第十話「仮面という名の仮面」
「もうすぐ冬休みも終わるんだよなぁ。俺はまだまだ入院してなきゃいけないからしばらく冬休みだけど」
結人はベッドのリクライニングを起こし、窓の外の風景へ視線を預けながら言った。窓の向こうではどんよりした雲が空を埋め尽くし、雪がひらひらと舞い降りる。
あれから時は流れ一月八日――都市の変わり目あたりから結人の回復はめざましいものとなり、豊かな表情を伴って自由に会話ができるほどになっていた。
医師からも奇跡的な回復だと言われており、もしかすると余ったマナでメリッサが回復力を高める魔法を使用したのかも知れなかった。
そんな結人の傍ら、パイプ椅子に腰を下ろして林檎の皮を剥く政宗。慣れた手つきで器用に皮を繋げたまま剥いていた。
「もうすぐ学校だと思うとちょっと憂鬱。このまま春までお休みが続いて欲しいな」
「雪が降ると尚更寒いから登校するのも辛いよな」
「ホント……冬って毎年寒いよね。これが夏になったら冷房つけたくなるくらい暑くなるって信じられないよ」
「あ、ほら。冬になったら逆のこと言ってるって夏に話してたよな。本当になったじゃないか」
「あ! 言われてみればそうだね。あはは、予想的中だ」
互いに笑い声を上げ、笑顔を向け合う光景――そこに偽りの感情はなく、政宗も心から会話を楽しんでいた。
政宗は剥き終えたリンゴをカットして皿に盛り、その一つに爪楊枝を刺して結人の口元へ運ぶ。
ちなみに結人は体に複数の骨折があるが、腕一本はほぼ無傷であるため自分で林檎を口へ運ぶことは可能。しかし、政宗はまるで恋人のそれであるかのように振る舞い、結人も少し恥ずかしそうにしながら差し出されたリンゴにかぶりついた。
細やかな幸せを感じさせる光景。
――しかし、政宗の中では罪悪感が疼く。
結人が意識を取り戻してから政宗は何度もこうしてお見舞いにやってきていた。どこか義務感を伴った感覚があり――言い方を換えれば贖罪だった。
「そういえばさ、母さんに頼んで持ってきてもらったんだけど……って、届かないや。政宗、そこの新聞取ってくれるか?」
「新聞? ……あ、これのことかな?」
窓際に設置された机の上、花瓶の脇に置かれた新聞を政宗は結人に手渡す。すると結人は片手で少しやりづらそうに新聞を捲り、目的の記事を見つけ出す。
「ほら、見てくれよ。これ、俺が事故に遭った後の新聞なんだけどさ。俺のことが載ってるんだよ。ちょっとすごくないか?」
「結人くん……もしかして、そのために新聞を持ってきてもらったの?」
「自分に起きたことを他人事みたいに見られて面白いなと思ってさ。母さんには被害者がそんなのを面白がるなって怒られたんだけどな」
「そ、それはお母さんが正しいよぉ……」
悪戯小僧のような表情で自分の記事を楽しむ結人に、政宗は呆れた表情と嘆息を贈る。
結人は事件を事もなさげに受け止め、記事を見ているが――しかし、政宗は対照的にその事実を乗り越えられていなかった。
(……本当ならあの時に轢かれてるのはボクだったはずなんだ。結人くんが庇ってくれたからボクは生きているんであって、八波さんが狙ったのはボクだった)
実名報道されたカルネの本名。結人は事もなさげに「八波っていうんだな」と呟いていた。
憎きカルネの変身者ではあるが、法の下にきちんと断罪される運びとなったためもう何も感じていないのかも知れなかった。
(ボクはその事件をそんな軽くは受け止められないよ。結果として恋心を失ったこともそうだけど――君が盾になってくれたことにも罪悪感があるんだ)
だからこその贖罪――今日まで政宗は結人に対して償いの気持ちで、恋人のフリをしていた。
結人がこうして自由に会話ができるようになってからは、ときめくことのない心を感じながら手を重ね合い、そして空気を読んで口づけを交わしたこともあった。偽りの「好き」を何度も口にした。
それらは記憶をマニュアルに、凪いだ心が作業をこなすように、ただ淡々と――。
好きだという気持ちはないけれど、記憶に存在するからか恋人の演技に嫌悪感はなかった。ただ、燃え上がらない心が浮き彫りになるようで、物悲しくなるだけ。
(真実を告げるその日まではせめて、結人くんの望んだボクでいなくちゃ。それがボクにできる……償いなんだもんね)
政宗にはいつまでこんな嘘を繰り返すのか――そして、どのタイミングで真実を告げるのか、それらが全くもって検討がつかない状態だった。
しかし、今のような嘘を繰り返し、真実を遠ざけ続けることはそれほど悪くない気もしていた。
(心は動かないけど……でも、嘘をついて過ごす日々を今のところ維持できてる。償えてる実感で落ち着けてるのかな。なら、いつかボクは恋心を取り戻せる? 嘘も、本当に――?)
