第二十四話「二人だけの世界」
「それじゃあ、母さん。説明したとおりに頼んでいいかな?」
結人は政宗の手を引いて自宅へ戻り、そして玄関まで出てきた母親に告げた。
「ゆ、結人くん!? どういうことなの? 今から何を――」
「まぁ、母さんに任せて行ってこいよ。俺は部屋で待ってるからさ」
政宗の背中をポンと押して、結人は自分の部屋へと戻っていってしまう。そして困惑の表情で残された政宗は結人の母親を見る。
「さぁさぁ、政宗ちゃん。こっちへいらっしゃい。せっかくのお祭りなんだから、ふさわしい格好をしないとね」
「ふさわしい格好って、どういう――っていうか、ちゃん付けで呼びませんでしたか? 前からそうでしたっけ?」
「どうだったかしら? よく覚えてないわ。歳かしらね?」
明らかにとぼけている結人の母親に不信感を抱きつつ政宗は家の中へと上がり、普段通されない一室へ案内される。
電気を点け、部屋の中が露わになる。そこには鮮やかな浴衣が一着、絵画ようにその模様を広げて壁にかけられていた。
紫を基調とし、ひらめく蝶が印象的な浴衣に目を奪われる政宗。そんな彼女を結人の母親は微笑ましそうに見つめていた。
「素肌の上からっていうのは抵抗があるだろうし、服の上から着ればいいかしらね。屋内だし、暑さは気にならないんじゃないかしら」
「――え、ちょっと待ってください、ボクがこれを着るんですか!? どう見ても女の子が着る浴衣だと思いますけど……?」
「ええ、そうよ。これはウチのお姉ちゃんが着てたものだから。これをね、政宗ちゃんに着付けてくれって結人が引っ張り出してきたのよ」
「結人くんが!? ……じゃあ、もしかして?」
政宗の驚きと焦りの入り混じった表情に、母親は少し躊躇いがちに首肯した。
「結人を怒らないでやってね。あの子も秘密を話すような真似をして政宗ちゃんが悲しむかも知れないとは言っていたわ。でもね、今日だけは――どうしても浴衣を着せてやりたいからってお願いしてきたの」
知らない内に自分の秘密を知っている人間が増えていた事実。それを政宗は驚かずには受け止められなかった。
しかし、この夏休みで一つ壁を乗り越えた政宗はそれを咎める気持ちなど一切なく、別のことで頭がいっぱいだった。
(結人くんはお母さんにボクの秘密を打ち明けてくれたんだ。男の姿をしたボクを女の子だと意識して関わってるって――結人くんは打ち明けてくれたんだ。恥じることなく、堂々と)
いつだったか政宗は自分が女の子になれたら堂々と母親に紹介して欲しいと言った。
(でもまさか、この姿で女の子として紹介されているとは思いもしなかったな……)
政宗はこみ上げる感情で胸が熱くなっていた。
「怒るはずないです。ボク、今とっても嬉しいです。……そっか、結人くんはボクの秘密、お母さんに話してくれたんですね」
「そうよ。まさか知らない内に息子が家に女の子を連れてきてるなんて知らなかったから、嬉しくなっちゃったわ」
母親は微笑みながら政宗の頭を優しく撫でる。その優しい手の平に目頭が熱くなり、政宗は滲む涙を袖で拭う。そんな光景に釣られて母親も瞳を潤ませる。
政宗は目の前の女性がやはり結人の母親なんだと、強く思った。
○
(政宗、怒ってないかな? 勝手に秘密をバラしたんだもんな。でも、俺は後悔してない。遅かれ早かれ知らせるべき相手に伝えただけ――そう思ってるから)
私室のベッドに腰掛け、電気を点けていない薄暗い部屋で祭りの喧騒を窓越しに聞きながら結人は考えていた。
スマホで時間を確認すると七時五十五分――花火大会は間近。そんな時、扉がノックされて政宗が部屋の中へ入ってくる。
伏し目がちで恥ずかしそうに手遊びをしながら、それでも時折上目遣いで結人へ視線を配ってくる――浴衣姿の女の子がそこにいた。
刹那、結人は見惚れて時間が止まったように感じた。そして、思わず立ち上がり、語る言葉に迷い――、
「すっごく似合ってる……! 綺麗だ!」
素直に褒め、政宗は照れて頬を掻く。
「……本当に? 変じゃない?」
「今日祭りにいた誰よりも素敵だと思う」
「褒め過ぎだよ。えへへ、でもありがとね」
