第32話
魔道車の実験に明け暮れて、気がついた時にはすでに日がくれていた。アランは心地よい疲労感を覚え、ユーラの元へと戻る。
「そういえば、今日の宿どうする?」
「私達は招待されているんだ。宿もちゃんと用意されている」
「それはありがたい。で、宿はどこ?」
「あそこだ」
ユーラが指を指した先には今いる研究所よりも遥かに高い建物があった。
「......はい?」
「見えるだろ?あの塔だ。普段は多目的に使われているが、中に要人が泊まれる階層を設けてある。この研究所よりも高いところで眠れるぞ。どうだ、興奮してきたか?」
「怖くなってきました」
「私と同じ部屋で眠れるぞ?それはどうだ?」
「どうして2部屋用意してくれなかったのかは謎ですが、緊張して眠れないかもしれません」
アランが思った通りの反応を見せてくれたので、ユーラがくすくすと笑った。
「それでは、今日はもう休もう。シノを連れてくるから、アランは馬車の前で待っててくれ」
「うん。それではシンさん、また明日来ます」
「ありがとうございました。今日は人生最高の日になりました。明日も楽しみにしています」
3人が合流し、馬車で宿となる塔へ移動を開始する。向かう途中にも雑談に花が咲く。
「しかし魔道車が完成すれば、バッファローも必要なくなっちゃうのかな」
「いや、そんなことはない。馬車を引く以外にも農業をさせたり人によってはペットにしたりする者もいるから、路頭に迷うことはないだろう」
「あいつをペットで飼う人がいるんだね。気持ちはわかるけど」
「お前今からでもテイマーを目指したらどうだ......」
苦笑しながらユーラが言った。
宿として指定された塔に到着した。3人で中に入り、エントランスを抜けた時、アランがふと気づいた。
「あの、シノさんもここに泊まるんですよね?」
「はい、そうです」
「じゃあシノさんとユーラで一部屋、僕で一部屋が普通じゃないんですか?なんで僕とユーラが同じ部屋なんですか?」
そう尋ねられたシノはひどく困惑した顔をした。それを見たアランがさらに困惑した。
「そう仰られましても、私はユーラ様の希望に従ったまでです」
「......ユーラ、一体どういうことかな?」
アランが振り向いた時、ユーラは開花満開という笑顔で答えた。
「大丈夫、別々のベッドにしてある、問題ない」
「大いに問題あるし、そもそも論点がおかしい」
そんなことを言っていると徐々にユーラの顔に悲しみの表情が混じって来た。
「アラン、そろそろ慣れてくれ。私を女性として見てくれるのは嬉しいが、パーティーを組んでるんだ。同じ釜のご飯を食べる仲なんだぞ」
「そ、そうだな、悪かった。決して嫌というわけではなかったんだよ」
「そうか、それなら良かった」
押し問答が終わり、転移の魔法陣へ向かう途中、シノがユーラにだけに聞こえるように囁いた。
「ユーラ様、役者になれますよ」
ただただ笑みを浮かべて何のことだが分からないという表情でしらを切り通した。
「すごい部屋だな......」
魔法陣で一気に自分たちが就寝する部屋の階まで転移し、部屋に入ったアランの第一声がそれだった。まずとにかく大きい部屋だった。この一部屋だけでギルドの1階部分が全部入ってしまうのではないだろうか。
部屋の内装は薄いクリーム色で統一され、おそらく魔力が動力源であろう照明も淡いオレンジ色で気分が落ち着けるものだった。
左右の壁際には小動物の形をした小さい石像が何体も置かれ、部屋の雰囲気を温和なものにしている。ユーラがそれに近づきじっくりと眺めている。
そして部屋の中央にはベッドが2台置かれていたが、これがまた巨大だった。1つのベッドで小柄な人なら3人は一緒に眠れるのではないだろうか。
「アラン、待ちに待ったベッドだぞ!」
そう言ってユーラがベッドに体ごとダイブした。体はベッドに吸い込まれ、波打つ。それを見てアランも荷物をそばにおろし、ベッドに腰掛けた。
「うわ、何このベッド。体が吸い込まれるみたい」
「アラン、ベッドを堪能したらこっちに来てくれ」
ベッドにダイブしていたはずのユーラがいつの間にか、全面透明な景色の見える部屋の一番奥にいた。
ベッドから立ち上がり、ユーラの方へ向かう。そしてその奥にある光景を見た時、アランは腰が抜けた。すかさずユーラが体を支える。
「大丈夫、あまりにも透明でこのまま落ちそうに見えるが、特殊なガラスが貼られている」
ガラスを通して見えたものは、眼下に広がる数千は下らない数の建物があり、照明によって光の絨毯が出来上がっていた。そして視線を上に見上げれば、数十もの巨大で馬鹿高い塔が何十棟もあり、摩天楼を形成していた。
「......ここは一体何階なの?」
「94階だ。すごい眺めだろ?」
「94階......確かに綺麗で壮大だけど、地面を這うように生活していた人間がいきなりこれを見ると流石にね」
「はは、悪かった。でもどうしてもアランに見てもらいたかったんだ」
「うん。本当に綺麗だと思う」
ようやく自分で立てるようになったアランは、目の前にある景色を眺めていたがふとユーラの方に視線を向けた。
それに気づいたユーラがどうした?という表情でアランを見つめる。
「ユーラ」
「ん?なんだ?」
