。

 俺は夕食を追い出てから言いつけ通り、塔の天辺から地上まで何度も往復して100個近い麻袋を運び、厩舎の馬達の水と飼葉を全て取り替えるという重労働を成し遂げたのだが、


「くーーー! キツい!」


 俺は馬の飼葉まみれになった服を払いながら、大きく伸びをした。すると低い姿勢で作業をしていたせいか、腰がギシギシと痛む。


「足も腕も痛いし……くそぅ、あいつら人間じゃねぇ」


 "とりあえずさっさと最後の武器庫の確認を終わらせて寝よう"と厩舎を後にすると、城から出てきたリグレッタと鉢合わせた。


「陛下……? 厩舎で一体何を?」

「何をって。飼葉の補充、リグレッタがやれって」

「…………?」

「…………」

「……あ、ああ! ……………………………まさか馬鹿正直にやるなんて」

「え?」

「いえ、なんでもありません。ご苦労様でした」


 今最後に何かボソっと言ったような。

 しかもなんだかひきつったような無理矢理な笑顔を作ってるし。


「なんか城のみんなは出陣の準備で忙しいみたいだけど、俺はすることあるかな?」

「いえ、作戦は決まりましたし、後の準備は私たち3人で行います。陛下にこれ以上ご負担はおかけいたしません。まだ仕事は残っているのですか?」

「……実はまだ、備品の確認が」

「そうですか……。ティアは容赦がありませんし……順番が悪かったですね」

「順番?」

「なんでもありません。出陣は明日ですので、仕事を終えたらゆっくりお休みください」


 俺はわかった、と頷くとリグレッタと分かれて最後の試練である武器庫に向かった。

 それにしても、なんか腑に落ちない反応だったな。


***


 日中だというのに薄暗くて肌寒い武器庫に灯りをつけ、俺は着ていた白いシャツをあえて袖まくりして自分に気合を入れた。

 奥が見えないほど広い武器庫にあるのは槍、槍、そしてまた槍。本来なら剣や盾――防具以外の兵士が使うあらゆる装備が置いてあるはずだったが、なんでも夕べの食事の話を聞いたどこかの士官が俺を憐れに思い、備品の管理係に命じて武器庫の槍以外の装備を皆兵舎の方へ移動させてくれたらしい。

 異世界で初めて受けた人情にホロリと涙しつつ、俺は名も知らない士官に心中で感謝した。

 そしてまるで槍の森のような武器庫を歩き始めた2時間後――


「3115本、3116本……嘘、だろ? まだ部屋の終わりが見えないなんて……」


 いっそ20くらいづつ適当にまとめて数えてしまおうかと思ったが、俺はここにある槍の正確な数を知らない。間違った数を出すとティアに叱られる――最悪、俺を助けてくれた備品の管理係の兵士に累が及ぶかもしれない。

 俺は溜息を吐くと、作業を再開する前にずれてきた袖を再びくろうとして――


「痛ッ!」


 左腕を槍の刃で切ってしまった。大怪我というほど痛みは無いが、血管を切ってしまったらしく、血がダラダラと流れる。


「……血だ。赤い……俺の血」


 なんとなく不思議な気分になって、顔の前まで持ち上げて自分の血を眺める。

 赤くて熱い液体がほんの微量づつゆっくりと、自分の命を伴って床に滴っている。そんな様子を見てふと、昨日の平原での戦いが脳裏をよぎった。


(あの兵士達も、こんな風に死んだのかな? 熱い血を感じながら冷たくなって……)


 俺が殺した3人の兵士。あれは正当防衛だ、俺が悪いとは思わない。だが


「俺も負けたら……あんな風に死んでいくのか?」


 俺だけじゃない。リグレッタも、ティアも、アンキシェッタも、トスカナも、俺が感謝した名も知らない下士官も?

