29話 もうひとつの意志
「もー、下ろして。自分で歩けるからぁ」
デレデレなわたしを、キョウちゃんが優しく見下ろしてる。
あう~。
だからぁ、ヤメテよ、その笑顔!
目、合わせらんないんだって!
「…きて」
「んにゃ? なに? きて?」
「お……きて」
「はい?」
「起きてくださいっ。ハナヲ!」
「んもぉ、【おひゃめしゃま抱っこ】なんてぇ、ハズイから止めてぇさぁ」
「もーっ。バカ言ってないでぇ!」
ゆれる、ゆれるう!
グラグラ振動するアタマ。
「ち、ちょっと! からかわんとってって、キョウちゃんっ」
うう。
酔いそう。やめてってばぁ、イジワルあかんて、ちゃんとカオ見るから!
――って、目が開いた。……目が、開いた?
あにゃ? どゆコト?
いったい何が起こったのだ??
「はいはい。寝ぼけてないでしっかり起きてください。ハナヲさんっ」
「わッ!」
「覚めましたか? ……ハナヲさん?」
「……お、オジサンの、わたし……? も、もうひとりの?」
鏡を見ている錯覚に陥ってまじまじカオを近づけると、そのオジサン、大きい手で、額をグイッ! と押し返してきた。
中年期まっさかり、かつて毎日眺めていた自分のカオ。ほんのり脂っこい……。
でっぷりのオナカにムリヤリシャツを被せ、家畜にナワ打つようなぶっといネクタイで。いかにも騙され慣れしたような、間の抜けた面容の。
チラチラ見える白い頭髪が人生の斜陽を感じさせ、せつなさが色濃くにじんでる。
まさにわたし。
まごうことなく、わたし!
そ、そんなわたしが照れてる……。
(でも、ちょっとだけカワイイと思っちゃった)
「……あ」
「ようやく思い出してくれましたか? ご無沙汰してます」
「き、キミは、別世界にいる【もうひとりのハナヲ】? いつ以来だっけ……」
「そうですよ? わたし、あなたと入れ替わった【元】ハナヲです。さぁ、いつでしょう」
まさか、また再会できるなんて。
ここは「お元気でしたか?」と挨拶すべきか、「突然なになにっ?」とパニックを起こすべきか、どーしたらいい? リアクション、どーしていいかワカンナイ。
落ち着いて思い出してみよう。
えーと、冥界でキョウちゃんに会って……。
それから……。
――そーだ。
「正解、です。その通り、ここは夢の世界ですよ? あなたは今睡眠中、なのです。現実世界でふたりのハナヲが顔を合わせることは出来ないんですから。ドッペルゲンガーって怪奇現象知ってますよね? アレにやや近いです。同一世界上に同一人物が並び立てない、もしそうなっちゃったら大変なコトになっちゃいます」
「大変なコト?」
「そうです。一説によると【ビックバン】が起っちゃう、とか」
「び、ビックバン? あの宇宙が発生したってゆー?」
「はいっ」
んー。ちょいちょい、待ちなさいってば。
えらい壮大な話持って来たねぇ。
頭をスッキリ整理させるとやね、つまりはあなたは【わたしが寝ぼけている】と。そーゆ―説明をしてるワケやね? あ、違うか? 夢の中でお会いしてると? 何度も説明してるでしょ! と? うんうん。理解理解。
「でも前には直接会ったよね? キミに」
【にきっ二十五話】を振り返って欲しい。
バスで鉢合わせしてるから。だってわたしはメッチャ覚えてるもん。
「あの時もハナヲ、寝ぼけてましたよ? 今みたいに。あのバスも、ファミレスも、あなたにとっては夢の中の別世界です。……元々あなたという人間が存在しなかったパラレルワールド」
中一の女子にはムズカシイ解説デス。
中年だったわたしにも、もっとムズカシイ解説デス。
しかしながら、オジサンハナヲが困り始めたので、理解できたフリをして先に進んでもらうとしよう。
「そんな。『わかった、わかった。で? 用件は何だ?』 みたいな、会社の上司思わせる表情しないで欲しいです」
うっ。バレた。
「ご、ごめん」
「いーですよ。もうだいぶ、さすがにそんなのにも慣れましたし」
そっか……。ちゃんと社会人してるんだ。
「それで用件です。単刀直入な物言いですが」
「は、はいっ」
き、緊張する……!
