70:なら、やろうぜ?
マイは壁を支えに何とか立っていた。
男の振るうモーニングスターの直撃は避けたもの、服のあちこちがその鋭いスパイクに割かれている。
勝てない。理解する。
殺される。分かっている。
それでも、そういうわけにはいかない。
そう、例え死んだとしても。
ハァハァ、と肩で息をしながら男を睨みつけた。
それを、男は重いはずのモーニングスターを木切れのように肩で担いで涼しい顔で眺めていた。
それが、一瞬崩れる。
「ん? 還ってきたな」
赤褐色のスーツを着た男は、怪訝そうな表情になった。
「お前のツレか? オルトロスがヤられて還ってきたのは初めてだ」
――ツレ? オルトロス? そして、やられた? 何のことだ?
マイの顔がわずかに険しくなる。
『やられた』というのは、『倒された』ということか。
そして、そういうことなら思い当たる節は、ある。
戦闘狂か従者だろう。
そうか、そうだった。
手首を返して鞭を振るう。
蛇のように地を這い男の足首に巻き付いた。
男はチラリとそれを見て煩わしそうに足を蹴るように振る。
マイはそれに合わせて思いっきり引っ張った。
男はそれを予想していた。
ゆえに、体勢にほとんど影響はない。
しかし、ゼロではない。
わずかなその一瞬だが、マイにとってその刹那に賭けた。
重心をずらし足を前に出す。
直後トップスピードに乗る。
しかし、その逃走は読まれていた。
振り下ろされるモーニングスター。
当たればひき肉になるのに十分な威力。
「お前から死ね」
男は呟く。
マイは腕が千切れる勢いで鞭を引っ張った。
走り出す直前に壁傍の岩にに巻き付けていたのだ。
急激な方向転換に、肩が悲鳴をあげながら壁に飛ぶ。
マイは空中でバランスを取ると鞭を使い壁に立った。
そして、そのまま壁を走る。
「やるなぁ、犬コロ。なんでもできるな」
「黙れ。やれることはなんでもやんだよ! 糞猿!」
壁から飛ぶと、着地直前にその場所に鞭打った。
土煙が立ち上がり、男は一瞬マイを見失う。
その煙から石礫が飛び出してきた。
男はモーニングスターで瞬時に弾く。
と、その礫の中に紛れていた鞭が、モーニングスターに絡み付いた。
男の動きがわずかに遅れる。
「ガハッ」
礫の一つが男の腹に打ち込まれた。
「てめ――」
イラついたその顔に、煙からこれまた飛び出したマイの膝が突き刺さった。
鼻血をひいてたたらを踏む。
「ざまぁ見さらせ!!」
そのまま顔面を踏みつけて逃げようとしたマイの足を男は掴んだ。
マイが舌打つよりも早く男は振りかぶると壁に投げつけた。
受身を取る間もない。
壁に叩きつけられ、息を吐き出すまもなく地面を滑る。
脳が見失った意識を、精神が繋ぎ止め身体が手繰り寄せる。
眼球だけで状態を確認し、跳ねるように飛び起きると、通路の奥に向かって走り出した。
「逃がさねぇ!」
男が呪を唱えると、マイの前の地面が盛り上がり人を象る。
そして、その泥人形は現れた瞬間、すでにマイに向かって腕を振り上げていた。
狙いなどない。
拳はマイの身体ほどもある。
かすればそれで終いなのだ。
しかし、それでも、止まる、そんな選択肢はあり得ない。
追い付かれて殺されるだけだ。
活路は前にしかない。
恐怖を踏破し前進。
直撃の直前に身体を直下に沈める。
頭上を突風が過ぎる。
這うような姿勢のままさらに進む。
その背に衝撃が走る。
足を縺れさせ倒れこむが、前転の要領で即座に立ち上がった。
そして、背にぶち当たったのが、あのデカいだんご虫だと分かり舌打ち。
地面に落ちている物を手当たり次第に打ち据え、男に向かって飛ばすと走り出した。
「待てよ! ハチ公!」
「黙れというのがわかんねえのか! ですの、エテ公!」
マイは背後よりくる気配を勘だけで避ける。
身体を捻った途端背中が痛み、その痛みに耐えんと息を吸い込んだ瞬間肺が痛む。
それを無視。前進。
全身が悲鳴をあげる。
走る。前へ。
「何がしたい! 何ができる!」
攻撃、回避、攻撃、回避。
「どこまで行く気だ!」
たどり着いたのは鉄格子の前。
中で二つの影が動いた。
「あん?」
男は中を覗きこむ。
「お姫様、ここでしたか」
男はくつくつと笑う。
「俺の狙い分かってたのか? 案内して命乞いか? よくできた忠犬じゃあねぇか。飼ってやってもいいぞ?」
「お前は誰だ?」
檻の前に立つ男、その檻を挟んで一つの影が立つ。
「何だ? ガキ。姫に紛れて連れてこられたのか?」
「質問に質問で応えるな。意味がわからんだろうが。なぁ、マイ」
「いつまで、そんな所に……いるつもりですの?」
「しりとりで勝てないんだ。何か『る』で始まる言葉、知らんか?」
「ちゃんと質問に、答えてるのに……意味が、わからないの」
マイは痛みに耐えきれず思わず座り込む。
が、そのついでと、足元に落ちていた木の棒を檻の中に投げ込んだ。
そして、魔法の言葉を紡ぐ。
「そいつ、強いの」
パシッ――ジャックは木切れを受けとる。
キン――金属が切断される。
ゴオン――扉が倒れた。
「どこの、誰が、強いって?」
倒れた扉を踏み越え、切断された金属棒を拾い上げる。
ニィっと口角を引き上げる。
「こいつが強いのか? マイ」
ジャックは男の前に立つ。
「多分そうだぞ、ガキんちょ」
マイの返答よりも先に男が答えた。
「そうか、なら、やろうぜ?」




