第二十一話「向き合って、ぶつけ合って」
「じゃあ聞くけど……あんたは何を隠してるの? 私に言えない秘密って何だったのよ?」
いつでも相手を殴りに行ける構えをしながら、二人はスッと細めた視線で見つめ合う。
リリィはいよいよこの時がやってきたのだと頷いた。初めて明かした時は失敗に終わり、メリッサには願いを叶える関係で必要だと思って明かした。そして、自分を好きだと言ってくれた結人にはそれとなく伝え、修司は自ずと察してくれた。
――でも、その全ての時においてリリィには避けてきたことがある。
それを乗り越えなければ前に進めないことが分かっているから、リリィは自分の中で気持ちが整うのを待つ。
一瞬の挑戦に賭ける競技者のように、目の前の障害を飛び越えるイメージを脳で膨らませて成功の瞬間を描く。
高鳴る鼓動がうるさいくらいに聞こえてくる。
リリィの脳裏に、結人の顔が浮かぶ。
――今なら、話せると思った。
「ボクは、藤堂政宗は――性同一性障害なんだ。見た目は男の子でも、中身はそうじゃない。だから、女の子になりたい願いを叶えるために魔法少女をやってる」
リリィは自分が抱える障害の名を――初めて声に出した。
口にすれば現実を突きつけられるようで遠ざけていた言葉。ローズもその言葉は知っていて、驚きで目を見開いた。
辻褄が合う――と、そう感じたのだろう。
ローズはリリィが抱える事情を理解して俯いた。
――何故、男の子が魔法少女をやっているのか?
――何故、佐渡山結人は正体が男であるリリィを好きでいるのか?
抱えてきた疑問が次々に払拭されていき、きっとローズは今日まで自分が口にした言葉に良くない響きがあったと後悔もあるだろう。
ローズはギュッと拳を握り、肩を震わせる。
そして――、
「何よ、それ……あり得ない――あり得ないわ!」
地面を蹴って駆け出し、握った拳をリリィの頬へと叩きつける。突然のことに反射神経が追いつかず、リリィは殴られたベクトルに従ってよろける。
リリィは衝撃と痛みだけが生じた頬を押さえ、震える瞳でゆっくりとローズを見た。彼女は肩で息をして、恨めしそうな視線を返していた。
(……受け入れてもらえなかったの? やっぱり――駄目だったのかな?)
あの日と同じ言葉を投げかけられ、絶望に瞳が揺れるリリィ。しかし――、
「それを私が受け入れられないって思ったの? もし話しちゃえば気味悪がってあんたの前から私がいなくなるとでも? 怒ってあんたを突き放すとでも? そんな風に想われてたんだとしたら――心外だわ、あり得ない!」
怒り狂った叫びを吐き散らし、ローズはリリィへ歩み寄る。
そして、腹部を殴打。鈍痛にお腹を押さえるリリィの胸ぐらを掴み、至近距離で視線を交わす。
「長くはないわ……でも、今日までずっと一緒にいた私は信用に足らなかった? 確かに初めて会った時、私はあんた達の仲を邪魔する嫌なやつだった。でも、あんた達に救われて私は変わったつもりなのよ! 嬉しかった……友達になれて、嬉しかったのよ! そんなあんたに傾けた想いは――何も響いちゃいなかったの!?」
語れば語るほど募る苛立ち、そして悲しさ――。
それら全てを言葉にできるほどローズは器用ではなく、また拳を振りかぶって感情を叩きつけようとする。だが――、
「……うるさいなぁ! 信じてたに決まってるじゃない! 信じてたけど……でも、怖くて仕方なかった! ボクの苦しみも知らないくせに――勝手なこと言わないでよ!」
先にリリィがローズの頬を力の限り殴打。衝撃に体勢を崩し、ローズは砂浜の上に転ぶ。それだけに留まらず腹上に跨り、リリィはローズの顔に涙を零しながらその胸ぐらを掴む。
「いいよね、ローズちゃんは。ちゃんと女の子に生まれて、悩みも解決したんだから! そんなローズちゃんが簡単にボクの臆病を責めないでよ! 言えないのも仕方ないでしょ、初めてが失敗で終わったんだから――!」
悲しかった過去と、辛かった思い出、そして少しの嫉妬。報復するようにリリィは交互に拳を振るってローズの頬を殴打する。
抱えてきた想いをまるで子供みたいに幼稚な方法でぶつけるリリィ。
吐露された想いにローズの表情はさらに苛立ち、リリィから繰り出される左右からの殴打を両手で受け止めて静止。リリィとローズの力は拮抗し、互いの手は僅かに震える。
「だったら今――抱えてる全部、吐き出しなさいよ! あんたがしてくれたみたいに、今度は私が何もかも受け入れたげる。言いもしないくせに察して、優しくしてもらおうなんて期待――私は応えないわ!」
ローズから叩きつけられた言葉にリリィはハッと目を見開く。
障害を抱えているからこそ、誰にも秘密は明かせない。でも、明かした相手もいるわけで、例えば結人――彼は秘密を知ってからどのように接してきただろうか?
