第五話「仮面を外して、素顔のままで」
「ずっと言おうと思ってたんだけど、とうとう今日まで話せなかったことがあるんだ。ボク、体は男の子で生まれたんだけど、性自認っていうのかな……それはずっと女の子だったんだ。性同一性障害ってやつ……なんだと思う」
両親と向き合った政宗は恐怖心に打ち勝つための数分間を経て、ゆっくりと語り出した。
場所は藤堂宅のダイニング。テーブルを挟んで両親を前に結人と政宗が並ぶ。そして、テーブルの下でこっそりと結人は政宗と手を結び、握る力で後押しするみたいに勇気を与えていた。
一方で政宗の両親。政宗が似たのは母親だったらしく、どこか面影があるその表情は困惑に染まり、父親は顎に手を触れ深刻そうに言葉を受け止めた。
そして両親は裏付けを求めるように結人へ視線を送り、彼はゆっくり頷いた。
「それは……昨日今日で自覚したわけじゃきっとないのよね? もっと前から……?」
「……うん。小学校の高学年くらいかな。自分が男の子って呼ばれることに違和感があったんだ。そして、それがおかしいことも……何となく分かってて」
「でも、今日まで私達には相談できなかったのね……」
政宗の母親は「どうして言ってくれなかったのか」という言葉を表情にまで出したものの、それを引っ込めた。
――仕方なかった、それに尽きると納得するしかなかった。
結人も政宗と触れる中で性同一性障害について検索したり、本を読んで知識を集めていた。そして、知識を集めていたからこそ――両親への告白は大事だと思う反面、政宗が怖がってできなかったのも当然だと考えるのだ。
(受け入れてもらえず勘当されたなんて話もあった。メールで告白したら今すぐ死ねなんて返事があったケースも。親のことを信じていたって……それでも触れてみるまでは分からない)
でも、だからといって当たって砕ければいいと言える相手ではない。だから、結人も政宗が両親への告白を考えていると相談された時は悩んだ。
何もかもを正々堂々さらけ出さなければ生きられない世界じゃない。
でも、政宗はこうして告白することを選んだ。
やはり、自分の親しい者には秘密を知って欲しかった。
――隠していることが嫌ではなく、ちゃんと知って欲しかった。
そう思えた政宗を、結人は応援するしかなかった。
(政宗の両親なら大丈夫だ。この人達は政宗のことをきちんと愛してくれている。我が子が娘だった……それくらいのことで嫌ったりしない)
それでも不安感があるのは、結人が政宗から伝わってくる恐怖心に共振しているから。
固唾を飲んで衝撃を受け止め、事実を咀嚼を咀嚼していく両親。結人と政宗は反応を見守る。
そして――、
「……今になっては言い訳だけど、思い当たる節がないわけじゃないの。性同一性障害かも知れないという明確な予感はなかったけど、ちょっと女の子ぽい一面があるとは感じてたの」
父親と顔を見合わせ、語り始めた政宗の母親。その言葉に父親も重苦しい表情で首肯する。
「そこに関しては母さんと話したことがあった。仕草や言動、あとは身体的な特徴も含めて少し男らしくないなと感じていたんだ」
しかし――この価値観が多様化した世の中では「そういう男もいる」と納得してしまうのも無理はなかったのだろう。
「結局は気付かなかった、と――そういうしかないわね。自分の子供のことなのに気付いてあげられなかったなんて。しかも今日まで……もう政宗は十八なのよ?」
政宗の母親は両手で顔を覆ってすすり泣き、父親は深刻な表情で腕組みをする。
話の流れからどうやら政宗の両親は我が子が性同一性障害であったことがショックというわけではなかった。ただ、気付いてやれない自分達を責めていたのだ。
(……ある意味、政宗が愛されている証拠。告白は失敗じゃなかったといえる。でも、十八年の反動は生半可なものじゃないよな。告白を受ける親の立場がどれほどの衝撃を受けるか、子供の俺達にはちょっと想像できていなかったな)
政宗もまるで自分が両親を傷付けたと感じたのか俯く。
でも――結人は思うのだ。
(傷付いたとしても触れなきゃ分からない。そして、知らなきゃ終われない。なら、傷付かなきゃ終わらないってことだ。ずっと続くくらいなら――これでいいんだ!)