 召喚初日に感じた恐怖が蘇る。

 喉が渇く。心臓を他人に握られているように感じる。

 走って、今すぐ何もかもから逃げてしまいたい。


――しゅうじ


 俺の恐怖に呼応してまた黒い影――ファントムが現れた。しばらく浮かんで、前回と同じように俺の胸に吸い込まれる。

 前回と同じなら、これで俺の気分は良くなり、また前向きに戦争に向かえるはずだった。だが、


「嫌だ、戦いたくない……俺は……死にたくない!」


 腕の出血は止まった。喉の渇きは止み、胸の動悸も消えた。だが今回は以前のような奇跡が起こることは無かった。

 原因は恐怖の増大。戦争の準備が進み、沢山の人の命を預かった。平原で実戦を得て、人生で初めて人の死を目の当たりにした。この世界で出会った色々な物が俺の中で膨らみ続け、最後に自分の血を見ることで、今まで黒い影によって鍵がかけられていた様々な気持ちのタガが外れたのだ。


「――なんで俺なんだ!? こんな……こんな死ぬかもしれない戦いなんて嫌だ!」


――だれも、たすけてくれない?


 この世界と同じ。薄暗くて冷たい、誰も助けてくれる人のいない武器庫で、頭を抱えて一人で叫び続ける。


「俺が、こんな風に主人公になるなんて無理だったんだ……。こんなのは……誰か、誰か他の奴にやらせればいいじゃないか! どうして俺なんだ!」


 ずっとなりたかった主人公がこんなに苦痛だとは思わなかった。俺はなんでこんなものを夢見ていたんだろう?

 ふと、ファントムが未だに消えていないことに気がついた。今ここで、こいつだけは俺の独白を聞いてくれている。それだけで気が少し軽くなったが、


――しゅうじ


「何……?」


 ファントムが、その黒い煙そのもののような手を差し伸べた。待ち望んだ救いのはずなのに、なんとなくその手を取るのを躊躇してしまう。この手に自分を委ねたら、なんだか自分にとって恐ろしく大切なものを失う気がする。


「助けて、くれるのか? 俺の代わりにキスレヴと戦ってくれるのか?」


 コクン、とファントムが頷いた。

 わかっている。こいつがしてくれるのは多分、俺が思っているような救いじゃない。でも


「任せる。俺は……ただの一般人でいい」


 影の手を取った瞬間、世界がぐるっと反転したような気がした。普段は表にあるものが裏に、裏が表に出てきて、下位が上位へと切り替わる。全く意味が分からないうちに、黒い影の"救い"は完了していた。

 "体を動かす"という実感は無くなり、俺の意識はテレビを通して見ているようなぼやけたものになった。


「これで……私はあなた」


 喉から出た声は間違いなく俺の物。だが、その言葉はもはや俺の物ではない。

 ファントムは試しにグッパッと手と腕を動かして、体の具合を試した。脳を仲介したファントムは筋肉に細かく正確な指示を伝える。どの筋肉をどれだけ動かすのか、動かすことで出た疲労物質をどのホルモンと内臓を使って処理するのか、体全体に本当に仔細な指示を与えるのだ。自分の体の動かし方が変わる。


(これが神経の動き……まるで人形みたいだな)


 人間が動いている姿は普通に見ている分にはスムーズだが、今の感覚からすれば普段の俺は、まるでいちいち糸を引いて動かす操り人形のように思えた。

 それにしても、人間という奴はこんなに単純な作りだったのか?電気信号といくつかのホルモン分泌、作業量こそ多いが一つ一つやっていけばゲームのコントローラでも人間を動かせるかもしれない。いや、それどころかこの程度のメカニズムなら触らないでも他人を操れそうな……。

 新しい感覚にそんな感想を抱いたその時


「これは私……できるはず。なにか、媒介するものがあれば……私なら………」


 自分が何を言ってるのかわからない。思考も段々俺の物じゃなくなっていた。昨日の興奮で血が滾る感じとは違う、クリアだが分厚い氷を通して外を見ているような感覚。

 ファントムに体を乗り移られた俺は何のつもりか、武器庫の槍数えを再開し始めた。やはり肉体を司るファントムだからなのか、その動きに一切の無駄が無い。

 その後、恐ろしいほど早く――数分で作業を終えたファントムは、何かをブツブツ呟いたまま城の裏手辺り、どうやってか対人レーダーのような能力で数千人分の他人のファントムを感じ取り、そちらへ向かっていたのだ。


「……そうだ、私なら……生き残るためには……」

「陛下、シュージ様!」


(アンキシェッタ?)


