09話 魔王魔女再臨
「買って来たわよ? アンパンと牛乳」
「ウン、サンキュ」
オレはアパートの裏手に停めた軽のマイカー内で待機していた。
陽葵が帰って来る前にバズスを返り討ちにするために。不意打ちなら勝てる見込みはある。……多分。
「せっかく買ってやったのに。もっと美味しそうに食べなさいよ」
「張り込み中に食べるアンパンは、ムズかしいカオでなきゃアカンのよ」
「……イミわっかんない」
――オレは気落ちしていた。理由は陽葵の日記。
途中で読むのを止めてしまった。涙で文字が見えなくなったから。
そこに書かれていたのは父親との楽しい思い出。
ウソばっかの空想。
山登りやキャンプ、魚釣りやドライブ、動物園、映画。
「これ、架空の物語だよね?」
「……ゆわんといて」
別れ際、彼女は言った。
「『さよなら。ただの同居人さん』……」
ショックだった。
だってオレ、今まで陽葵のために一生懸命頑張ってると思ってた。
イヤイヤでも働いて陽葵を食わせて、一人前に育てて。
オマエを置き去りにした女を見返してやろうな! って。二人三脚のつもりで。
でも違った。
……陽葵はそんなの、微塵も望んじゃいなかった。
「……。ヘンなの。人間でも後悔して悩むことあるんだね」
「……ん? 何ソレ? ルリさまもあるみたいな言い方やね?」
「あるに決まってんじゃん。……わたしさ。陽葵をシンクハーフのところで暮らさせてあげたくなっちゃったの。オマエのコトで怒ってばっかいたから」
「……うん」
「でね、つい、スピア姫に相談しちゃったんだ。『シンクハーフと同居させてあげてくれ』って。……スピア姫がバズスに居所をバラしちゃったのは、元はと言えばわたしのせい」
……だからスピア姫は、陽葵の所在を知ってたわけだ。
「もー、んなコト、言わんでもいい。つまりは、陽葵が心配やったから、なんやろ?」
万年ツンと上がり気味の眉毛が心なしかショボンと角度を下げている。
「……そりゃ。まぁね」
魔女っ子も人も悩んだり落ち込んだりする感覚はおんなじだ。
「……ちょっと、アレ!」
ルリさまが指を差した。
「バズス……!」
屋上にいきなり出現したバズスが、外壁伝いにずり落ちた。まるで蜘蛛だ。そのままオレの部屋に窓から侵入した。
娘の短い悲鳴と、食器か何かが割れる音。
「……陽葵の声、あの子もう帰ってるわよ?!」
「い、いつの間に?!」
娘の帰宅を見逃していた。最悪の失態だ。
「――どーするの?」
「乗り込もーか!」
「建物の中で暴れるの?」
「そうやんね。しかたない。ひとつ思い付いた。良い場所があるよ。そこでヤツを奇襲する」
家の近所、橋のたもとの物陰に先回りしたオレとルリさまは、そこで陽葵とバズスを待ち伏せた。
だが結局、不意打ち作戦は成らなかった。
「バズスが居ない! やって来たの、陽葵一人だけよ?!」
な、なんでだ? 奇襲しようと思った肝心の相手が見当たらない!
このまま陽葵を見送るのか。オレはたまらずに飛び出してしまった。
「誰? なんか用?」
学校の誰かとカン違いしているのか。ウザそうに、陽葵は通せんぼするオレの脇を抜けようとした。
「陽葵。わたし、アンタのお父さんやねん」
彼女の頬がピクッと痙攣する。癇に障った時の特徴だ。
「……へー。お父さんねえ? アンタ、わざわざからかいたくって、待ち伏せしてたんか? そんっなに親が居ないってバカにすることか?」
「昨日はメッチャ遅なってゴメン。陽葵がいろんな悩みあったのに、相談聞けんかったし、お父さんゼンゼン気付けんかった。……異世界? 魔王魔女? とにかくそんなトコ、行かんとって!」
しばらく黙った陽葵。
眉を寄せたまま、オレを見詰めた。そして、フッと下を向いた。……笑った?
……オレが父親だってコト、分かってくれたか?
――だが!
陽葵の怒りを孕んだ一声。
「バズスッ、出て来い! 出番や!」
「はあい……。呼ばれて飛び出てえ……」
――ニヤついたバズスが、夕暮れ間近のうす暗い橋脚の陰から、「ぬらり」と抜け出した。その瞬間、橋を渡り切った先にあったビルが、「グニャリ」と歪んだ。――かと思うと、古いお寺の外観に変わった。
「ハナヲ、気を付けて。すこし未来が変わったよ」
ルリさまの語気が切迫していた。
「自称お父さんのお嬢ちゃん。イエー、カワゆいチビコロちゃーんですねぇ! 黒姫さまを止めたいトォ? でもちょーっとソレ、ムリなんじゃないっすかねぇ、ふへへ、ふへへ」
「黙れ、ゴブヤローっ! 陽葵をこっちに戻せっ」
「いやいや。ちょっと待ちいなー。こんなところで魔力ハデにブッ放したらどーなるの? って話だよぉ、チビコロちゃんってばぁ。町もぉ、アンタ自身もぉ。ちっとはアタマ働かせよーよ?」
……町……の被害とかは、確かにあんま考えてなかったな、くそっ。
「バッ!」とバズスのごっつい手がオレの腕をつかんだ!
さらにもう一方の手で、あっち向きの陽葵を片手抱きする。
「跳ばされるよ! 警戒してっ!」
ルリさまの裏返った叫び。
景色を構成する色が、水に溶けたように流れ落ちた。白一色になった後、どこかの草原地帯に切り替わった。
「お望みの舞台、ここは異世界アステリアですう」
フ……と暗くなったので、空を見上げると!
――100羽を超す飛竜や浮遊系の魔物! それらがまるで黒雲のように群がって空を隠している。
「黒姫さま。ご還幸、おめでとうございます」
声の主はなんと、シータンだった。
さらに百種千頭は下らない魔物たちがシータンと同じく、陽葵に向かって深々と低頭している。
ルリさまも、いつの間にか恭しく陽葵にひざまづいている。その眼はトロンとし、まるで催眠術にかかったようだった――。