結人はこの場で自分に発言権があるのか、それを少し迷いながら口を開く。
「……今日まで政宗と一緒にいて、僕は理解したことがあるんです。きっとお父さん、そしてお母さんは秘密に気付けなかったんじゃない――政宗が、気付かせなかったんだと思うんです」
誰もが言葉を噤む静寂の中へ、結人は慎重な語り口調で言葉を投じる。
そして、思い出してた。政宗は殻にこもるように頑なに秘密を外に出さず、偽りの藤堂政宗で男の子然として日常を過ごしていたこと。
結人の前では女の子でいられた政宗。しかし、そうでない場面では男の子でいるしかなかった瞬間を今日まで一緒にいた結人は知っている。
波風立たないよう自分を押し殺して――。
そんな考え方で擬態するように振る舞ういじらしさを知っている。
だからきっと両親の前でも――そう結人は思うのだ。
「政宗は誰かを守るためなら自分をすり減らしてしまう損な性格をしています。今日まで一緒にいて僕が知った政宗の良いところであり、ちょっと危うい部分とも言えますかね」
結人は不安そうな視線を感じて政宗の方を向き、薄っすらと笑んで頷く。そして、握っている手の力を強め――大丈夫だと暗に伝えた。
「ですから、気付かせなかったのは政宗の優しさなんです。お二人のための不器用な気遣いだったんだと受け止めてもらえませんか? 政宗の優しさで傷付いてほしくないと……僕は思うので」
今日までの日々――政宗、そして結人も自分を犠牲に誰かを助けようとする場面が何度もあった。それは純粋で――しかし、独善的な優しさでしかない。
とはいえ、特別な何かを持たず不器用な二人はそうやって自分の身を粉にすることでしか大きなことを成せない。
ぎこちない献身。それはどう繕っても誰かを救いながら傷付けるのだけれど――でも、どこまでいったってその行い自体は純然たる優しさなのである。
涙を流させるだけの行為であってはならないと――結人は思う。
政宗といた三年間は、両親の十八年には到底適わない。しかし、結人の立場だからこそ知ることができた想い、それに裏付けられた言葉は少しだけ両親の心に寄り添えた。
「そうよね……政宗が私達を心配させまいとしてくれた。それはそのとおりだわ。……でも、やっぱり悔しいわ。もし早く知ることができていたなら女の子の服だって沢山買ってあげられたのに」
指で涙を拭いながら、濡れた声で語る政宗の母親。我が子の優しさ、そして巻き戻せない時間を理解しても口をつくのは後悔だった。
そして政宗も母親からもらい泣きするみたいに涙をぽろぽろと零し、覚束ない口調で語り始める。
「ごめんね……ちゃんと生まれられなくてごめんね。それに、もっと早く打ち明けられたら……こんな思いにはさせなかったのに」
「何を言ってるの、あなたはちゃんと生まれてきてくれたわ。私たちの子供として」
「そうだぞ。それに父さんたちは早く言わなかったことを責めてるんじゃないんだ」
「あなたが本当は女の子だっていうことを教えてくれたから、今からでも私達は我が子を愛娘だって誇ることができるんじゃない」
「――本当に? 本当に……そう言ってくれるの?」
政宗は受け入れられた事実に潤んだ瞳を揺らし、口元を押さえる。
受け入れられるはず――そう思って告白しても、やはり不安はあって。
そんな一切から解放された瞬間だった。
「当然だとも、政宗。お前は私達の娘だ。過ぎてしまったことは取り戻せないけど、今からでも――ウチの一人娘だと呼ばせてくれないか?」
目元を抑え、熱くなった目頭に抗う父親の言葉――それがトドメとなって政宗は今まで抑圧してきた数々の感情が溢れるのを止められなくなった。
結人に受け入れられ、修司に背中を押されて、瑠璃とぶつけ合い、メリッサと共有してなお奥底に詰まっていた両親への想いが溢れ出し、子供のように声を上げて泣きだす。
そして椅子から立ち上がり、縋るように母へと抱きつく。そして受け入れられた安心感が十八年の反動を政宗にぶつけて感情は放流する。
(これで……政宗は今の体で抱えてきた後ろめたさや心残り、それを全部吐き出せたのかな。新しい一歩を踏み出す準備が――できたのかな?)
母の胸の中でわんわんと泣き、父にその頭を撫でられる光景。
結人はその場に居合わせた者として静かに見守っていたのだが、視界が滲んで仲睦まじい家族の光景をはっきり見ることはできなかった。
○
「さて、ウチの子が娘だと分かったわけだけど……結人くんだったかな。君はウチの娘とどういう関係なんだい?」
政宗のカミングアウトによる衝撃、そして自分達の至らなさを語り合う時間を経て皆が落ち着きを取り戻した頃に父親が咳払いして問いかけた。
結人からしてみれば彼女の父親。秘密の告白に集中していたが、こうして事実が明らかになって対峙してみると急激に結人は緊張し、表情がみるみる硬くなっていく。
「あー、えっと、俺は――いえ、僕は政宗と付き合ってます!」
「ほぅ、そうなのか。それは素晴らしいことだね」
「あ、ありがとうございます! そう言ってもらえて光栄です……!」
思ったよりあっさりと受け止められたため、拍子抜けしつつ後ろ頭を掻いて頭を下げる結人。
しかし――、
「だが、ウチの子が娘だと分かれば父親としての気持ちは変わるものでね」
「……どういうことですか?」
「娘は簡単にはやらん。覚悟しておきなさい――!」
「――えぇ!?」
早速、娘離れができない父親へと変貌し、結人は飛び上がって驚く。
そんな結人の様子を見て笑い声を上げたため、実際は父親なりの冗談だったのだと分かるのだが……、
(全然、冗談になってないって……! 俺もまだそんなことを挨拶するつもりでここへ来てないからっ!)
と、バクバクと鳴り響く鼓動に胸へ手を当てて結人は冷や汗をかくのだった。