ギュッと目を閉じて笑う政宗を見て、結人はとりあえず自分の行いが間違いではなかったと安堵した。しかし、政宗は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ごめんね。こうして結人くんの家で花火を見るのは、ボクのせいだよね。せっかく女の子らしい格好をさせてくれたのに――外へ出られなくて、ごめん」
無理に笑顔を作り、しかし涙を一筋溢す政宗。両手で拭い、不思議そうに濡れた指先を見る。
「あれ? 今、ボク幸せなはずなのに……どうして泣いてるんだろ?」
――政宗の幸せにはどこか悲しみの影がある。
どうしたって人並みの幸せには追いつかない。誰もが持っているもの、当たり前のものを取り戻して幸せを感じ、同時に悲しくなってしまう。
だから、結人は政宗の幸せが悔しくなる時があった。どうして彼女は――当たり前を生き、明るく笑うことを許されなかったのか、と。
伝染りそうになる涙をグッと堪えて、結人は政宗に歩み寄って目元を指で拭う。
「前にも言っただろ? 俺は政宗と一緒にいられればどこだっていいんだよ。だから、自分のせいとか言うな」
「……そうだったね。ボクも、結人くんがそう言ってくれるなら場所なんてどうだっていいや」
目を閉じて笑み、政宗の頬にまた涙が滑る。
そんな瞬間――ドンと重たい音が響いて、その涙は七色に彩られた。打ち上げ花火が部屋の中を照らし、暗闇は鮮やかな光の開花で瞬間的に照らされ、また暗くなる。
それが繰り返し、腹の底に響く音が連なる。
花火大会が始まった。
ベッドに並んで座り、結人と政宗は夜空を見つめる。部屋の窓から見つめる花火は少し小さくて、河原で見ている人達に比べればちっぽけなもの。
――でも、結人は感じていた。政宗の瞳に咲き乱れる光が映るのを見て、それだけで世界は百八十度姿を変えるのだと。
(花火がこんなにも綺麗に見える。それだけじゃない、リリィさんと再会してから見てきた世界の全てが違って見えて。……政宗と一緒にいる世界は今まで生きてきた場所じゃないみたいだった)
恋する気持ちは何気ない日常にも愛しい人を絡めた。
色彩に溢れた世界――それを教えてくれたのが誰なのか。
それを思った時、結人は自ずとその気持ちを口にしていた。
「なぁ、政宗」
「……なに、結人くん?」
「好きだ」
「え?」
不意に告げられた気持ちに振り向き、視線が結ばれる瞬間。打ち上がる花火の音に紛れて告げられた想いに政宗の瞳が大きく開き、真剣な表情で見つめる結人を映す。
「俺、政宗が好きだ。好きで好きで仕方がないよ」
「……本当にそう言ってくれるの? だって、今のボクは――」
「俺は今の政宗がいいんだ。いずれ願いを叶えて女の子になった未来のお前は、その時の俺が好きになる。それまで気持ちを抑えてるなんてできない。だから政宗、俺の彼女になってくれないか?」
結人は周りの音が聞こえなくなるほどの高鳴る鼓動から感じていた。
リリィと同じくらいに政宗を好きになれそうだと語った日から――彼の気持ちは少しずつ膨らんで、そして今や彼は「政宗がいいんだ」と口にできるほど気持ちを募らせていた。
――迷いなど無く、ただひたむきに。
今日まで傾けられた想いが政宗の中で溢れ出す瞬間。政宗はギュッと目を閉じ、そして笑みを浮かべて口を開く。
「嬉しい……嬉しいよ。だってずっと誰かを好きになっちゃいけないんだって思ってたんだもん。……でも結人くんだけは好きになってもいいんだ。孤独な人生じゃなかった。神様はボクに結人くんだけは残しててくれたんだ」
そこまでで言葉を切って政宗は胸に手を当てて深呼吸をする。そして、決心を秘めた表情で――、
「リリィとして告白された日から――ボクを一人の女の子として意識してるって言われた日から、ずっと考えてきた君の告白に返事をするね。
ボクも結人くんが、好き。大好きだよ。
これだけ想われて、好きにならない理由がない。だから――ボクを結人くんの彼女にして欲しいな」
政宗は語り終えると結人へと身を寄せる。そして目を閉じ、ほんのりと頬を赤く染めながら――唇を重ねた。
そんな不意打ちに結人は目を見開き――しかし、眠りに落ちるように瞼を落とし、身を寄せた政宗の体を抱いて痺れる甘い感覚に酔いしれた。
――打ち上がる花火が部屋を照らす。逆光で纏う影。重なったシルエット。二人の輪郭を花火の鮮やかな輝きが色を変えながら彩っていた。