第十四話「癒えない傷」
「本当にありがとね。ボク、家に一人でいたら不安でどうしようもなかったと思う」
シャワーを浴びて出てきた政宗は結人の部屋、ベッドの上で彼と並んで座り視線を床に落として語った。
一方で隣に座った政宗に結人は、
(お、俺の服着てる――――! というか俺の家でシャワーを浴びて、そして泊まっていくのか。……今から大事な話をするのは分かってるけど、ちょっと気持ちが高ぶってしまうな)
と、仕方ないと言える心情を抱いていた。
しかし、そんな浮ついた結人の気持ちはすぐに掻き消される。政宗が今日までずっと抱いてきた過去を、語り始めるからだ。
「この春にボクは結人くんに変身を見られて、リリィの正体を知られた。そして、ボクにとって一番の秘密を話したんだけど……その時、言ったと思うんだ。家族にすら話したことがないって」
「確かに言ってたな。銀行を助けに行く前だったか」
「そうだったね。……で、家族にすら話してない秘密なんだけど、ボクは今まで三人の人間に告白してるんだよ」
「三人……っていうと、まず俺だよな。そんでもってメリッサさん。あとは……修司じゃないよな。アイツは自分で気付いたんだし」
「もう一人は結人くんが知らない人だよ。ボクの中学時代の……友達だった人だから」
政宗は困った笑みを結人に向ける。悲しいことがあると無理に笑う癖が政宗にはあった。
そして、過去形で語られた結人は何となく察しつつ耳を傾ける。
「その子は中学に入ってから出来た初めての友達だったんだよね。思春期だからかな、みんな同性同士でしか遊ばなくなっていく頃だった。高校生になるとそういうのって薄れてくんだけど、中学一年生だとちょっとお互い恥ずかしがってる感じ」
「そっか……そうなると政宗って友達を作るのが難しいよな」
「そうだね。男の子は異性だからボクも何だか恥ずかしくてさ。でも女の子からは嫌われてるんじゃないけど避けられる。そんなボクに一人だけ女の子の友達ができたんだよ」
「……その子が、三人目ってことか」
結人がぽつりと漏らした言葉に政宗は首肯する。
「ボクの中身が女の子だからだと思うんだけど、その子は話してると他の男子達とは違う感覚がしたんだって。きっと無自覚に同性の友達として認識してたんだろうね」
「言葉を交わせば本能的に理解できるのかな。ちなみになんだけど、政宗はその時に……その、自分の事情を理解してたのか?」
「……そうだね。もうその頃には自分が他人とは違うのを理解してた。図書館で本を読んで……自分のことが書いてあるって思った」
思春期を迎えるにつれて自覚したであろう――性同一性障害。
結人はそういった悩みを持たないため、政宗の気持ちへ十全に寄り添えない。しかし、考えることならできる。
(家族に打ち明けてないっていうのはきっと……我が子の悩みだろうと受け入れてもらえない可能性があると思った。もしくはそういうケースがあると調べて知ったんだろうな)
加えて、彼女の「政宗」という名前を親がどういう意味を込めて与えたのか。それを思えば結人は打ち明けられないのも分かる気がした。
「それでね、その子はボクにとって唯一の友達だった。ボクとしても同性の友達だから話しやすかったし、クラスで孤立しない安心感もあってさ。あの時は楽しかった」
「楽しかった、か……それが過去形になるってことは」
「うん、そうなんだ。ボクからすれば同性でも――あっちからすれば異性なんだよね」
嘆息交じりに結人の推測を肯定した政宗。
「あの子からすれば女の子の気持ちが分かる男子になるわけじゃない? そこが良かったみたいでさ……ある時、告白されちゃった。最初は友達のつもりだったけど、段々と一人の男の子として見るようになったって」
「その言葉は政宗からしたら……辛いよな」
