第十八話「あの日の旋律を口ずさんで」
「随分と浮かない顔をしているね。もしかして、悩み事かな?」
「あぁ、修司くん。バイトお疲れさま。……うん、悩んでるのかもね」
片肘をついてファミレスの窓際の席で外の風景を眺めていた政宗。修司からかけられた声に困った笑みを浮かべて答えた。
八月三日――瑠璃との一件からもうすぐ一週間が経とうとしていた。事態を好転させるきっかけをつかめないモヤモヤを抱え、午前の空いたファミレスにやってきた政宗。
そして、憂鬱そうな彼女のところへ店員である修司がやってきたのだった。
「その悩み、どんなものなのか聞いてもいいのかな?」
「構わないけど……修司くん、仕事中なのに大丈夫?」
「大丈夫だよ。開店したばかりで暇だからね。ほら、政宗くんの他に誰も客はいない」
手で空を切るように店内を指した修司に、政宗は表情を引き攣らせる。
(開店したばかりだから仕方ないと思うけど、店員さんが暇なんて堂々と言っていいのかな……?)
とはいえ、話し相手になってくれるならば好都合と政宗は語り始める。
「実はね、リリィの正体がボクだって瑠璃ちゃんにバレちゃったんだよね」
「高嶺さんには秘密にしてたんだったね。どうしてバレたんだい?」
「え、あ、それは……その」
「なるほど、とりあえずバレたんだね。それは理解したよ」
政宗の表情から察し、ピシャリと疑問を切り捨てた修司。ちなみに相手が政宗でなければ根掘り葉掘り聞いているのが修司という人間である。
「……で、正体がバレて悩んでいるのはあっちの反応がよくなかったからかな? 高嶺さんは君が好きだったのだし、色々とあったんだろうね」
「それに関してはショックだったんだと思う。でもそれ以上に、ボクが秘密を明かさなかったのを仲間外れって受け止めたみたいで」
「僕と佐渡山くんは知ってて、高嶺さんは知らなかった。……そう解釈するのは自然か」
手を顎に触れさせ考え込む修司。彼は自分が持っている情報、そして今聞いた話を考慮してだいたいの事情を察していた。
「ちなみに佐渡山くんはどう言ってるんだい? この一件、彼にも相談しているんだろう?」
「結人くんは優しいからね。ボクの話を聞いてくれて、無理もするなって言ってくれてるけど……たぶん、瑠璃ちゃんに秘密を明かしてほしいと思ってるんじゃないかな」
「まぁ、可能ならそうした方がいいのは事実かもね。……しかし、彼は自分の気持ちを実直に伝える勇気とバカさ加減が売りの男。簡単に言われても困るよね」
「ば、バカ!? 結人くんってバカなの?」
思ってもみない表現だったのかきょとんとする政宗に修司は首肯する。
「あぁ、そうだとも。あそこまで清々しいのはなかなかいないと思うよ」
「そうなんだ。結人くんのあの正直な感じってバカなんだね」
感じていたことに名前が与えられたのがおかしいのか、政宗はくすくすと笑い出す。初めて笑顔を見せた政宗に修司の表情も穏やかになる。
「……本当は瑠璃ちゃんに話した方がいい。それは分かってるんだけどね」
「やっぱり真実を明かすのは怖いかい?」
「ボク、過去に一度失敗してるから」
政宗は困った笑みを浮かべて語り、修司はそこから何かを察して深く息を吐く。
「まぁ、確かに失敗を予感しながら挑戦するのは怖いよね。例えば、僕が君にした告白。あれなんかは予感どころか失敗を前提としたものだったし」
事もなさげに語った修司の言葉で政宗が抱くのは、恥ずかしさとほんの少しの罪悪感。しかし、修司は意味があると思ったからこの話を持ち出した。
「実際に僕は失敗したよ。君にフラれて、数日は食事も喉を通らなかった」
「な、なんかゴメン……」
「責めるために持ち出したんじゃないんだ。ただ、失敗しても僕と君がこうして話をしている今が一つのヒントにならないかと思ったんだ」
恨み辛みを向けられているようで俯いていた政宗は顔を上げる。
