閑話「村娘、剣豪に会う」
此処はあらゆる世に繋がる霊峰。
神、妖怪、天使、悪魔、人が迷いこむという空想上の場所としてあらゆる世に知られている。
「俺と死合をしろ」
「お断りします」
「何故だ」
「自分の胸に手を当てて考えてみてくださいな」
すると男は言われた通りに胸に手を当てる。
「何もわからん」
「……そうですか」
向かい合う女仙人は分かっていたと言わんばかりに息を吐きながら落胆した。実はこのようなことを言われるのは初めてではない。
我の強すぎる戦闘狂。特に侍と呼ばれる者が多く霊峰へ訪れるのだ。霊峰は神ですら自由に行き来することはおろか入り口すら見つけることができない程度には隠れているのだが、稀に人が迷い込むこともある。
「では死合を始めよう」
「話聞いてますか?」
「聞く耳持たん!」
抜刀。
「!」
放たれたのは雷光の如き一閃。
常人ならば上半身と下半身が泣き別れになるであろう必殺の斬。
「――な、にィ!?」
刀身に添えられた人差し指と中指。地につく切っ先。
「くっ!」
すぐさま刀を引き戻し、型を繰り出す。
揺るがぬ刃と脱力による岩をも断ち切る斬撃。
今まで男は切れないものは何もないと思っていた。だが、現実を知った。
視線の先には麻の衣を纏う、みすぼらしくも美しい顔立ちをした女。瞳は大海のように透き通り、波紋の無い水面如く澄んでいる。
男は持ちうる全ての型を出し切る。
だが、
届かない。届く想像すらできない。
「あなたは強い」
鈴の音のような声が心地よく耳に入る。
「ですが、足りない」
最後の一太刀がいともたやすく止められる。
「一つの技すら極めていない者など私と死合うことすら叶わぬ故、児戯に等しい」
刀を落とし、地に膝をつく。
敗北だ。決定的なまでに、完膚なきまでに、敗北だ。
短い時間だった。濃密な技の数々を最高速で出したのに……無様であった。
驕り高ぶりは誰でもある。だが、未だかつてここまで隔絶した差を感じたことなど鬼才である男はなかったのだ。
「さ、早く帰りなさい。元いた世へ」
男の視界が歪む。自失した男が最後に見たのは女の後ろ姿のみ。
強く、美しく……そして儚い後ろ姿。
この時、男は初めて刀以外に興味を持った。人を邪険に扱ってきた男は心を宿したのだ。
男、東雲善次郎。
彼は産まれたときより才気に溢れ、勉学から剣術まで修めた。
戦いの高揚に取り憑かれてから数多の戦場を渡り歩き、あの燕返しを会得した剣士にすら剣鬼と呼ばせた伝説の剣豪であった。
しかし、ある時を境に善次郎は人々を助け始めた。乞食の子供たちに衣食住、仕事を与えて勉学を教えた。高利貸しの中でも人々を陥れ、残酷な殺人行為をした者を次々と斬り捨てた。
そして善次郎は後の世に伝説の剣豪と同時に悪鬼を滅する義の男や理想の教育者として名を馳せ、教科書に記され続けたという。
「へえ、そんなことが」
「へえ、って美心。自分が相手をした人の後世に興味なさすぎでしょ」
「いきなり斬りかかってくる人の後世になんで興味を持つ必要があるんです?」
「正論やめて」
深雪は溜息をつき、美心は首を傾げる。
かたやお婆ちゃん、もう片方もお婆ちゃん。
見た目は姉妹。
「でもまあ、あの方が善き人になれたのならあそこで徹底的に心を折ったのは正解でしたね」
「普通の声音でさらっと怖いこと言わないで、お姉さんちびっちゃうから」
「怖いですか?」
きょとんと無垢そうな瞳で上目遣いをする美心。
だが、お婆ちゃんである。
「きゃー! かわいいー!」
美心の頭を抱き、よしよしと撫でる深雪。
だが、お婆ちゃんである。
美心は抱かれながら言った。
「若い子のように振る舞っていても、私達、お婆さんですよね」
「……なんのことかしら」
「私達、おば「あー!あー! 聞こえないですぅー!」そうですね。心はまだまだ若いですものね」
「そうよ! 私達は若いの! ピチピチなのよ!」
「その発言自体が年寄りくさいです」
がくりと項垂れる深雪を尻目に美心は今日も平和だと茶を啜る。