第六話「握らされたスイッチ」
「あ、そうだ。メリッサさん。前みたいな魔法かけといてもらえませんか?」
メリッサとの会話を終え、政宗と瑠璃に続いて家を出ようとした結人は振り返って問いかけた。その言葉にメリッサは信じられなさそうに結人を見つめ、嘆息する。
「あのねぇ……さっき私は例の件に責任を感じて謝罪したんだよ? なのに、また君に危険の及ぶ代物を渡すわけないだろう」
「でも、いざとなったらメリッサさんを呼び出せた方がいいのでは? メリッサさんだって、いざとなれば俺が危険に飛び込む命知らずだって思ったからあの時魔法を使ったんでしょう?」
「そうだ。そして、そんな君だからあの時、魔法の説明を省いたんだ。心配しなくてもあの魔法少女達は君みたいな命知らずにちょっかいは出さないさ」
「言われてみればそうですね。確かにあっちも俺という人間を理解して行動しますよね」
「うむ。納得してもらえたようだが、君には少しお説教が必要だな。ちょっとこっちに来なさい」
珍しく怒った表情で手招きするメリッサ。結人は不思議そうな表情でベッドに座るメリッサの前へ移動。床に座った。
すると、メリッサは躊躇なく拳を結人の頭頂部へ振り下ろした。
「――いてぇ! 缶ビール一本でもう酔ってるんですか!?」
殴られた場所を反射的に手で触れ、血が出ていないか確認する結人。
「酔ってなどいない。……ただ、君はまた私から魔法をもらってリリィを助けるため危険を顧みない行為をしたい。そう言っているように聞こえてね」
「そりゃあ、リリィさんが危なくなったらどうにかしたいって思うのは当然で……俺にできるなら何だってしたいですよ」
「や、やっぱり学習してなかった……! 君、政宗に怒られなかったか? 自分の身を挺して彼女を守ったのは立派だが、それによって死にかけたんだ。あの子にかける心配も考えなさい」
メリッサはもう一発、さっきと同じ場所に拳骨を落とした。痛みに表情を歪め、頭をさする結人。目には涙がうっすら滲んでいた。
「君はなりふり構わなさすぎるよ。あの子のために何かしたいのは分かるが、今度魔法少女の攻撃を受ければ即死かも知れない。そうなったらあの子がどれだけ悲しむか……。もう君達は友達の関係に留まらないんだろう?」
「……す、すみません。政宗に怒られたのを忘れたわけじゃないんです。ただ、危機が迫ってるって思うと気持ちが落ち着かなくて」
「まぁ、君がそういうタイプなのは分かるよ。しかし、かなり危ういね。政宗を想っての我慢も必要だ」
返す言葉もなく、うな垂れる結人。
冷静になればいつぞや政宗に怒られたのを思い出し、そして被害に遭った時に政宗が浮かべていたであろう悲しい表情も想像できる。
しかし――、
「ちょっとブレーキをかけてもらって安心しました。……でも、俺が政宗のために何かしようと無茶する癖は治らないですよ。命だけは守るように気をつけますけど……きっと指を咥えて見ているだけはできないです」
結人は顔を上げて真剣な表情でキッパリと言った。その言葉にメリッサ目を丸くし――呆れて笑い出す。
「……やっぱり君は筋金入りのバカなんだなぁ。これだけ叱られても無鉄砲はやめませんと言い切るか」
「自制が効くくらいなら俺はあの時、クラブに殴られてませんよ」
「確かにそうだな。……だが、約束してくれ。命だけは大事にすると」
「そうですね。俺もちょっと軽率でした」
「ああ。あの子にもう悲しみは必要ない。そして君は政宗に幸せをもたらしてくれた存在だ、私としても結人くんには危険な真似をして欲しくないからね」
メリッサは言い終えると缶ビールの中身を飲み干し、空いた缶を結人に揺らして見せる。その挙動で察した結人は冷蔵庫から二本目を取り出し、メリッサに手渡す。
嬉しそうな表情で二本目の缶を開けるメリッサを見つめて結人は、
(クラブとカルネをこの人が追い払ったって聞いたけど……そんな風には見えない。でも、マナさえあれば確かに凄い魔女なんだろうな)
望み薄と思いながら問いかける。
「もしクラブとカルネが襲ってきたとして……本当にメリッサさんは対処する術を持ってないんですか? やっぱりマナが存在しないと難しいですかね?」
結人は分かりきっている質問をしていると思った。充電されていない機械はやっぱり動かないんですよね、とでも聞いてるような。
しかし、返答の分かっていた質問にメリッサは「そのとおりだ」とは返さなかった。
「私達魔女はね、自力でも日毎にある程度の魔法は行使できるんだ」
「それは……この部屋を片付けたような感じですか?」
「そのとおり。……で、それがどういう理屈かと言えば、私は自分自身からマナ回収を行って魔法を行使してるんだ。ちなみにこれをやり過ぎると私のように無気力な魔女になってしまうがね」
「無気力……つまり、自分の活力を回収してる感じですか。――って、回収するのは別に悪意限定じゃないんですか?」
「うむ。マナは人間の感情から生成されるからね。この世界で魔法少女が一般人から勝手に引っこ抜いていいのが悪意と限定されてるだけで、何かの行動力になる感情は全てマナになるんだよ」
見識が広まり「ほー」と感心した表情を浮かべる結人。一方でメリッサが自堕落にし、酒に溺れている理由も知った気がした。
(普段から自分のマナを回収してるから酒に頼らなきゃいけないくらい、精神が弱ってるのかな? でも、部屋の掃除もロクにしてないのに――毎日、マナを何に使うんだ?)
