第十六話「伸ばした手は届かない」
「政宗……政宗なのか?」
『結人くん? あ、そうだ。昨日は勝手に帰ってゴメンね』
「お前……そんなの今謝ることじゃないだろ」
電話の向こう、憔悴した政宗の声に結人の不安感は膨れ上がる。
そして半年ほど政宗とずっと一緒にいた結人だからこそ――電話の向こうで無理に笑顔を作って話していることまで伝わってきた。
とりあえず結人は不安そうに見つめる瑠璃、そしてメリッサや修司に頷いて政宗が無事であることを伝える。
「五分しかないみたいだし、手短に話を進めていくぞ。政宗、お前は今どこにいるのか分かってるのか?」
『うん。大体は分かってるつもりだよ』
「そうなのか、よかった」
結人はホッと胸を撫で下ろし、質問していく。
「ならカルネに聞くまでもないか。説明するのは難しいと思うけど、とりあえずどういう場所にいるのか……周辺にあるものとか教えてくれないか?」
結人が投げかけた質問。
政宗からの返答は――無言だった。
最初、結人は連れてこられた景色を思い返して言葉にまとめているのだと思った。しかし――、
「……おい、政宗。どうした、時間がないんだ」
『もしボクの居場所を言ってたら……結人くんは助けに来るよね?』
「当然だろ! だから、早く何でもいいから情報をくれ。五分しかないんだ」
『言えない』
「……は? 政宗、お前――何を言ってるんだ?」
想定していない返答が飛び出し、結人は意味も分からず問いかけた。
そして、カルネの語る「自由に話していい」というのは嘘だったのだと判断。本当は脅されて何も話せなくて、この電話はただこちらに期待からの落差を与えるためのもの。
そう思ったのだが――。
『結人くんがこっちへ来たらカルネさんに何をされるか分からない。……だから来ちゃ駄目だよ』
「ちょっと待て……お前、カルネに脅されて居場所が話せないだけなんだろ?」
『……そうじゃない。ボクは結人くんを守るために居場所を言わないつもりなんだよ。カルネさんは結人くんがここへ来る前提で動いてる。絶対来ちゃダメ――何をされるか分からないからっ!』
力ない声を振り絞って叫んだ政宗の想いは届き、だからこそ結人は憤る。
(……そういうことかよ! 政宗は俺のことを想って居場所を吐かない。その確信があるから俺と自由に会話をさせた。どんだけ趣味が悪い女なんだよ、カルネって奴は――ッ!)
カルネに対する苛立ちを口にしてしまいたい衝動に駆られるも、結人は必死にそれを押し殺して政宗と向き合う。
「でも、それじゃあ政宗はどうなるんだよ! お前、自分だけ犠牲になればいいって思ってるのか? それじゃあ残されたやつの気持ちはどうなるんだ!?」
息も絶え絶えに結人は叫び、瞬間――どの口が言っているのかと思った。でも、似た者同士の二人だからこその会話とも言えた。
『ごめんね。……でも、今度はボクの番だよ。結人くんはあの時、自分の身を犠牲にしてボクを守ってくれた。だから今度は……ボクの番』
「お前……どんな目に遭わされるか分かってるのか?」
『大丈夫だよ。命だけは奪わないって言ってるから……ちゃんと生きてまた会えるよ』
「そうじゃないだろ! 命あっての物種って言うけどさ……死ななければどうなってもいいわけじゃない。お前、何に耐えようとしてるのか分かってるのか……?」
間違った道を歩もうとする政宗と会話ができているのに引き止めることができない現状がもどかしくて……結人はスマホを握りしめる手が震える。
そして、政宗は結人の質問には答えず語り始める。
『ねぇ、結人くん』
「……何だよ?」
問い返した言葉に対してすぐに返答はなく、結人は受話口の音に意識が向かう。そして、それが何の時間であったのか知ることになる。
『あのね、結人くん。約束してくれないかな?』
「何だよ……何を約束すればいいんだよ?」
『今日、ボクがどれだけ酷い目に遭っても、許されるなら――明日からもボクを、好きなままでいてくれないかな?』
涙に濡れ、震えた声で縋るように語る政宗の言葉に……結人は膝から崩れ落ちる。
――もう政宗は、自分の運命を受け入れていたのだ。
(……どうして、俺はあいつを抱きしめられる場所にいないんだ? 馬鹿な真似をするなって叱ることもできない。そんな遠い場所で勝手に物事が動いて、決断が固まっていく……俺は、蚊帳の外なのか?)
嗚咽のような声を漏らし、結人はボロボロと涙を流して顔を悲痛に歪める。
『……駄目、かな?』
「駄目じゃない……駄目じゃない! 俺はずっと政宗のことを好きでいる! だからこそ、俺に政宗を助けさせてくれよ! 犠牲になるなら一緒にって言ってくれよ!」
『……それはできないよ。ボクはもう捕まってるけど……結人くんはそうじゃない。なら、君を巻き込んだりできないよ。結人くんだってボクの立場なら――同じことをするでしょ?』
「そんな言い方は……ズルいだろ」
『うん、そうだよね。ごめん。……でも、ボクは結人くんを守りたいんだ』
政宗の言葉には芯が通っていて、その決心は容易に折ることができないと悟った。
(全てがカルネのシナリオ通りで……付け入る隙が無い。あの女……何なんだ? そして、どうしてこれほどまでに俺達を目の敵に?)
政宗の決断に反発する気持ち、そして凄惨な現状への苛立ちは全てカルネへと収束する。
「どうしても俺が助けに行くのは駄目なのか? 何のヒントもくれないのか?」
『……うん、ごめんね。結人くんまで傷付くのは、やっぱり嫌かな』
政宗はあくまで救済を拒否。その言葉を受け、結人はさっき政宗が言った「立場が逆なら同じことをするだろう」という言葉を思い出していた。
(確かにそうだと思う。政宗さえ助かれば自分はどうでもいいって俺も考えるだろう。……でも、それだけじゃない! その内にある心は――!)
結人は政宗の中に揺さぶるべき隠された心があると確信し、慌てて口を開く、
「でも政宗、俺達は恋人同士だろ。だったらさ――」
しかし――、
『――はい、五分経過しましたよ。十分にヒントは得られましたかぁ?』
伝えたい言葉をシャットアウトするようにカルネの声が立ち塞がった。
『また三十分後にはヒントをあげますから、楽しみにしててください。そして、到着をお待ちしてますので――それでは』
結人が「待て」と口を動かそうとする前に、カルネはあっさり話をまとめて通話を切ってしまった。
繋がりを断たれた結人はスマホを握りしめたまま硬直。
ヒントと題して与えられたチャンスで得たものは、政宗が最悪の運命を受け入れ自己を犠牲にするという決断を聞かされるだけの――ひたすらな絶望。
――気が狂いそうだった。
――頭がおかしくなりそうだった。
しかし、それらを冷静に考えていられるほど結人は妙に落ち着いていて、それは狂気を望む崖からつま先を出して今まさに飛び降りようとする直前の悟りなのだと彼は理解した。
(ここで俺が狂ったら、政宗はどうなる? 助けなくていいってあいつは言ったけど……そんな選択できるわけないだろ? どうしたらいい……どうしたらいいんだ?)
手からスマホを落とし、頭を抱えて呻き声を漏らす。
泣いている暇はなかった、気丈に振る舞うしかなかった。
しかし、政宗の決断と約束が――結人に重く圧し掛かって動けなくしていた。