32話 橋の上で
「んぐっ! ふごっ?!」
耳鳴りと胸苦しさで目が覚めた。
……リボルトセンセに、抱きマクラにされてた!
彼の【いびき】によって、サイテーの目覚めを経験してしてもーたわけで。
いやいや、それよりもナンナンデスカ!
この状態はっ!
「ち、ち、ちょっとォ! センセ! センセってば! くっつくなって」
「ん? あ? ハナヲ。グッモーニン。途方もなくいい朝だなぁ」
そーゆわれて更にギュッとされ。
死にたいんか、コォラアァァ!
――と。首輪つけたまま! ペットみたいなの。例の魔力封じの。
(外し方が分からんのです)
というコトで、魔力を発揮できん中一女子が、二十歳過ぎの大人の男に敵うわけがない。
あまりの非力さに泣けてきた。
「ふぇぇぇ。ゆるじでぐだざいぃ。リボルドざまぁ」
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
階下のダイニングテーブルには陽葵と惟人がついていた。
昨夜の事が無かったかのように、ふたりは無言で正対しトーストをかじっていた。
「珍しー。ちゃんと起きたんや。今日大雨?」
「あ。ハナヲちゃんお早う。パンでいい?」
「お父さん、久々の学校やろ? 留年とかカンベンしてや?」
「あー、パンでいい。ち、中学に留年あんの? それヤバッ」
席につき、トーストくわえながらスマホを眺める。
冥界で拘束されてから丸一週間経ってる。ホント、ヤバいな。
「シータンたち、いつの間に帰ったんやろ? 人の部屋とっ散らかしたままで……。次カオ見た時にお仕置きや! ちゃんと片付けさしたる!」
空いた皿をかたそうと立ち上がりかけた陽葵、わたしに向かって不機嫌そうに、
「もうここには来ないわよ。シンクハーフたち」
「え? どーゆーコト?」
合った目を逸らして流しに行き、
「基本、魔女は、人間にその存在を知られちゃアカンの。やからこれを機会に縁切り」
「ん? もっかいゆって? どゆコト?」
「シンクハーフもココロクルリも魔女やから、本来は人間との接触はご法度。……もしかしたら、近いうちにわたしも」
どゆコト?
どゆコト?!
どーゆーコトッ!
「ハナヲちゃんの魔力が解けた時点で、たぶんボクも、リボルトさんも異世界に引き戻されると思う」
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
ついてけないわけや無かったが。……今日の授業はまったく理解できんかった。
とゆーより、勉強する意欲がゼンゼン湧かんかった。
二時限目が終わった時、体調不良を理由に早退した。
担任は心配げに見送ってくれたが後ろめたくはなかった。だって、本当に自分でも吐き気を催すくらい辛かったんやもの。
わたしは、まっすぐにある場所に向かっていた。
――いつかガラの悪い人らに絡まれて川に飛び込んだ、あの橋の上。
ここで疑問を抱いた方は、スゴイよ。
あの橋は東京のとある場所にあったはず……、けども今は東大阪に存在してるよね? アラフシギ。
これ、ルリさまの仕業やねん。……得意の時空歪め。
……ダメだ。こんな程度じゃ最早テンション上がんないよ。
そこに着くや否や、わたしはカバンからある手紙を取り出し広げた。
それは巫リンが、わたしに宛ててしたためたものだった。
二限目の国語の時間に、教科書の間に挟まっていたのに気が付いた。
『センパイ。いまどき手紙なんて昭和くさいですが、メールやLINEってのもアレなんで。今日は身内のパーティに参加させて頂き、有難うございました。なんか仲間入りしたみたいで嬉しかったです。試験官じゃなかったら、もっと楽しめたのに。すごくザンネンです』
……やっぱり気にしとったんか。
アイツは昔っからや。
空気読めんクセに、妙に繊細なところあったからなぁ。
……ちゃんとみんなに紹介したるべきやった……。
『――さて、わたしたちは魔女なので黙って去ることにします。センパイの恋路をジャマするほど野暮じゃありませんので。もう会えないとなると身が引き裂かれそうに辛いですが、センパイから受けたこれまでの御恩を考えると、ようやくトントンなのかなぁ……と自己満足に浸れます。こっちの世界でもわたし、恋を見つけますんで! センパイ以上の相手をきっと見つけますから……』
最後の方は文字がつぶれて読めない。
ノートの切れ端に書いてあるんで文字が小っちゃくなってるし。
裏をめくるとおっきく「バイバイ」と書いてあった。
この文字はルリさまだろう。
グッ!
