第九話「そして時は動き出す」
「佐渡山くんが事故に遭ったって聞かされた時にはビックリしたけど……本当に無事でよかったわ。目が覚めたんならきっともう大丈夫よね?」
「まだ会話とかはできる状態じゃないと思うけど、それでも僕達を見たら表情で反応は示せるかも知れないよね」
大事に至らなかったため結人の入院についていつものトーンで話す修司と瑠璃。そんな二人を真似するように表情を作りながら、政宗は病院内を歩いていた。
十二月二十五日――結人が意識を取り戻した一報を受けて三人は面会すべく病院へやってきていた。集中治療室から出て、一般病棟に入院しているため親族でなくとも面会可能になっていたのだ。
あの日――結人の運命を変える魔法を行使した後になって瑠璃と修司は事故のことを知った。もう結人の命が助かることは確定していたため、政宗は命に別状はないらしいと報告することができた。
ちなみに、結人にかけられた魔法や、政宗の身に起きたことは話していない。
そして――代償として恋心を差し出した影響で政宗に変化が起きていた。
(十二月二十五日、ボクの誕生日。結人くんが目覚めてくれればそれがプレゼントだと願った記憶がある。ボクはそれほどに――結人くんのことが好きだったんだ?)
奇跡的なタイミングの合致を政宗は事もなさげに受け止めていた。
政宗は結人との思い出を全て覚えている。告白されたこと、身を挺した自分を守ってくれたこと、そして――恋心を差し出し、本当の願いを捨てて契約を終えたことも。
しかし、そんな記憶の全てが今は色を失い、モノクロになっている。実感が伴わず、結人に関する思い出の全てが他人事のように思えるのだ。
(何もかもをかなぐり捨てるほど結人くんを好きだったなんて、今のボクにはまったくピンとこないや。命が無事だったのは嬉しいけど、本当はもっと喜んでるはずなんだよね。なのに、心が動かない)
胸に手を当て、平常運転する鼓動を確かめて憂鬱な気持ちになる政宗。彼女は契約完了から今日まで――結人と出会う前に戻ったような彩りのない心で生活してきた。
だからといって、何も感じないわけではない。ただ、胸の中にあったはずの気持ちがぽっかり抜け落ちて、その空虚に風が吹き抜けるのが悲しかった。
「それにしても佐渡山くん、二週間以上も眠ってたのよね? ずっと政宗に会えなくて寂しかったんじゃないかしら?」
「顔を見せてあげるときっと喜ぶだろうね。政宗くんも集中治療室に入ってる間は会えなかっただろうし、久しぶりだよね」
「う、うん……。会うのが楽しみかな。回復に向かってるなら安心して会えるし」
無理に笑みを作り、気持ちを失う前の自分を想像して声を弾ませた政宗。記憶に存在している幸福だった自分を政宗はイメージできなくなっていたのだ。
(こんなに気持ちが動かないのに――実感がないのに、ボクは記憶にあるような日々を取り戻せるの? ……そもそも、取り戻さなくちゃいけないの?)