「ハナヲにはゼッタイに【魔女】になってもらいたいんです!」
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
JR中央線西荻窪駅を降り、銀座商店街を北に抜けて更にドンドン進むと青梅街道に出る。そこを渡ったところに昔、陽葵とふたりで住んでいたマンションがあった。
五階建ての小さな賃貸物件だ。
「あれ? おかしい。……たしかわたしが住んでたときは、このマンション四階建てやったはずやのに」
しかも外壁細部に装飾とか施されてて、なんだかオサレ度が増している?
入口はオートロックになってんし。
「そう、だったんですか? あくまでここは別世界ですし、そういう変化もあるでしょうね」
可笑しそうに答えるが、実は内心、優越感に浸ってんでしょ?
住むところが良くなってて、なんだかズルイっ。
「でも間取りは変わんないね」
「そうなんですか。それはちょっとザンネンです」
通されたリビングでふと脇に目をやると、目立つ位置に額縁が飾ってあった。
「じゅ、準グランプリって? 陽葵! 賞取ったん? 何の賞?!」
「えへへ。厳密にはふたりで取ったんですが。漫画賞です。ごく小さな出版社のですが」
「へ、へぇぇ!」
「は、恥ずかしいからあまり見ないでください。いま、コーヒー淹れますんで」
オジサンハナヲが大柄な体を弾ませてキッチンに消えた。わたしの気付きがよっぽど嬉しかったとみえる。
エル字型のレイアウトなので彼(彼女?)の姿は隠れている。
チャンスとみたわたしは、改めてしげしげとその賞状を観察した。
「『ありきたりの魔女っ子、黒姫ちゃん』。……黒姫ちゃんか。陽葵のヤツ、自分のコト描いたんかな……」
「違いますよ。こちらの陽葵は異世界人じゃないですもの」
「わっ。ごめんっ」
あわてて席に着く。バレちゃった。
「あの子は良い子です。わたしもうあの子と離れ離れにはなれません。ずっと一緒に暮らしていきたいです。……たとえ、この不便な身体だったとしても。だって、いまの方がずっと幸せなんですもの」
「お、オジサンの身体……でも?」
「そう、です」
涙ぐむ彼女。
わたしはマグカップの熱さを忘れて手を添えたまま、テーブルに目を落した。
「……だから、わたしには魔女で居て欲しいと?」
「……あなたには個体スキル、設定変更能力を失って欲しくありません。……だから」
魔女になる。
魔女にならない。
もしどちらかを選んだとしても、辛い結果をもたらすという現実にようやく気付いたわたし。
苦悩を払うようにインターホンが鳴った。
「はーい、お帰り。いま開けたよー。……ハナヲさん。陽葵が帰ってきましたよ?」
「え?」
なんで彼女がこのうちにわたしを連れて来たのか、やっと目的を覚った。
「会ってあげてください」
「い、いや。帰るよ」
玄関に走り、もどかしくクツを履く。
パッとドアを開けたところで陽葵と出くわした。間に合わなかった。
「わ。び、びっくりした。……お客さん?」
「トモダチ。……じゃないな、親戚?」
「なにゆってんの、お父さん。……もしかしてエンコー?」
「ち・が・い・ますっ! どこでそんな言葉覚えてくるのっ?」
ふたりの間でサンドイッチにされたわたしは、会話の隙を衝いて廊下に出た。
すり抜けたとき、陽葵の様子をうかがいながら。
魔女な臭気をまったく失せさせた彼女は、その代わりの分だけ、ちょっとだけおしゃまさを足していた。どちらにせよ可愛い、わたしの娘に間違いなかった。
「お父さんこそ、今日やたら早いやんっ。仕事サボったん? 社会人失格!」
「違いますー! 今日はお昼で帰っていいって言われたの―」
「はぁ。リストラだいじょうぶ? はいコレ、とろ屋のコロッケ。今晩はコレだけやからね!」
「はーい。いーじゃない、リストラされたら同人誌いっぱい作れるし」
ふたりの会話を背に、静かにドアを閉めたわたしは、トボトボとエレベータホールに向かった。