気を遣い、心情を察し、無理に語らせようとしない。その扱いは優しさに他ならなくて。優しい結人では政宗が感情を叩きつける相手にはなり得ない。
だが、ローズは結人と違う。素直になれず陰湿な行動に手を染めた反動もあって、とにかく実直で、正々堂々あろうとする。
そんな彼女にしかできないこと。それはリリィのトラウマ、その擬人化として――憎まれ役として立ちはだかることだった。
だから――、
「言えるわけなかった――! 一生孤独だと思ってたんだ。友達を作っちゃいけない、誰も好きになっちゃいけない、誰とも結ばれない人生になるんだって思ってたんだ! 生まれてこなきゃよかったって何度も思った! でも、死ぬなんてできない……どれだけ絶望したって、この命が生きることを可愛がるから――ボクは苦しみを引き連れて、耐えて生きるしかなかったんだ! だからせめて傷付きたくなかったんだ……言いもしないくせにとか簡単に言わないでよ!」
泣き顔を晒し、零れる涙を落とし、子供が我がままを語るように乱暴に――そして、甘えるようにリリィは一番奥底で鍵をかけてしまっていた想いまで取り出した。
感情の吐露にリリィは気を抜いていたのだろうか。二人が両手を交えて拮抗させていた力はローズが上回り、リリィを押し返し突き飛ばした。
そして立ち上がったローズは手で砂を払い、ゆっくりとリリィの方へと歩み寄る。
リリィにはまだ彼女に応戦する余力があった。
――しかし、これは力比べではない。
ローズも抱えてる想いがあるだろうと思い、リリィはそれを受け止めるべく立ち上がって彼女を静観していた。
そして、手を伸ばせば届く距離までやってきたローズは立ち止まり、リリィを見る。涙の跡が月明かりで薄っすらと輝いていて、ローズは小さく口角を上げた。
「それで全部吐き出せたの? もう十分言葉になった?」
「そんなわけ、ないでしょ……ずっと抱えてきた想いがあるんだ。たったこれだけの言葉じゃ、全部吐き出しきれないよ」
「じゃあ、なくなるまで聞いてあげるわ。……あんたが頑張ってきたのはよく分かった。ちゃんと聞いてあげるから」
「本当に? それじゃあ、あと何発殴らなきゃいけないか分からないよ?」
「別に構わないわよ。その代わり――あんたも覚悟しなさいよね!」
ローズが大きく振りかぶった拳を頬で受け、しかしリリィも怯むことなくお返しとばかりに腹部へ重い一撃を入れる。
次第に二人からは言葉もなくなり、殴り合いだけがそこには残っていた。
本能のままに、感情のままに――理性が、溢れる感情に逆らえなくなっていた。ぎゅうぎゅう詰めの荷物に耐えかねたトランクが弾けたみたいに――何もかも全て、吐き出して。
――ローズの言うとおりだったのだろう。
言葉は感情を表現するツールの一つに過ぎない。あまりにも飾られて、理性的なそれでは内にある全てを表に出せない。だからもっと単純で――バカみたいな方法でなければならなかった。
夜の浜辺で交差するシルエット。
一進一退の攻防を、浮かぶ月だけが見つめていた。