(もしかして、当たって砕けても何もかもが終わるわけじゃないって言ってくれてる? でもそれって……)
修司の気持ちは嬉しいけれど、政宗はそれが面白くなかった。
「それは分かるんだけど……ボクが秘密を打ち明けるのと修司くんのケースはちょっと話が違うよね?」
「ん? 僕はそれほど遠いとは思わないけど」
「本当に? でも、修司くんはボクと違うじゃない」
政宗にしては珍しく、突き放したようなトーン。しかし、顔を背けた政宗を見つめ、修司は表情をピクリとも変えずに続ける。
「誰かと繋がるための告白だっていうなら本質は同じだよ」
「……本当にそう思うの?」
どこか斜に構えて聞いている政宗。しかし――、
「ああ。今の関係を壊してでも問いかけるんだ――『自分を受け入れてくれませんか?』って。その時の屋上から身投げでもするような恐怖心を、僕は知ってる」
「告白する……恐怖心。それはボクも――ボクもその感覚は知ってる」
響くものがあって感動に打ち震えたような反応をする政宗。
(覚えてる……。あの子に自分の抱えてる事情を告げる時に感じた恐怖心を。今を壊したのはあの子の告白だったけど……ボクの方からも壊したんだ。新しい形に再生するのを願って――そして、信じて)
一度は突き放した修司の言葉。しかし、共鳴する言葉はそんな政宗の心をがっちりと掴む。
(結人くんも、修司くんも――そして瑠璃ちゃんも自分の想いを告白した。それと同じなのかも知れない。もしかして所詮は――それだけのことなの?)
大事にしまわれた結人からの言葉が心の声と重なる。政宗の悩みを結人もまた――それだけ、と語ったのだ。
「ボクは一度君に告白して惨敗した。好きな人にフラれて、そして佐渡山くんに敗れた。そんなボクが語るとすれば……当たって砕けても案外どうにかなるものだよ?」
「……本当に? 失敗したら何もかもを失うんじゃないの?」
「仮に失敗したとしても背中を押した誰かは後ろにいるさ。一人なら踵を返したことでも、背中を押されたんなら進める。最悪、失敗したらソイツのせいにすればいいんだよ」
修司は微笑を浮かべて窓の向こうを見つめる。
バカな真似に誘われ、盛大に失敗した修司だが後悔はない。負けて悔し涙で振り返ってみれば背中を押したソイツがいて随分と支えられた。
修司とソイツはいがみ合う仲を経て――友達になったからだ。
「だからさ、傷付いたとしても触れなきゃ分からない。そして、知らなきゃ終われない。なら、傷付かなきゃ終わらないんだよ。それ――今がずっと続くよりいいと思わないかな?」
「傷付かなきゃ終わらない……確かにそうかもね」
政宗は修司の言葉を受け、遠ざけていた事実に気が付いた。
(結局、ボクは失敗して傷付く自分のことばかり考えてたんだ。そして、そんな情けない自分を見ないようにしてたから……ボクはいつまで経っても前に進めなかった)
気付いた政宗の表情は決心に満ち、修司は穏やかに笑んだ。
(もっと楽に考えていい――秘密を明かすのは、別に大したことじゃない。今のボクには失敗を一緒に泣いてくれる人だっているんだ。なら、信じていいんじゃないかな――?)
障害の檻に閉じ込めた秘密を取り出す。政宗の中で曝け出すための気持ちが芽生えていた。そして、そんな一切が単純過ぎて――あまりにも実直過ぎて、政宗は吹き出してしまう。
「あはは、あはははは。当たって砕けろって言ってるんだよね? そんなバカっぽい考え方で本当にいいのかな?」
「確かにバカな真似だよね。でもさ、僕はそんなやり方が存外気に入ってるんだよね」
「じゃあ修司くんもバカなの?」
「あぁ、僕もバカなんだよ」
涙が浮かぶほどに笑った政宗に修司も釣られて吹き出してしまう。
笑い飛ばす、という言葉のとおり――政宗の中にあったモヤモヤは風が雲を地平線へと追いやるように、いつの間にか吹き飛んでいた。
ちなみにこの後――仕事を放り出して客を話し込んでいた修司は店長からこっぴどく叱られた。
馬鹿野郎、と――。