第三十話「嵐の予感」
「なぁなぁ、お前ってさ――好きな子いんの?」
授業合間の休み時間。何度かの席替えを経てまた巡ってきた窓際の席で外の風景にボーっと視線を預けていた結人にクラスメイトが問いかけた。
高校入学から半年以上が経過した十二月一日――彼は相変わらず結人にとって話ができるクラスメイトだった。
そんな彼は結人の前に座る生徒が席を外していたため、向き合うよう椅子に跨った。結人の前の席を借り、向き合うよう椅子に跨がった。
さて、質問を受けた結人は今回もまた呆れている。
(いつだったかも聞いてきたよな、それ。質問したこと忘れてんのかな? まぁ、その方がいいんだけど。好きなタイプは魔法少女とか変なこと言ったし)
結人は咳払いをして、質問に答える。
「いるよ。隣のクラスの藤堂政宗。好きな子っていうか、付き合ってるし」
「あー、納得。そういえば噂になってたな。あれ本当だったのか……。確かに佐渡山を訪ねてよくこのクラスに来てるもんな」
驚愕を顔に浮かべながら――しかし、あっさりと政宗とのことを受け入れたクラスメイトの反応に結人も驚く。
(政宗との関係を隠さなくなってからもう一か月か。わざわざ教えて回るようなことはしてないから、どれくらいの人が認識してるか知らないけど……すんなり受け入れられてる気もする)
十一月一日、あの忌まわしき事件を経て結人と政宗は自分達の関係性を大っぴらなものにするようになった。大っぴらにするといっても登下校で手を繋ぎたくなったら構わず握るくらいではあるが。
そして現状――悪い結果にはなっていなかった。
男子生徒同士が手を繋いでいる光景に誰一人好奇の目を向けないほど、この国の理解は進んでいない。当然注目を集めるし、噂されていることも二人は理解していた。
――だが、そこまでで留まるのだ。
誕生したカップルにクラスメイトが注目したり、噂で盛り上がることは二人のようなケースでなくとも起こること。ならば――、
(それだけのことって言っていいのかも知れない。もしかしたらこの学校に優しい人間が多いだけなのかも知れないし、陰で気味悪がってるやつだっていておかしくない。だとしても……案外、カミングアウトすればそんなものなんじゃないかって……思えてくるな)
政宗の秘密まで明かしたわけではないので、あくまで周囲の認識は同性カップル。だが、二人にはそれでもよくて――とにかく、隠れながら付き合う必要がないだけ楽だった。
こうして結人と政宗の関係性は始まりの日から少しずつスタイルを変え、そして固まりつつあった。
「それにしても驚いたなぁ。佐渡山がリア充だったとは」
「そうだろう? 俺自身もちょっと驚いてる」
「好きな子は魔法少女とか言ってた四月が嘘みたいじゃん」
「覚えてるんじゃねぇか」
○
「そういえばクリスマスを意識する時期になってきたけど、同時に政宗の誕生日か。十二月二十五日だよな?」
街に顔を出し始めた年末の雰囲気から連想して結人は問いかけた。
十二月四日、土曜日の昼下がり――週末なので政宗を連れ出した結人は特に予定も決めることなく、駅通りを歩いていた。
「うん、クリスマスなんだよね。だから誕生日とプレゼントを一緒くたにされちゃって、小さい頃は不公平だなって思ったよ」
「きっとクリスマス生まれのあるあるなんだろうな。とはいえ、クリスマスって絶対に学校は休みだし、そういう日が誕生日ってちょっといいよな」
何気ないやり取りを交わす二人の言葉はほんのりと大気を白く染めた。
空が低く感じる曇天の下、結人と政宗はクリスマスを押し出し始めた街を眺めながら歩く。どこからか気の早いクリスマスソングが鳴り響き、洋菓子店はケーキの予約を開始、イルミネーションに飾られたお店もちらほらあった。
冬の外気に晒された二人の手は少し手を赤くなり、互いの体温を求め絡められていて。重なる手を少し振りながら、何となく面白いことを探して歩いていた。
二人はそんな目的なく、そして無駄に思える無計画な時間が好きだった。
「クリスマスはどうしようか? 政宗の誕生日ってこともあるし盛大にやりたいところだけど」
「もしかして、瑠璃ちゃん達をどうするかってこと?」
「そうだな。二人っきりもいいけど、みんなで賑やかにするのも捨てがたい」
「今まで友達と騒ぎながらのクリスマスってなかったから、それもちょっといいよね」
「いっそイヴは二人っきり、誕生日をみんなで盛大にって感じでもいいな。どっちか一日しか楽しんじゃいけないわけじゃない」
「そんな贅沢ってアリなの!? ……あ、いやでも今までの分を取り返す意味でも許されるよね、それくらい」
政宗は充実しそうなクリスマスを思って目をギュッと閉じて笑った。
(今までの分を取り返す意味でも、か……)
やはり政宗の幸せには悲しみがつきまとうようで、そんな言葉にも影があった。そして、政宗が今日まで過ごしてきた誕生日――そしてクリスマスを思えば、
(プレゼントだって本当は女の子らしいものが欲しかっただろうに、そういうものは贈られなかったんだろうな)
それは想像に難くなく、結人は奮起する。
(今まで手に入れられなかったものを与えたり、叶えてやりたい!)