 武器庫を出て、主城の玄関まで出たところでアンキシェッタに捕まった。

 脳では相変わらず周囲にいるあらゆる人間のファントムを感知していたが、アンキシェッタの場合すぐ近くにいたのにギリギリまでファントムを感じなかった。そういえば魔術師はファントムを制御しているらしいのでファントムの反応が弱いのかもしれない。


「アンキシェッタ、何用か?」

「な、何用? えと、その、陛下が集兵所に向かわれているようでしたので。今はティアちゃんとレッタちゃんが兵達に訓示を行っているので入らないほうがよろしいかと」

「……訓示? なるほど、声ね………ならちょうどいい。私も一席打たせてもらおう」

「シュージ様? その、どうかなさったんですか? なんだか様子が……あ、待ってください!」


 会話の途中でサッサと歩いていくファントムに追いすがるアンキシェッタ。離されて焦っている。

 集兵所には一度も行ったことはないがファントムの足取りに迷いは全く無かった。城の中庭にある井戸場に鉄の柵を2重に施してある裏門のさらに外へ、兵舎同士を繋ぐ石造りのアーチの下をズンズン大またで進んでいく。

 すると前方から魔法のエコーとともにティアの声が聞こえてきた。どうやら訓示を全員に聞かせるために魔法を拡声器のようにして利用しているらしい。


『――トルゴレオの兵士達よ! 明日の決戦は知っての通り苛烈なものとなる! しかし恐れることはない! 我々には異世界からの王シュージ陛下から授けられた必勝の策がある!トルゴレオの勝利は疑いない!』


 集兵所とは要するに単なる広場だった。中では縦列に並んだ数千人の兵士たちがびっしりと並んでおり、その全員の視線が集まる台の上でティアが声を張り上げて演説を行っている。

 トルゴレオ人はかなり広い胸板とがっしりとした肩を持つ大柄な人種だった。王家の旗印である赤白青を使ったトリコロールカラーの軍服に、鋼鉄でできた頑丈な鎧を纏った姿は、確かにトスカナをして無敵と言わしめるだけの威容があった。

 しかしこれだけの迫力にも兵達の士気は低そうだ。鎧は所々錆が浮いているし、本来真っ直ぐ秩序正しい筈の隊列も乱れている。先の戦闘でうるさい上官のほとんどが戦死したのもあるが、全員明日の決戦がどれだけ自分たちに不利なのかを知ってやる気が無いのだろう。

 俺はなるべく兵士たちの視野に入らないようにしながらもその視線の先、ティアがいる演台へと回り込んだ。


「ティア、代われ。私がやろう」


 ファントムが強い語調で言った。どうやら俺の口調を真似る気は無いようだった。


「シュージ? 今日の兵達は気難しいぞ。やれるのか?」

「こんなことで失敗はしない。リグレッタ、早く私にも拡声の魔法をかけろ。時間がもったいない」


――え? どうするんだ? こんなに沢山の兵士の前でする演説なんて何も思いつかないぞ?


「陛下? 何か様子が……いえ、解りました。<―風星、疾風、流動、私の言葉に世界が歪む―>声よ、広がれ!」


 リグレッタが魔法を放つと俺の周囲を不思議な気流が飛び交った。どうやら風に乗せて音を飛ばす魔法らしいが、魔法は俺の声だけでなく、俺が出す靴音や衣擦れの音までもいちいち拡大して飛ばしている。思っていたほど便利なものではなさそうだ。

 ファントムは簡単に声の響き具合を確かめると、俺の心の準備を待たないままいきなり演説を始めた。


『諸君! 諸君らの愛したトルゴレオ前王は死んだ! 何故か!?』


――ってこれまんま有名アニメの演説シーンのパクリじゃないか!


