第二十話「失われた想い」
「ちょっと待ってよ。リリィのことを覚えてないって――結人くんが? そういう冗談はよくないって。ねぇ、嘘でしょ……?」
「どういうことだよ。……俺、もしかして何か大事なことを忘れてるのか?」
夜景をバックに向き合う二人。結人は自分に欠けているものを予感して気まずい表情を浮かべ、政宗はあまりの衝撃に唇を震わせて上手く言葉を紡ぐことができなくなっていた。
(意識を失っていた間、魔法少女のことを考えられなかったから? え、でもじゃあ普段から眠ってる時はどうなるの? 夢の中ですらリリィを想ってくれてたから今日まで記憶してくれてたんでしょ?)
理解を拒む脳へ無理矢理に現実を押し込み、事実を紐解いていく政宗。無論、結人は頭部にダメージを受けたので、純粋な記憶障害という説もなくはなかった。
しかし――、
(たぶん、魔法少女の記憶だけ綺麗に抜け落ちてる……。これは魔法少女の記憶阻害によるもの。今日までボクもリリィのことに触れられたくなくて話題にしなかったから全く気付かなかった)
政宗の中で原因は確定的だった。
「どうしたんだよ、政宗? 俺が何を忘れてるのか教えてくれないか?」
心配そうに政宗の顔を覗き込んで問いかける結人。しかし、政宗は現状を整理することに精一杯。生じる諸々を想像し、それが錯綜する。
告げられた真実はブレイクショット。
打ち込まれた白球によって、ポジションの定まった思考が乱れる。
(あれだけリリィを想っていた結人くんから記憶が抜け落ちたら……どうなっちゃうの? あんなに想ってた気持ちを失くして、ボク達は元に戻れるの?)
今日まで必死に悩み、固めた決心はどうなるのか――?
政宗は恐怖心と喪失感で心が砕けそうだった。
結人がリリィの記憶を失っても政宗を想っていることに間違いはない。
しかし、あれだけの熱量が絡み付く記憶の一切が彼から抜け落ちたら、マナとして気持ちを差し出した政宗のようにはならなくとも――あんな情熱はなくなるのではないか?
弱まった火を傾けられて自分の心が再燃するのか政宗は不安だった。
――いや、そんなことよりも。
(結人くんがリリィを覚えていて、好きでいてくれたことは宝物だった。なのに、そんなものまでボクは奪われるの? 結人くんからその気持ちをとられたら――ボクは)
過呼吸になり視界がぐにゃりと曲がって、足元が震える。その場で崩れ落ちそうになる。そんな政宗は混乱で間違ったアウトプットから内に抱えた感情を叩きつけてしまう。
その出口は、怒りだった――。
「――酷い! 酷いよ、結人くん! あれだけ好きだって言ってたのに忘れるなんてっ! どうして忘れちゃうの!? ずっと覚えてられるのが結人くんの凄いところなのに……それを手放しちゃうなんて! 何で――ねぇ、何でなの!?」
結人の服を掴んで揺らし、ワガママを言う子供のように言葉を吐き散らす。尋常ではない政宗の取り乱し方に結人は言葉を失う。
「だ、だから、どうしたんだよ政宗! 俺は何を忘れてるんだ? そのリリィっていうのは――俺の好きだったものなのか?」
「そうだよ! 結人くんが好きだった人……君が僕と出会うきっかけになった存在だよ。リリィを覚えてないなら、結人くんはどうやってボクと出会ったのかも覚えてないんでしょ!?」
「政宗とどうやって出会ったか? そんなの忘れるわけ――――」
結人は自分の誕生日を覚えているかと問われたかのような余裕を見せ――しかし、自分の中にその記憶がないことに混乱し始める。
「あれ、どうしてだ? 政宗と出会った日のこと……確か、俺はお前の生徒手帳を拾って追いかけたんだ。そして路地を曲がったんだけど、そこから何があったんだ? ……どうして思い出せないんだ?」
「それは結人くんがその部分の記憶だけ欠落させてるから。忘れちゃってるんだよ。その空白には――魔法少女マジカル☆リリィの記憶があったから」
「ま、魔法少女……マジカル☆リリィ?」
相変わらず血相を欠いた表情の政宗。しかし、肩で息をしながらギリギリ理性的なものを取り戻していた。
一方で結人は口が語り慣れた言葉に驚く。妙にしっくりくる語感に指で唇を触り、目を見開く。
「君はずっと魔法少女マジカル☆リリィに恋をしてたんだよ。そして、あの日――君は路地でボクがリリィに変身するのを見つけてしまった。そこからボクらの関係が始まったんだ」
「……じゃ、じゃあアレなのか? 政宗、お前は魔法少女をやってるっていうのか? そのマジカル☆リリィに変身できるって……そう言ってるのか?」
「今のボクはもうマジカル☆リリィじゃない。変身してみせることはできないんだけど……でも、信じて欲しい。ボクはリリィというもう一つの顔を通して君と出会ったんだから」
今度は結人が頭を抱える。思い返せば穴だらけな自分の記憶に戸惑っていた。
そして、ピースだと提示されたリリィなる存在に微塵もピンとくるものがなく――しかし、政宗が冗談を言っているようにも思えず、結人の思考が乱れていく。
