72:ショタ
長舌蜥蜴が大きく口を開いた。
薄いピンクの口内の中にうねる紫色の塊。
――虫でも食ってんのか?
――殺す。
精神と肉体が平行に思考。
精神が観察したことを肉体が上書き。
脳髄をパルスが走る。
筋繊維が呼応する。
しかし、それを脊髄が拒否した。
右足を引いた瞬間にシュゴッと音。
ジャックは、音だけでそれを回避。
視野の端で紫の塊を視認。
長舌蜥蜴の伸びた舌だと意識の外で認識。
舌が壁にぶつかり壁を砕く。
瓦礫が辺りに散りオトがキャアと叫んだ。
しかし、その悲鳴はジャックの鼓膜をわずかに揺らすのみ。
斬る――ジャックの延髄が指令を放つ。
しかし、ジャックの腕が動くより速く舌は口腔内へ収まった。
チッとジャックの舌打ちと同時に男は踏み込んでいる。
左手側から空気を砕く音。
ジャックは振りかぶろうとしていた身体を強引に後ろへ飛ばす。
しかし、それは読まれていた。
男は手のひらに拳ほどもある赤い蟻を生み出すと、石礫の如くジャックへ投げつける。
ジャックはすかさずそれを切り払った。
と、それが爆発。
黄色い体液を撒き散らす。
虫の知らせ。
ジャックは、身体を翻しその体液を避ける。
ジュッと音と共に、体液のかかった衣服から焦げ付く嫌な臭い。
袖口を焦がし、露出した皮膚の体液の付着した部分が鋭く痛む。
「オト様!」
マイはボロボロの身体を無理やり動かしオトに飛び付くと、抱き締めたまま部屋の奥の方へ転がりこむ。
暴風のようなやり取り。
そして、それはまだ止まない。
男はさらに間合いを詰め、地面すれすれから股間を狙いモーニングスターを振り上げた。
ジャックは半身で避けるが、わずかに遅い。
軌道がわずかに逸れ、左耳の肉を抉る。
赤が飛ぶ。痛みが走る。されど躊躇なし。
ジャックは踏み込みながら、右手の金属棒で切り払う。
男はかがんで躱したが、ジャックは旋風が如く背を向けると次の瞬間には裏拳の要領で木剣を叩きつける。
男はモーニングスターを強引に引き上げ木剣でそれを受けた。
ジャックはそのモーニングスターを巻き上げモーニングスターを弾くと、さらに回転させ身体を沈め、水面蹴り。
男の踝にジャックの踵が直撃。
男の身体が丹田を中心に回転。
ジャックはさらに回転し、腹へ蹴撃。
男の身体が壁面へ叩きつけられた。
が、それと同時に長舌蜥蜴の舌がジャックを襲う。
追撃を取ろうとしていたジャックは、一歩遅れた。
足首に舌が巻き付く。
ジャックがそれから逃れようともがくが、長舌蜥蜴はその恐ろしい膂力でジャックを引き倒した。
地面を転がる。
即座に起き上がろうと手を付くが、宙に持ち上げられ、地面に叩きつけられた。
全身の骨が軋む。
抵抗の暇なくさらに、壁に向かって投げつけられた。
肺の空気が全て押し出され視界が真っ白になる。
意識が飛びそうになるが、鋭い風切り音がジャックを繋ぎ止めた。
長舌蜥蜴の額に生えた三本の槍。
見えないまま立ち上がると、音だけで1本目を切り払い、2本目は首をかしげて避ける。
勘だけを頼りに長舌蜥蜴に向かって木剣を投擲。
寂しくなった長舌蜥蜴の額に木剣が突き立つのと同時に、
ジャックの肩に槍が突き刺さり、その勢いで壁に縫い付けられる。
「はは! 糞虫め!」
男は、飛び出た目を文字通りグルグルと回しぶっ倒れた長舌蜥蜴を後目に、
ジャックとの距離を詰めモーニングスターを振り下ろした。
ジャックは壁に縫い付けられたままで避ける。躱す。受け流す。
「ちょこまか動くな!」
「やだよ。それで殴られたら痛そうだ。これよりなぁ!!」
肩に突き刺さった角槍を握りこむと力を込める。
ブチブチと筋繊維が引きちぎれる音。
ジャックの右口角が上がり、一気に引き抜かれた。
再度、二つの剣を、いや、ただの金属棒と得体の知れない魔物の角を剣のように握り両腕を下ろして斜に構えたジャックを見て男は鼻白む。
「お前、その年でどエムなのか? それとも気狂いか?」
男はオトの方を見やる。
頭を抱えるオトと、歯を剥き子を守るようにオトを背にするマイ。
「お前には年少者への慈悲はないのか?」
「年少者?」
マイはジャックより年上だったはずだ。
ジャックはオトに視線を送る。
「おい、何歳だ?」
「へ? 私ですか? 私は16歳です」
先ほどまで間違いなく殺し合いをしていた二人が急にへらへらと話し始める。
そんな状況に理解が追い付かないオトだが、それでも答えを絞り出す。
「俺より二つ、いや一つ上か」
ミーアの作った甘ったるいケーキの味を思い出した。
「この中に俺よりも年少者はいなさそうだが?
いや、もしかして、お前さんはティーンなりたてなのか?」
男は顎を触り、口の端にこびりついた血の塊をぬぐう。
「髭なんか生えてねぇよ。俺の名前はグインヘル。
お前の年齢を3倍した数より三つ上だ」
「そうか。俺はジャック。お前の年齢から3引いて3で割ると俺の年齢だ。
安心しろ、年長者への尊敬はある。一撃で痛みなく殺す程度にはな」
「狂犬め」