 さすがに人物名などは変えているが、トルゴレオの現状とSFアニメの世界では内容が噛み合わない事甚だしい。そのせいでところどころに明らかな矛盾がある。

 考えてみればファントムとはもう一つの人格などではなくあくまで自分の肉体操作を代行する"機能\"の一つなのだ。演説原稿を考えるなんて頭脳労働はできず俺の記憶から今使えそうな演説っぽいものを引き出したに過ぎないのだろう。

 これでは当然うまくいくはずは無いのだが、しかし――


『立て! トルゴレオ国民よ! 今こそ一兵卒に至る全ての戦士たちが死力を尽くす時だ!』


 うおおおおおおおお!! シュージ陛下万歳! トルゴレオに栄光あれ!


 兵士たちは俺の、いや俺のファントムの演説に熱狂していた。演説の内容が良かったからではない。ファントムの、何か得体の知れない力が声を通して彼らを浸食しているのだ。

 その力は肉体―というよりも兵士たちのファントムに作用し脳の理性部分を休眠させつつ、アドレナリンと分泌し強制的な興奮状態を作り出している。

 一方、影響を受けていない人間もいた。

 俺の意思では自由にならない視界の中で、ティア達三人が首を傾げているのが見える。彼女達は魔術師であり、普段から自分のファントムは自分の意識下でコントロールしているので、俺のファントムでも声だけでは支配権を奪うことができないのだろう。

 しかしこの状況の異様さを肌で感じているのか。しきりに目配せし合いながら、この場で何が起こっているのかを探ろうとしていた。

 俺は自分の黒い影のことを三人に話していない。もし話していたとしても、今そいつが俺の体を使い、魔法無しで数千からなる兵士のファントムを掌握しているとは信じられないだろう。


 ワアアアアアアアア!! シュージ王万歳! シュージ王万歳!


 俺の影は自分の力が魔術師の三人を除く全員に行き渡ったのを確認すると適当なところで演説を打ち切り颯爽と演台から降りた。


(こいつは本当にファントムなんだろうか?)


 "俺の体を守る"という本質は似通っているが……その力は他のトルゴレオの人間のファントムとは明らかに格が違う。

 演説を終えても未だに冷め止まぬ熱狂の中、俺を操る黒い影はその足を主城に向けた。

 すると三人の中でただ一人、リグレッタだけが喧騒に巻き込まれず俺に駆け寄ってきた。


「シュージ陛下、これは一体……彼らに何をしたんですか?」

「リグレッタか。お前には関係無い。兵の士気を上げてやっただけだ」

「それにさっきから様子も変です! 一体どうしたんですか!? これでは、まるで別人のような……」

「"私"が……別人? よりにもよって私が別人だと? ふんっ、つまらんな。私はもう寝るぞ。昨日はお前達のせいで睡眠を取れなかったからな」

「そんなっ!」


 だがそんな風に突き放して城へ戻ろうとしても、リグレッタは何度も俺に追いすがってきた。

 俺の影はいくら追求されても全く相手にしなかったが、さすがに寝室の前まで来られて辟易したらしい。嘆息しながらリグレッタ相手にこんなことをのたまった。


「いい加減、鬱陶しいぞリグレッタ。このまま寝室までくっついてベッドで私の下の世話をするか、それともここで諦めるか。どちらか選べ」

「うっ……わ、私はシュージ陛下を心配して………………わかりました。確かに陛下はお疲れのご様子ですし、今は追及を控えましょう。しかし、今の陛下は――」


 さすがに年頃の女の子にこの言葉は効いたらしく、今度こそリグレッタは大人しく引き下がってくれた。

 といっても普段の俺がこんなことを言ったら返り討ちにあっただろう。今回のは明日に決戦が控えているのと、不自然ではあるが俺が兵達の士気を盛り上げた事実に反論の余地が無かったから素直に引き上げてくれたのだ。

 

――今の陛下は、何かに憑かれているみたいです


 憑かれている、か。

 さっきまでは俺は自分がこの黒い影に乗っ取られていると思っていたが、今はそうは思わない。俺は進んでこの黒い影の力を求めたのだし、今もこの黒い影の支配に対して抵抗していない。

 俺にはこの力が必要なのだ。独りになっても戦って、そして生き延びる。

 ティアに話した居場所が欲しい、なんてのはこんな状況では綺麗事でしかない。



 生き残る――そのためならこれがファントムだろうと別のものであろうと、今はこいつを利用してやる



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