第二十一話「大切な君に花束を」
「俺さ、多分だけどあの事故に遭う前から魔法少女に関する記憶を忘れ始めてたんだと思う」
「……事故に遭う前から? なんかタイミングがおかしくない?」
「いいや、おかしくないんだ。これは俺の予測なんだけど、あの事故で政宗の背中を押した人間、あれはきっと魔法少女なんだろ?」
「……うん。マジカル☆カルネっていう魔法少女。八波さんは変身者なんだよ」
不安げな表情で首肯した政宗に、結人は確信を抱いた。
「押された政宗を助けた時、俺の視界に八波の顔が入ってきたんだけどさ……俺はそいつが誰なのか分からなかった。そんな違和感を抱いたあとにトラックに轢かれたんだ」
「え? それじゃあ――結人くんはもしかして、事故に遭わなくてもいずれリリィのことを忘れてたっていうの?」
「あぁ、そうだ。俺は取りだせない記憶の気配にあの時気付いてたんだ」
魔法少女の認識阻害は突如として記憶が消去されるわけではなく、徐々に脳内から失われていく。そんな――例えば百あるゲージがゼロになった瞬間、記憶が失われるシステムだとしたら。
一般人が十や二十ずつ減っていくのに対し――結人のように魔法少女のことを強く想っている人間ならば、減少は一ずつだったのかも知れない。
だとしたら忘却は緩慢で、あの事故時点で一番強く想っているリリィは覚えていても、カルネは覚えていられなかった可能性はあり得ると――政宗は結人の魔法少女に関する記憶に納得した。
しかし、そうなると疑問が残る。
「それだけだと理由の説明になってないよ。徐々に記憶を失い始めてたのは分かったけど……なら、そもそもどうして失い始めてたの?」
「それを今から話すよ。俺にとっての弁解はここからなんだ」
「リリィのことを忘れてしまうほどの理由が本当にあるっていうの? しかも、それを結人くんが自覚してたなんて……あるのかな?」
「あるんだよ。俺は多分、自分の考えが――正解だと思ってる」
結人は断言し、一呼吸の間を置く。答えを紡ぐ唇を見つめて政宗は神妙な面持ちでそれを待ち、そして――結人は口を開く。
「……俺、夢を見てたんだ。事故でずっと眠っている時、俺は夢の中にいたんだよ」
「眠っている最中に何かを考える――もしくは意識することができたってこと?」
「そうだ。そして、その光景はひたすらな暗闇だった。光もない寂しい場所にいてさ。そんな場所をただ歩いて行くしかなくて……今思えばあのまま進み続けたら、俺は死んでたんじゃないかと思う」
「真っ暗な闇……たぶん、それって」
政宗は瞬間、それが願いを使って打ち砕いた「死の運命」そのものだと直感した。結人自身も直感的に自分の死を悟っていたらしかった。
「死の予感があった。……でも、まだ生きている意識は終わっていく恐怖心に耐えなくちゃいけなかったんだ。心が折れそうになるほど辛い夢だった」
「………………」
それは夢じゃなくて現実なんだよ――とは言えず、政宗は目を伏せて黙っていた。しかし、結人は「でもさ」と打って変わって表情を明るくして語り始める。
「俺はそんな暗闇の中にあって絶望することはなかったんだ。死の運命が避けられなかったとしても――終わりが近づいているんだとしても。……どうしてだと思う?」
「そんな絶望の中にあって抗える希望なんて思いつかないよ。もしボクが結人くんの立場だったら――」
と、そこまで言いかけて政宗は目を見開き、結人を見る。
すると彼は慈しむような笑みで政宗を見ていた。
(もしボクが結人くんの立場だったら――希望は、ある)
それこそ結人の希望の真実であり――記憶忘却の真相だった。
「俺はさ、その時にずっと――政宗、お前のことを想ったんだ。一緒に過ごした記憶。幸せだったことはもちろん、ちょっと苦い思い出も。全部が愛しくて、それを胸に抱いたら怖くなんてなかった」
結人はそこで言葉を切り――そして信じられないと瞳を揺らす政宗の体をギュッと抱きしめた。彼が暗闇の中で灯した希望は今、その腕の中にあった。
「だから、俺は眠っている間――お前のことしか考えてなかったんだ」
明かされた真実、結人の腕に抱かれた政宗の鼓動が――ドクン、と跳ねる。
体が小刻みに震え、湧き上がる感情が目元に涙を浮かべる。
先ほどとは違う感情の錯綜、混乱。
繋がっていく事実と、浮かび上がる真実が政宗に懐かしい感覚を呼び起こす――。
(……そっか、つまり結人くんは眠っている間ボクのことを考えていて、魔法少女を想う余裕なんてなかったんだ。ボクが希望だったんだ。それに、事故以前から忘れ始めていた理由も――)
――高鳴る鼓動。
それは政宗にとってよく知る隣人だった。
真夜中になると忍び寄り、彼女に不安と恐怖をもたらす耐え難いもの。
しかし、そんな鼓動の高鳴りが今――こうも心地よく、安心するものであったと知ることになった。――いや、それを思い出したのだ。
(こうして、胸がドキドキすることで嬉しくなったり、楽しくなることもあるって……教えてくれたのは結人くんだ。覚えてる。その時の記憶がまるで色付いていくみたいに、ボクのものになっていく――!)