「そうだね。結構キツイ言葉だった。……でも、そんな感傷には浸ってられなかった。だってさ、告白された時点でもう元の関係には戻れないって悟ったから。そして、あの子を傷付けることも――確定してたから」
太ももの上でギュッと拳を握る政宗を見て、結人はその心情を察した。
――苦い思い出。そうでなければ政宗は、瑠璃の告白に取り乱したりはしない。
「同性からの告白をボクは受けられなかった。その子のために嘘を吐いて付き合ってあげようとも一瞬考えたけど、男の子として振る舞わなきゃいけない日々に耐えられる気はしなかったから」
「その選択自体は間違ってないはずだよな。きっとどこかで嘘がもたなくなるはずだし」
「うん。だからね、ボクはその子の告白を断ったんだ。ごめん、付き合えないって。……でも、そうしたらその子は言ったんだ。『私の何が駄目なの?』って、『駄目なところがあったら直すから』って」
「断られても諦めれないくらい好きだったのか。自分を変えると言ってしまうほどに」
政宗に同情する一方で、結人はその少女の気持ちも分かる気がした。
修司に政宗を奪われるかも知れないと思った時、彼女の望んだ自分になろうと好きな男のタイプを問いかけるようなマネをした過去があるからだ。
そして、瑠璃の気持ちを終わらせることにこだわった理由もそこにあった。
「その時、ボクは思ったんだ。その子の気持ちをちゃんと終わらせてあげないと、告白を繰り返してその度に傷付けるかも知れないって。ボクはどれだけ想われても女の子から寄せられる好意には振り向かないから」
「……でも、どうやって気持ちを終わらせるんだよ。それだけの想いを諦めさせるって――――まさか?」
腕組みをして思案顔を浮かべていた結人は刹那――その真実に行き着き、この話の全貌を理解して息を飲んだ。
「予感もあったんだ。昔読んだ本には友達に告白したら受け入れてもらえた体験談もあってさ。だから、この秘密を打ち明けてあの子の気持ちを終わらせる――そして同性だと理解してもらったら、元に戻れるんじゃないかって」
「もしかして……その子に告げたのか? 自分の秘密を」
「うん。実はボク、女の子なんだよって告げたよ。そしたらね……」
その続きを思い出して、政宗は腿の上で握った手を振るわせて……言葉を紡げなくなった。
俯く政宗は手の甲へぽたぽたと涙を零し、感情を堪える。しかし、抑えきれないようで小さく呻くような声を漏らす。
それは未だ癒えぬ傷口に触れる行為。
思い返せば苦痛が伴い、鮮明にあの時の気持ちがフィードバックする。とても一人では耐えられない辛い過去。
でも、だからこそ――結人は震える彼女の手を握り、重ねた手から伝わる温かさに政宗は顔を上げる。結人の目は赤く滲み、瞳は薄っすらと涙に濡れていた。
誰かの悲しみに共感し、一緒に涙を流せる優しい理解者がそこにはいて、政宗は強張っていた表情を少しずつ解く。ギュッと目を閉じ、それによって零れる涙は頬を伝う。
……今日、政宗は何度泣いたことだろうか。でも、この涙は今日までのそれとは違った。
誰かと一緒だからこそ、強くなれる――何も言わず優しい表情で言葉を待つ結人に政宗は深呼吸をして、ゆっくりと口を開く。
「そしたらね、あの子に言われちゃったんだ。きっと自分の恋心がどうあがいても叶わないことでパニックになってたと思うんだけど。一言だったよ。
ただ一言、あり得ないって――そう言われちゃった」
無理な笑みを浮かべて、涙に濡れた声で口にした政宗。悲しみに満ちて、それでも聞く者に辛い表情を見せまいとするいじらしい表情。
少女が政宗に告げた言葉はある意味、仲間外れだった。
政宗を同性だとは認めないかのような――。
結人は堪らなくなって彼女の手を引き、抱き寄せた。
突然のことに目を見開く政宗。
そんな彼女の身を抱き結人が感じるのは、リリィのために身を投げ出した時と同じく「守ってやりたい」というたった一つの切実な想いだった。