第十一話「魔女の価値観」
今生の別れのような会話をしていたが……今思えばこうして同じアパートに私は変わらず住んでいるし、月に一度の魔法更新もあるから普通に会うんだよなぁ」
メリッサは小瓶を政宗にかざして、成長阻害の魔法を行使しながらぼやくような口調で言った。
一月十日、月曜日――冬休み最終日となる今日、政宗は少し戸惑いを感じながらメリッサの家を訪れていた。
「ねぇ、メリッサ。もう魔法少女じゃなくなったボクに成長阻害の魔法を使ってくれるのはどうしてなの?」
魔法が完了し、政宗は自分の額を不思議そうな表情でさすりながら問いかけた。
魔法少女の契約が完了したあの日――マナ回収によって気を失った政宗が目を覚ましたのは病院の待合室。
そこでメリッサから結人の運命を変えるための魔法が成功したことと合わせて、変わらずこれからも月に一度は訪ねてくるように言われていたのだ。
「正直、もらってラッキーなものなんだから黙って受け取っておけばいいと思うが……」
政宗の問いにメリッサはめんどくさそうな表情で返した。
「でも、魔法少女をする上での前金だったはずでしょ? ボクもう魔法少女じゃないよ?」
「そんなに気にすることか? もっと気楽に生きるべきだと思うがなぁ」
「とはいえ、気になって仕方ないよ。ちゃんと教えて!」
「……うーん、言ったら納得するのか?」
「納得する」
二つ返事な政宗にメリッサはだるげに嘆息。表情を真剣なものへ切り替え、人差し指を立てると――、
「じゃあ、はっきり言おう……あれは前金ではないっ!」
「――えぇ!? 前金じゃないの!?」
キッパリと言い放ったメリッサに政宗は体をビクつかせて驚く。
前金でないなら何なのか。その説明を待つ政宗だったが、メリッサは説明責任を果たしたと思っているようでそれ以上の言葉はなかった。
冷蔵庫を指差し、政宗にビールを取ってくるように指示。政宗はずらりと並ぶビールの一つを取ってメリッサに手渡した。
いつもの上下グレーのスウェットに缶ビールというスタイルの完成。
しかし、今日はいつもと違う部分があった。
「……あれ、いつもとビールの銘柄が違くない?」
「流石に気付いたか。正月だからな。発泡酒ではなく生ビールなのだ。実は瑠璃ちゃんが大晦日に執事のような人間と一緒に来て一ケース差し入れてくれたんだよ」
「そうなんだ? よかったね、メリッサ!」
カルネの一件で尽力したにもかかわらず、魔法の国のペナルティで金銭的な制裁を受けたメリッサへ瑠璃からの計らい。
政宗は立場上、きちんと瑠璃にお礼を言わなければと思った。
「それにしてもお酒を飲める年齢じゃないから分からないんだけど、生ビールと発泡酒ってどう違うの?」
「ズワイガニとカニカマくらい違う」
「別物じゃない! ……知らなかった、同じビールじゃないんだ」
「まぁ、私はカニなんて高級食材を食べたことはないんだがな。まぁ、でもだいたいそれくらいの差なんじゃないか?」
適当なことを言いながら缶ビールを開けて中身を一気に喉へ。いつにも増して堪らないといった顔でそののど越しを楽しみ、「くぅ~!」と声を漏らす。
「最高だなぁ! ……しかし、この生ビールというヤツは贅沢品。舌が覚えてしまうと発泡酒に戻れるかどうか……!」
「ごめん、そこまでその話は引っ張らなくていいから。でさ、前金じゃないって部分をもう少し説明してよ」
「さっきので納得する約束だろう。……それに、せっかくの正月で奮発したんだ。この感動をもう少し語らせてくれ」
「メリッサ、そもそもお正月は終わってるんだけど」
「何だと!? あー、言われてみれば正月の特番が終わっていつもの番組表になってた気がする!」
冗談ではなく本当にまだ正月気分だったようで、冷や水を浴びせられたように驚くメリッサ。
そんな彼女を前にして政宗は呆れるよりも先に――、
(魔法少女じゃなくなったら関係が終わるのかと思ってたけど、こうして話はできるし、いつもどおりのメリッサに会える。何だかホッとしたかも)
嬉しそうに表情を緩ませていた。
