第九話「深海から伸びる手」
「あんた昨日のお昼頃、ショッピングモールに来てなかった? ヒーローショーに突然乱入して怪人からマナ回収してわよね?」
「ま、まぁね。回収できるマナがあったから。ローズちゃんもいたんだね」
リリィは困った笑みを浮かべながら、内心でヒーローショーに関して三度目の羞恥に耐えていた。
七月二十八日、夜七時――マナ回収を終えたリリィは結人を家に送り届けた後、ローズから話があると呼び出された。終業式の日、駅の屋上にて恋バナをした時と同じ段取りである。
今回は街から数キロ進んだ港、灯台の上に並んで腰を下ろしている。
「あの場にリリィがいたんなら正体を探ってやるべきだったかしら。でも、佐渡山くんと智田くんにせっかく遊びにきたんだからって止められたのよね」
「まぁ、変身を解いたら誰か分からないだろうし、見つけるのは難しかったんじゃないかな?」
「そうかしら? まぁ、結構な人の数だったし確かに難しかったかも知れないわね」
納得した瑠璃の横顔を見つめ、ホッとする政宗。
灯台の上は夜空に浮かぶ瞳のような月に照らされるのみ。月明かりを浴びてぼんやりと露わになっている瑠璃の横顔はどこか寂しいものだった。
リリィは彼女の裏を考えないようにし、胸に手を当て自分の心拍数を確かめる。
(大丈夫、今のところは呼吸も苦しくない。でも、今からはどうなんだろう……?)
ローズから好意を向けられて苦しさを感じるリリィ。だが、拒否せずこうして不安を抱きながら付き合っているのは何故なのか?
リリィはそれを罪悪感と、贖罪――そう、自覚していた。
そんなリリィの内心など知らぬローズは今日の本題へと話を進める。
「ねぇ、リリィ。政宗くんともっと親密になれる方法って何かないのかしら?」
灯台から望む海、水面に移った月明かりが揺れるのを見つめながらローズはポツリと問い、リリィの鼓動はどくん大きく跳ねる。
「し、親密……? 具体的にはどういう感じかな?」
記憶の深淵。深海から差し伸べられた手に足を取られ、引きずり込まれる感覚がリリィを襲う。
「今よりももっとよ。……些細なことで少しずつ彼が気になっていくの。例えば昨日、私の服装に彼が見惚れていたこととか」
「え、見惚れていた……って」
リリィはすぐさま昨日、自分がボーっと瑠璃のワンピースを見つめていたことを思い出し、意図していない解釈に「しまった」と感じる。
しかし、リリィの立場から解釈を改める言葉は口にできない。
「それに魔法少女を忘れないほど想われているとしたら、こんなに嬉しいことってないじゃない? 私の何をそんな気に入ってくれたのか知らないけど……考えると胸がきゅうってなるの」
恥ずかしさもあってか遠くへ視線を預けて語るローズ。赤裸々な心情を聞かされ、リリィは他人事とは思えなくなっていた。
(ボクにとって結人くんからの告白が宝物であるのと同じなんだ。それが偽物だったって言われたら……ボクはきっと傷付く。ならローズちゃんも)
気持ちが分かるからこそ早く真実を伝えなければと思う――も、共感のせいで偽りだったと知った時のショックも容易に想像できてしまう。
そして印象的なのがローズの語り口調。ローズは普段なら正直に話すのが恥ずかしいと感じ、俗に言うツンデレ口調でごまかす癖がある。
それは本心を伝えるギリギリのラインなのだが――今の彼女は自分の気持ちをそういったクセに乗せず話している。
それはつまり――、
「ローズちゃん……本気なんだね」
「ええ。素直になれなかった自分を完璧に卒業する意味でも、結構本気かも」
いつものツンとした物言いではなく、芯の通った意思を秘めた口調。真剣な横顔にリリィはローズとは異なる意味で胸がきゅうっとなるのを感じた。
まるで銃口を向けられているように体が震え、力が抜けて、頭がくらくらするような。
そしてリリィへ、トドメを刺すようにローズは――、
「相談しといてアレだけど、距離を詰める方法は分かってるのよ。私――政宗くんに告白する。それが一番正直で、まっすぐな方法だと思うの」
決定的な一言を口にし、リリィはその瞬間――体を揺さぶられるような衝撃を受けた。視界がくにゃりと歪み、呼吸が加速、冷静な思考もままならない。
――そして、フラッシュバックする過去。
酸素を求め海面を目指すリリィを引きずり下ろすように、記憶の深淵から伸びた手がバタつく足を握って離さない。溺れそうになる。
(今までの自分との決別、そして魔法少女の記憶を忘れていない相手への告白……駄目だ、もう取返しがつかないほどローズちゃんの気持ちは強固なものになってる。覆せない――!)
口元を押さえ、過呼吸を悟られまいとするリリィ。幸か不幸かローズは穏やかに揺れる海へ視線を預けているため、気付くことはない。
(何か話題を――話題を逸らせばいいんだ! 何か――何かないの!?)
昨日、ローズと駅まで一緒にいて苦しくなった時は結人と修司が現れ、強制的に事態が終息した。しかし今、結人や修司が訪れるはずはない。
灯台の上――普通の人間が訪れるはずのないこの場所は魔法少女の領域。見えない壁に阻まれている感覚がリリィをパニックへと陥れる。
逃げ場がないように錯覚し、彼女は圧迫感を感じて酸素を失う幻想に抱かれて意識が朦朧としていく。
無論、そんなリリィの葛藤をローズは知る由もない。そして、知らないからこそ――彼女はとんでもない提案を行う。
「ねぇ、リリィ。私、もし政宗くんに告白するとしたら……なんて考えたりするのよ。どんな言葉がいいのか。どんな風に言えばいいのか。そもそも自分は本人を前にして、どれだけ素直になれるのかってね」
「そ、そうなんだ……」
「でね、リリィに手伝って欲しいのよ」
「ボクが? ……一体何を?」
「今から私、リリィを政宗くんだと思って告白するから、それを聞いてほしいの。言ってみれば……告白の練習って感じかしら?」
素直な口調を連ねていたローズも流石に恥ずかしくなったのか、言葉の最後は呟くような声になっていた。
一方でリリィ――心臓をギュッと握りしめられたような苦しみを必死に堪える。しかし、希望めいた予感もあった。
(…………もしかしたら、その告白練習を聞き届けたら――今日のところは話が終わるんじゃない? それを乗り越えるだけなんじゃない?)
呼吸の限界を感じながら海面を目指していた彼女は、宝石のような輝きを伴って揺らめく陽の光を見た気がした。
――もうすぐ、終わる?
これに耐えれば――?
予感を受けてリリィは平常心を意識しながら、立ちあがるローズに続いた。