――もう一度、佐渡山結人を好きになる。
それは自分の知らない藤堂政宗が――魔法少女マジカル☆リリィが、約束したこと。だから政宗は思ってしまう。そんなバトンを託されて、動かない心が再燃することを期待されても困ると。
そして予感があった。
(……記憶の中にある結人くんに対してこうもトキメキを感じないんだ。きっと、思い出と同じように彼から想いを告げられても――ボクの心はきっと動かない)
政宗は修司と瑠璃の目を盗むと小休止のよう表情から感情を抜き、リノリウムの床に視線を落としながら歩んで――結人の病室を目指した。
☆
「あら、元気そうね! 今日はこの瑠璃サンタ様が政宗をプレゼントに連れてきてあげたから感謝しなさい!」
病室へと入ると瑠璃は結人が事故で入院しているのを忘れたかのように振る舞った。
ベッドの上、人工呼吸器を取り付けられ頭には包帯、そして両手両足を骨折しているためギプスで固定されている結人は薄っすらと目を開き、ハイテンションな瑠璃の来訪を迎えた。
病院に漂うネガティブ、そして神妙な雰囲気を吹き飛ばす瑠璃の言葉に結人は目元で少しだけ笑みを示す。言葉はまだ話せないが、表情による意思疎通は可能だった。
瑠璃と修司がベッドの脇へと歩んでいき、遅れて政宗がついていく。
「意識はしっかりあるみたいだね。心配してたけど、大丈夫そうだ」
修司は手を振って結人の注意を誘い、きょろきょろと動く視線に安堵の表情を浮かべた。
そんな二人のやり取りを一歩引いた場所で見つめている政宗。
(こうして結人くんが無事だったのは嬉しいこと。……なのに、素直に喜ぶ気持ちが浮かんでこないのはどうしてなんだろう? 気持ちを失って彼のことがどうでもよくなってる? ……いや、多分そうじゃないと思う)
胸の前で手を握りしめ、不安そうに横たわる結人を見つめる。すると、そんな様子に気付いた瑠璃は手招きをする。
「こらこら、メインディッシュがそんなところで何やってんのよ。あんたが一番の特効薬なんだから顔を見せてあげなさい」
「料理かと思ったら薬だったり、政宗くんも忙しいね」
「細かいこと指摘しなくていいのよ。ほら、佐渡山くんは起き上がれないんだから政宗がこっちに来なさいよ」
「……う、うん。そうするべきだよね」
政宗は気が進まないまま結人の固定された視界に姿が入る位置へ歩んでいく。そして、恐る恐るといった感じで結人の顔を覗き込む。
強張った政宗の表情――それは結人からすれば病床に貼りつけられた恋人への心配として映る。だがらか、結人は目をギュッと閉じて可能な限り笑みを浮かべる。
誰かの持ち物のような表情を向けられ、政宗は無性に悲しい気持ちを抱く。しかし、それを悟らせまいと堪え――無理に笑顔を返す。
――それが精一杯。とはいえ、結人とこうして向き合ってみると意外な心の変化があった。
(結人くんがこうして無事だったこと……それは間近で確かめてみると安心する。よかったって思える。別にボクは安否がどうでもよかったわけじゃないみたい)
心の中でホッと胸を撫で下ろす政宗。
しかし――なら、どうして自分の心は鬱屈としているのか。その理由も分かってしまったため、政宗の心は晴れることがない。
(ボクが抱いてる感情……それは、罪悪感なんだね。こうしてボクの姿を見て安心すること、嬉しくなること。そんな結人くんの気持ちに同じ熱量を返せない申し訳なさがボクの心にもたれてるんだ)
だから、どんな感情にも罪悪感が入り混じって純粋なものにならない。影のように、どこへでも付きまとって離れない。
決して政宗は罪を犯したわけではない。結人を救うための代償を払って失った恋心、その空虚に罪を感じる必要はない――のだが、
(結人くんは今でも心が通い合ってると思ってる。その状態が続けば続くほど僕は罪を重ねていく気持ちになるんだ。ボクが恋心を失っていること――その秘密を隠し、平静を装って結人くんの前に現れているから)
結人を助けるのに必死で、あの時の政宗とリリィは考えなかった。
助けた結果に罪悪感がつきまとうなんて。
何でも秘密を預けられた結人に対して、奇しくも――隠し事をする結果になるなんて。
(ボクはいつか秘密を明かして結人くんを傷付けなきゃいけない。恋心を失ってるって言わなきゃいけない。ボクが失った全てを、話さなきゃならない。……でも、それは今じゃないよね? 意識を取り戻したとはいえ、弱ってる今の結人くんに聞かせることじゃ、ないよね?)
しばらくは秘密を抱え――結人の知ってる藤堂政宗を演じる。
せめて、体が回復して退院するまで――この秘密は明かせない。
全てを失った政宗が再生していく物語――そんな未来をリリィとメリッサは願った。しかし、思いもよらない方向に芽を出した罪悪感が少しずつ育ち、あらぬ方向へ政宗を導こうとしていた。