政宗にとってメリッサは常に秘密を共有し、唯一本心を曝け出せるので独特の安心感が伴う相手だった。
「――で、前金じゃないってどういうことなの? 自分のマナを貯めてボクに魔法を使ってくれてることや、結局マジカロッドのマナを全部使わせてくれたこともそうだけど……メリッサってボクを魔法少女にして損しかしてなくない?」
口にしていて迷惑をかけっぱなしであることを自覚し、政宗は少し凹みながら問いかけた。
一方メリッサは回答する気がないのか床に転がっていたスーパーの袋から買っておいたあたりめを取り出し、頬擦りして幸せそうな表情。
彼女が素ビールでないのはかなり珍しかった。
「見ろ、政宗! 生ビールに乾き物のつまみ! 普段ならしない贅沢だが……正月だからな!」
「……メリッサ、わざと話を逸らしてない? あとお正月は終わったから」
「何だと!? お正月はもう終わったのか! 言われてみればテレビ欄に『新春』の文字が躍らなくなった気がしていたが……そういうことだったか!」
「どう考えてもわざとやってるでしょ! ちゃんと話を聞いて!」
政宗の咎めるように強い口調に、メリッサは母親に叱られたかのようにしゅんとして唇を尖らせる。そして仕方ないとばかりに深く息を吐き、頬を掻いて政宗から視線を逸らしつつ語る。
「……まぁ、簡単に言えばアレだ。成長阻害は私がお前の境遇に同情したからやっていたこと。だが、それを言えばお前は遠慮しそうだから黙っていた。それだけだ」
「じゃあ、他の魔女は前金みたいなことはしないってこと? ボクが特別だったの?」
「わざわざ願いの他にも魔法を使ってやるような真似は私しかしないだろう」
「え、じゃあ採算度外視でボクを魔法少女にしてくれてたの? しかも同情って……そこまでして、メリッサはどう得したの?」
痛い所を突かまくったようでメリッサは「ぐぬぬ」と表情を歪ませる。口を缶ビールとあたりめで塞ぎ――しかし、政宗が追求の視線をやめないため、渋々語り始める。
「政宗、お前はもう結人くんに明かしたのか? 自分が恋心を失っていることを。彼はもう目覚めているんだろう?」
「それは……まだなんだ。意識が戻ったばかりの結人くんにそれを告げるのはちょっと抵抗があって……――って、それが何の関係があるの!?」
「関係はあるとも。私が得をするか、それとも損をするのか。それはお前と結人くんの行く末が関係しているんだからな」
「……ボクと結人くんの行く末? それってつまり……元の関係に戻れるかってことだよね?」
政宗は途端に表情を曇らせ、俯いてしまう。
(……そうだ、メリッサと契約を完了する時に約束したんだ。ボクが幸せになることでメリッサは気が楽になるって。なら、メリッサはボクの幸せこそが得だっていうの? なら、そんなの――)
――ただのお人よしじゃないか、と政宗は思う。
そして、それは正解なのだが、メリッサは自分がお人よしであることだけは何が何でも隠そうとするので確証には至らない。だが、現状語るに落ちているようなもの。
(つまり、メリッサはボクと結人くんが元の関係に戻ることで今日までの尽力が報われるんだ。……じゃあ、ボクはやっぱりどうあっても結人くんのことを好きにならなきゃいけないんだね)
メリッサに望まれては頑張らないわけにはいかない。
そう思う、政宗だけれど――。
結人への罪悪感で恋人の関係を偽り続け、メリッサへの恩義に応えるため心から望めない幸せを追わなければならない。
恋心が抜け落ちただけで過去に自分があれだけ渇望したものへ義務感が伴っていく。
(ボクは変わった。あの時のボクじゃない。でも、望まれている藤堂政宗に戻らなきゃならない。戻った方がいいのは分かる。でも……心は動かないんだ! ……何だか、一人だけこの世界から置いていかれている気がするよ)
秘密を共有できるメリッサと一緒にある空間、温かい場所。
そんな中にあって寒空の下、身を縮めて震えるような気持ちがあることを見つけ、政宗はじわじわと自分が置かれた状況――そして、芽生えた苦しみを理解し始めていた。