第八話「優しい魔女、メリッサ」
「これで魔法少女マジカル☆リリィが最初に願った『女の子の体になりたい』は『佐渡山結人の死の運命を回避したい』に変更された。……あとは私が魔法を行使すればお前の願いは叶うことになるな」
時間は停止したまま、集中治療室の入り口にて。メリッサは契約書の内容を書き換え、契約の最終段階手前まで段取りを進めた。
契約書――それはリリィのマジカロッドから展開される、魔法によって交わされた魔女と魔法少女の関係を示すもの。
マナと同じ質の光によって羅列された文字が宙に浮かび、それをタッチパネルのように指先で操作して、メリッサは契約内容を変更。
浮かない表情を浮かべながら――しかし、決心を固めたリリィの面持ちにメリッサは黙って願いの変更を聞き入れた。
「これで魔法少女じゃなくなるんだね。もうリリィに変身することがなくなるんだと思うと……それもちょっと寂しいかも」
「普通なら願いが叶うことを喜び、あまりそういった感傷には浸らない。今までの魔法少女はそうだったんだが……お前はケースが違うからな」
「今までメリッサが契約してきた魔法少女はみんな幸せそうな顔をしてた?」
「……そうだな。私はその顔を見届けることで契約が終わったと実感する。今のこの状況、魔女としてやり切ったとは思えないな」
メリッサはリリィから受け取ったマジカロッドをギュッと握りしめ、やりきれなさにゆっくりと瞼を閉じる。
「本当ならボクも自分の望んだ体になって、メリッサにありがとうって言うはずだったんだけど。こんな形で契約が終わるのは確かにちょっと後味悪いよね」
「……とはいえ、お前にとってこれが最も叶えたい願いであることには変わりないんだろう?」
「うん、それは間違いないよ。前にも言ったけど、結人くんがいない世界で女の子になれたってボクは幸せにはなれない。でも、結人くんと一緒だったら――今のままでも悪くないって思えるから」
「なら、必ず幸せになってくれ。願いを叶えたとして、二人には困難が待ち受けているだろう。だけど――必ず」
尖がり帽子を深く被って表情を隠し、メリッサは求めるような強い言葉で言った。リリィはそんなメリッサの隠した表情を察したのか、穏やかに笑む。
「ボク、メリッサに出会えて本当によかった。魔法少女にしてくれたことや、ボクを担当する魔女だったこともそうだけど……一人の人間としても、出会えてよかったって思うよ」
「私だって同じだとも。お前が魔法少女をやってくれたことはマナ回収という利害など抜きにして私にとって嬉しいことだった。お前が友達を得て、恋人に恵まれて……生まれながらに持たない人並みを取り戻していくのが自分のことのように嬉しかったんだ」
「なら、ボクはメリッサを悲しませないようにしなくちゃね。願いは形を変えて、想いは失うけど――それでも、ボクは必ず全部を取り戻して幸せになる」
「……あぁ、約束してくれ。この願いが成就した先でお前が笑っているならば――政宗を幸福にするための魔法が使えなかったことへの後悔はきっと紛れるはずだから」
メリッサはそう語って、リリィの身をギュッと抱いた。
この場所に――この瞬間に自分が契約した魔法少女マジカル☆リリィが存在していたと、深く記憶に刻むようにして。
リリィはその抱擁を受け、目を閉じて身を預けながら――いよいよその時が来るのだと悟った。
メリッサは抱擁を解いてリリィから離れると、指を弾いて魔法を行使。それは時間停止魔法であり、時間停止の支配権はリリィからメリッサへ移った。引継ぎを確認してリリィは変身を解除し、藤堂政宗へと戻る。
メリッサは政宗の額にマナを封じ込める小瓶をかざし――、
「それじゃあ、今からお前の内にある結人くんへの想いを回収する。これは魔法の国の規約に基づいて本人からの同意が必要だ。政宗、マナ回収を許可するか?」
政宗へと最後の選択肢を提示する。その言葉に政宗は迷いなくメリッサと視線を結び、
「うん、許可するよ。ボクの恋心を――マナとして回収することを」
――意思を表明して頷いた。
その許可をもってメリッサは政宗の中にある恋心を取り出す権利を得たことになり、結人を救い出すために必要な全ての手順はクリアされた。
あとはメリッサの行動一つで政宗の中にある感情は引き抜かれ、魔女の手中でマナへと変わる。
今日まで必死に頑張ってきた魔法少女を労うのに相応しい態度として、メリッサは精一杯の微笑を湛えた。