「今までありがとう」
急なアランの感謝の言葉にユーラの心に嬉しさと困惑が混じる。
「ユーラと一緒だったから、今まで旅を続けてこれた。いつもなかなか言えないけど、感謝してる」
「アラン、ほんとにどうしたんだ?」
ユーラがオロオロしだした。不安がより心を支配する。
「この綺麗な景色を見てるとさ、突然不安になったんだ」
「不安?」
「この先もユーラと旅できるのかなって。ユーラはデューク様のご息女で、俺とは立場も全然違う。いつかまた別々の道を歩むことになる可能性も、あるかもしれない」
どこか遠い目をして自分の思いを話すアランに、思わずユーラが彼の両手を包み込むように握る。
「確かに、世の中に絶対はない。違う道に進むことだってあるかもしれない。でも今は一緒だろ?ならこの今を大事にしないか?もし別れる時が来た時は、その時に考えればいいだけのことさ」
そうやって話をしているうち、徐々にアランの表情から不安が消えて行くのが感じられた。
「確かに、見えない将来のことよりも今この瞬間を大事にしないといけないな」
「そうだ。それに私の方からパーティーを組むように誘ったんだ。簡単には手放さないぞ?」
ユーラがよりアランの手を優しく、強く握った。
「そうだったね。ありがとう。スッキリしたよ」
「アランはもっと思ったことは話すようにすればいいと思う。私が話し相手になるぞ」
「うん。努力する」
「さあ、気持ちを切り替えて夕食にするぞ?もう少ししたらここに運んでもらえるように手配してたんだ。アラン食事は好きだろ?」
「はい、大好物です」
2人は笑いあった。ユーラはアランが落ち着いたことに心から安堵した。そして5分ほど経った頃、食事が運ばれて来た。ゴールデンボアという名前負けしそうな魔物のステーキがメインディッシュだった。実際は名前に相応しい美味で、2人とも舌鼓を打った。ユーラはこうやってアランと一緒に平和なひと時を過ごせていることに、思わず涙が出そうになった。さっきアランが考え込んでいただけなおさらに。
「ユーラ、会議はいつ始まるの?」
「明後日だ。アランは明日もシンさんの所に行くのだろ?」
「うん。一日ですぐに何かが変わるはずもないけど」
「そうかな?案外すごいことになってるかもしれないぞ?」
上品な笑顔でユーラが意味深な発言をする。
やがて食事も終わった丁度のタイミングで塔の職員らしき人が皿を下げていった。2人は満腹感と満足感に身と心を委ねた。そして名残惜しそうにユーラが口を開く。
「夕食もいただいたことだし、そろそろ寝るか」
「そうだね。眠れるか怪しいけど」
「何なら同じベッドでも私はいいぞ?ちょっと考え込んでたみたいだしな」
「気持ちは嬉しいけど全力で遠慮します」
こうやって2人とシノの王都ノルドベルガでの1日目が終わった。
「おい、アラン朝だぞ」
その声を遮断するように、布団を深く被り直す。
「おはよう、アラン」
グレートシープの羽毛でさえもこの質感は出せないのではないか。そんな寝心地の良いベッドから動きたくないアランは、声の主を無視する。
「アーラーン、おはよう、そろそろ起きろ」
声に怒気が混じり始めたのが感じ取られ、ようやく頭の隅に起きるという選択肢が浮上した。
「だってこんなベッドで寝たら、二度と起きれない」
「気持ちは分かるが、出発まで5分だぞ。でないとシンさんとの約束の時間に遅れる」
その言葉でようやく脳が少しづつ回転し始める。
「......5分前」
「ああ、今は後4分と40秒」
「......やばい!!」
突如として跳ね起きた。寝間着から普段着に着替え、荷物をまとめようとしたが、すでにユーラがそれを行ってくれていた。
「ユーラは良い奥さんになれるよ」
それはアランにとってはありがとうの意味で言ったのだが、ユーラはそれを直球で捉えてしまい、急に顔を赤くしオロオロとし出した。
「ユーラ様、今の言葉は例えです」
背後に控えていたシノが捕捉して、ようやく我に帰る。
「わ、私だってちゃんと分かっていたぞ」
「怪しいです」
「ごめん遅れて、もう出発できるよ」
アランが準備を終え3人は部屋から出る。廊下にも小さな動物の石像が設置されていたりと嗜好を凝らしていたのだが今の3人にそれを見る余裕はなかった。急いで転移用魔法陣まで移動し瞬時に1階まで移動する。
1階には大勢の人々がいた。だがどの人もユーラを見ると声はかけなくとも一礼していった。ユーラは3人に聞こえるだけの声で、有名人もいい事ばかりじゃないと嘆いた。
馬車に乗り、ファームバッファローに少しだけ無理をさせて研究所までの道を急いだ。アランはその間、ずっと馬車の窓から景色を見ていた。ユーラはそれを見て無理もないと思った。1日や2日で慣れる光景ではないだろう。
研究所に到着すると、昨日ほどではないが数人の人が出迎えてくれた。その中にはもちろんシンもいた。
「皆様、昨日はよく眠れましたか?」
機嫌よく3人に尋ねる。アランが代表して答えた。
「ベッドが信じられないくらいふかふかで、遅刻しそうになりました」
「それは何より、疲れが取れていないとこれから困ったことになるのです」
「と、言いますと?」
「アラン殿とは、色々と話し合わないといけないことがあるのです」




