第一話「結んだ手はまた離れていく」
(……どうしてこんなことになるんだろう? どうして不幸は繰り返すんだろう?)
政宗は病院内の椅子に腰かけ、虚ろな瞳を床に落として呪文のように繰り返す。
あれから――政宗は慌てながら救急車を呼び、同時にその場にいた人達が事件の犯人である八波を取り押さえて警察にも連絡が行われた。
そして佐渡山家にも電話し、結人がこれから救急車で搬送されることを彼の母親に伝えると救急車に同乗して政宗は一足先に病院へ。
搬送する車内で人工呼吸器を取り付けられ、処置が行われていく結人の姿に重篤さを見せつけられた気持ちになり、政宗は勝機を保つのに必死だった。
そして辿り着いた急患に運び込まれると結人は処置室へ。彼の様子を近くで見守ることもできなくなり、今のように椅子へ腰掛けて医師からの報告を待つ状況になった。
(結人くん、まったく意識がなかった。救急隊員の呼びかけにもまったく反応してなかったし……もしかして危ない状態なのかな?)
医学の知識などない政宗の想像はどこまでも飛躍する。救急隊員、そして医師の言葉や行動の全てが重篤な患者への対応に思えてならなかった。
(それにものすごい出血の量。どうなるんだろう……結人くん、どうなっちゃうんだろう?)
祈るように手を重ね、首を垂れて目に涙を滲ませる政宗。
そんな時、リノリウムを小刻みに踏む音が響き渡り、政宗は反応する。血相を欠いた表情でこちらへ歩み寄ってくる結人の母親、そして政宗は会ったことがない父親の姿があった。
「結人は……結人はどうなってるの?」
「今、治療が行われてるみたいで……ボクにもどうなってるのか詳細は分かりません」
息を切らした母親は政宗の隣に座り、胸に手を当てて呼吸を整える。
互いが状況も分からないまま心配するしかない心境を抱え、それはしばらく続いた。
やがて、結人の容態に関する検査が終わったらしく、結人の両親は医師から別室へ呼び出されて治療に関する説明。
意識不明の重体である結人。頭部を強く打ったらしく、緊急で開頭手術の必要があると言われ、両親は手術に関する同意書への署名を求められた。
それら一切の手続きを終え、状況を聞かされた政宗は愕然とする。緊迫したこの状況で「手術」という言葉の響きはあまりに重いのだ。
危険な状況にしか出てこないその言葉に政宗は血の気が引く思いだったが、そんな彼女を支えるように結人の母は隣に座ってその身を抱き寄せた。
伝わってくる体温に政宗は涙が溢れるのを止められず、結人の母は安心させるべくギュッと目を閉じて自分が泣くことは堪えていた。
不安に震え、恐怖心で心が砕けそうになる中――やがて結人の手術は開始され、政宗はドラマでしか見たことがなかった手術の完了をひたすら待つという辛い時間に向き合うこととなった。
成功か、失敗か――その答えが出るまでに途方もない時間を要し、待っている時間は不安感を抱くものに自由な思考を与える。
楽観的思考と、最悪の事態の想定を幾度となく繰り返し、政宗はどれだけ泣いて、どれほど震えていたか分からなかった。
結人の母はずっと政宗の手を握り、目線が合うとと「大丈夫よ」と力なく呟いて必死に気持ちを落ち着かせようとした。
その度、同じくらい――もしくはそれ以上に辛いはずの母親の気遣いが染み入り、政宗は胸が締め付けられる思いとなる。
そして――予定より長引く手術を経て、結人への処置は完了した。
まず手術が成功したことが言い渡され、安堵する一同。
しかし――予断を許さない状況に変わりはない。手術を終えたこの状況でも最悪の事態は十分起こり得ることを告げられ、政宗を煽り続ける恐怖は未だ残留することになった。
○
「今から集中治療室で結人と面会できるみたいなんだけど、身内じゃないと駄目なんだって。不安だとは思うけど、もう時間も時間だし……政宗ちゃんは帰った方がいいわ」
結人の母親は申し訳なさそうに語り、政宗は少しの間を置いて首肯した。
手術が終わった時点で時間は日付が変わるところだった。病院は駅通りから随分と離れた場所にあり、バスはすでに終了。帰る手段を思って結人の母親は大丈夫かと声をかけた。
父親に頼んで家まで送らせようかと母親が申し出たが、タクシーで帰ると遠慮して政宗は両親の前から去った。
しかし――政宗にそのまま帰宅するつもりなどなかった。
ふらりと覚束ない足取りで病院のトイレへと入ると、個室の中でリリィに変身。時間停止を駆使して人目を盗みながら病院内を歩み、やがて追いついた結人の両親を物陰から見つめる。
結人と面会する両親が集中治療室へ入っていく瞬間――その扉が開いたのを見計らってリリィは時間停止を行使。扉の向こうへ片足を踏み入れた両親はその場で動かなくなる。
リリィは時間停止を確認すると深呼吸し、覚悟を決めて集中治療室へと入っていく。魔法少女の力のおかげで――政宗は本来入れない場所への立ち入りを可能にしたのだ。
(……正直、手術が終わった結人くんの様子を見届けないと不安で帰れない。想像するしかないなんて、気が狂いそうだ)
とはいえ、リリィはその先にいるであろう結人の様子を見て安心することなどないと分かっていた。術後であるため意識は戻っておらず、命の危機に瀕してさえいるのだから当然といえる。
しかし、彼女には会う手段があって――なら、確かめないわけにはいかなかった。
(……覚悟しなきゃ。もしショックを受けて気絶するようなことがあっちゃいけない。変身が解除されたら厄介なことになる)
これは自分の中で妄想の力を借りて無限に大きくなる恐怖心を、大したことないと踏みつけるための確認行為。そして、愛しい者のすぐ近くにいられないもどかしさを殺すための自己満足。
リリィはゆっくりと歩み、恐怖心を煽られる医療機器から目を逸らして、結人を探した。
そして――手術を終えた結人とリリィは再会を果たした。
人工呼吸器を取り付けられ、あらゆる計器に接続された結人がベッドの上で眠っていた。開頭手術を行ったせいで頭部は包帯に包まれている。
彼の体には無数の管や配線、医療機器の数々。その一つ一つにリリィは瞳を震わせる。その全てが彼を生かすための役割を担っているのだと理解し、ひたすらに怖くなったのだ。
まるで外付けの臓器であるかのように感じられ、それだけのものを用意しなければ危険だという裏付けのように思えてくる。
それでも、予め覚悟していたためだろうか……リリィは過呼吸になり、破裂しそうな心臓の脈動を聞きながらも――ギリギリ、意識を保っていた。
(本当に……結人くんは回復するの? 良くなるの……?)
リリィは後ずさりをして――しかし、目を逸らせず結人の重篤な様子を見つめていた。
そして突如――リリィは急ごしらえの決心に突き動かされ、時の止まった世界を駆け抜けて集中治療室をあとにし、そのまま病院を出る。
昼下がりの暗雲は流れ去り、星屑が散らばる透き通った空へ向かって地面を蹴って――リリィはひたすらに街を駆けていく。