第十二話「アイデンティティ」
「ねぇねぇ、佐渡山くんが意識取り戻したって本当なの?」
「よかったよねぇ。結構すごい事故だったみたいだけど、目が覚めたなら大丈夫なんでしょ?」
一月十一日、始業式――登校するや否や、政宗はいきなりクラスメイトから質問攻めに遭うこととなった。
交通事故によって意識不明の重体という情報だけ聞かされて冬休みに突入したため、瑠璃と修司以外の生徒は結人が今どのような状態なのか把握していない。
しかし、最新の情報を聞きつけたようで、結人と付き合っている人間として政宗に質問が向けられたのだった。
「もう命に別状はないみたいだよ。お医者さんの話だと驚異的な回復力らしくて、どんどんと良くなってるみたい。三学期の間に退院できるんじゃないかな」
問いかけてくる生徒に政宗は説明し、「よかったね」と祝福の言葉をもらった。
政宗は微笑みを返し、ホームルームまでの時間を過ごすべく結人のクラスへと向かう。目的も意味も、以前とは違っていることに目を瞑りながら。
教室に入ると瑠璃の隣、結人の席に修司が座っていた。
ちなみに今日まで何度か行われた席替えによって結人の席は転々としながら最近窓際に戻り、偶然にも隣に瑠璃がいる構図まで復活していた。
「おはよう、二人共」
軽く手を上げ、二人に挨拶しながら教室の中へ。
「おはよう、政宗。何だか最近は学校に来るのがいつもより少し遅いわね?」
「きっと佐渡山くんの電車の時間に合わせる必要がないからじゃないかな」
「えへへ、だから最近はギリギリまで寝ちゃってるんだよね」
恥ずかしそうに後ろ頭を掻く政宗。
修司は気を遣って結人の席を譲り、政宗は少し迷いながらそこへ座った。
「それにしても佐渡山くんは今も冬休み継続中って羨ましいわねぇ~。今もベッドでぐっすりって感じなのかしら?」
「こらこら、高嶺さん。それはちょっと不謹慎過ぎないかな」
「まぁ、結人くん自身もまだまだ冬休みが続くって気楽そうに言ってたけどね」
「なんだ、佐渡山くんにも自覚があるんじゃない。でも、自由に出歩きできないんだし、そんなに良いものじゃないないわよねぇ」
同情めいた口調で語る瑠璃に、政宗と修司の笑い声が重なる。
「でも、佐渡山くんが歩けるようになるのもそう遠くないんじゃないかな? 足の骨がくっつけばリハビリってことになるんだろうし、終わればきっと退院だよね」
「十二月の上旬に事故があったことを考えたら、骨の方もだいぶよくなってるのかな? もう結人くんが入院してから一か月近く経ってるんだもんね」
政宗は結人の回復力からメリッサが治癒魔法も行使していると推測していた。ならば、骨の回復も普通より早く、退院の時期は想像よりすぐなのかも知れない。
そう考えると政宗は胸が痛む気持ちになるのだった。
「佐渡山くんが退院したらきっと春休みも目前よ! 回復祝いも兼ねてどこかへ遊びに行きたいわね。泊まりで旅行とか!」
「それは高嶺さんが行きたいだけなんじゃないのかい?」
「何よ、智田くんは行きたくないのかしら?」
「もちろん、そんなことはないさ。同行させてもらうよ」
修司と瑠璃のやり取り。盛り上がりに反する気持ちを政宗は見つけていた。
政宗にとっても明るい話題ではあった。例えば去年の夏休み。まだ政宗が秘密を瑠璃に明かしていなかったため、とにかくイベントを企画しにくかった。
しかし、秘密を曝け出しきった今ならば――と政宗は希望に瞳を輝かせる。だが、自分の中にはまた話せない秘密があるのだと思い出し、心は曇っていく。
――恋心を失い、魔法少女ではなくなったこと。
それは結人にだけでなく、瑠璃と修司にも明かしていないのだ。
(でも、ボクと結人くんの関係がこっそり元に戻ればいいだけ。なら、無理に話す必要はないはずだよね……?)
今も二人は結人と政宗が互いを想い合っていると認識している。ならば、こっそりとそのイメージどおりの藤堂政宗に戻ってしまえばよく、陰で行われていた葛藤を知らせる必要などない。
わざわざ波風を立てる必要など、ない――。
いずれ自然消滅する一過性の嘘。もしかしたら、それは秘密とは言わないのかも知れない。
(少しだけ演技をして……そして、いつの間にかスッと溶け込む。それでいいんだよね。だとしたら瑠璃ちゃん達だけじゃなくて――結人くんに事実を知らせて傷付ける必要もないのかな?)
楽観的に捉え、軽い気持ちでいようとする政宗。
しかし――、
(嘘を吐いてる時点でボクは以前の藤堂政宗じゃない。求められる姿を演じている限り、秘密を貫く限り――本当のボクが理解されることはないんだ。そんなの、寂しすぎるよ)
誰にも理解されることなく、秘密を抱え孤独の海へ自重で沈む。それは結人と出会う以前の自分と同じで。
その孤独を強く自覚した途端、政宗は痛み分けとばかりに皆が抱えてくれたあの荷物が両肩へ一気に圧し掛かるのを感じた。
そして――、
「ま、政宗――!? どうしたのよ、あんた……泣いてるじゃない」
「……え? あれ、本当だ。えへへ……何でだろう?」
気付けば頬を涙が伝っており、政宗は不思議そうな表情でそれを拭う。しかし、簡単には止まってくれず、ぽろぽろと流れ出す。
瑠璃と修司はその現象に見覚えがあって、深刻そうな表情で顔を見合わせる。
十一月一日――クラブとカルネによって心に受けたダメージのせいで、政宗が時折見せるようになった反応の中に今のような――何気ないシチュエーションで突然泣きだしてしまうものがあった。
それは結人と一緒にいることで――そして、瑠璃や修司という友人に囲まれている事実で少しずつ乗り越え、顔を出さなくなっていた。
しかし、こうしてトラウマは再び顔を見せた。
瑠璃と修司はそれぞれに解釈すると顔を見合わせて頷く。
「大丈夫よ、政宗。きっと佐渡山くんのことを思い詰めて不安だったのね。なら今日の放課後は佐渡山くんのお見舞いってことで病院に行きましょうか」
「それがいいね。僕と高嶺さんは前回佐渡山くんの顔を見てから少し間が空いているし」
優しげな口調で政宗の恐怖心を和らげる話題として結人の存在を絡めた二人。政宗は無理に笑みを浮かべて、
「そうだね。結人くんと会えば元気が出るかも」
――と、求められているであろう答えを口にした。
しかし、一方で政宗は明確に理解してしまった。
(ボクは以前の藤堂政宗のまま、二人の前にいたいんだ。誰に対してもそう。今までどおりの顔をしていないと――今までどおりの関係でいられないかも知れないから)
じわじわと政宗の中に浮かびつつあった、捻じれ曲がった思考。
政宗は人格さえ形成していた大切な感情を引き抜いたせいで、以前の自分を自身と同一視することができなくなっていた。
まるで分裂――もしくは分岐したように。
だからこそ、皆が認識する藤堂政宗のフリをして今までどおりの関係にすがる。自分の記憶が他人のように感じられる弊害は並大抵のことではなかったのだ。