「これをもって魔法少女の契約を完了する。――今まで、よく頑張ったな」
「結局、メリッサのお世話になりっぱなしだったね。でも、これが最後かな。だからメリッサ、結人くんをお願いね!」
ギュッと目を閉じて笑んだ政宗。
メリッサ下唇をギュッと噛み、かざした手の平から許可を受けた感情をマナとして回収。政宗の感情は取り出され、それはメリッサへと託された。
マジカル☆リリィを思わせる白味を含んだ桃色に輝くマナが政宗から溢れ出し、親指に挟んでかざした手の中にある小瓶へと吸い込まれていく。
今日まで積み重ねた全てを代償にして――運命を変えるための魔法、それを起動する準備が整った。
◎
「結人くん、たった今政宗から君への想いを預かってきた。もの凄い量だ。そして、とても温かい。マナには温度なんてないはずなんだが、私にはそう感じるんだ」
メリッサは回収を終え、政宗の想いの全てを閉じ込めた瓶を結人へ見せるようにかざした。
政宗が抱いていた想いの強さ、その具現。できることならば結人に見せてやりたいとメリッサは思う。
(君はこれだけ想われている。これほどの想いで救われるのだと――知ることもなく目覚めるのか)
メリッサはとんがり帽子のツバを掴もうと手を上げ――しかし、だらんと下した。
(私は涙脆く、弱い魔女だ。すぐ誰かの感情に共振して心が揺さぶられる。……しかし、もうこの止まった世界で――私を見る者はいないのだったな)
魔女メリッサ――彼女は魔法少女の契約を行う相手に、ある一定の条件を求める。
そもそも魔女は自分の趣味趣向や、利害などで契約相手を選ぶ。ジギタリスが安上がりで済む相手を選ぶように、その条件はメリッサにも存在するのだが……彼女の基準はあまりにシンプルで、そして血の通ったもの。
それは――魔法でなければ覆せない不幸を抱えている者、である。
誰かの悲しみに寄り添い、共感や同情ですぐ感情を揺さぶられるメリッサという魔女は端的に言ってお人よしなのである。
魔法は救われるべき者のために使うという持論を持ち、時には契約以上に誰かと関わり、尽力することもある。
例えば――政宗の成長阻害にマナを注ぎ込んでいたように。
(……長生きな魔女は人間と価値観が違う。金が欲しい魔女だっているが、私は誰か一人でも救えたんだという実感を欲しがって魔法を売り歩く変わり者だ。だから、きちんとした報酬もなく魔法を持ち逃げするような真似は許さないぞ)
今にも泣きだしそうなメリッサは何度も目をギュッと閉じては感情を律し、結人へと視線を落とし――そして意を決した表情で頷いた。
「本当に君達は傷付いてばかりだ。痛い目をみないと終われないのか。……でも、悲しみは終わりにしよう」
メリッサは魔女側から展開できる政宗との契約書――マナで書かれた宙に浮かぶ文字を展開し、リリィの契約を完了させる。
すると瓶とは逆の手に握られていたマジカロッドから今日まで回収したマナが溢れ出し、メリッサはそれを手振りで指揮するようにコントロール。
続いて瓶のキャップを開くと政宗の閉じ込められた想いも溢れ出し、大量のマナは広がり――そして、それらはメリッサが弾いた指の音に呼応して結人の体の上で魔法陣を形成する。
――最高位とされる魔法、運命への干渉。
メリッサは目を閉じて己を集中状態へと持っていき、その高度な魔法をコントロールしていく。練り上がった魔術は術者の合図一つで行使される待機状態となり、メリッサはゆっくりと目を開いて結人を見る。
「君達に相応しいハッピーエンドへ、どうか辿り着いてくれ。そうでないと何もかもが報われないじゃないか。あの子には君しかいないんだ。だから――政宗を頼む」
政宗から託された想いに答えて魔法を行使したメリッサは、そのバトンを結人に引き継ぐ。
彼女から引き抜いた想いを再び政宗へと届けてくれれば、と――そんなことを考えながらメリッサは待機状態となっていた魔法を起動させる。
魔法陣は眩い光を放って結人の体に干渉。
その強烈な眩さに目を細めながらメリッサは思う。
(目覚めたら君達はどんなやり取りをするんだろう? どれくらい気持ちのすれ違いがあるのだろう? 予想もつかないけれど、いつか二人で揃って私の前に。それだけを――それだけを願うよ)
メリッサは細やかな「願い」を抱いて――魔法の行使を完了させる。
佐渡山結人が突き進んでいた死の運命は舵を切り、その命は再び遠い生命の果てを目指して歩き始めた。