と手紙を握る。
「……なんか、急にきた」
こみ上げる「何か」。
なんで。
……なんで。なんで、なんで、なんでッ!
自分勝手に判断したんやと。
怒鳴りたい。わめき散らしたい。あと、どつき回したい!
わたしが魔女を諦めるって?
そんな話、ヒトコトもしてへんやろーが、なぁ?
とっさに橋の欄干に足をのせようとした。
こーなれば、アステリアに行って、魔女らに文句ゆってやろーと。
「危ないって。ハナヲちゃん!」
おそらくかなり呆けたカオして、わたしは振り返った。
キョウちゃんが、両の手を空手の型みたいに突き出し、今にも飛びかかってきそうな姿勢でわたしを見つめていた。
……キョウちゃん。それ、ヘンな恰好。
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
とにかく心配だと繰り返すキョウちゃんやったんで、じゃあ自宅までついて来てよって、ゆった。ゆってやった。
「うん。じゃあそうするよ」
「いや。ジョーダンやって」
「そうなの? 冗談なんだ?」
「ホンキにせんでも」
からかい気味に返すと、キョウちゃんは珍しく怒ったかのように眉を寄せた。
気まずい。
「……それよりなんで、ここに?」
「実はハナヲちゃんちを訪ねたんだ。そうしたら留守だったんで、じゃあ学校にお邪魔しようと」
わざわざ? 学校にまで? 急にどーして?
「そこまで。どうかしたん? なにかあったん?」
「……サラさんが。……いや、ちがうな。そうじゃない」
「?」
歯痒いね、キョウちゃん。
ゆいたいコトがあるんやったら早くお願いしたいんやけど。
悪いねんけども今のわたしは、いつものわたしでないだろーから。【いらち】むき出しやねん。それ、うすうす感じてるよね?
「ごめん。キョウちゃん。今日はテンション上がらんねん」
「ハナヲちゃん」
「……なに?」
「話したよね、冥界での仕事。今日は迎えに来たんだ」
「……」
「このまま、ずっと。ボクと一緒に」
キョウちゃんがいま口にしたコトを反芻するのに十数秒の時間を要した。
それからそれをちゃんと理解するのに、さらに二十秒ほど。
わたしはその数十秒間、究極のヘン顔を彼にさらしてただろう。
「冥界でずっと働く……暮らすってコト?」
彼のセリフをなぞる。
うなづく、彼。
「わたしまだ中学生、やで?」
「分かってる。でも別に構わないんじゃない? キミは有能だし、すぐに環境にも慣れるって」
「キョウちゃん。わたし、家族が居るんやで?」
「うん。そうだね。……だからさ。ボクは真剣なんだ」
「家族を捨てて、来いってコト?」
「ハナヲちゃんが悩んでるのはよく分かってる。ボクが悩ませていることも。……だからこそ。ムリヤリにでも決断させたくて、ここに来たんだ」
わたしの首輪にカオを近づけたキョウちゃんは、それに指をなぞらせる。
ドギマギしてたらそのまま肩を抱き寄せられた。
「……やぁっ。やめてよ。わたしさっき何をしよーとしてたか分かるよね? 川に飛び込んで、アステリアに行こうとしててんで? そんなのを引き留めて連れ去ろうって、相当ハードル高いんとちゃう?」
「そう、かな? ボクの勝ち目もなかなか高いって思ってるんだけどな」
「…………」
息を整えたわたし。
通学カバンを開け、紙袋に入った小瓶をまさぐり出す。
「魔女を目指してんやで? わたし。……ホラ、これ。試験課題の【ホレ薬】」
挑戦的に、わたしはそれをキョウちゃんの鼻先に突き付けた。