どうか楽しい思い出を――そんな風に思い、今から出来ることを考えてそわそわする結人。
すべては、楽しい思い出で悲しみを塗り潰すために。
そう――あの事件からは一月が経過。政宗は随分と刻まれた傷跡を乗り越えたように感じていた。一見、政宗はあの場所から助け出され、皆の輪の中に戻ってきた安心感でかなり癒されたように思える。
しかし、そこからの日々で政宗は気丈に振る舞いながらも確実に刻まれた傷跡による影響を見せていた。
マナ回収を終えていざ別れる時間になっても話を無理に引き延ばして結人が帰ることを暗に拒んでいたり。
一人でいる時間にあの時の恐怖がフラッシュバックするのか、真夜中に電話をかけてくることもあったり。
四人で楽しく談笑している最中に突然、泣き出してしまうこともあった。
さらに政宗は写真を撮りたがらないようになり、カメラを向けたりすると取り乱す光景も見られた。
だから、あの記憶を忘れるぐらい楽しいことを――と、クリスマスにはそんな想いを結人は託していたのだった。
――と、そんなことを考えている結人の目の前にひらりと白い花弁のようなものが降りてきた。ゆっくりと舞い降りるそれを手に取ってみる。
すると、手の平の上で儚く姿を消した。
結人は空を見上げ、はらはらと舞い降りるそれらを見つめると、
「……雪か」
ぽつりと呟いた。
そして政宗も降り始めた雪に気付き、瞳を輝かせながら重たい雲が蓋をする空を見つめる。赤信号の横断歩道を前にして立ち止まり、二人は幻想的な光景に瞳を揺らす。
(……ただ雪が降っただけなのに感動する。今年最初ってのが珍しいのか? ……いや、理由はもっと単純か)
かじかんだ手の力を少し強め、結人は違って見える世界の理由を悟る。
二人と同じように信号待ちをする人々も同様に舞い降りる雪に感嘆の声を漏らし、ちょっとした賑わいが生まれていた。
そして、そんな人々の声を塗り替えるように車が行き交う音が響く。ぶわっと風を切る音が聞こえ、風圧が僅かに信号待ちをする人々の髪を揺らす。
自家用車が連なって走り抜け、それよりも体の大きいトラックが追うように駆動音を鳴らして近付いてくる。
通り過ぎる――その時だった。
とん、と政宗の体が前に出たのだ。
歩道から飛び出て車道側へ。
繋がれていた手が結人を引っ張り、彼の身も傾く。
――迫りくるトラック。
結人は咄嗟に繋いだ手を離すと政宗の肩を掴み、車道側へ押し戻す――が、その反動で結人の体は勢いを増して車道へと躍り出てしまう。
結人は迫りくるトラックを見つめ、そして歩道側へ視線を送る。
あの日に似た光景。
しかし、あの魔法少女はありのままの姿で歩道側にいる。
――なら、よかったと。
そして、政宗の隣に見覚えのある顔。
(あれ……こいつ、誰だっけ? 思い出せない……?)
そう思考した瞬間――走ってきたトラックは甲高い音を響かせて急停止する。
しかし間に合わず、響く破裂音。
ふわりと――。
結人の身は跳ね飛ばされ、弧を描いて地面にその身を打ち付ける。そして、じわりと彼を中心として血が絨毯のように広がり始め、生まれた静寂。
それを引き裂くように響き渡る声。
「ぃひひっ、きひひ、きひひ――きひひひひひひひひひひひひぃ――――ッ! やった、やった、やった! 一人しかやれませんでしたが、十分でしょう! いい様ですよ、佐渡山結人ぉ! きゃはははははははははははははははははは――――ッ!」
突如として作りだされた凄惨な光景。信号待ちをしていた人々は口元を押さえて受け止めたり、困惑に後ずさりしたり、どうしていいか分からずきょろきょろと周囲を伺ったり。
しかし、そんな一同は狂乱して笑う一人の女に注意を引きつけられる。
血に濡れてぐったりとする結人の姿を前に、身を抱き天を仰いで金切り声のような笑い声を上げる女。
マジカル☆カルネ――いや、契約を完了して今は何の力もない一般人、八波だった。
知略と心理戦で相手を追い詰めるやり口を捨て、強引な手段で勝ち誇る彼女こそ政宗の背中を押した張本人。
しかし、そんな彼女の存在すら目に入らず――政宗は立ち尽くし、呆然として血だまりに身を横たえる結人を見つめて瞳を震わせてた。
――運命は最悪のシナリオを運び、まるで幸福の陽の下に踊り出ることを拒んでいるような強制力をもって温かい未来を奪っていく。
青空を閉ざす黒く濁った雲からは花弁が散らされるようにひらひらと――人の手に触れては消える雪が舞い降りていた。