第十六話「魔法少女の姿はない」
(へぇ……。チョコを溶かして型に注ぐだけかと思ってたけど、そんな単純なものじゃないんだぁ……)
政宗は駅通りにある個人経営の小さな書店にてバレンタインを特集した雑誌を立ち読みしていた。
一月二十八日、放課後――政宗はバレンタインに結人へチョコを贈る決心をしたわけではなかったが、とりあえず情報を仕入れるべく書店へやってきていた。
政宗は音楽を聴くならCD派であるようにアナログに安心するタイプである。この時代ならば料理のレシピなどスマホのネット検索一つで簡単に閲覧できるのだが、そうと分かっていながらも実物を求めてしまうのだ。
というわけで帰り道、書店へと寄った……のだが、開かれた雑誌には視線を落とさず、周囲をきょろきょろ見回し挙動不審な政宗。
(この雑誌に決めたからさっさと買って帰りたいんだけど……やっぱりこういう女の子専用みたいな雑誌ってレジに持っていくの抵抗あるなぁ。これじゃあせっかく人目を気にして小さい書店に来た意味がないじゃない)
レジに持っていく決心が固まらないまま挙動不審を連発するため、店員から訝しげな視線を向けられて余計に動きづらくなる悪循環。
これも性同一性障害による不自由の一つ。しかし、こういった局面に陥る度に政宗は呪文のように頭の中で呟いてきた。
もう少し辛抱したら願いが叶うから、と――。
だが、そんな希望たる魔法はもう政宗を助けない。
(そっか……。例えばボクがこういう雑誌を気がねなく買ったりできる日は……もう来ないんだよね)
そんなことを考えると人目も気にせず泣きだしてしまいそうになり、政宗はギュッと目を閉じる。
結人のために願いを使ったことに後悔はないけれど、今の政宗はそれほど熱烈に助けたいと夢中になれた想いを失っている。なので、願いを失ったこと自体には少し理不尽を感じていた。
不自由に躓き、憤り、悔しさで泣きそうになる。そんな感情のうねりの中にあって、政宗は周囲への警戒が解けており――、
「おや、政宗くんじゃないか。どうしたんだい――って、なるほど。そういうことか」
「しゅ、修司くん!? どうしてここに……?」
突如、声をかけられて体をビクつかせる。気付けば修司が隣に立って開かれた雑誌を覗き、納得したように頷いていた。
「どうしてって……そりゃあ、本を買いに来たんだけど」
「そ、そうだよね……。でも、いきなり隣にいるからビックリしたよ」
「それは申し訳なかったね。しかし、こんな所で会うなんて偶然だね」
「まぁ、一緒に帰る約束してないと放課後はみんなバラバラだもんね」
修司と政宗は同じクラスだが、毎日一緒に下校するわけではない。彼は瑠璃や結人と違ってクラスの人気者であるため、いくつもグループがあるのだ。
「修司くんのことだし、もしかして参考書とか問題集を買いに来たの?」
「いや、そういった類のものは買わないよ。学校から教科書を配られてるじゃないか」
「頭が良い人は言うことが違うなぁ……。じゃあ、小説でも買いに来たとか?」
「そんな感じだね。まぁ、小説といってもお堅い純文学とかじゃなくて、ライトノベルなんだけど」
「ライトノベル……って、結人くんの部屋にあったやつかな? 漫画みたいな可愛い絵が表紙の小説でしょ?」
「そうそう。チェックしてない魔法少女もののライトノベルが発売されたって聞いて探しにきたんだよ」
そして修司はお目当ての物をすでに見つけていたようで、一冊の文庫本を手にしていた。
可愛らしく、繊細なタッチで描かれた宝飾品のような絵柄。表紙を見るだけでも購買意欲をそそられるイラストは魔法少女を描いたものであり――偶然にもその色合いはピンクと白を基調としたもの。
そのため政宗はポツリと、
「……なんだかリリィみたい」
と呟き、修司は少し首を傾げて、
「リリィ? この子ってそんな名前なのかな……?」
本をパラパラと開いて表紙の魔法少女の名前を確認し始める。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと似たキャラクターを見たことがあっただけで、その子のことは知らないよ!」
「そういうことかい。まだ一巻しか出てないし、僕もチェックしてなかった作品を政宗くんが知ってたら驚きだもんね」
リリィのことを忘れている修司の反応に慌てて繕い、何とか説明をつけた政宗。愛想笑いで誤魔化しながら、政宗は改めて表紙を飾っている魔法少女のイラストを見つめる。
(ボクは願いで女の子になれなくなっただけじゃなくて……リリィとしての顔も失ってる。それって結人くんからしたらガッカリなことじゃないのかな? 元々はリリィを好きになってくれたんだもん。告白だけじゃなくて、リリィがもういないことでも傷付けちゃいそう)
政宗は自分の失ったものを改めて自覚し、軽くへこんでしまう。
結人に秘密を告白することで彼に押し寄せる現実。
それは政宗が思っている以上の衝撃なのかも知れない。
魔法少女と願いの成就、二つのアプローチで女の子としての姿へアクセスできた政宗が今や男の身一つしか持たないことは――結人にどう響くのか?
それでも好きだと言えるのか。
それは結人に与えられた――想いをはかる試験のようで。
自分を結人という篩にかける政宗にとっての試練でもあった。
政宗は肩を落とし、深く息を吐く。
(……うーん、最近はずっと似たようなことを考え続けてる気がする。気楽にっていうのは無理だけど……もう少し力を抜こう)
最近の政宗は随分と感傷的で、ちょっとしたことで色々と思考を巡らせて悩んでしまう。つねに頭の中には考えるべきことがいっぱいで、そしてそれぞれを考え過ぎる。
――例えば、雑誌をレジに通す店員の気持ちまで。
政宗は開いていたバレンタイン特集の雑誌を閉じて小脇に抱え、
「修司くん、その本ってどこにあったの? ボクも買って結人くんへのお土産にしようかな」
「ナイスアイデアだね。こっちだよ」
修司に連れられてライトノベルコーナーへ向かい、同じ文庫本を雑誌に重ねてレジへと持っていく。そして――、
「入院してると退屈だろうし、こういう暇潰しがあるときっと助かるよね」
「だろうね。きっと喜ばれるんじゃないかな」
何気ない会話を挟むことで政宗の抵抗はあっさり取り払われた。
書店員が会計を行っている間際。政宗は書店の入り口、その窓ガラスから望む街の風景を何となく見つめる。
連なるビル、そして分厚い雲が敷き詰められた空。
そこに政宗は魔法少女の姿を求めていた。
(この街にはもう魔法少女なんていない。……マジカル☆リリィはいないんだ)
そんなことをぼんやり考えていると書店員から声がかかる。それは文庫本にカバーをかけるかという質問であり、政宗は「お願いします」と答えた。
その要望に応え、書店員はライトノベルにブックカバーをかける。
表紙に描かれた魔法少女がブックカバーに包まれて見えなくなった。