結人の抱いた疑問、それを見抜いたかのようにメリッサは語り始める。
「日々生成されるマナを私はどうしているのか疑問だろう。その答えは、コイツにある」
メリッサはテレビ台の上に置かれた透明なガラス瓶を手に取る。その瓶は握りしめれば隠れるほどの大きさで、中では蛍のような光がふわふわと浮かぶ。
クラブに殴られた結人に治癒魔法をかける時、メリッサが取り出した瓶だった。
「それ、もしかして……マナですか?」
「そうだ。悪意じゃないから黒くはない。私は日々、こうして自分から回収したマナをこの瓶に貯めている。つまり、いざとなればコイツを使ってそれなりの魔法を行使できるわけだ」
「……なるほど! じゃあ、クラブとカルネが襲ってきた場合は撃退なんかも?」
「可能だ。アイツらは魔法少女だから魔法で正当防衛するくらいなら何ら罰則はない」
結人の目に希望が宿り、心の中に広がっていた暗雲のような不安感が払拭されていく。
――しかし、何故そんなのがあるなら最初から言わないのか?
その疑問を胸にメリッサを見ると、表情は浮かないもので結人は悟る。
「……それ、手放しで使えないマナなんですね?」
「あぁ、お察しのとおりだ。これは本来――政宗の男の子としての成長をカットする魔法、アレを持続させるために使うマナだ」
「……え? それって政宗が前金みたいに受け取った魔法っていう……あの?」
「そうだ。君は知らなかっただろうが、あの魔法は一度行使すればずっと効くわけじゃない。月に一度は魔法をかけなおさないといけないんだ」
結人は今まで感じてきた不安などと全く異質の恐怖を感じ始めていた。
政宗の魔法が使い切りの永続ではなかった……それは問題ではない。彼は今、選択肢を与えられたのだと思ってゾッとしていた。
――そう、それこそ。
「このマナを使用すればクラブとカルネの襲撃は何とかできる。しかし政宗は一か月、魔法の更新がお預けとなる。この選択肢を――君に教えておこう」
究極の選択を握らされた、と結人は思った。
政宗の体を維持する魔法か、それとも身を守る魔法か。命あってこそと話をしたばかりだが、簡単には選べない。
「……ち、ちなみに。もし一か月魔法を使用しなかったら、政宗はどうなるんですか?」
「分からない。この魔法自体、使ったことがなかったからね。一気にカットしていた成長があの子の身に起きるのか、それとも止めていた時が動き出すだけなのか……予想もつかないよ」
ちなみに結人を治癒するまではメリッサが長年貯めていたため、瓶のマナは潤沢だった。
しかし、あの一件でマナ残量はギリギリ。毎月なんとか政宗の魔法に必要な分を自転車操業的に確保している状況である。
「つまり、いざとなって使うかは俺に委ねると……?」
「君は政宗の恋人だからね。あの子も……君の判断なら納得すると思う。荷が重いならこの選択は君じゃなく、政宗本人に委ねるが……」
「まず俺に選択権を握らせるんですね」
「政宗の身の安全を一番に考えられるのは、あの子自身じゃなくて君だからね」
結人は何となく、メリッサの言葉の意味が分かる気がした。そして、最近は感じていなかった嫌な胸の高鳴りを感じ始めていた。
好きな子に触れて感じるあの幸福感に満ちたものではなく、アラートを鳴らすような気味の悪い脈動。
(俺が選ぶのか、責任重大だな。……まぁ、まだクラブとカルネが何かをしたわけじゃない。今が決断の時ではないんだ。あくまで、可能性の話)
そう自分に言い聞かせるも――運命を左右するスイッチを握ってしまった不安感は拭えなかった。