そんな結人の認識を支えるべく、政宗が語る。
「たぶん、結人くんはボクと放課後を過ごした記憶がないはずだよね?」
「……言われてみれば全然ない気がする。……もしかして、俺は放課後は毎日のようにリリィに会ってたってことなのか?」
「そういうこと。そして、結人くんは……ボクが十一月一日、二人の魔法少女によって酷い目に遭わされたのも……覚えてないはずだよね?」
「そんなことがあったのか? ――いや、ちょっと待て。引っかかることがある。入院してた時に瑠璃が政宗のトラウマについて話しててピンとこなかったんだ。それってもしかして……?」
「たぶん、十一月一日のことを瑠璃ちゃんは言ってたんだよ」
結人から魔法少女の記憶が消えればクラブとカルネに関する認識も消える。だから、十一月一日の出来事も覚えていなかった。
それにより瑠璃から政宗のトラウマを聞かされた時、結人は中学時代の同級生から受けた告白のことだと思った。あの時点で魔法少女に関する記憶はなくなっていたのだ。
そうなれば当然八波が捕まったという記事を見てもカルネを連想しないし、警察にも本当の意味で全く知らないと答える。
「他にも忘れてることは色々あるよ。例えば、結人くんは夏祭りにしてくれたのが初めての告白だと思ってるはずだよね?」
「……確かに俺はあれが初めての告白だったと記憶してる」
「でも、その前にボクはリリィとして告白を受けてるんだよ。出会ったあの日に」
「じゃあ、あれは二度目の告白だったのか……?」
結人は相変わらず頭を抱えたまま――しかし困惑とは真逆、納得した様子を見せていた。
自分の欠落した記憶がどんどんと理由付けられ、それを知っている政宗の言葉には信憑性が伴っていく。それは結人に非現実的な魔法少女を信じさせるに足りた。
「そうか……だから俺は夏祭りの日『今の政宗がいい』なんて告白をしたんだ。最初はリリィに告白して、その正体である政宗を好きになったからそんな言い方になったのか」
結人は自分の中でパズルが噛み合うのを感じ、浮かび上がっていく真実を声高に語った。
「でも、それならどうして俺は好きだったはずのリリィを忘れてるんだ? もしかして俺はあの事故で記憶に障害が……?」
行き着いた思考に瞳を震わせる結人の不安を、政宗は首を横に振って否定する。
「そうじゃないよ。魔法少女には記憶を阻害する魔法がかかっててね。一度魔法少女を見た人もちょっと時間が立つと記憶から消えちゃうんだよ」
「そうなのか? しかし、だとしたらどうして俺は覚えていられるんだ? 俺は一日二日じゃない期間、魔法少女のことを記憶していて……でも今は忘れてるんだよな?」
「結人くんが魔法少女のことを覚えてた期間は多分だけど、三年くらい。それだけの期間を覚えていられるのは……正直言って普通の人じゃできることじゃないんだ」
「じゃあ、どうして……?」
政宗は魔法少女のことを覚えていられる理由――それを結人に直接語るのが初めてだと気付き、それがこのタイミングであることに笑んでしまう。
そして、目の当たりにしてきた偉業を政宗は語る。
「魔法少女の記憶はね、強い想いがないと覚えていられないんだよ。結人くんは中学の頃に一度、リリィの姿をしたボクに出会って――それから高校一年生の春まで魔法少女マジカル☆リリィのことをずっと想って、記憶を維持してたんだ」
「……それってもの凄いことだよな? だって、忘れさせようとする魔法少女の性質に抗ったってことだろ?」
「そうだよ。四六時中想ってくれたから抗えた。そんな結人くんだから、ボクは好きになったんだよ」
政宗は落胆したトーンで語って目を伏せ、結人はその仕草と知らされた事実によって彼女が先ほどあれだけ取り乱した理由を理解した。
かつて魔法少女の記憶によって強い想いが証明され、政宗は恋に落ちた。
ならば、魔法少女の記憶を失ったことは何を証明するのか――?
事故によって眠っていた期間、記憶が維持できなかったから仕方がないのかも知れない。夢は断続的なものであり、見ていない時間もある。
ならば不運な事故の副産物として解決される一件であるかのように思われ――しかし、結人は意を決した表情を浮かべて口を開く。
「大体の事情は分かったよ。確かに俺はリリィの記憶を失くした。どうして忘れるのか、その仕組みも分かった。なら俺はその上で弁解をしなくちゃならないみたいだ」
「弁解……? 何を言ってるの? リリィのことを忘れた事実に言い訳なんてないでしょ!?」
八つ当たりであることを自覚しながら、押さえられない苛立ちを再び露わにする政宗だったが、
「――いいや、あるんだ」
結人はピシャリと政宗の言葉を遮った。
そして――彼の内にある事情は語られる。
「正直、これを語ったところで政宗の気持ちが和らぐのか俺には分からない。でも、俺はリリィの記憶を失くした理由を何となく理解してるんだ。だって、俺は事故で眠っていたあの時――」