かつて、結人は魔法少女の記憶を失っていない事実でリリィへの想いの強さを証明していた。
そして、それが証明されていたからこそ――今、彼はその強い想いを忘却してしまうほどに政宗を愛していると更なる証明をしてしまった。
――そう。結人の気持ちは事故に遭う以前から、リリィを越え始めていた。
普段から考えるのは政宗のこと。
だから、次第に魔法少女を想うことができなくなっていた。
それほどに、結人は政宗を愛していたから――。
「俺の中にはきっとリリィって魔法少女に向けた想いもあったはずなんだよな。記憶を失くしても、政宗を想う気持ちが上回っても……リリィへの気持ちはこの胸にあるはずなんだ」
「でも、その気持ちはもう向ける先がない。魔法少女マジカル☆リリィは……もういないんだから」
「向ける先ならある。記憶を失くした俺の気持ちは全部、今のお前なんだよ。政宗に全部、全部向けられてる。きっとリリィを想ってたこと、今日までの全部が――今の政宗に向けられてるんだよ」
結人の腕に抱かれ、心地よく高鳴る鼓動を聞き、耳の先が赤くなるほどの幸福感で体を満たしながら政宗は思い出していた。
――結人はリリィから始まった恋心を政宗にそのまま傾けることを疑問視し、別個で藤堂政宗という一人の少女を見るようになった。
――政宗もリリィに向けられた恋心を自分がそのまま受けることを疑問視し、マジカル☆リリィという魔法少女へ嫉妬するようになった。
そして、リリィという存在を別個体として跳ね除け、まるでもう一人の自分であるかのように遠ざけた。政宗は結人から自分のためだけの恋心を受け取ってきた。
しかし、その頃の政宗ですら別個として考えるようになった今の政宗がいる。リリィという姿を失い、今までの藤堂政宗が大事にしていた気持ちも失った三人目の人格として自分を捉えていた。
だが今、バラバラに考えていた自分の姿――それらに向けられた気持ちの全ては束ねられ、花束として結人から贈られた。
(……受け取っても、いいのかな?)
心の中でそんなことを思い、心の中で過去を振り返るとリリィが穏やかな笑みで頷くのを政宗は感じた。
ただ一人、今の政宗が受け取るべき想いとして。
花束のように一つとなった結人の気持ち。
それを受け取って、結人の腕の中で泣きだしてしまう。
声を上げて、子供のように。
――あの日、結人を助けるために政宗は全てを失った。
でも、結人から失ったと思った何もかもを贈られ、いとも簡単に全てを取り戻すことができた――いや、取り戻したのではなく新しく形作ったのかも知れなかった。
壊れ、バラバラになり、空っぽになって。
しかし、一つに戻ったのだ。
モノクロの記憶、その写真に魔法がかかったみたいに色が戻っていく。そして、宝物全てにかかっていた鍵を手にした政宗は、一つ一つを開いてまた新しく手に入れていく。
そんな風にして――政宗は今、急速に結人へ惹かれていく。
取り戻すのではなく、今もう一度――恋に落ちていく。
それほどまでに誰かを想える彼を、好きになっていく――。
(まるでリリィがボクの背中を押しているように感じる。……そうだよね。マジカル☆リリィも、そして、生まれてから今日まで生きてきたボクの記憶も全部――全部が今のボクのものなんだ!)
ふらふらと覚束ない足取りで……しかしぎこちなく走り出し、生まれたての恋心を胸に希望に満ちた瞳を輝かせる政宗。
そんな彼女をリリィがギュッと目を閉じた笑みを浮かべ、手を振って見送っていた。
(……そうだ、ボクは結人くんが好き。大好きなんだ。思い出したんじゃない。これは今、ボクが手にしたもの。だから、ボクは今日までの自分に共感した。実感を伴って、思い出を理解できる――!)
だからこそ、政宗は決心した。結人に抱かれた腕から離れて、政宗は深呼吸し、真剣な眼差しで結人を捉えて語る。
「あのね、結人くん。ボク、伝えたいことがあるんだ。……聞いてくれないかな?」