記憶の中の自分を再現するロールプレイング。
刺激なく、新鮮さもないモノトーンの拙い一人演技。
色褪せた思い出をいくら演じたところで燃え尽きた心に火が灯ることはなく――空虚には冷たい風がびゅうっと吹き抜けるだけだった。
☆
「それじゃあ、そろそろ帰るね。また来るから――それじゃあ」
見送る結人に手を振りながら笑みを返し、病室を出ると政宗は誰にも悟られぬようにホッと息を吐き出す。
そして、先ほどまで触れていた感覚を思い出して政宗は自分の唇を指でなぞり、動かない心を思った。
演技に伴う罪悪感が政宗の心に重く圧し掛かり、病室を出たことに伴う解放感がさらに苛む思いを加速させる。
(……いつか慣れるのかな? こうして罪悪感を中和する日々に何も感じなくなって、それが当たり前になったら――その時、ボクは結人くんを好きになってるってことなの?)
記憶にはあっても実感はない。
だがら、恋心のサンプルに持ち合わせがない。
なら、どういう気持ちを抱けば自分はそこへ帰れるのか――?
その指針がなく、答え合わせもできない。
(……とりあえず帰ろう。これ以上、天気が悪くならない内に)
そう思い政宗が廊下を歩き出そうとすると――、
「あら、政宗ちゃん。お見舞いに来てくれたのね!」
向かい側からやってきた結人の母親が政宗の存在に気付き、嬉しそうな表情で歩み寄ってくる。手には息子への差し入れと思わしき買い物袋を持っていた。
政宗は気まずい感情を抱きながら、人当たりの良さを急造する。
「こんにちは、結人くんのお母さん。さっきお見舞いを終えたところなんです」
「あら、そうだったのね! 助かるわ~。結人も年頃だから私がお見舞いに来ても喜ばないのよ」
「そ、そうですか……?」
「やっぱり政宗ちゃんじゃなきゃね」
柔和な笑みを浮かべる結人の母を前に、政宗は複雑な心境。
(ボクはこの人が笑顔でいてくれることを願った。そして、それは叶っていて。また会うことがあるのかなって不安にも思ったけど、こうして今一緒にいる。……なのに、何が違っているんだろう? 何が――間違っているんだろう?)
浮かない表情を避けて、政宗は笑みをさらに深める。
「それにしても結人くん、どんどん回復してるみたいで安心しました。一時はどうなることかと思いましたけど……」
「本当にそうよね。私も手術してから数日は不安でいっぱいだったけど、最近やっと安心できたわ」
「お医者さんは奇跡的な回復なんて言ってますもんね」
「そうなのよ~! これも実は政宗ちゃんのおかげだったりするのかも知れないわね!」
「……え、ボクの?」
結人の母親の何気ない一言に、政宗はそれ以上の言葉を失ってしまう。
政宗のおかげ――それは愛する人がいることで活力が溢れた、だとか精神的なことを指した言葉。
しかし、政宗には実際に自分の尽力によって結人を助け出した自覚と――そして、時間が止まった世界で結人の母に「助ける」と宣言した記憶がある。
だから、そのことを指して言われたように感じて、政宗は神妙にその言葉を受け止めてしまったのだ。
(ボクには今、助けたことに対する達成感がない。そこから捻じれた結人くんとの関係に罪悪感を感じて、償う日々を生きるばかりだから)
そして、政宗は結論を弾き出す。
(そっか……ボクはこんな形で結人くんのお母さんと対面しているのが恥ずかしいんだ。この人の前にいるべき藤堂政宗は――ボクじゃないから)
政宗はこのまま思考を繰り返せば外面を維持できなくなりそうだった。
「……すみません、雪が強くなる前に帰らないと。またお見舞いに来ますね」
「あら、そう? 気をつけて帰ってね」
優しく笑んで手を振る結人の母親に会釈をして政宗は病院の廊下を歩調を少し早めて歩み、外へ出る。
冷たい空気、舞い降りる雪。
寒さに震える体をギュッと抱いて、とぼとぼと地を踏んで歩いて行く。